op.11 辺境サントラの来訪者
サントラ少年隊による『聖地開発区域』調査は、妖精の『ヌシ』が発見されてからも続行された。区域内をすべて見て周り、マッキーナが地図を書き上げるまでに、結局丸三日も掛かったのである。
竜暦一〇四五年、三月末日。
夕日も沈みかかった町長の家。
丸三日掛けて完成した地図と、ムンクが書き残していた調査書のすべてに目を通し、任務の依頼人・ノウドがくたびれた表情をした少年隊一同へ一言。
「……うん。やっぱりこの区域、聖地には向いてないね」
「……へ?」
「どの地点も空気中のメトリア濃度が薄いし、妖精も最初から区域に生息していたんじゃなく、外部から持ち込まれた可能性が高いって話だからね。聖地が神秘の世界と大陸世界を繋げるための舞台装置である以上、妖精がそれなりの年月を掛けて土地に根付いていないと、聖地としての機能を十全に果たせないんだよ」
「…………」
「環境型メトリアでよく聞く、土地の『歴史』が浅いってやつだ。協会本部へは、僕から区域解除を提案してこよう。ご苦労さまみんな、すごく助かったよ」
くたくただった少年隊一同が、なんとも形容し難い微妙な表情をしていることにノウドはすぐ気が付いた。
聖地にならない? 区域解除?
──……こ、ここまで一生懸命調べたのに、そんな残念な感じのあれデスカ!?
「……ええと。うんまあ、無常っちゃ無常だよね」
どこかの指導者みたく『水』の流れを読まずとも、ノウドにはハルたちの内情が察せたらしい。
「仕事ってさ、頑張ったぶんだけ成果が出るとは限らないんだよ。それどころか、成果が出ることを前提に動くとも限らない。エレメント協会でも日常茶飯事だよ。『あ〜、この事業は失敗しそうだけど、企画段階で没ると上層部が納得してくれないから、少ない人員と予算で実行するだけしておこう』みたいな駆け引きが水面下で繰り広げられている」
ノウドは大人の事情をぶちまけながら、落胆するハルの肩へ手を置いた。
「あ〜、腹減った! メシにしようぜメシ!」
「酒場行こうか。今晩は任務の報酬とは別で、僕が頑張ったみんなに奢ってあげよう」
「よっさすが町長! 仕事もプライベートもデキる男!」
数秒前まで疲れ顔だったダイヤが、晩ご飯の話になった途端すぐ復活する。
マッキーナは机にだらんと突っ伏しながら「仕事はともかくプライベートはデキる男じゃないでしょ町長は……独身じゃん……」と小声で失言している。
そんな失言を気にしてか否か、丸眼鏡を顔から外すなり懸命に磨き出したノウドが、
「そういえば……ウィルさんは?」
作戦本部にいない司令官、その所在をたずねられ机越しに少年隊が顔を見合わせる。
ウィルは何も、今たまたまこの場にいなかったわけではない。自分たちが必死になって区域を探索している間、ここ三日は誰一人として、ウィルの姿を見ていなかったのだ。
ハルは首を傾げ、ぽつり。
「……ウィル先生…………どこ?」
──ま、まさか。
司令だけ職務放棄かぁ!?
⁂
「──失敬だな。職務放棄なわけが無いだろう?」
サントラ唯一の酒場にて。
少年隊がテーブル席で見つけたのは、怠慢疑惑のウィルがビールジョッキを手にしている姿だった。
一日三杯はコーヒーを飲むと豪語するウィルが、今晩はなんと紙コップを持っていない。しかも普段の定位置、カウンター席の一番右端じゃない!
──て、いうか!
「超サボってんじゃん! お酒飲んでるじゃん!? 僕らにだけ働かせて何へらへらしてんだ、ろくでなし先生っ!!」
「おいおい勘違いするなハル。酒とは必ずしも、娯楽のために嗜むとは限らないのだよ?」
ずざざざぁっ! とハルにすごい剣幕で駆け寄られ、鼻先で突き立てられた人差し指を、ウィルはジョッキを手にしていない方の手で掴むなり、
「私はもとより、酒は社交の場でしか飲まない主義だ」
その指を自身にではなく、テーブルに同席している違う大人たちの方へ向け直させる。
テーブルに座していたのは二人。
一人は酒場でお馴染み、ハモンド長老である。どこぞの妖精にも劣らない白いあご髭を伸ばしては、相も変わらずのそりのそりと太った胴体を揺らしている。
そしてもう一人は、ハルもダイヤも、当然サントラに移住して日が浅いマッキーナやムンクも、誰もが知らない大人だった。
「──……かっ、あ〜〜〜〜〜っ! うう〜んまいねえ〜〜〜えっ!」
水のようにビールジョッキの中身を空にしては、
「店長、おかわりいっ! ウィルの『旦那』にも追加で!」
「楓『お嬢』……私はもう結構だ。いくら人体の六割が水分だからって、短時間に十杯も二十杯も収容できな……っておい、ニールセン。もう運んでくるな!」
「ちまちますんなよ〜旦那ぁ。男の器量の大きさは、金の回りと酒の飲みっぷり、あと抱える女の多さで決まるってのが上流社会の常識じゃないかい」
ジョッキを乱暴にどかんと机へ叩き置く。
ウィルを『旦那』と呼び、火傷痕が残った細い首へ軽々しく腕を回してくる酔っ払いの女。
その容貌──艶やかな『黒』で全身を覆うような。
⁂
腰まで伸びる漆黒の髪を、尻のあたりで一束に結んだ女。
春先にはやや暑苦しそうな布の重なりと、裾の長さが気になる風変わりな着物を着こなした女。
黒のドレス、その要所要所には刺繍された鮮やかな色合いの花草が散りばめられた女。
高くて太いヒールが付いた、黒光りした見慣れない形の草履を履いた女。
そんな見知らぬ女が、ウィルにひとしきり絡んだあたりで。
「…………ああ〜〜〜っ!」
急に大声を上げて立ち上がる。
深い深い『藤色』の瞳を向けた先には──金髪碧眼の少年。
立ち上がった女がガッタンガッタンと、乾いた靴音を鳴らしながらハルへ駆け寄るなり、
「…………へっ?」
ぎゅむぅ。
一切の躊躇ない抱擁で、ハルの全身を黒いドレスが包み込んだ。
数秒の思考停止を経た末に──
「……う、わあああっ!?」
「すごお〜〜〜い! 『英雄』じゃあ〜〜〜〜〜んっ!!」
「うわああああああああああっ!?」
「会いたかったぜえマイスター! ここで会ったが百年目! おねがあ〜い、あたしのハートにチューしてえ〜〜〜っ!!」
「うんわわわわわああああああああああああああああああああっ!?!!?」
見知らぬ女の熱烈なラブコール。
十五歳の少年にはあまりに刺激が強すぎて、酒を飲むまでもなくノックダウン。
その場でバッタン気絶したハルを、ウィルに『楓』と呼ばれた女がそのまま抱き伏せたあたりで、ようやく周りの大人たちが二人を引き剥がしにかかって騒動が収まるまでに、いったいどれほどの時間を要したんだろうか。
少年隊の疲労も空腹も、すべてが吹き飛ばされた夜の出来事である。
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