op.21-2 本契約(キーサイン)②
ハルは頭が真っ白になった。
怒りとか、呆れとか、恐れとか。そういう次元を超えた謎の感情がぐるぐると渦巻いている。
途中から聞く耳すらも失ってしまったかのように、まるでカイーザの声が、言葉が消化できなかった。
理解の範疇を超えている。もしかしたら、そもそも彼の話など理解なんてしてはいけないのかもしれない。それほどまでにカイーザの主張は、聞くに耐えない身勝手なものだった。
意味がわからなさ過ぎて、返す言葉も見つからない頃。
カハ、と。
乾いた少女の喉笛がハルの足元で聞こえる。
慌てて見下ろせば、ダイヤとムンクに介抱されたマッキーナが、起き上がっては地べたで小刻みに震えていた。
……虚ろな茜色。光はない。
いや、もとよりマッキーナは──光など、とうの昔から持ち合わせておらず。
「図書館は俺様がいただく」
当主不在の空間で、暴虐の限りを尽くした王子が声高らかに。
「『権限』ってやつだ、拒否権はねえ。ケバいおばさんには俺様が伝達しておいてやるよ」
「そんな理屈がまかり通ると思うのか?」
ウィルは険しい表情を崩さずに、
「ドーラの『権限』という話であれば、この私だって有しているよ。そして、先にビブリオ家に唾を付けておいたのも、このウィンリィ・ドーラだと言い加えておこうじゃないか」
カイーザはそんなウィルを馬鹿にするように、
「おっちゃんじゃあ話にならねえよ。俺様はドーラ序列第三位、おっちゃんは圏外」
ドーラ序列って何だ、と眉をひそめるハル。
これはのちに聞いた話だが、エレメント協会の間でも格差が生じているように、どうやら王国で一番偉い人たちの集団であるはずの王宮内ですら、王子には優劣があるらしい。
──数字で決められた、王子としての優劣。
「王国秩序ってのは順番があるんだぜ。国王のじっちゃん、第一位の親父、俺様もいずれは第二位に繰り上がって、親父もじっちゃんも抜いて玉座に着く。俺様の王道を引く石ころは俺様が決める」
カイーザが見下ろしたのは、マッキーナだった。蒼い眼光を向けたカイーザが、暴虐の末に発した言葉は。
「おい、次期当主とやら。──この俺様と『本契約』しろ」
⁂
へ、と間の抜けた声を漏らしたのはハルだった。
ハルはすでに知っている、『本契約』がいったい何なのか。
人間と神様、人間と人間がつながりを得るために交わすもの。『臨時契約』を経た先で、メトリアの専門を行使とする術士たちにとって、大事な大事な関係だ。
『本契約』とはまるで──結婚のような。
「スーザが許すと思うのか?」
冷ややかな視線をカイーザへ向けたウィルが、
「私たちドーラは『水』の術士の一族だよ? 彼女は『炎』だぞ、次期国王有力候補とやら。同じメトリアを持つ相手を契約相手に選ぶことこそ、文化という名のある種の規則ではないかね」
ましてや、厳格で神経質な性分をしたドーラ序列一位の父親では。
そんなウィルの声も、カイーザはまるでものともせずに。
「別に良いだろ、契約相手なんて一人じゃなくてもさあ」
「何だと?」
「歴史から学べってやつだぜ、おっちゃん。優れた王ほど抱える女も多い」
──いいい、いつの時代の王様だ!?
「なあ、するだろ? 俺様と『本契約』」
マッキーナはもちろん返事なんかしない。
しかし、なぜか拒絶もしなかった。何が何だかさっぱりで、焦りながらもカイーザとマッキーナを交互に見やっているダイヤ。ムンクもその場で黙りこくっては、ただ事の成り行きを静かに見守っている。
(な、んだこれ……なんだ、これ!?)
ウィルもまた、細い目でカイーザを見据えてはいるものの、不思議なことにカイーザの暴言を止めようとはしなかった。
いつもはハルや他の人には軽口を叩きながら、ああ言えばこう言うを繰り返し続ける憎たらしいウィルが、本物の『暴君』を目前に、今日という日に限って反論の言葉が少ない。
ハルにはまったく訳がわからなかった。どうして誰も、カイーザを止めないんだ!
(そんなに……そんなにも『王子』が、偉い人だっていうのか!?)
自ら作った水溜りを踏み荒らしては、マッキーナに歩み寄るカイーザが。
「『炎』っつう時点でメトリアはゴミカスだけどな、てめえ、面だけは悪くねえ。俺様に拾われてよかったなあ、ビブリオ。これであんたらの家系は一生安泰だ」
ハルは、いつかのマッキーナの言葉を思い出した。
彼女たち術士は、契約相手を決して自分では選ばない。
契約も、結婚も。
親が決める──偉い立場の人間が決める。
まさか……マッキーナは、受け入れているのか?
これほどまでに痛めつけられ、自身の祖母をも甚振られ、散々に図書館を荒らした挙句契約を押し売ってくるカイーザ。
そんなカイーザが相手でも、構わないというんだろうか。
(駄、目だ)
ばくばく。
(駄目だ、駄目だ、駄目だ)
ばくばく、ばくばくばくばく。
うるさくなっていく鼓動。マッキーナの癖毛に手を伸ばすカイーザ。
⁂
「だ──駄目だっ!」
とうとう、二人の間に割り入った──『英雄』。
「ぼ、僕は……」
「あん?」
剣を鞘に戻しカイーザの前に立ち塞がって両手を大きく広げたハルが、パーカーのポケットに入ったままの、赤色のヘアピンを思い出しながら。
「僕は、マッキーナと──あ、『臨時契約』してるんだ!」
──蒼色の少年王子に、ハルは啖呵を切ってしまったのである。
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