interlude 蒼の王宮
シャラン王国──『王都』ドラグニア。
冬の寒空に包まれた夜は、いかに国家の中心であれど、その町並みは静寂の波に身を預けている。
しかし、国家の中心の、さらなる中枢たる建物──『王宮』。
王宮の一角にある、とある一室では、夜の十時を回ってもなお、忙しない波がいまだ立ち続けているようだった。
「ご苦労様です。『トロイメライ』に関する報告書は上がっていますか?」
執務室にて、一人の男が部屋奥の書斎の前に座している。
縁のない眼鏡を顔に掛け、質素な薄青のスーツを着こなす壮年の男。
清廉に揃えられた本や書類に囲まれた、その机の端には、『竜』のシルエットが彫られた銀色の懐中時計が置かれていた。
「ありがとうございます。…………なるほど、王都での被害数は先月と大差なく。ただ、やはり『商業都市』でも同様の被害が数件確認されているようですね」
男は、書斎の前で凛として佇んだ兵士から、椅子に掛けたままで新たな書類を受け取っては、
「では、引き続き調査を進めてください。それから、『商業都市』の駐屯兵の増員と、すでに滞在している兵には、いっそう『橋』の監視を徹底するよう指示をお願いします」
了解、と。
男に凛として敬礼した兵士が、間髪入れずに返事をしては、片足でくるりと向きを変えるなり男に背中を向けた。
そして、毅然とした足取りで前進しては、執務室から足早に姿を消していく。
兵士の背中を見送った男が、てきぱきと書類を引き出しにしまっては、
「……『トロイメライ』は必ず王都に潜んでいる」
ひとりでに呟いて、
「王国秩序の名の下に、『トロイメライ』は、我々ドーラが必ず粛清する」
席を立つ。
その男は、まさに──『蒼』を全身に纏っていた。
⁂
執務室を出た男が、かつ、かつ、と革靴を廊下に響かせる。
そして、自身が出てきた部屋の、何室か先の部屋を遠目で眺め──
「…………まさか」
──やはりひとりでに呟いた男が、少しだけ足早にその部屋──閉じられた扉の隙間から、わずかに灯りが漏れ出ていた、その部屋へと歩いて行く。
丁寧に、しかし若干の乱暴さを込めて扉を開いた先に。
「……ようやく、王宮へお戻りになったかと思えば……」
部屋にいたのは──『縹』の男だった。
部屋奥で車輪付きのキャリーバッグを広げては、床に座り込み、のんびりとした動作で自身の荷物をケースに詰めている。
脇に置かれた書斎の、無造作に散らばった書類たちには目も暮れず、である。
その書斎の端の方には、黒い液体が入っていたであろう紙コップが、やはり無造作に放置されていた。
「何をしていらっしゃるのですか、兄上?」
「やあ、スーザ」
声を掛けられてもなお、縹の男は動きも視線も変えることなく。
「また国王に仕事を押し付けられているのか? 相変わらず夜分までお勤めご苦労なことだな」
「職務を押し付けているのは父上ではありません。他ならぬ貴方なのですよ、兄上」
そんな縹色の男に、スーザと呼ばれた男が浅い息を吐いて。
「お戻りになったなら、せめて父上に現況報告くらいなさってはいかがでしょう」
「必要ないね。どうせすぐに王宮を出る」
バタン、とケースを閉じた男が、ようやくスーザを見上げては。
「そんなに気を揉むようなら、スーザ。当分王都には帰らないと、お前から国王に伝えておいてくれ」
その言葉に、スーザは今度は、とても長く深い息を吐いた。
隙間から漏れていた灯りも、室内に入れば実は非常に中途半端な光の量であって、こちらを見据えてはへらへらと笑う男の、その瞳がいっそう暗く、朽ちた花のような藍色に染まっている。
「…………まったく。兄上といい、カイーザといい……」
その瞳を見下げたスーザが、
「今の王宮には、ドーラでありながら王国秩序を乱す不届き者があまりに多すぎる」
「悪いね。せいぜい子育てと王国の平和への従属に励みたまえよ、ドーラ序列第一位」
嗤われようが構うことなし、と。
その場に立ち上がって、男はスーザへと告げた。
「なにせ、私はこれから『国』よりもまず──『町』ひとつの秩序を導かなくてはならないのでね」
⁂
スーザが怪訝そうな顔を浮かべているのにも構わず、男は脇のハンガーラックに掛かっていた、『黄土色』のコートをその肩に羽織る。
そして、ケースの引き手を持っては、かつ、かつ、と厚底のブーツを鳴らして。
「では達者でな、スーザ。王国秩序を整えるのも結構なことだが、たまには自分の中にある『水』の秩序にも気を配った方が良いぞ」
「だから、『水』の乱れはだいたい貴方の怠慢が原因で……あ、兄上!」
自身の脇を通り過ぎ、颯爽と廊下を歩き去ろうとする男を引き留めたスーザが。
「町とは……いったい、どこへ行こうと?」
それはもう、胃に穴が空きそうと言わんばかりの不安げな面持ちで。
自身が持つ『蒼』とは一切関係ない、青ざめた顔を見せながら問いただす。
「父上にも王宮にも、誰のお伺いも立てず……今度はいったい、何をやらかそうと言うんだ!」
──ウィンリィ・ドーラ。
そう、名前を呼ばれた男が。
曇りなき『蒼』を、そのくすんだ藍色で見返しては。
「……私のことは、『ウィル』と呼びたまえ」
呟くなり、再び歩き出す。
スーザが立ち尽くす廊下では、かつ、かつ、と。
次第に遠のいていく『黄土色』が、次なる物語の舞台へと、ただ前を向き、ひたすらに進み続けていたのだった。
次話より新編「サントラの春」が開幕です。
これからもハルと愉快な仲間たちの活躍を、どうぞ末長く見守ってください。




