op.28-1 再誕①
王宮から『魔法都市』アレグロへと駆けつけ、ハルとカイーザの決闘に突如割り入ったのはスーザだった。
そしてスーザの背後から、ぶるる、と黒い車が何台も走ってきては広場の前で停止する。車のうち一台が後部座席の扉を開き、出てきたのはハルがすでに知っているビブリオ夫婦だった。
「……何事ですか」
ビブリオ家当主にしてマッキーナの母親──マスキードが、この惨状に茜色の目をぱちぱちと瞬かせる。
今日のマスキードはアレグロの正装である黒ローブは羽織っておらず、王都や王宮に出向くための余所行きらしい格好、光沢のある布でできたワンピースを着ていた。
隣に立っていたマスキードの旦那も、困惑した面持ちで広場を見据えている。
そんな夫婦を視界に収め、ウィルは出しかけていた『水』の刃をそそくさとしまいながら、
(間に合ったか……)
時間稼ぎが成功したことに、ひとまずは小さな安堵の息を吐く。
同時に、ウィルにとってはあまり思わしくない状況にも直面していた。マッキーナの両親の帰りこそ心待ちにしていたものの、まさか、カイーザの父親まで一緒にお出ましとは。
どうやらスーザの冷えた顔を見るに、カイーザは父親に何も言わず王宮から出てきていたらしい。
かつかつと早足でカイーザの元へと歩きながら、
「やっぱりここに居たか、王宮の恥さらし」
非常に厳しい声で、スーザが言った。
「学院の無断欠席、王宮の無許可外出、王都内外の喧嘩騒ぎ。いったい何度、ドーラの血を穢せば気が済むんだ馬鹿息子!」
ウィルの思惑からは大きく外れ、マスキードが出張る間でもなくなってしまった。
言葉尻を強めては、誰に頼まれることもなく弾劾するスーザ。おそらく日常茶飯事なのだろう息子の問題行動を、スーザは父親手ずから戒めるために、はるばる王都から足を運んできたのだった。
ちっ、とカイーザが大きく舌打ちする。
「邪魔すんじゃねえよ、くそ親父。せっかくノってきたところなんだからよお!」
スーザは辺りを見渡して、広場で座り込んでいるマッキーナと、その傍らで倒れているハルの姿を目撃する。……いつのまにかマッキーナによって、フードを再び被り直させられた、顔がよく見えないハルの姿を。
そんな少年少女を一瞥し、スーザは大きく眉をひそめた。
そして──
「ごふうっ!?」
──一蹴。
カイーザの目前に立つなり、スーザはその鳩尾に文字通り一蹴した。言葉ではなく、物理的に。
すらりと長い右足で、柔らかな動作をもって、ひと蹴り。
「な、何しやがんだ暴力親父!?」
暴力うんぬんとか決して人のことは言えないカイーザが、腹を両手で押さえながら抗議する。
スーザは平然たる面持ちで、眼鏡をきらんと閃かせ。
「言罰を以ってしても躾けようがない犬は、体罰を以って制するが僕の教育方針だ」
「そんな方針があるか普通!? あと、俺様は犬じゃねえ!」
「秩序への反逆や衝動の発散でしか大義を為せない愚者は犬や魔獣と大して変わらない。そして、どうせお前が先に手を出したのだろう」
スーザが目線で示したのは、手を出した相手であろうハルとマッキーナだった。
果物のひとつやふたつぶんほど背丈のある父親を、カイーザが忌々しげに見上げていれば、その蒼い頭をがしりと掴んだスーザが、
「謝りなさい」
「ああん?」
「今すぐ彼らに謝りなさい!」
問答無用、とはこのことだった。
騒ぐカイーザの話になど耳を貸さず、両手を使って強引に頭を下げさせているスーザに、ハルは地面に伏したまま、静かにこう思ったのだった。
……うわ。めっっっっっちゃ、『お父さん』感のある人が出てきた。
つい最近まで顔と名前も知らなかった自分の父親とは大違いだと、ハルが静かに吟味していれば。
「僕のところの愚者が、大変失礼をいたしました」
びしゃん!
