【第7話】 思い出の夜
開発は困難を極める事になる。
ベースとなったプログラムは校長先生と一緒に創っていたものだが、校長先生のプログラムはブラックボックスが多くあり、私のプログラムも泣きながら(担任先生によるいじめで)、恨みながら(クラスメイトによるいじめで)創ったものが多く、暗黒のブラックボックスと化し、開けないプログラムがかなりあった。
例えば朝、コンピの前で起きて画面を見ると、寝ぼけて創ったのか、見知らぬ数式や記号が並んでいたりした。意味不明なコードとかあったり、消すのがもったいなく保存したりして創ったものだ。
(行動支持すると結構面白い動きをするのだ、消去なんて却下である)
ちなみにこのコンピは、校長先生からもらった優れものだ。
校長先生が言うには、バグは人にとっての不具合で、コンピはその通りに動いているにすぎないと、バグに開発の秘密があるそうだが……。
「ルカトナ、ナツの開発にコアは使うの?」
「NO、コアは使わない」
「では、あなた達と同じプログラム?」
「NO、同じではない」
「それって?」
「コアではなく、リングを使う」
「リング?なにそれ」
「まあ、完成を楽しみにしておけ」
どうやら、私にも話せないことがあるらしい。
校長先生は私に対して、段階的に情報を開示するように、とルカトナ達に指示している。まあそのうちに分かるだろう。
暫くして、私が歩けるようになると、まどかと二人で広い広いお庭をお散歩した。
歩けるといっても、松葉杖だが。私は三ヵ所ほど骨折し、左の鼓膜が破れ、打撲に打ち身、酷い有様だった。
散歩が終わると本格的なリハビリ。
どんだけお金持っているのかね、まどかのお家。見ず知らずの私にこんなにお金を掛けるなんて。 私、他人だよ?施設にも寄付したというし、裏があるのかな?散々いじめられてきた私は、人や物事を真っ直ぐに見ない。我ながら歪んでいるなあ。素直が一番なのだが。
お散歩中は色々なお話をした。まどかは昔この町に住んでいたそうだ。事故に遭い、引っ越したらしい。そして発病して戻って来たと。
引っ越し先のストリートで、歌を歌ったら評判になり歌手デビュー、子役も当たり、あっと言う間に国民的アイドルに。そして発病、引退。
なんか別世界の人だね。私がチクリと言うと、あら私だって算数解ける人、別世界人よ、と返された。それに病気を機に引退したから、もう普通の女の子よ、髪は無いけど、と明るく言った。
本人が思っても世間様はどう思っているのかねぇ。
ああ、いいなあこんな会話。友達のいない私は何気ない日常に憧れていた。
普通の女子の会話は美味しい。
そう涙が出るくらい美味しい。そんなお散歩に時々まどかのお母さんが参加したりする。休日はお父さんも。
家族とはこんなにいいものなのか?
若くて優しいお母さん。お父さんは白髪交じりで、ちょっとご年配。聞いてみると、奥様と干支が一回り以上離れているそうだ。
お父さんかなりの艶福家?
楽しい時間は直ぐに過ぎる。
私の体はほぼ元に戻り、近々施設に帰ることになった。そして通学許可も出た。
通学かぁ、なんか憂鬱。
そんなある日の夜、誰かが部屋をノックした。
「誰ですか?」
扉の向こうから、かわいらしい声が返事する。
「私」
扉を開けると、オレンジ色のチェックのパジャマに、大きめの枕を抱きしめている、まどかが立っていた。
「どしたの?」と、尋ねるとまどかは、ぽつり、と返事をした。
「……女子会しましょう」
「昨日もしたじゃん」
「今日もするの、明日、帰るのでしょう?」
「そうだけど」
すたすたと部屋に入り、ごそごそと私が寝ているベッドに、まどかは潜り込んできた。
まどか、属性がネコ?枕をほぐし、まるで自分のベッドのように寛ぐ。
私はまどかに色々と質問を始めた。明日、施設に帰るし、聞きたいこと皆聞くことにしましょう。
「まどか、ボカロ好きだよね?私にも色々紹介してくれるし」
「大好き」
「どこらへんが好きなの?」
機械の声だし、無機質に感じない?と私は続ける。
「まずね、私は歌を歌っていたでしょう?」
「うん、綺麗な声だしダンスも凄いよね」
「ありがとう、でねボカロはボーかロイドは音程を外さないの」
「……そうね」まあ機械だから楽譜通り歌うよね。
「それにね、どんな歌詞でもどんな音程、音階でも自在なのよ!歌えません、とか言わないの、凄いと思わない?必ずボカロPさんの、作詞家、作曲家の書いた通りに動いてくれるのよ!尊敬するわ!必ず、必ず答えてくれるのよ。誰がどう設定しても!」
私の感覚に変換すると、数学で言う公式みたいな存在かな?
「それにボカロPさん達、独自の世界観がそれぞれあって凄いの!」
それから永遠と二時間ボカロ話が続いた。
曲も今まで以上に解説付きで聴かされた。
アブナイ曲も結構聴かされた。
知っておりますか、まどかさん?同級生だけど、年齢的には小学生ですからね、私。
ボカロには、攻撃的で陰惨な曲もあるのだ!
