op.1 春はまだこない
新編突入です。よろしくお願いします。
「サントラの春」編の構成としては「op.1〜12」が前半部分となります。
竜暦一〇四五年、二月十四日。
寒空が続くサントラでは、今日も田畑の風景がハルの日常を退屈に染めていた。
剣より重い段ボール箱を放り投げては、「持ってけ」と全身筋肉男に強制され、殺風景な景色を眺めながらスクーターであぜ道を走っている。
色とりどりの鮮やかなパーカーを着ていながら、なぜだかハルの、その表情は灰色だった。
──そう。
『流星』に導かれた少年・ハルは、それまでと何ひとつ、変わらない『日常』を送っていたのだった。
⁂
(もうすぐ二ヶ月経つんだけどなあ……)
聖地『天文台』から帰還して。
再び乗った寝台列車の中で、冒険を共にした中年の男と茜色の少女に、それぞれ告げられた言葉がある。
「私も近いうち、サントラに移ろうと思っているよ」
ウィルの言葉に、ハルはえっと声を上げて、
「ウィルさんがサントラ来るの!? その、えっと、例えばさ。僕を、その、王都に連れてってくれるとかじゃあ……」
だってウィルさん、王都に住んでいるんでしょう?
それなら、僕を──できれば、皐月も一緒に。
しかし、ウィルは首を横に振りハルに問いかける。
「何をするんだ?」
「へ?」
「お前が王都に行ったとして、ハル、お前にいったい何ができると言うのかね?」
ウィルは、ハルが腰に下げている冒険の戦利品──『星剣』アストロを見やった。
「お前が宿した『星のメトリア』は、確かに強力な性質を有している。だが、別にメトリアに限った話ではないが、たとえ優れた力を持っていようとも、その力を有効に活用しないからには、まるで意味を為さないのだよ?」
宝の持ち腐れ、というやつだ。
「それとも、ハル。まさかとは思うが、ただ『星のメトリア』を持っているだけで、かの『マイスター』同様に王国の英雄にでもなれると、そう思い上がってはいないだろうな?」
『マイスター』──かつて王国に存在した英雄にして、ハルの父親。
ひとつ忘れてはならないのは、その父親が有していたのは、ハルと同じ『星のメトリア』……だけではないという点だ。
なにせ彼は、その青年は英雄にして──王国最強の『剣士』、でもあったのだから。
「それに、だ」
憮然とした面持ちで、ウィルを見上げている空色に。
「ハル。お前……『マイスター』になりたいのか?」
その問いかけに、ハルは眉をひそめたまま、無言で首をぶんぶんと。
ハルはただ、楽しい毎日が過ごしたいだけだった。友だちや皐月、自分の好きな食べ物や服や音楽に囲まれて。
しかし、些細な日常の他にひとつ、ハルに望みがあるとするならば。
より楽しい日常を送りたいがための──『田舎』からの脱出、だろうか。
「『おのぼりさん』には不可能だなあ!」
「なななな、なんだってえ!?」
だだだだだ断言した! このおじさん、断言しやがった! しかも『おのぼりさん』って!
ちくしょう、いつだかの金メッキみたいなことを言いやがって……! 控えおろう! この、いかにも『都会』っぽいRe:birthのパーカーが目に入らぬか!
「移住するための資金がない。資金がなければ当然住めない。そして、仕事をするための人脈も技術も経験もない。うん? 私が人脈そのものになれって? 馬鹿を言うな、私が働いていたのはお前の父親と同じ『軍隊』だ。剣術や武術といった重要な技術も持たないやつを、いったいどうやって入隊させろと言うのかね?」
それこそ、剣術最強父親さんならばともかく。
……ていうか、ウィルさん。ウィルさんも『軍隊』で働いてたんだ? 初耳なんだけど?
