ep.8 分裂する魔法都市
──茜色の空など、もうどこにも広がっていない夜。
アレグロの宿は、マスキードの旦那さんが用意してくれた。
といっても、この都市は飲食店だけでなく、宿屋ですらまともに無いらしい。そこで旦那さんは、図書館の地下書庫の隣室が空いていると、ご好意でこの地下室まで案内してくれたのだ。
部屋はすでに埃が取り払われており、シングルベッドが二つ並んでいる。
……もしや、と思いついたハルがよくよくウィルに問いただせば、案の定ウィルは、しばしばこの宿を無賃で利用する『常習犯』であるようだった。
「そんなに僕のメトリアって珍しいんだ……」
膝を抱え、ハルがベッドの上で呟く。
『星』と聞いた瞬間の、旦那さんの表情が頭から離れない。
マスキードも怠そうにはしていたけれど、ウィルの依頼を二つ返事で了承するあたり、そのメトリアが持つ価値の重大さが、どれほど周知されているのかをハルに悟らせるには十分すぎる時間だった。
しかし──
「珍しいから価値があるわけではないんだがね」
ウィルの言葉に顔を上げる。
黒コートを脱いだウィルが、その胸ポケットから懲りずに紙コップを取り出しているのを一瞥し、
「まだ飲むの?」
「一日三杯は飲む主義だと言っただろう?」
――一日三食みたいな感覚で言われても。
「ビブリオ家はご先祖代々、『炎霊』サラバンドと呼ばれる精霊と契約している術士の家系なんだ」
給湯器から『電線』の太い糸を引き出しながら、
「そもそも、エレメント協会とは彼女たちのように、『精霊』と契約している術士たちによって構成されている組織なのだよ」
机に置かれた『電源』に差し込んだ。
⁂
精霊と呼ばれる神様は、協会の調べによれば四体存在しているらしい。
『炎霊』サラバンド。
『水霊』アルマンド。
『風霊』ジーク。
『地霊』クーラント。
「ウィルさんは『水のメトリア』だから、その……水の精霊と?」
「いいや、私は精霊と契約したことはないよ」
――《《精霊とは》》、契約したことがない。
そしてウィルは、少し呼吸を空けてから。
「アレグロはな。ひとつの都市を四つの『領域』に分けて、同じ精霊と契約している家同士で集落を作っている町なんだ」
同じ精霊を、ということは――同じメトリアを持つ者同士で。
つまり、このビブリオ図書館の周辺に点在している建物の、すべての住民たちが『炎』を持っているということだ。
裏を返せば、『炎』以外を持っている住民が、このビブリオ図書館の周辺には誰一人としていない。
駅が町の中心にあるのも、駅のすぐそばに協会本部があるのも。
要はあの地点が、魔法都市で唯一どこにも属していない完全中立の『領域』だという話らしい。
「へえ~……面白いね。でも……なんで分けるの?」
ハルは首を傾げて、
「分ける意味なくない? 同じ都市なんだから、一緒に暮らせばいいのに……」
「……それはだな」
ウィルは答えた。
「術士という職業上の理由で挙げれば、研究の効率を上げるためだな。同じメトリアの性質を、同じメトリアを持つ者同士が同じ環境下で調査を進めていく。集落というコミュニティを形成することで、その効率を上げている。……が、それはあくまでも表向きの理由だ」
「ええ?」
ごぽごぽと、給湯の音に声を乗せながら。
「ハル。本当は、違う精霊と契約している――違う精霊を『信仰』しているやつと、一緒に生活したくないからなんだ」
「…………なんで?」
ウィルは答えた──いや。
「さあ。なぜだろうな」
ウィルは、答えなかった。
⁂
ウィルは、ハルの純粋な疑問を解消させることができなかった。
同じ大陸世界の住人が、それも同じシャラン王国の国民である彼らが、違う世界のそれぞれ異なる神様を『信仰』しては、自分とは違う『信仰』を持つ相手を嫌い――争う。
その理由を鮮明に洗い出し、今ここでこの少年に説明できるくらいなら。
きっと、今からおよそ十五年前まで続いていた──かの『大陸戦争』は起こるはずもないだろう。
「ともかく、アレグロはひとつの都市でありながら、四分割された領域同士を自由に行き来することができない町なんだよ。一度この『サラバンド』の領域に踏み込んだら、他の領域には踏み込めないことになっているんだ」
メトリアの行使という、ひとつの動作を『ADSR』で四分割するように。
そういう『規則』があるのだと、ウィルは言った。
──だから、ウィルは協会本部への記帳を嫌ったのである。
そこに名前を残せば、自身の主義を――神様への『信仰』を公にすれば。
それ以外の神様を信仰する『人間』を、否定することになってしまうから。
⁂
ハルは、前に町長が酒場で酔い潰れた時に、ふらりと漏らした言葉を思い出す――「魔法都市には二度と帰りたくない」なんて。
あの発言にはそれなりの衝撃を覚えたものである。
だって、その町こそが――自分の生まれ育った故郷だというのに。
「……都市って、あんまり自由じゃないんだね」
あるいは、大人たちが不自由なのか。
沸騰した『水』を紙コップに注いでいるウィルに、ハルは問いかける。
「ウィルさんは、結局、どこの神様を信じているの?」
ここだけの話にしろよ、と声を潜めたウィルが答えた。
「私はどの神も信じていないんだ――信用していないと言った方が正しい。たとえこのメトリアが、神に貸し出されたものであろうとね。連中が勝手に押し付けておきながら、用が済んだなら返せだなんて、いささか虫が良すぎるとは思わないか?」
――ハルに落ちてきた『流星』も同じだ。
勝手に頭上に落ちてきたのだから、それをどう使おうが、使う人間の勝手であって然るべきなのだ。
――世界を救うために使おうが。
自分自身を救うために使おうが。
もちろん、自分以外の誰かのために使おうが、である。
部屋の隅に置かれた小さな丸机で、コーヒーをすするウィルに、
「とりあえず、本は返した方が良いんじゃない?」
怪訝な顔をしたハルが、風貌も行動も怪しさ満点の中年を叱っては。
「あ、コーヒーゼリー、結構美味しかったよ」
「……そうかい」
新たな冒険で得た、小さな非日常を謳歌する金髪碧眼の少年に、ウィルはゆっくりと目を細めたのだった。
⁂
竜暦一〇四四年、十二月二二日。
目を覚まし、朝一番にハルが出会ったのは。
「……………………へ?」
「ああ、起きた?」
昨晩、ウィルが腰掛けてコーヒーを嗜んでいた場所で。
「あんたさあ、本当に『マイスター』の血縁? 貯蔵限界が調査書のデータに挙がっている値よりも全然少ないんだけど」
──『茜色』の瞳が、分厚い本を広げていた。
こちらを見据えている少女の、長髪の癖っ毛感と顔立ちはまるで、昨日『おばさん』と二度呼んだことで睨まれてしまった――
「お……お姉……さん?」
ハルは。
自分がシングルベッドの上で、上半身裸、パンツ一丁の状態で両手両足を拘束されている、この現実に直面したことで。
「……そんなに怒っちゃいマシタ?」
もう少し皐月から『敬語』というものを習おうと、そう静かに決意したのだった。
そして――同時に。
ハルは初めて、かの家で帰りを待つ少女ではなく。
自分と同じ年頃の女の子にして、メトリアを行使する術士の都市で生まれ育った少女――『マッキーナ』と、交流することになる。
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