ep.4-1 辺境サントラの住人たち①
豊かな自然と生い茂る田んぼしか取り柄がない、山あいの町にはひとつだけ、『名物』呼ばわりされている人間がいた。
サントラでただ唯一の飲食店、その酒場を切り盛りしている──『店長』だ。
「持ってけ」
だん!
無造作に放り投げられた段ボール箱が、物騒な地鳴りとともに床へと着地する。
中身は包丁とかまな板とかハサミとかスコップとか、用途が全然違う日用品が乱雑に詰め込められている。
もうちょっと整頓して入れようよ、と内心でツッコミを入れるハルだが、金属多めの段ボール箱を放り投げる店長の『芸当』に対しては、サントラで長年過ごしてきたハルにとってはすでに無用のツッコミだった。
「え……重……」
両手で抱え、立ち上がろうとしたハルが、その腰を秒で砕きそうになる。
外に放置したスクーターのところまで、運び出すことすら難しそうな、そういう無駄な重量感。
これは半分ずつ、回数を分けて運搬するしかないと悟りを開き、箱に余りはないのかハルがあたりを見渡すも、
「ええ……全部埋まってる……」
周囲の床に堂々と積み上げられた、最重量級の箱たちに愕然。
「一週間サボった分だ」
だん! だん!
肉切り包丁を豪快にかき鳴らしながら、店長は台所越しにどすの効いた声を上げる。そのまな板に乗った鯉、いや動物から察するに、今日の酒場のメイン料理は『鶏』らしい。
「全部持ってけ」
──全部、というのは、この積み上げられた箱たち全部、ってことデショウカ?
店長の上腕二頭筋を見て苦笑いしつつ、
「……あの……『人間』って、できることとできないことが……」
「甘えるな。人間はやれば何でもできる」
気合いだけでコンロに火を付けられそうな上腕二頭筋が、冬場にどうでもいい熱気をハルに注入した。
怠慢じゃなくてずっと安静にしてたんだよ、なんて言い訳か嘘かもわからぬ言葉を吐いたところで、あの筋肉には何もかも押し潰されてしまいそうで。
ハルは仕方なく、その段ボール箱を持ち上げた。
⁂
店長はいつでもハルに厳しかった。
酒場の屋根を突き破らんとするほどに大柄な男だった。この世の終わりみたいなコブだらけの顔と、全身がコブでできているみたいな、芸術にも近しい美しい筋肉。
小柄で小心者のハルが弱音を吐くたびに、店長はおおやまの胸筋を張り上げて、「やればできる」とハルを鼓舞する。
──ため息を大きく吐いた矢先。
「……あ。『長老』だ」
ハルの視界を新たに捉えたのは、あご髭を長く生やした老人だった。
まだ開店前にもかかわらず、食器やビール瓶がまったく片されていない店の隅っこのテーブルを目撃する。
老人は椅子を複数並べて、散乱する食器の影に隠れるように、その椅子の上で寝そべっていた。あんぐりとだらしない大口を開け、途切れ途切れのいびきを轟かせながら、白くて長いあご髭をのっそり、のっそりと揺らしている。
「……起こさないの?」
老人を指してたずねれば、ただ「ほっとけ」の一言だけで片付けられてしまう。
長老といいウィルさんといい、大人って本当に自由だなあ、などと生意気な小言を胸に秘めながら、ハルは酒場を後にした。
⁂
──人口二千人の田舎だからこそ、サントラにおける主要人物は限られてくる。
まず、『長老』──ハモンド。
ハモンドは、本当に昔から町の住人たちに『長老』と呼ばれていて、ハルが物心がついた時より、ずっとお世話になっている老人だった。
あの木造二階建てをほとんど無料で提供し続ける程度には、とても優しいおじいちゃんだった。そもそも、皐月がサントラに来るまでは、ハルはずっと、あのおじいちゃんによって面倒を見てもらいながらすくすくと育ってきたのである。
本当に良いおじいちゃんだったが、唯一……四六時中お酒を飲んでいる、その口臭だけがハモンド唯一の欠点だった。
それから、何年経ってもまるで見た目に変化が見られないのは、この町の七不思議としてたびたび子どもたちから面白がられている。
次に、酒場の『店長』。
酒場もずっと昔から、同じところで店を構えていたが、あの全身筋肉の強面男が店長に就いたのは、今から五年ほど前のことである。
全身コブだらけの顔と図体で、彼はまたたく間に町の有名人と化した。見た目通りの剛力で、田舎でも時折起きる大人同士の諍いも、彼の大胸筋と上腕二頭筋にかかればワンパンだった。
ハルの唯一の友だちも、「きっとあのおっさん『堅気』じゃないんだぜ〜、こっちで『シノギ』しにきたんだぜ〜」などと噂している。あいつはヤンキー漫画の読みすぎだ。
しかし、そんな大柄で強面だから、あまりに怖くて近寄れない……という事態には、不思議なことに陥らなかった。
いや、不思議ではない。理由ははっきりしている。
なにせ、あの店長に代わってからは、他の町からも真新しいものがたくさん流れてくるようになったのだ。 特に、退屈を極めたハルや子どもたちにとって、彼の移住は非常に良いニュースだった。
……まあそれでも、外見に違わず怒れば世界の『終末』がやってくるので、絶対に敵には回してはいけない大人なんだけど。
そして最後に、『町長』ノウド。
この町で唯一、そして一番黒スーツが似合うおじさんだ。ハモンドが『不老不死』で、店長が四、五十歳くらいなら、たぶんノウドは三十代後半あたり。
今から三年ほど前に、ノウドがサントラへ移住してきたのも、ハルにとってはそれはそれは良いニュースだった。まずそのスーツからして、まさに『都会育ち』って感じが好印象。
ハルだけではない。それまでのハモンドの『ゆとり政治』が、嘘みたいに諸々の手続きがスムーズになったと、今度は大人たちが喜んでいる。
雑貨屋と交渉し、Re:birthの商品を王都から取り寄せてくれるようになったのも、実はこのノウド様である。ハルにとっては、まさしく彼こそ世界の『救世主』だ。
優しくて、しかも頼もしい。素晴らしい大人だ。怖い大人は酒場の店長で十分だ。
長老に、町長に、酒場の店長。
サントラを代表する三人の主要人物が、一堂に会する機会などめったにない。
だからこそ──だからこそ。
「…………へ?」
その三人が揃う現場は衝撃だ。
全ての箱の中身を空にして、昼下がりの酒場にへとへとで戻ってきてみれば。
サントラの新たな来訪者・ウィルを取り囲み、この三人がひとつのテーブルに座って、まるでハルの帰りを今か今かと待ち構えていたような面持ちで。
そんな、サントラを代表する大人たちが──一斉にこちらを振り返った時は。
それはもう、はずみで金玉が飛び出そうになるくらいの衝撃だったのだ。
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