op.29 二人目の勧誘
メトリア産業の総本山、『魔法都市』アレグロにてウィルは宣言した。
シャラン王国の新たなる『英雄』は、辺境の地・サントラを拠点に部隊として発足されるのだと。
英雄の子、小さな星。
『ミニスター』ことハルを隊長にした──『サントラ少年隊』の結成!
そんな宣言を放ったウィルの不敵な笑みを目前に、スーザは口を半開きにしたまましばらく沈黙してしまう。
しかし、口を一旦閉じてはくいと眼鏡をかけ直したのち、
「……貴方は何もお変わりないようですね、兄上」
再び。
「孤高を謳い、自ら率先して王国秩序を掻き乱しておきながら、混沌へ続く道のりにだけは決して一人で進まない」
眼鏡のレンズ越しに澄んだ蒼色をきらめかせ。
「いい歳して、それほどまでに『仲間』が恋しいのですか。──寂しがり」
⁂
「……そんな風に読まれていたのかね?」
スーザの言葉で、ウィルは困ったように眉尻を下げる。
スーザは兄の『水』がわずかに揺れたのを感じながらも、それ以上追求することはなかった。踵を返し、カイーザに立ち上がるよう促しながら、
「この件については、父上には報告させてもらいます」
「それは別に構わないが、カイーザがビブリオ図書館を荒らした、その『賠償』の件も追加しておけよ」
無論です、と返すなり、スーザは広場から歩き去っていく。
王子たちの問答をただ見ていることしかできなかったハルに、カイーザも去り際、楽しげな台詞を吐き残して──
「また遊ぼうなあ、マイスターの息子」
二度とお前みたいなやつに会ってたまるか、とハルは睨み返したが、
「それはあり得ねえよ」
「……なんだって?」
「てめえが『星』を持っている限り、俺様たちドーラとは切っても切れねえ間柄だ。それこそ『恋人』みてえになあ」
カイーザは言った。
「運命ってやつだよ、くそがき。てめえも俺様たちとおんなじだ。神々に選ばれた、大陸秩序ないしは王国秩序の奴隷なのさ」
──己の運命からは、決して逃れることができない。
そんな言葉を残しながら、蒼色の少年は去っていった。
黒い車が何台も駆けていき、広場から見る見るうちに遠ざかっていく。
ドーラの親子がいなくなりしばらくしてから、口を開いたのはマスキードだった。
「それで……『サントラ少年隊』とはなんですか」
まるで初耳だと言いたげな様子でマスキードはウィルに問いかける。ウィルが新しい部隊の結成を知らせるとともに、
「貴殿らの愛娘を貸し出してはもらえないだろうか?」
茜色の少女に視線を向けて。
「もとより、今日はソルフェに出現した魔境の『封印』をマッキーナに依頼するつもりでここへ来たんだ。だがね、部隊が本格的に活動を始めれば術士を必要とする仕事は今後もきっと増えていくことだろう」
だから、いちいちエレメント協会から派遣する手間が面倒だと。
はじめから部隊のメンバーとして、マッキーナを迎え入れたいのだと。
「ビブリオ家、そしてマッキーナ。サントラ少年隊には、君たちの『炎』が必要だ」
術士としても──『炎のメトリア』使いとしても。
ましてや、ついさっき。
ハルから『星繋ぎ』なんてものを見せつけられた後では、尚更だ。
マスキードは少しだけ、口元に手を当てて考える仕草を見せていたが、
「……ウィンリィ氏」
「私のことは『ウィル』と呼びたまえ」
「『サントラ少年隊』とやらのチームリーダーは少年ですか?」
ウィルが肯定すると、マスキードは突然、かつかつとヒールを鳴らしながらハルの元へと歩く。
広場の地面に座り込んだハルと、その脇で佇んでいるマッキーナを交互に見比べて、
「……少年」
マスキードが言った。
いつものように気怠げな瞳で、しかしいつもよりも更に高圧的な口調で。
「うちの娘と『本契約』しますか?」
⁂
……………………へ?
「え、えっと……マスキードさん、それって……」
「本契約しますか? マイスター二世の少年」
カイーザの身勝手な発言とはまったく言葉の重みが違う。
術士の家系、その大黒柱から直々に告げられた──『契約』の提案。
背筋を凍りつかせたハルが、おずおずと。
「そ、その、僕は……」
「本契約しますよね? 新チームリーダーの少年」
「いやっあの」
「少年のチームに必要なのでしょう? うちの娘が。能士としてリーダーとして英雄として、その礎、道のりにマッキーナという術士を必要としていると」
決して早口ではなかった。しかし、やや言葉尻を強めながらすらすらと言葉を並べていくマスキードに、ハルは何も言い返すことができない。
脇で母親の話を聞いていたマッキーナも、唐突な提案に顔を引きつらせてはいたものの、とてもではないが「ママ、ハルにはすでにサントラで契約相手が待っているらしいわよ?」などと言い出せる雰囲気になく──
「我々ビブリオ家としましては、マイスターの後継であるハルであるならば、契約相手としては申し分ありません」
術士の家系は、同じメトリアを持つ者と契約するのが通例だ。しかし、極めて発現者が少ない上に強力な性質を有している、『星』の使い手が契約相手であるならば話は別だと、エレメント協会でもっとも『弱小』派閥であるサラバンドの一族が告げている。
「ですから、マッキーナを次代マイスターの部隊に貸し出せというお話でしたら……ええ、まったく構いませんよ。そのままマッキーナと『本契約』するならば」
ずい、と。
ハルへ顔を近づけてくる──静かな圧を掛けてくるマッキーナの『母親』が。
「うちの娘をよろしくお願いします、少年。図書館で本読んでばかりの駄目娘で、料理や家事は今のところできませんけれど。術士に求められる仕事は一通り仕込んでおきましたし、王国秩序の保持を請け負う者として、一人の淑女としての立ち振る舞いや教養は人並みに備えていると認識しております」
──ハルは、天文台へ行く道中の図書館や寝台列車での出来事を思い返す。
拘束されたハルの裸に、平然と落書きをし始めたり。
癖っ毛の強い茶髪を、なんのアクセサリも付けないまま雑に伸ばしていたり。
術書サラバンドで替えの服と一緒に、下着も『召喚』してきたり。
前にハルの裸を拝んだからと言って、自分の裸も見せてやろうかと提案してきたり。
いいえ、お母さん。ごごごごめんなさい。
あなたの娘さんは、淑女としての立ち振る舞いもちょっっっぴり微妙かもしんないっス!
