op.8 妖精のヌシ②
湖を巣とする『妖精のヌシ』が、今、確かに空を舞った。
全長三メートルを悠々と超える巨体で、たっぷりの水気を含ませながら宙へ浮かび上がる。
その巨体をつい先ほど『妖精のヌシ』と名付けたのはダイヤだが、いよいよどうやら、その名前が単なる思いつきでは済まなくなってしまった。
ヌシの後を追うように、その水面が瞬く間に蠢きはじめる。
────ズザザザザザザッザザザザザザザザァァァアァァァァァァァァ……!
舞い上がる水飛沫、泡沫の幻想。
ヌシとまったく同じ面をした魚たちが、初めから湖に潜んでいたことを少年隊たちへ知らしめた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
びちばちと跳ねる水飛沫が、時たま自分たちの顔にかかってくるのも構わず。
真顔の少年少女。しばらくは誰一人としてその光景を何らかの言葉で表すことも、感情を口にすることもなかった。
最初に口火を切ったのはマッキーナで、
「も、しか、したら湖にはもう、こいつしか生息してない、んじゃないかって……」
真顔のまま。
「この巨大魚が、湖の生態系を破壊したんじゃないかって……」
「ああ……ぶっとい腹だもんな……湖に住んでた魚ぜんぶ食ったって、あんな肥満にはならなそうだもんな……」
さすがのダイヤでも、夜空一帯を覆い尽くすおっさん面した魚たちに、余裕の笑顔はかませなかったらしい。
奴らは顔こそ不細工だったが、なるほど、こうして連なってみれば『妖精』には見えるかもしれない。
空飛ぶ人面魚──その群れが、ここに実在した。
「妖精生息、確認!」
やけくそ気味にマッキーナが叫ぶ。
「ちゃんと妖精特有の『空のメトリア』も発現してるわね! でもこいつらあれよね、水場で生息しているんなら、この区域はいずれ正式に『水霊』へ管轄を移すべきね!」
『炎霊』の管轄ではありません、と責任放棄の姿勢。
すでに水飛沫でずぶ濡れな自分の寝巻きを回収すると、マッキーナは唖然と空を仰ぐハルへ駆け寄った。
「オッケー、目的達成! じゃあ帰るわよ、あんたたち」
男子三人衆は内心でのみ合唱した……この状況で帰れるんデスカ?
ほらよく見て、あの空を! 不細工な魚の妖精たちが何十匹、何百匹で大合唱しはじめマシタけど!?
ほらリズム刻みだしたよ! 「ずんずん、ずずんず、ずずずんずん」ってやたらのっそりしたビート刻んでるよ!!
妖精は魔獣とは異なり、人間への敵意がなければ人害もないとされている。
しかし、それは人間たちに対して友好的だという保証を為すデータではない。あくまでも不干渉、不可侵を前提にした上での人畜無害。
ハルたちは今──彼らの住処に土足で踏み入っている。
妖精たちは決して、湖を荒らす『侵入者』を相手に容赦などしない。
⁂
髭を垂らした魚の群れが、一斉に同じ方向へ目掛け一直線。
「──うぎゃああああああああっ!?」
それが妖精だったにしろ、魚だったにしろ。
生物たちには必ず習性というものがある。
例えば──『光』のあるところへ集まってくるとか。
「は、ハルううううう!」
群れが狙いを定めたのは、星剣を高々とかざし続けていた金髪碧眼。
それを『攻撃』と表していいのだろうか? 妖精たちがハルに突進しては、ばっさばっさとエラをはたいて水飛沫をぶっかけてくるのだ。
マッキーナの証言通り、若干の粘り気を含んだ飛沫を。
「うぎゃあああああっ!」
「は、ハルううううう!」
「ああああ【僕の一ば】──」
「駄目っ!」
金切声を上げたマッキーナが、顔をべたべたに濡らしたハルの必殺技を制止する。
「妖精は殺したら駄目! 駄目なんだからねっ!?」
──そそそそそんな、殺生な!?!!?
