prelude その英雄、星天にて
竜暦一〇四四年、十二月二四日。
サントラの夜では今日も、亜麻色の髪の少女が、少年の帰りを待っていた。
田んぼだらけの町並みで、ひときわ目立つ木造の二階建てに──『一人』。
やかんで湯を沸かし、白米を鍋で炊き、みかんの皮を剥きながら鼻歌を刻む少女。
少女にかけられた『セーラー服』という名の魔法は、まだ、解けていなかった。
そして、リビングの掛け時計が『九』の数字を過ぎ去ろうとした──そのとき。
──キイ。
それは、決して大きな音ではなかった。
しかし、わずかな音だけで少女は、それが玄関の扉が開く音だとすぐに聞き分けた。そして、少女の桜色が、ぱあっと。
「ハルっ!」
うさぎさんのスリッパをパタパタとはためかせ、玄関へと駆けて行く。
──家に入ってきたのは『二人』だった。
⁂
「ただいま、皐月」
ハルは、大きめのリュックサックを背負い、細い腰に剣を携えていた。
両手には、この家に帰ってくる間際に立ち寄った、酒場の店長から差し入れで分けてもらった、鶏の手羽先がパック詰めにされている。
そして、ハルの数歩後ろのところで、のっそり、のっそりと佇んでいたのが──
「長老……」
「ふぉっふぉっふぉ、皐月ちゃあん。じじいと一緒に、お星さま、観に行かんかあ?」
ハルよりも皐月よりも背が低く、丸まった背中で白いあご髭を長く生やしたハモンドが。
「ハルがのう、お土産いろいろ買ってくれたからのう。土産話も、たあんまり、持ってきよったからのう」
「……」
今回はかの怪しい中年の姿はなく、このサントラでよく見知った少年と老人がそこにいた。
しかも、とっても不思議なことに。
ハモンドのその顔色からして、四六時中お酒を飲んでいる飲んだくれ爺が、今日という今日に限ってなぜか素面だった。
「…………」
数秒前まで晴れやかだった、皐月の笑顔が少しずつ曇っていく。
その天気の移り変わりを見ていたハルが、
「ほ……ほら。約束通り、二十四日には帰ってきただろ? ちょっと遅くなったけど……」
「……………………」
ぷくう、むくう、ぶぐむむうむぅ。
頬から発せられる謎の擬音。なぜ皐月がそんなにもご機嫌斜めになっているのか、ハルにはまるで検討もつかない。
しかし、皐月はやがて頬を引っ込めたかと思えば。
「……ハル。おかえりなさい」
桜色の瞳を、きらきらと。
待ち望んだ少年の帰りを、皐月はセーラー服姿で出迎えたのだった。
⁂
ハルと皐月、そしてハモンド。
厚着をした三人が、広場で夜空を眺めている。
ベンチに腰掛け、脇には皐月の作った料理やニールセンの手羽先、ハルが持ち帰ってきた、寝台列車の売店にあったお菓子と、それから。
──『星剣』アストロが、ハルのそばに立て掛けてあって。
⁂
天文台にて。
【契約セヨ、選バレシ君。我ガ名ハ『アストロ』、セーラノ僕】
アストロに呼ばれ、ハルが星を全身に纏った獣へと歩み寄っていく。
するとアストロは、こう告げたのである。
【星ナル剣ヲ、其ノ腕二。──君ガ持ツ其ヲ、天二示セ】
ハルには、いったいアストロが何を、自分に要求してきたのかが分からなかった。
「……へ? キミガモツ……ソレ…………?」
ハルの背後の方では、ぶっ、と息を吹き出す中年と、はあ!? と驚く少女の声が聞こえてくる。
ハルはやがて、アストロが視線を向けている『其』が、
「…………へ?」
自分が今、腰に携えている剣であることに気がついて。
「……………………へえ!?!!?」
「なるほどなるほど、それが『星剣』そのものか!」
呆気に取られたハルに対して、ウィルはさぞかし面白そうに。
「天文台はあくまでアストロの住処。そして、『星のメトリア』を行使するために必要なのは、あくまでアストロとの『本契約』だ──つまり」
術書にしかり、剣にしかり。
道具というものは、あくまでも神ではなく人間が自ら作り上げた技術の結晶だ。聖地と同様に、である。
──つまり。
「アストロが剣をくれるわけではなかったんだよ、ハル。あくまでもアストロは、その剣を介してお前と契約する──メトリアを行使する『資格』を、公に与えるというだけの話だったらしい」
そいつは私も知らなかったな、などと呑気に笑うウィルに対し。
ハルは、ぎぎぎぎぎ、とアストロ……ではなく、振り返った先で笑っているウィルを睨んだ。
さすがの笑わないマッキーナですら、衝撃の事実に口元をキキキキと歪ませて。
「良かったわね、ちゃんと剣持ってきて。危うく手ぶらで帰る羽目になっていたんじゃない?」
「笑い事じゃないんだよ……!」
ハルが顔を真っ赤にしては、
「ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って! え、これが『星剣』!? ……じゃ、じゃあ、例えばさ、せめて、お前と契約して、この剣がもっとなんかこう、かっこいい感じの見た目に変身するようなことは……」
沈黙しているアストロに、ハルはあんぐりと大口を開けた。
ちなみに店長が仕立てた剣は、それはもう非常にありふれた、銀色に鈍く光るニールセンの仏頂面そのもので。
……だ、駄目だ駄目だ駄目だ!