まあ、英雄と友だちって言うんなら、そりゃあ職場も同じなのも納得か。なんか首あたりにすごい火傷跡も残ってるし。
(英雄と同じように、『大陸戦争』にも行ってたのかな……)
小馬鹿にされて憤慨していたハルが、途端に真剣な面持ちで、その火傷跡を眺める。
……ちなみに。
この時点ではまだウィルの素性を知らないハルには、『軍隊』と言われてしまえばまさか『戦う』側ではなく『司令』を出す側だなどと、とてもではないが想像できないのだった。
「そういうわけだから、ハル。『都会暮らし』とやらをしたければ、まずはさっさと故郷に帰って、資金集めから始めることだな」
そして──別に、『マイスター』を目指さずとも。
「剣の鍛錬も、もう少し腰を入れて励んだ方が身のためだぞ。大陸世界でただひとつの『星剣』が、それこそ宝の持ち腐れになってしまうからな」
ウィルの言葉に、隣で話を聞いていたマッキーナもうんうんと頷く。
そしてマッキーナは、それまで前髪に付けていたヘアピン──ハルから貰った『臨時契約』の証であるそれを、おもむろに外しては。
「はい、これ。あんたに返すから」
にこりともしないまま、マッキーナはヘアピンをハルに差し出した。
「あたしの仕事はここまでだから。せいぜい頑張って『世界』でも『国』でも、『町』でも『女』でも救うことね」
おずおずと、返却されたヘアピンの赤色を見つめるハル。
そして、数秒経ってから──あ、あれ? と。
「……『女』?」
ゆっくりとマッキーナに視線を移せば、茜色の瞳がじとり、と。
「いるんでしょう? 契約相手。あんたらの話を聞く限り」
「え、ええと……」
「会ったばかりの女にアクセサリ渡す時点で趣味最悪だとは思っていたけど。でもよく考えたら、女でもいなきゃ、アクセサリを渡すって発想すらそもそも出てこないはずだものね」
マッキーナのその真顔は、呆れを通り越して、無の感情へと還っているような。
くくく、と背後の方で笑いを押し殺したウィルが、
「良いのかマッキーナ? 未来の『サラバンド』の発展のためにも、未熟とはいえど『英雄』の卵と、『本契約』の目処くらいは付けておいた方が賢明ではないのかね」
「本当に『英雄』にでもなれるんなら、契約相手としては検討してやっても良いけどね。結婚相手としてって話なら、親的にも娘的にも、可能性皆無と言わざるを得ないわ」
だ、だ、断言した!? ウィルさんに引き続き、マッキーナまで!?
それはいったいなぜデショウ、とハルが小声でたずねては。
〈──まもなく、モデラ。まもなく、モデラ〉
車内放送が流れる。
〈──魔獣警報、レベル一。魔獣警報、レベル一。サントラへお越しのお客様は、モデラ駅にてお乗り換えください〉
ウィルやマッキーナとは、異なる帰路を辿らなくてはならないハル。
〈──まもなく、モデラ。モデラに到着いたします〉
ハルが電車を降りる間際、マッキーナは最後に、こう答えたのだった。
『炎』の欠片も見せず、それはもう冷めた表情で。
一度たりとも──『ハル』の名前を口にしないまま。
「だって、ハル──服の趣味が悪いもの」
⁂
「──悪くないんだよお!?」
わわわわわ、悪くないんだよお!? 格好いいだろうが、Re:birth!!
一方的に『臨時契約』させられて、一方的に女の子に『本契約』を拒否れた挙句!
僕の唯一にして最大の趣味を、これでもかと馬鹿にして帰っていく、あ、い、つ、ら!
「さ、さては、あの二人! 僕のこと『星』か『星剣』が本体だと思ってない!?」
昼下がりのサントラ、田舎町のど真ん中で、段ボールを背後に積んだスクーターで駆けては、一人絶叫する『少年』の姿。
何も変わらない日常、変えることができない日常で。
金色の髪を冬風になびかせながら、ハルは一人、『指導者』不在の英雄譚で、足踏みし続ける毎日を過ごしていたのだった。
……て、いうか。ウィルさん。いったいいつ、サントラに戻ってくるんだ?
──ただ。
ひとつだけ、この日常に変化があったとすれば。
「何を一人で騒いでんだ、お前?」
スクーターを走らせた先で待っていたのは。
「ぎぎぎぎ……だ、ダイヤ…………」
「はははっ、なんだその顔! 超うける! せっかくのイケメンが台無しじゃねえかよ金髪野郎!」
やはり目前に広がっている田んぼの、その中心で。
小麦よりもずっとトゲトゲした黒髪を逆立てて、袖がないタンクトップに半ズボン、泥まみれのスニーカーを履いて仁王立ちしている、ハルとはまた別の『少年』の姿。
──もう一度言おう。
袖がないタンクトップに、半ズボン。
「うわ……寒……」
冬空の下で吹きさらし状態の、その姿を見て勝手に凍えるハル。
しかし、当の本人であるはずの少年は、寒さなど微塵も感じないと言わんばかりの満面の笑みで。
「なんもない空間で一人で回想して良いのは、漫画じゃあ『主人公』だけだと相場が決まってるんだぜ? ハル」
「う、うるさいなあ」
「さっさと荷物片付けて店長とこ行こうぜ? 今日の稽古でも、俺がお前をぼっこぼこにしてやるからなあ!」
田んぼだけが取り柄のサントラ、その農家の一人息子。
元気だけが取り柄の漫画脳にして、この世界でただ一人のハルの友だち。
──ダイヤという、サントラで暮らすもう一人の『少年』と共に。
酒場の店長・ニールセンの元で、再び『剣』の稽古に励み始めたってことくらいだろうか。