ep.10-1 臨時契約(アクシデント)①
【前話までの登場人物】
ハル:金髪碧眼の少年。王国の辺境サントラで暮らしている。メトリアは『星』。
ウィル:くすんだ藍色(縹色)の中年の男。自称『指導者』。メトリアは『水』。
皐月:亜麻色の髪と桜色の瞳の少女。ハルと同じ家で暮らす。メトリアは『花』。
マッキーナ:癖っ毛茶髪と茜色の瞳の少女。術士の家系の娘。メトリアは『炎』。
マッキーナが旅のお供に加わり、図書館を出発したのは午前十一時を過ぎてのことだった。
図書館を出るなり、すぐに駅へ向かうと言い出すマッキーナ。
「雑貨屋さんってないのかな? あ、服屋さんでも良いんだけど」
そうハルにたずねられ、怪訝な顔を浮かべながらもマッキーナはハルの寄り道を許した。
炎の使い手、『サラバンド』の集落というのは、日中でも寂しい町並みだった。人通りが少なく、店らしき建物もそれほど立ち並んでいない。
これではサントラと変わらないじゃないか、とハルは少しだけ落胆する。
そして服屋を案内され、店の外にウィルとマッキーナを残したまま簡単に買い物を済ませてきたハルは、
「こ、これ……」
「…………はあ?」
──腕を組んで澄ましている少女に、買ったものを『そのまま』差し出した。
⁂
マッキーナは彼女の母親譲りの、とても綺麗な顔をしていた。
そして、母親同様、その茶髪は無秩序に伸ばされたまま黒のポンチョへと垂れていた。
皐月が毎朝毎晩、亜麻色の髪をくしで梳かしながら、口癖のように紡いでいる言葉がある。
「女の子の髪は命より大事なんだよ。毎日お手入れしないと死んじゃうの。みかんと一緒」
──だからハルは、出会って二時間弱の少女に手渡したのだ。その乱れた髪を整えるために、きっと冒険に必要不可欠であろうと。
ハルの良心、善意そのもので。
「……………………」
ハルの手のひらにちょこんと乗った、真っ赤な髪留めのピンを視界に捉え、マッキーナは真顔で沈黙した。
そして、ギギギ、とウィルを見上げては、
「……『臨時契約』って話じゃなかったの?」
ニヤニヤと。ニヤニヤと少年少女を見比べながら、気色悪い笑みを浮かべた下世話な中年を、マッキーナはギイと睨みつけている。
ハルはその形相に、何か不手際をしてしまったのかと慌てて、
「あ、あれ? ま、マッキーナさん、これ……」
「『本契約』なんてしないわよ」
片眉だけを上げて、ヘアピンの受け取りを拒絶するマッキーナ。
──なんだ、サインって? 協会でしろと言われた記帳のことか? 買ったばかりなんだから、勝手にヘアピンに名前なんて書いてないぞ?
すると、ウィルが片手で口元を押さえ、止まらぬ笑いを懸命に覆い隠しながら、
「契約の証だよ」
「へ?」
「神と人間、人間と人間。いずれにしても、身体に身に付けるものを相手に渡すという行為は、その人間と契約を交わすという宣言に等しいのだよ、ハル」
……ど、どういうことデショウ。
「術士の界隈での習わしだ──その娘と『結婚』するってことだよ」
──目ん玉が飛び出る衝撃だった。
主従関係を結ぶ際にもよく使うんだが、なんてウィルの言葉の続きはハルの耳には入らなかった。
差し出していたヘアピンを瞬時にその手ごと引っ込めたなら、
「ご、ごめん! 全然僕、そういうつもりじゃ……」
「そういうつもりじゃなくてもさあ……」
今度は呆れ顔でマッキーナが声を漏らし、
「普通、いきなり会った女にアクセサリとか渡したりする?」
「え!? い、いやだって……その髪、外に出るには邪魔かもなって……」
大きなお世話だ、という文字が、でかでかと少女の顔に書かれたのが、さすがのハルにも伝わったらしい。
小刻みに肩を震わせているウィルは、
「私の『読み』を軽々と超えてくるな、ハル。さすが女性への免疫力に長けた少年は格が違う」
──さっきからなんだ、女性がどうとか免疫がどうとか。笑うな!
「相手が相手なら、むしろ配慮の欠如と趣味の悪さで第一印象最悪じゃないの?」
そう言ってマッキーナは、深いため息を吐く。
そして、数秒の思案の後に、
「……ん」
自身の右手を広げ、ハルの前に差し出す。
ぽかんと茜色を見つめていると、
「勘違いしないでよね。あんたはどうせ協会関係者でも王宮関係者でもないんだから。金払ったもんを無駄にするのはもったいないってだけ」
「も、もらってくれるの……?」
「『臨時契約』の間くらいは使ってあげる」
そっと手のひらにヘアピンを乗せてあげたならば、マッキーナは長い前髪を掻き分けて、あっさりと契約の証をその身に纏った。
⁂
……ていうか、さっきからちょいちょい出てくる『臨時契約』ってなんだ?
「天文台も『精霊都市』も、そもそもエレメント協会の管理下にあるんだよ。天文台に入るにはお前の『鍵』が必要だが、彼女のような、協会に属している術士という『鍵穴』も、同時に必要になるということだ」
──『資格』、というやつだ。
まずは術士のマッキーナが、すでに自身の体内に刻んでいる『資格』の術式を使って『精霊都市』ラルゴに入場する。
そして、マッキーナがハルの身体に刻んだ『鍵』──つまり『開錠』術式を使って、ハルという能士が天文台に入場するのだ。
……そんな、天文台『攻略手順』の第一段階こそ、今朝に起きた一連の騒動の真相だったらしい。
──つまり。
ハルとマッキーナは、天文台にて『剣』を得るためだけの、期間限定の契約関係を結んだ、ということである。
『臨時契約』──『本契約』の前段階として。
それはまるで、二人の人間が恋人の関係から夫婦の関係へと移ろうために、必ず踏むべきとされている段階のようで。
店を出てウィルとマッキーナの足取りを追いながら、ハルは静かに自らの行動を振り返る。
そして──あれ? と。
(『契約』って……約束する、って意味だよね?)
──そんな簡単にして良いものだったっけ?
それも、自分が了承してないうちに。
なにせウィルはハルに説明した。『本契約』は彼女たち術士にとっては『結婚』のようなものなのだと。
もし本当にそうなら、あれ? なんかおかしくない? 変じゃない?
結婚にしても、何らかの約束を交わすにしても、それはお互いが了承して初めて成立するものであって。
それが本契約だろうと、臨時だろうと、期間限定だったとしても、『契約』であることに変わりはないわけで。
⁂
駅に着き、ウィルが「三人分の乗車券を買ってくる」と少年少女の元を離れていく。
ハルは少しだけ声を潜めて、マッキーナに声を掛けた。
「あ、あの……マッキーナさん」
「『さん』とか要らないけど」
「ま、マッキーナは……その、僕と契約して良かったの……?」
「だから『本契約』なんかしないわよ」
別に『結婚』じゃなくてもだよ! と、ハルが困惑の色を見せたなら。
マッキーナは母親譲りの気怠げな様子で、しかし──『茜色』の瞳だけはひどく純粋で。
「契約はあたしたちが決めることじゃないでしょう?」
「…………え」
契約も──結婚も。
「それは『親』が決めることだから」
そう答えた。
何を当たり前のことを聞いているんだと、マッキーナはその場に固まったまま声を上げられなくなった空色の少年を、怪訝そうに純粋な茜色の瞳で見つめ返した。