ピンチなハルにいち早く救いの手を差し伸べようとしたのはムンクだ。
妖精の群れに向けて弓を引くも、いつも矢の代わりにしている『標識』は番えていない。力強く引いた左手をぱんと離せば、ムンクの黒髪が猛烈な風で吹き荒れる。メトリアの軌道を利用した群れの分断。ハルを取り巻いていた妖精たちが、一斉に空の彼方へ退いていく。
「ハル大丈夫か……って、うわ汚なっ! 臭っ!」
妖精が退散した隙を見計らい、駆け寄ってくるなり鼻を摘むダイヤ。マッキーナよりもずっと多く長く妖精たちの『ぬめり』を浴びてしまったハルの悲惨たるや。
エグい。これエグいって。少年隊リーダーが、『英雄の子』がなんぼのもんじゃい。
「こんなのばっかだ……なんで僕だけ……えぐっえぐ……」
「どんまい!」
星剣片手に、もう片手で目を覆って泣き真似を見せてやれば、へらへら笑ったままダイヤが親指を上へおっ立てる。ちくしょう、さすがは幼馴染。いくら漫画脳の馬鹿とはいえ嘘泣きを見破る程度の観察眼は持っていたらしい。
しかし泣きたい気分であることに変わりなく、ハルが危機を脱したのもほんの一瞬であったことを、少年少女たちはすぐに知ることとなる。
ハルの危機というか──少年隊の危機というか。
「退くぞ!」
ムンクが遠方から声を張り上げる。
魔獣という言語なき生物を日頃から相手取っているムンクだからこそ、自身が放ったメトリアの意味、ハルを助けるがために彼らへ武器を向けた事実の重さを、この場で誰よりも理解していた。
その判断は正しかった……ただし、もう少し指示を送るのが早ければ。
ずず……。
ずずっ、ずずずずずず…………。
ずずずずずずずぅずずずっずずずずずずずずず……………………────!
湖上を舞い、仲間たちに囲まれながら巨体をゆったり回転させていた妖精のヌシ。
再びのっそりした音を鳴らし始めたヌシを、少年たちが一斉に見上げる。
見上げて──四人とも絶句。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
全長三メートルを悠々と超える巨体が、さらに胴体の膨らみを増やしていく。
取り巻きの妖精たちが渦となり、一帯の大きな大きな魚が湖全体にまで広がりかねない勢いで。
ぶ、くうぅぅうううう……。
ぶぐむむうぅぅぅうううううぅぅううっぅうぅ……!
妖精のヌシから新たに轟く音は、その膨らみに膨らんだ腹の中から鳴っていた。
ハルにはその音が、自分の帰りを待っている桜色の少女が、不機嫌なときに頬から鳴らすあの擬音と非常によく似ていると──
⁂
爆音。
湖に響き渡る破裂音は、もちろんヌシのどっぷり太った腹から放たれたもので。
大きな髭を蓄えた大口をがばあと開いたわけで。
────ズザザザザザザザザザザザアァァァァァァァァ……!!
舞い上がる水飛沫、泡沫の幻想。
ヌシの口から吐き出された大量の液は雨嵐のように降り注ぎ、少年隊の全身へ『ぬめり』を提供した。
妖精の群れがぐるぐると空を巡る姿は、任務に励む新参チームたちをねぎらう拍手のような、あるいは小馬鹿にした、文字通り『洗礼』のような。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
全員等しくずぶ濡れとなって、互いに顔を見合わせるサントラ少年隊。
しばらく沈黙を続けた末に、星剣を鞘に収めたハルが、一言。
「……解散」
「深夜だから解散できないぜ?」
ちなみに、湖が妖精の巣窟となっている以上、他に水浴びする場所はどこにもない。
全身ぬめぬめ状態のまま、一同、野宿決定である。
いつも読んでくださりありがとうございます。
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これからもサントラ少年隊の活動をぜひ見守ってください!




