op.11 言ノ葉拾弐花月流・真剣必斬
朝から晴れ渡っていた空が、少しずつ赤色を覗かせた頃。
『工業都市』モデラでは闘技大会の閉会式が行われていた。
表彰台の上でダイヤの首に紙製のメダルが架けられているところを、ハルと皐月、そしてウィルが観衆たちとともに見届けていた。
そして、表彰式が終わり。
ハルたちの元へ戻ってきたのはダイヤ──だけではなく。
「う〜ん……悔しい!」
ダイヤと共に、ハルの元へやってきたのはヤンキーファッション・いくみだった。
開会式の直後も決勝戦でも、極東から取り寄せたという『制服』の上から、やはりイカつい黒ブルゾンを羽織り続けている。
ブルゾンの両ポケットに手を突っ込んで、口を尖らせながらいくみが呟いた。
「悔しいなあ。今日は死ぬ気で優勝しろって朝から『まど姉』に喝入れられてたのに……」
──『まど姉』? 誰だそれは。
ああ、あの美人団長か! あれ、やっぱり『お姉さん』だったのか!
そんなハルの心情を悟ったのか、あるいはただの偶然か、いくみがニヘラと屈託のない笑顔を浮かべて。
「まど姉、綺麗でしょ? 自慢のお姉ちゃんなんだよ」
「う、うん……」
「僕たちね、四人兄妹なんだよ」
悔しい悔しいと言いながら、いくみは何の躊躇いも隔たりもない距離感でハルに言葉を並べていく。
「僕が末っ子で、まど姉のところが三つ子なんだよね」
「み、三つ子!?」
「まど姉と、イル兄と、いづ姉の三つ子。三人とも激強だよ? いくみより全然強い」
──君も十分『激強』だったけど? とは、流石に返せないハルだった。
ていうか、まじで? こんな強い剣士が同じ家に、少なくともまど姉合わせて『三人』もいるの?
「イル兄といづ姉は普段は違う仕事してるから、モデラにはあんまり居ないんだけどね。でも、二人とも超強いし格好いいし可愛いよ。今度会ったときには紹介してあげる」
そう言っていくみは、ぐるりと、自身を囲う三人の少年少女を見渡す。
皐月が極度の人見知りで、かの術士少女がツンケン態度なひきこもりならば、どうやらこちらの少女は随分フレンドリーというか、人懐っこい人柄であったらしい。
……その格好で友好的なのか…………。人間、見かけによらないとはこのことか。
「君たち、サントラから来たんでしょう?」
「おうよ! サントラ生まれ農家育ちのダイヤ様だぜ」
ダイヤが真っ先に答えると、いくみはいっそう晴れやかな表情で。
「僕、自衛団では他所の町との交渉を担当してるんだ。野菜の売買とか」
──なるほど、剣術だけでなく交渉にも強いのか! どうりでその『コミュ力』か!
「サントラにも今度遊びに行ってもいい? 友だちになろうよ」
いくみは右手をハルの前に差し出す。一回戦目の前と同じように、ハルも再びいくみの手を取った。
ダイヤとも握手を交わしながら、「次の大会にも出てね。今度は負けないから」などと会話をしたあとで。
「皐月ちゃん!」
未だにおどおどとした態度が抜けない皐月にも、いくみが握手を求めては。
「この町、大人は極東出身が多いんだけどね。同年で極東の子に会ったの、実は皐月ちゃんが初めてなんだ」
「…………!」
「サントラ、遊びに行くよ。友だちになろう?」
何の混じり気もない素直な言葉に、皐月の桜色の瞳が揺れる。
おずおずと、おどおどと、それでも皐月は小さな手を、ゆっくりといくみに近づけて。
今──繋がった。
花と言霊、二人の極東の少女が、この瞬間に。
⁂
そのときだった。
「──いくみ」
ハルたちの前方から。
いくみと同じベージュ色の髪を、夕暮れの空に溶かせながら。
「まど姉!」
「それ以上連中と関わるな」
歩み寄ってきたモデラ自衛団長──まどかの、凛とした声が辺りで劈いた。
生まれ持った端麗な顔立ちと、いたって友好的な振る舞いの妹に反して、まどかから発せられる声色、その口調は厳しく。
ぴりり、とハルの顔に小さな稲妻が走ったのは、冬の寒さが原因なのだろうか。
「……やあ、モデラ自衛団長殿」
そんな張り詰めた空気の中で、少し間の抜けた声を上げたのはウィルだった。