⁂
いや──そもそも。
「ご、ごめんなさい!」
ようやくハルは声を上げた。
「そのっ、僕! ま、マッキーナと『結婚』は……ちょっと……」
その脳裏に思い浮かぶは、サントラで帰りを待っている桜色の少女。
ていうか、ちょっと待てよ。今って何時? 今日中にアレグロから帰ってこれる時間だろうか? やっべえ、早めに帰ってこいって言われてるのに、早めどころか今日のうちに帰ることすらできなかったりして! サンドイッチ買ってくるって約束しちゃったのに!
目前の修羅場と後々の修羅場、その両方を思い浮かべながらハルが言葉を懸命に続けた。
「そのっ、チームには……確かに、入ってくれると嬉しいなあって、思ってるんデスケド……」
「……」
「その…………と、友だちに、なら……ぜひ…………」
「…………少年」
気怠げな瞳の茜色が、わずかに輝きを増して。
「つまり、少年にとってうちの娘は、ずばり『都合』の良い女であると?」
「へっ?」
「一生を添い遂げる伴侶としては選べないけれど、一方的に尽くさせては使い潰すだけの遊びにはふさわしい女であると」
ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんっ!
ものすごい勢いで首を左右に振ってマスキードの問いを否定し、それでもハルは答えた。
「け、結婚だけは、どーうしてもできマセン!」
しかし。
「ああ、能士? としてなら? ぜ、ぜひ、契約、させてもらえないかと……」
「……」
「いいい、一緒に仕事したいデス! マッキーナ、大切にしマス! 好きデス!」
「…………」
──『友だち』じゃあ意味がねえんだよ、と。
マスキードの心の声が聞こえたあたりで。
「──ママ」
ふいに。
「あたし……部隊の仕事、やってみたい」
マスキードがこれまでで、一番大きく顔色を変えた瞬間だっただろう。
ハルもびっくりして顔を上げれば、緊張しながらも何か決意を秘めた茜色の瞳がそこにはあった。
まだ前髪に飾ったままだった──ハルとの『臨時契約』の証。
赤色のヘアピンも、閃いたままで。
「ビブリオも……サラバンドも、『炎』ってだけで術士として弱いのはわかってる」
アレグロの地面しか見たことがない少女が。
「だから……だからこそ、あたしはこのままじゃ嫌」
まだ見ぬ世界へと、一歩踏み出す瞬間。
「あたしはエレメント協会サラバンド所属、ビブリオ家次期当主なんだ」
親の言いつけや組織のしきたりではなく、紛れもない自分自身の意志を宿して。
「あたしは変えたい……今、変わりたい」
氷のように冷たいままだった、術士の少女・マッキーナ。
茜色の瞳にはじめて灯った──情熱の『炎』。
⁂
それに、と。
「契約はともかく、あたしもこいつとは結婚したくない」
目を丸くしている母親に対して、ハルを指さしながらマッキーナが言い加えた。
なんとなく、次に出てくるであろう台詞はハルにはおおむね予想できていた。なにせ、その言葉は二ヶ月前にも言われた屈辱だ。
「だってこいつ、服の趣味が悪──」
「悪くないんだよおっ!」
──最後まで言わせねえよっ!
アパレルブランドRe:birthの派手色パーカーを着込んだハルが、マッキーナの罵倒を制止する。メトリア切れで疲れていようが構うものか! 魔神より世界の終わりよりずっとずっと大事なことだ! ていうか、今日の服はそんなに派手じゃないデザインなんだよっ!
「わわわ悪くないんだよう! かっこういいだろうが、Re:birth!」
「よくいるのよね〜、自分自身に魅力がないからって外面で個性を出そうとする安直な男」
──……ひ、ひええぇっ! なぜ分かった!?!!?
白目を剥いた『未熟英雄』のハルが、その場でバタンと倒れ込む。
それを指さして爆笑しているタンクトップの少年に、夜更けに応じていっそう影を潜め始めた少年。マスキードや彼女の旦那、そしてウィルも、図星を突かれぶっ倒れてしまったハルを微笑ましそうに眺めている。
そんな広場の光景を、ぐるりと見渡したマッキーナが──キキキキ、と。
──ああ。
やっと、僕は。
マッキーナの『笑顔』を、この目に焼き付けることができたよ。