そして、その真逆もある。
二時間後解説が終わると、ローロンサを呼び出し、今度はゲーム世界にダイブした。で、ローロンサがいい加減に寝ろ!と言うまでプレイした。
楽しかった。ローロンサの言葉に私達は心から笑った。
そして二人、手を繋いで寝た。
見慣れた天井を眺めて、私はため息を一つ。とても小さなため息だったが、まどかは聞き逃さなかった。
「どうしたの?」
彼女は眼だけ動かして私を見た。
「ほら、おねーさんに相談しなさい!」
そう言ってまどかは私にすり寄って来た。
私の悩みは暗くて不快。あれ?変換がうまくいかない?私の悩みは暗くて深い。
悩みは、いじめだ。見知らぬ人より、理不尽な暴力を受ける。周りに訴えても、相手にされない。
酷い話だ。
この国の学校は閉鎖された空間。監視カメラがあっても、公表しなければ意味が無い。
監視カメラは監視しているだけだ。
監視する前に止めなきゃ、そうでしょ?
いったい、いつまで続くのだ?あの愚者達の愚行は?それともいじめは、私が受ける罪と罰なのか?
私を生んで母が死んだ。
私は母を殺している。少なくとも父はそう判断したのだろう、鉄パイプで保育器を襲撃しているし。
(人のすることか?)
母は私をどう思っただろう。私さえいなければ、母は死ぬことは無かった。
命を落としてまでも、生んでくれた。強く生きて!とか、思ったかな?それとも、よくも私の命を奪いましたね、とか思ったかな?
そして父は私を殺そうとした。
そんな父を母はどう思ったかな?父と一緒に、私の死を望んだろうか?それとも、命を落として産み落としたこの子を、なぜ殺そうとするのです、と母は抗議したろうか?
答えはない。
分かっているのは、両親は死に、私は生きている、という事実のみ。
絶えることなく、受け続けているいじめは、両親の呪いか?
まどかには、話せない。
話しても答えが出ない。
そこで私は言葉を変えた。
「気持ちが晴れない、悩みの出口が見つからない」
「……」
まどかは沈黙した。
私は続ける。
「いじめの問題は終わらない。いじめは無くならない。私をいじめている奴らはそのうち大きくなって、大人になって私のことなど忘れてしまうだろう。いじめていた事など、ほんの冗談さ、程度で済ますかもしれない。でも私は忘れられない。私の傷は消えない。忘れたいのに消えない」
「……苦しいね」
「ああ、苦しい。心が晴れない」
「私も芸能界で色々あったけど、ねえ亜紀、いじめって無くならないよね」
「無くならない、だって大人の世界にもあるし」
「でもね、えっと、ほら、あれよ!」
「?」
「nよ!」
「?エヌ?」
「え~と、公式よ公式!私べんきょーしたのよ」
巨大な『はてな』マークが、私の頭の上に出現する。
数学の公式だろうか?エヌ?n、N、はて?なにかあったかしらん?
まどかは徐に布団を払うと、照明のスイッチをONにする。
「うぁ、眩しい!」私は眼を細めながら眼鏡を探す。
メモ用紙に何かを書いているまどか。
「何書いているの?」
覗き込むと、まどかが自慢げにメモ用紙を見せる。
「これよ、これ!」
そのメモ用紙には見慣れた数式が書いてあった。
an=1/n
ん?何だこの公式?
「これ、高校の数学、数ⅡBのやつじゃん。これが?」
「これ、nが大きいほど、ゼロに限りなく近づくのでしょう?」
「ん、そうだね」
「これに、いじめを代入して計算する」
「は?」
「すると、いじめは限りなくゼロに近づいていく」
「え?」
「いじめは無くならないけど、皆の努力で、減らすことが出来る。ゼロに近づけるのよ」
「……減らす?」
「そう、無限にゼロに近づける努力をするのよ!限りなくゼロに!いじめも戦争も全ての不幸も!」
「……」
「な、なに泣いているのよ!わわわたし、酷い事、言った?」
慌てふためくまどか。
私は、不覚にも涙がこぼれた。心が動いた。
「ま、まどか泣かすなよっ」
私のことを思って、一生懸命考えて、探して、私の大好きな数学を使って励まそうとしてくれたんだ。慰めようとしてくれたんだ。分数、苦手、キライよ、とか言っている人が。
大体、どーやって『いじめ』を代入するんだよ!
それに、nが大きければ大きいほどだよ?いじめ大きくしてどうするのよ!
ああ、大きいイジメほど、小さくなるってか?無限に小さくなる?そんな発想、私にはまったくないよ!
「あと、何かあったら必ず連絡してね。一場さんもすぐ動けるようにしておくから」
……イチバさん……田崎一場さん。彼はやばい。イチバさんとは、あの3人をぶちのめした、ナイスガイの警備員さん。まどかのガーディアンだ。どうやら従兄らしい。
「でも私、春から大学生だよ?」
「は?なに言っているの?高校は?」
「飛びます飛びます」
「亜紀、あなた勉強さぼりなさい!何か、大事なもの忘れて学年だけ進んでいない?」
「だいじなものって?」
「えっと、その、なんだろ?」
まどかの言っていること、何となく分かる気がする。
私は忘れ物が多い、忘れてしまいたいことも多くある。
「……ん、まどか、もう寝ましょう」
体力的には私は小学生だ。それもかなり小柄な。もうねみい。
「そ、そうね」
私たちはもそもそと、ベッドに潜り込んだ。
二人、仰臥してベッドに並ぶ。するりっと、まどかが迷いも無く私の手を掴んだ。
少し汗ばんだ柔らかい手。
「負けないで」
「主語が分からん」冷たく私が質問する。
「私達を取り巻く世界によ!」
擦れたような声でまどかが言う。
手に力が籠る。
「ありがとう」
感謝の言葉を口にして私は眼を閉じた。