くすんだ藍色の髪をなびかせて、ウィルはつかつかと歩み寄ってきたまどかに挨拶を告げる。
「今日は大会へのお招き感謝するよ。私が愛する後進たちの、良い鍛錬と勉強になったとも」
そんなウィルの挨拶など、まるで耳には届いていないと言った様子で。
まどかは腰のベルトに提げていた、木製の剣に手を伸ばし──いや。
その剣は、いくみや大会の出場者たちが持っているものとは明らかに違う艶やかさを持っている。ニスが塗られ、光り輝く『黒』の剣。
その黒色は、極東由来の刃なき剣──『木刀』の輝き。
「──【言ノ葉拾弐花月流・肆ノ花】」
まどかの木刀が。
「【杜若】」
地面を一歩踏み込んで、刹那。
一閃された【杜若】が、ウィルの目と鼻の先まで迫る。
ウィルはその剣撃を躱すことも、あるいはメトリアや何かの武器で受け止めることすらしなかった。
剣撃はわずかにウィルの身体まで達することはなかったが、まどかが踏み込んだ一歩と共に、木刀の剣先が確かにウィルの喉元を捉えている。
ハルも皐月もダイヤも、そしていくみも、目前で何が起きたのか分からず。
「…………ま、まど姉!?」
ようやく声を上げたいくみが、慌てたように。
「何をしてるの、まど姉!」
「何をしに来た、ウィンリィ・ドーラ」
妹の叫び声すら、姉のまどかには届いていないらしい。
その声色だけで相手を斬り刻めそうな『言霊』を、殺気と共にウィルに向けて放ちながら。
「よくもおめおめとモデラに顔を出せたものだな」
「……私のことは『ウィル』と呼びたまえ。決まっているだろう? 私の可愛い生徒を見に来たのだよ」
明らかに異様な形相を見せているまどかに対し、ウィルはいたって平然たる様子で、
「せっかく貴重な出場の枠を割いてもらったのだから、挨拶くらいには直接赴かなければ、それこそ失礼と言うものだろう?」
「貴様のためではない。ニールセン卿の顔を立てただけだ」
殺伐とした光景に、ハルたちだけでなく辺りにいた観客たちも騒然としはじめる。
ハルは、まどかの形相や言い回しにどこか既視感を覚えていた。……なんか、この流れ。前にも見たことあるんじゃない?
(うわ、分かった! 『魔法都市』の駅前だあ!?)
ビブリオ家の先代当主にして、エレメント協会サラバンド本部長とかいう大きな肩書きを持った、あの全身黒づくめの老婆である。駅前でウィルを待ち構えては、凄まじい殺気と共に『炎』を撒き散らしてた、あれだ!
協会の本部長といい自衛団の団長といい、ウィルとかいうこの中年──
(めえっちゃくちゃ、『偉い人』に嫌われてないか、このおじさん!?)
ハルの中で、ウィルに対する信頼度がぐぐ〜んと下がっていく。いや、もとより信頼度はあんまり高くなかったけれど。
しかし、ハルがそんな怪訝な顔を浮かべていたときである。
「まど姉!」
まどかとウィルの間に、その身体ごと割り入ったいくみが。
「駄目だよ、何もしてない人に剣を振ったら! 『言ノ葉拾弐花月流』は義を為し全霊を示すための剣でしょう?」
なんだかすっげえ格好いいスローガンを並べながら、いくみが言うのである。
そう、ついにこの少女が言ったのである──ハルの、前で。
「それにこのおじさん、王国の王子様なんでしょう? 駄目だよ、そんな偉い人に剣を向けたら!」
⁂
……………………へ?
ハルはしばらく、いくみの言葉を反芻したまま、脳内で何度もリピートしたまま、その場で凍りついていた。
待て。ちょっと待って。このいくみとかいう剣もコミュ力も激強少女、今……なんて?
(おう……じ、さま…………?)
今、『王子様』って言いマシタ? いくみ先生? …………え、どこの? こ、シャランの!?
ハルは、自分の中にある『王子様』のイメージを懸命に掘り起こす。絵本とか漫画とか、数多の情報源から得た知識を総動員させて。
ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って。え、このみすぼらしい格好をした怪しいおじさんが……ええ!? 王子い!?!!?
