op.10 極東の少女
亜麻色の三つ編みヘア、桜色の瞳。
水色のセーラー服を身に纏った少女が、同居人の帰りを待ち構えていた。
「…………なに、これ?」
皐月は玄関先にて、ハルが両手に抱えた謎の生物を凝視する。
中年男の顔つき、おっさん髭、若干ぬめりを含んだ太った胴体。ピチパチと尾を跳ねさせ、ナマズの妖精はぬるっとハルの手から逃げ出した。
ぼてっ。
廊下に着地してしばらくすると、エラをぶくうむむぅと膨らませた妖精が、ゆっくりと胴体を床から浮かせて──
「皐月っ、あぶない!」
ハルが声を上げるより早く、妖精は皐月へ突進した。
湖で縄張っていた『ヌシ』と比べれば、突進の威力は大したことがない。ぼてっと間抜けな水音と共に、皐月の胸元へ突っ込み丸く収まる。
セーラー服を体液でぬめらせた妖精にハルは顔面蒼白となった。
「あの、えっと……皐月……さん……」
「…………か」
──か?
「かわいい…………」
──かわいい?
「かわいいっ!」
──……えっ!? かっかか、かわいい!?!!?
潤った桜色の大粒が、おっさん面の魚妖精を抱き上げては爛々と輝いている。セーラー服が濡れたのも構わず、皐月は長い髭をうっとりと眺めながら、
「かわいいっ! 丸くて不思議でかわいい形……っ!」
「いやどこが!?」
「ハル、この子飼いたいっ!」
衝撃発言。ハルの背後で控えていた他の少年隊メンバーも驚愕。
ハルは全然共感できない妖精への感想に皐月の美的センスを疑いながらも、ウィルから突如任された「皐月に妖精を預ける」という、難易度高めな臨時ミッションがあっさりとクリアできたことに内心ではホッとしたのである。
⁂
「ええと……今から僕たち、もっかい仕事に行かないといけなくて……」
リビングのソファに腰掛け、妖精の濡れた身体をバスタオルで拭いている皐月の顔色を伺いながらハルは用件を話していく。皐月は真面目に話を聞いているのかいないのか、妖精を撫でながらニッコニッコと右耳を覆うほど大きな三つ編みを揺らしている。
「それで、妖精のお世話の仕方を町長に調べてもらったから……」
「かわいい……名前、どうしよう……」
「ここに詳しい妖精の取扱説明書が……さ、皐月さん! 聞いてマスカ!?」
「名前! 名前どうしよっか、ハル?」
会話がまるで噛み合っていない二人の様子を、食卓のテーブルを取り囲んで座ったメンバーたちがぼんやり眺めていた。
「すげえな……ナマズ妖精、めっちゃ皐月ちゃんに懐いてるわ」
ダイヤが感心しながら、
「ハルにはすんげえ唾飛ばしてたのにな」
「常に全身から体液を出しているわけじゃないらしい」
ムンクは説明書の複製を片手に、妖精化したナマズの生態に関する項目を調べていた。
「体液の放出は警戒心の表れ」
「まじか! じゃあハルめっちゃ嫌われてたのか! ははっ、ハル可哀そ〜」
「嫌われたのはあたしたちもおんなじでしょうけどね……」
ヘラヘラ笑うダイヤを嗜めたマッキーナが、机に頬杖を付きじとっとした目付きでソファを見据えた。
茜色の視線の先には、ハルから受けている説明をガン無視し、おっさん面の髭面な妖精を愛で続けけてる、なんだかぽやっとした桜色の少女。
外のカランとした天気みたいに、皐月の笑顔は晴れ晴れとしていた。
「……結局、皐月はなんなわけ?」
マッキーナがソファへは聞こえない程度の声で、ダイヤへ疑問を投げかける。
「ハルの許嫁か何か? 目の色と顔付きからしてシャラン王国民じゃないわよね?」
「ぶっちゃけ俺もよく知らね。でも皐月ちゃん、『島』から来たっつってたぜ?」
「島……ああ、極東の島国?」
ダイヤが机に置いてあった、皐月お手製のクッキーを勝手にパリポリ貪り始める。
ちなみにクッキーは決して少年隊のためではなく、ハルの帰宅を待ちぼうけた皐月が、自分といずれ帰ってくるハルのおやつ用に作り置きしていたものだ。
「じゃあハルの家に居候してるってこと? なんでハル、なんでサントラなのよ? そもそも王国に上陸した目的は?」
質問に質問を重ねるマッキーナ。ダイヤはクッキー片手に、もう片手の平を空中で押し上げる姿勢を見せた。俺にわかるわけねーじゃん、といった風に。
「……極東の人間が王国領にまでたどり着く方法は少ない」
食べて良いよと誰からも言われていないクッキーには絶対に手を付けないムンクが、
「一番正当なルートは、王都で定期的に出ている『港』からの船で上陸することだ」
「そうね。けれど船で来た異国の人間は、本来なら王都内もしくは、王宮が管轄している地域での生活しか認められていないはず」
『王都』ドラグニア。
大陸西南部の島全土を領地としており、王国で唯一の『港』がある。
その王都から、サントラや他の『七都市』がある大陸本土にまで足を踏み入れるためには、大陸と島を繋げているシャラン鉄道の『橋』を使う他ないのである。
ただし──正当に港経由で上陸したのであれば。
「独自のルートで船を出したのかしら? それとも……」
やはりハルと皐月には聞こえない声量で、マッキーナがつぶやいた。
「もしかして……大陸を横断してきた?」
大陸横断ということは、シャラン王国領土に辿り着くまでに、他の国家の領土をもわざわざ超えてこなければならないわけで。
ましてやシャラン王国と他の国家とは、つい十五年前まで──戦争をしていたわけで。
「いくら極東政府が、大陸に対しては完全中立を宣言してるからって……もし仮にそうなら、あまりにリスクが高すぎるわ」
マッキーナはクッキーを一枚手に取り、そのザラついた小麦の感触を確かめながら。
素性が知れない異国の少女、その心当たりを胸の内に秘めたまま。
「皐月、とか言ったかしら?」
「おう」
「……あの子、名字は?」
⁂
マッキーナの疑問を、やはりダイヤは解消することができなかった。
一方で皐月は、ハルとの二人暮らしにはいささか広過ぎた家へ、新たに加わった愉快な妖精の名前を考えるのに一生懸命で──
ぶぐむうぅ、むむぅ、ずず…………げっふぅ。
「鳴いた!」
「えっこれ鳴き声!? 空気が抜けたような音したけど、最後!?」
「ゲップみたい! かわいい! おじさんみたい!」
「ゲップみたい!? ゲップってかわいいの!? 確かに顔はおじさんだけどぉ!?」
「決めた。この子の名前!」
パン、と両手を合わせた皐月が。
「『げっぱ』! げっぱにしよう、ハル!」
「ゲップの鳴き声だけにげっぱ!?」
空飛ぶナマズの妖精──その名前、まさかの『げっぱ』に決定。
嬉々としてげっぱを抱き抱える皐月と、そのげっぱに早くもぬめった唾を吐き捨てられているハル。
少年少女の仲睦まじい日常を、食卓でクッキー貪るメンバーたちが眺めているうちに、掛け時計はまもなく正午を過ぎようとしていたのだった。
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