op.16 変化の魔獣:ジェミニ
ハルとムンクのいる魔境を『シグマ・α』と称するならば。
ウィルとダイヤのいる魔境を『シグマ・β』と称することとする。
そして、対となった二つの魔境に、同時に現れるは──
「『TAURUS』……と見せかけたその実は『GEMINI』だったか」
シグマ・βにて、魔獣の全貌を見たウィルが呟く。
協会本部で受け取っていた目撃情報では、この魔境に存在しているのは『牛』のような姿をしている魔獣という話だった。
しかし、実際に姿を見せたのは、牛というよりも『熊』のような魔獣。
「その上、全長は三メートルどころか、五メートルはくだらないときた」
「全然違うじゃねえか! その人、見間違えちまったんか?」
「いいや、その時は本当に『牛』だったんだろう。ジェミニはαと対になっている魔獣であると同時に、他の魔獣の姿を模すことができるのが特徴なんだ」
そう説明しているウィルと、ダイヤの目前にいるのは、全身を『白』に包まれた熊の巨体。
ブオォォォォ! と咆哮が森林中に響き渡る。
ダイヤは腰に提げていた『銛』を掴み、その柄をカチカチと伸ばしながら。
「おっちゃん、まじで俺『魔獣』と戦ったことないんスけど……まさか俺が一人で戦うわけじゃねえよな?」
ましてや、近接武器での突撃くらいしかできないダイヤでは。
苦笑いしながら問いかけてくるダイヤは、それでも笑顔を見せられるだけの心理的な余裕があるらしい。そんなダイヤを一瞥して、
「……まあ、君一人で相手してもらっても別に構わないがね」
「ええ〜……?」
「指導者としても司令官としても、『先生』という奴は基本、最前線で戦ってはいけないのだよ」
ウィル個人の主義思想というよりは、業界における暗黙のルールだ。
しかしウィルは、浅葱色のコートをめくっては、内側のポケットの中身を探りながら。
「とはいえ、さすがに今回は援護くらいしてやらねばな」
「だよな!? よ、よかったあ! つうか、おっちゃんが戦闘るとこ、初めて見るわ」
……魔獣を目前にしながらも、緊張感があまり感じられないコンビだった。
そしてウィルがコートから取り出してきたのは、王宮から持ち出してきたという──『剣』の、柄。
それは、剣と呼ぶにはあまりに貧相な武器だった。いや、武器と評して良いのかどうかも怪しい道具だった。
なにせその剣は、刃渡りが一切なく、柄と鍔しかなかったのだから。
剣柄しかない鉄くず同然のそれを一瞥し、ダイヤはぱちくりと目を瞬かせる。
「……おっちゃん。それ、何のジョーク?」
「冗談ではないよ、これが私の武器だ」
その柄は手のひらで握りしめるためのグリップだけでなく、先端には指を通すことができる輪っかが付いている。
その輪っかに指を引っ掛けたウィルが、くるくると鉄の棒切れを回転させては。
その鍔から溢れてくるは──『水』の刃。
「なるほどぉ! メトリアがまんま『刃』になるわけね」
俺の『ダイヤモンド・スピア』みたいだな! とダイヤが笑顔で納得する。
ウィルは水で刃を生成しては、腰に空いている方の片手を当てながら宣告した。
「さあ、魔獣討伐の時間だ──手早くいこう」
水の刃──『竜剣』インディゴを携えて。
縹の男と黄土色の少年──二人の『ハンター』が魔獣討伐に挑む。
⁂
シグマ・αにて現れるは、白ではなく──『黒』を全身に纏った魔獣・ジェミニ。
ハルは『星剣』アストロを、ムンクは真っ黒な弓をその魔獣に向ける。
(……前情報と姿形がまったく違う)
少しだけ眉をひそめながら、ムンクがその全貌を見るなり鬱積する。
熊のような姿をしたジェミニが、ブオォォォォ、と咆哮を上げては木々を揺らす。
その咆哮に身体を強張らせながらも、ハルは握る刃に光を集めていく。キィィ、と金属音を耳にしたムンクが、その光を横目に弓をしならせて。
──番えた標識に、自身の『メトリア』を集めた。
ザンッ!