しかし、そうこうしている内に、現場はすでに新たな動きを見せていて。
「王子様がどうした。この男が何もしていない? ふざけるな!」
数歩、後ろへと下がったまどかが。
「私は決して忘れはしない。この男がモデラ、そして『言葉一族』に何を為したのか」
木刀を──構える。
「我らが先代の『仇』、この言葉まどかが必ず『全霊』を以って裁きを下す!」
その全身、全霊が──『言霊のメトリア』を纏っては。
──紡ぎ始める。
【祇園精舎の鐘の声、諸行は永遠に響きあり】
その地に円を描くように。
【沙羅双樹の花の色、盛者衰えることはなし】
辺り一帯に香りを撒くように。
【おごれる人は久しからず、故に春夜は現をなす】
万物の生命に愛を謳っては。
【たけき者に滅びなし、お前が風前の塵と知れ!】
その声、言霊のすべてを乗せた剣撃──『必殺技』を。
「【言ノ葉拾弐花月流・真剣必斬】!」
一閃した。
「──【ぶった斬り】ぃっ!!!」
⁂
まどかが放った必殺、いや『必斬』の技。
それを受け止めたのは──ウィル、ではなかった。
今までとは違う、明らかに危険な雰囲気を纏ったメトリア、その勢いに呑まれるがまま。
木製の剣ではない。試合のための剣ではない。
誰かを守るがための──『星剣』アストロを、握り締めたのは。
──キイィィィンッ!
衝突した『星』と『言霊』が、夕空で相殺されては冬風に消える。
その光景に、『星のメトリア』に、そして何より──風に吹きさらされ、フードの奥から初めてあらわとなった、『金色』の髪に。
「……お、前は」
まどかだけではない。辺りにいた観衆も、その金色で一気にざわめき始める。
対してハルは、初めて直に受け止めた【真剣必斬】の衝撃で、両腕をじんじんと痺れさせながら。
(あ〜……これは……多分『メトリア切れ』なやつデスネ…………)
などと内心でぼやきながら、その場でがくんと膝から崩れ落ちてしまう。
そんなハルの元へと、慌てて駆け寄ったダイヤや皐月を尻目に。
「なるほど。今のハルの貯蔵限界では『星撃』は一度や二度が限界か。……だが」
終始その場から一歩たりとも動かなかったウィルが、
「ハル。お前──やればできるじゃないか」
──笑った。
周囲の喧騒も、ダイヤや皐月の心配も、まどかやいくみの驚愕も。
視界に映るすべてを、物ともせずにウィルが笑う。
そんなウィルを嘲るように、
「……なるほど」
まどかが木刀を下ろして。
「理解したよ。我らが先代といい『マイスター』といい、どうやら貴様は、よほど『屍』を積み上げることを趣味としているらしい」
「英雄は英雄でも、こちらの少年は未熟そのものたる『英雄の子』だがね」
それに、とウィルが言い加えて。
「屍だなんてとんでもない。私という『指導者』は、あくまでも人間を生かすために行動している」
そう言い残すなり、ウィルはキャリーケースと共に踵を返す。
帰ろう、とダイヤや皐月を促して、
「邪魔をしたな、まどかお嬢。君の弟妹にもよろしく伝えたまえよ」
ダイヤに抱えられたハルを連れ、大広場から歩き去っていく厚底のブーツに。
「……二度と来るな、『暴君』が」
言霊を吐き捨てる、黒い瞳。
「その生が残る限り、せいぜい地獄への導き手を続けているがいい」
対して、もうひとつの黒い瞳は。
「……さ、皐月ちゃん!」
ハルと共に去ろうとする皐月を呼び止めて。
「また会おうね!」
その手を振っては、無邪気に笑う。
⁂
──こうして。
モデラで開かれた『少年少女闘技大会』は幕を下ろし。
試合に敗北こそしたものの、ハルは王国の新たな『英雄』として、鮮烈なデビューを飾ったのだった。
そして、同時に出会いもあった。
剣を持ち義を為し全霊を示す、八百万を愛する『言霊』の一族にして。
ハルと『メトリア』をつなぐ物語、そしてハルの英雄譚においては決して欠かせない人々──『剣士』の一族と。
ここモデラの地にて、それはもう、強烈な出会いを果たしたのである。