乱暴にカイーザの頭を地面へ激突させたのち、スーザが丁寧な口調で話しながらハルの元へと歩み寄ってくる。
ぐげえと潰れた両生類のような声を上げたカイーザが、地面にめり込む勢いで頭をこすりつけてはその場で痛い痛いと転がっている。
……うん。他人には相当かしこまった態度に反して、自分の息子には若干、いやかなり『やりすぎ』ている、この感じ。この父親も相当に『暴君』感が漂ってるなあ。ドーラの一族って、みんなこういう感じなの?
あと、言い方は丁寧なのに時々口が悪いところは、同じく眼鏡キャラの町長にも少し通じるところがあるなあと、ハルはそれとなく思ったものである。
機転を利かせてハルの顔を隠したマッキーナが、ハルのフードを押さえつけながら、
「スーザ・ドーラ。……どうしてママとパパを王宮に呼んだの?」
緊張を隠しきれない声で問いかける。
「ビブリオをいったいどうしようって言うのよ。……まさか本当に、カイーザとあたしを『本契約』させようって言うの?」
あるいは──結婚とか。
しかしスーザは、わずかに顎を引いて。
「……君はマスキードさんの後継かい?」
答えた。
「ビブリオ家には、王都で発生している事件の捜査協力を依頼したに過ぎないよ」
「捜査……」
「捜査対象が『炎』の保有者であると思わしき情報が浮上して、サラバンドより術士の協力が必要となったんだ。ご多忙のところを王宮の都合により急遽お呼びしてしまったから、このスーザ・ドーラが『権限』を以ってお二人の送迎を担当させてもらった」
馬鹿息子の強制帰宅も兼ねて、とスーザが言い加える。
スーザ自身のアレグロ訪問の目的、そしてカイーザの契約うんぬんの話が完全に独断であることをきっちり明言され、マッキーナは静かに安堵した。
そして、
「……僕からもひとつ質問して良いかな」
スーザがハルとマッキーナの次に、視線を向けたのは。
「あの人は──ウィンリィ・ドーラは、いったい何の用があってここへ来た?」
茜色のロングコートを羽織り、夜風に吹かれては飄々と。
広場の端で佇んでいる、ウィルの縹色をスーザは静かに睨んだのだった。
⁂
ほのかな緊張を纏った空気が、広場を包み込んでいる。
フードをかぶったことでやや視界が狭まっていたハルが、その緊張を向けられているのが他でもない自分であると気がつくのには、少しだけ時間がかかってしまった。
「──そいつだよ」
地面に転がったまま、ハルを指差したカイーザが。
「おっちゃんが用入りなのは、ビブリオよりもそこの餓鬼だ」
告発した。
ウィルがこれまでひた隠しにしてきた存在を、カイーザはドーラ序列第一位にすぐさま明かした。
「その餓鬼、『マイスター』の息子だとよ。『星』も『星剣』もちゃあんと持っていやがる」
──スーザの顔色が変わるまでに、何秒ほどの時間を要しただろう。
外見以上に蒼く染まった顔で、フードに隠れた空色の瞳を覗き込んでくる。
「……は……っ!?」
このスーザという王子には、ウィルみたいに『水』の流れを読むスキルは備わっているのだろうか。
そんなことはハルには到底図りしれないことではあったが、少なくとも、スーザはカイーザの告発をすぐには受け入れていない様子だった。
しかし、フードの中身がどうこうというよりも。
脇にいたマッキーナ、その両親、ここまで黙っていたダイヤやムンク、何よりウィルの表情から、カイーザの発言に偽りがないことを次第に察していったのだろう。
「……兄上。いったい、どういうことですか」
かたかたと。
それまで毅然とした振る舞いを貫いていたスーザが、途端にかたかたと身体を震わせ始める。
ウィルは少しだけそっぽを向いたが、すぐにスーザへと顔を向き直しては、かつかつと正面へと歩み寄り。
──アレグロの地で、同じ血が身体をめぐった王子の『兄弟』が対峙する。