ただでさえ剣もろくに振れなくて、友だちに散々「ださい」呼ばわりされてるのに! 剣のデザインまで陳腐かったら──
⁂
「帰ってきたら絶対、友だちに見せびらかそうと思ってたのに……」
「ふぁあぁあっ、ふぁっふぁ!」
頬をぶくうと膨らませて、不満げに語るハルに、ハモンドは手を叩いて楽しそうに笑っている。
ハルはその白いあご髭を眺めながら、あの天文台で最後に交わしたウィルとの会話を思い出していた。
「──そうだ、ウィルさん。ウィルさんって、極東のことにも詳しいんだっけ?」
「うん? どうした急に」
「『クリスマス』って知ってる? 皐月が、極東にはそういうイベントがあるって言ってたんだけど……」
「……いや、クリスマスなら私はむしろ、お前の父親から聞いたことがある話だよ」
ウィルの話によれば、それは例によって、流星のお告げと称したクラウスの作り話だそうで。
しかも、クラウスの誕生日はまさに、その十二月二五日だそうで。
「なんでも『Santa Claus』という名前の神様が、自身を信仰する相手に贈り物を届けてくれるらしい」
──『Claus』だけに。
そしてその神様は、背が低く。
年老いたおじいさんで。
白いあご髭を生やした──
「……………………長老」
ハルは、馬鹿笑いしている右隣のハモンドにたずねてみた。
「なんじゃあ?」
「明日クリスマスなんだけど、僕に、その……なんか、贈り物とかないの?」
ボケ老人さながらの面構えで、ハモンドは首をぼうっと傾けている。
その惚けた様子を見るに、やはり父親の虚言はただの妄想だろうと、ハルは内心で落胆し。
「皐月」
今度は、左隣の皐月に声を掛ける。
そしてハルはパーカーのポケットに潜ませた、茶色の小袋を取り出して。
「……え?」
「こ、これ。皐月にお土産……」
小袋に入っていた、薄ピンク色のヘアピンを皐月の前に提示した。
⁂
……ハルは、内心ではとてもどぎまぎした。
なにせ『魔法都市』で出会った茜色の少女からは、それはもう嫌そうな顔をされたものだから。
しかし、よく考えたら、だ。
出会って間もない少女と『臨時契約』をしておいて。
長らく生活を共にしてきた少女と──『本契約』を、しないだなんて。
(神様が願いを叶えてくれないなら、長老や父親が贈り物をくれないなら)
──自分が、行動するしかないだろう?
皐月は、ハルの空色とヘアピンを交互に見比べては。
「……っ! 〜〜〜っ! 〜〜〜〜〜っ!」
声にならない奇声を上げながら、ぽかんと口を開けた少年に、そのヘアピンごとがしりと抱きついたのだった。
──そして、桜色の少女だけでなく。
「おお、ハル」
はしゃぐ少女をよそに、ハモンドが空を仰ぎながら。
「わしゃあ、『星』が見たいのう」
「……うん、良いよ」
ハルは──その『英雄』は。
おもむろにベンチを立ち上がり、鞘から剣を引き抜いて、細い両腕で柄を持ち上げ、鈍く光る切っ先を空に掲げ。
──初めて、その剣を。
『星のメトリア』を、一閃しては。
──田んぼだらけの故郷の天に、溢れんばかりの『星』を届けたのだった。
⁂
星暦二〇八一年。
『マイスター伝説』の終わりから、まもなく十五年。
こうして、シャラン王国辺境・サントラの地で、『星のメトリア』を宿した少年・ハルの新しい英雄譚が幕を開けたのである。
……うん。
何? 『序章』にも程がある?
別に良いじゃないか、構わないだろう?
音楽と同じさ。
『マイスター伝説』にしろ何にしろ、物語というものは結局のところ、始まりが肝心なのだからな。
──**──「ハルのメトリア」編──**── Fine
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
「ハル」の冒険はこれでおしまいですが、ハルと「メトリア」をめぐる物語はまだまだ続きます。
よろしければこれからも、ハルたちの今後の活躍を応援してください。
……そしてついでに、作者の応援(ブックマーク、評価、レビュー、感想etc.)も是非してやってください。
SNSでこの小説を紹介していただけたなら、それはもう大喜びします。