射った赤色の標識が、ジェミニの腿に深々と刺さる。
悲痛な叫びを上げながら、地に両手両足を付けたジェミニがムンク目掛けて突進してきた。
「む、ムンクさん!」
ハルが叫ぶよりも早く、ムンクはその場から上方の木の枝へと飛び移る。
飛び移ったその木の幹に、ズン! と突進してきては、ムンクの足元を大きく揺らして。
「ヒットアンドアウェイだ」
さらに違う木の枝へと飛び移ったムンクが、
「同じ箇所に留まっていると捕まる。魔獣を相手取るときは機動力が命だ」
ジェミニを自分のところへ引き付けるように、森林を軽々と飛び回っては、弓を射る。
ザン──ザンッ!
一矢、二矢と、射るすべての標識を命中させては、その度にジェミニが森林で猛って。
(すっっっご……)
森林というフィールドと『風』を使いこなすムンクに、地面を駆けながら感嘆するハル。
自分の『星撃』で援護するまでもないんじゃないかと思うほどに、ムンクの手際は凄まじく無駄がない。
一方でムンクは、全長五メートルを木上から見下ろしながら。
(……こいつがタウラスで無いのなら、すべてが事前計画通りとはならない)
そう考えている間にも、ジェミニは咆哮を上げながら。
──『黒』い光で、その全身を包んで。
⁂
「な、なに……!?」
黒くとも眩い光に当てられて、ハルは思わず目を瞑ってしまう。
それはムンクも同様だった。いくつもの木々を飛んだのち、片腕で目を覆っては異様な光景を分析する。
(βの魔獣と入れ替わるのか……あるいは、形状そのものが変わるのか)
ムンクのその分析は当たっていた。
光が収束していくと、森林に姿を表したのは──漆黒の『馬』。
馬のような姿をしたジェミニに、息を呑んだのはハルだった。
そして──
「あ……危ない!」
叫ぶ。
「魔獣、矢みたいな奴を飛ばしてくるよ!」
その忠告に、ムンクがその場から飛び退くのと。
漆黒のジェミニが、その全身から──無数の『毛』を逆立てて、飛ばすのとは。
「ぐ……!」
ほとんど同時のことだった。
針のように硬い毛の何本かがムンクの腕や腹を掠める。
その馬、その針──見覚えのある、影。
ハルの脳裏に浮かぶは、あの影に呑まれていった、《《この世界でただ一人の》》──
⁂
「……一旦退くぞ」
ハルの元へ降りてきたムンクが。
「体勢を整える。魔獣の視界に入らないところまで移動して、狙撃を軸にした作戦行動に切り替え──」
「それじゃあ攻撃が届かないよ!」
急に。
それまでほとんど何もしていないに等しかったハルが、急に血相を変えて。
「魔獣はずっと遠くまで毛を飛ばしてくる! 僕たちの方が離れたら、攻撃されっぱなしだよ」
「……なぜ分かる」
素人同然のハルが、突然何かを確信したような言動にムンクは少しだけ怪訝そうな表情を浮かべる。
ハルは剣を握る手の力を強めた。
そして、決心するように──告げる。
「僕が……倒す!」
ムンクの弓矢ではなく、ハルの剣撃で。
帯びた光をいっそう強めていく『星剣』アストロと、いっそう喧騒に燃える魔獣ジェミニ。
ムンクは数瞬、思案しては。
「……『風』で魔獣の動きを誘導する」
「で、できるんデスカ?」
「そのための弓、そのための軌道変化だ」
──た、頼もしい!?
職人さながらの無表情なムンクに、勝手にときめくハル少年だった。
一方でムンクも、ジェミニが姿を変えた途端、突然顔つきを変えたハルに、
「……剣撃の飛距離は何メートル程度だ」
飛距離の数字とか測ったことアリマセン、とハルが沈黙を返事代わりとする。
「の、感覚で頑張りマス!」
「……」
──未経験者が感覚を当てにするな。
そんな冷静かつ半ば呆れた言葉を、ムンクは決して口にはしなかったけれど。
「……俺が守れるのは俺の命だけだ」
ムンクが告げる。
「君は君の命を優先して守ってくれ──無茶な行動は起こすな」
金髪碧眼の──『英雄の子』に。
他でも無い自分自身を守るよう、モノクロな少年は告げたのだ。
ブオォォォォ、と漆黒が吠えている。
光と闇の少年──二人の『ハンター』が、魔獣・ジェミニの討伐に挑む。




