ep.5-2 再出発②
竜暦一〇四四年、十二月二一日。
冒険には、危険なものが三つある。
忘れ物、悪い大人──そして『魔獣』。
朝七時、フライパンの金属音に叩き起こされたハルは、家を出る間際まで皐月にさんざん厳しい指南を受ける。
「町に着いたらお役所で地図をもらうの。迷子になったら地図で調べるの。お外は悪い大人がいっぱいだから、簡単に人に聞いては駄目」
ウィルさんもそばにいるのに、と切り返せば、ぷくりと不満げに頬を膨らませて、
「出会って二日の人をすぐに信じたら駄目……」
そう呟きながら、リュックサックを背負った新米冒険者を、皐月は玄関で見送ったのだった。
……朝食は二日連続でみかんパイだったけれど、昨晩のご機嫌斜めから一変して、いったいどんな風の吹き回しだろう。ウィルさんでも町長でも、そのメトリアで皐月の『風』を読んではもらえないだろうか。
⁂
そして朝八時。
町長の家を訪問すれば、いきなりノウドに手渡されたのが『鈴』だった。
その鈴は、ノウドが初めてサントラに来訪して、最初に町中に配り歩いたものと同じ色と形をしている。
「『結界』の術式が組まれているんだよ。気休め程度だけど、まあ、一応ね?」
ノウドによると、この鈴には魔獣が嫌う『音』というものが搭載されているらしい。最初に鈴を渡されたのは三年も前のことだったから、は〜そんなものもあったな〜、なんて曖昧な記憶をハルは辿った。
……前にもらったやつ、机の引き出しにくらいは入ってるかな? もしかしたら、どっかへ落っことしちゃったかも。
「鈴だったら何でも良いわけじゃないんだ?」
「メトリアで『音波』を調整しているんだよ。魔獣にしか聞こえないような波に調節してる」
あ、本当だ。鈴なのに振っても音が鳴らない。
「へえ〜……」
「鈴もだけど、あんまり『結界』を過信したら駄目だよ。あれはあくまで、人間の目が行き届く範囲で形成している術式なんだ。ウィルさんから離れないように、気をつけて歩くんだよ」
こっちは皐月と違い、むしろウィルさんを信用しろと主張してくる。人によって全然言うことが違うじゃないか、どっちが『正解』なんだ。
するとノウドは、鈴をからからと左右に振っているハルをじいと見つめる。
うるさくなくて便利だな、と新たに持たされた紐付きの鈴をリュックサックに縛り付けていると。
「……興味でてきたかい」
見上げれば、穏やかに微笑むノウドの丸眼鏡があった。
レンズ越しでも、こんな田舎でもいつも忙しそうで、やや疲れ気味に映る細い目が、今朝だけは何故かただの優しい壮年男性に戻っている。
「ハルくん、前はメトリアの話なんて聞きたがらなかったのにね」
「……そうだっけ?」
ハルは首を捻った。ノウドは微笑んだまま、自身の家の玄関から、ハルの今週二回目の冒険を見送った。
⁂
そして──朝九時。
新たな冒険の案内人・ウィルが、酒場で冒険者を待っていた。
だん! だん! とニールセンのいつもの包丁音が空間を揺らしている。
「……遅かった?」
「早すぎるくらいだよ」
「ほとんどの仕事は朝の九時から始まるって皐月が前に言ってたよ」
「それは迷信だ。私は三文しか得しない早起きはしない主義なんだ……ああ、ニールセン。コップと豆の補充をよろしく頼むよ」
もしこの場にノウドがいたならば、「迷信じゃないです、現実です」とすかさず訂正を入れていただろう。そして、皐月がこの場にいたなら、「女の子の仕事は男の子より朝が早いんです」とかもっと真面目な受け答えをしただろう。
ウィルは紙袋から、紙コップとコーヒー豆が入った缶を取り出す。……ところで、ウィルさん。どうして酒場でも紙コップ?
そして、ウィルはやはり黒コートを羽織っていて、案の定と言うべきか、何ひとつ手荷物の類を引っ提げていない様子だった。
さすがにコートの中身は、昨日とは違う色のシャツだった。みすぼらしい雰囲気だったから、どうせ服の替えなんて持ってないんじゃないかと踏んでいたけれど。
……いや、でも待てよ。コートの胸ポケットにも内ポケットにも、さすがに服なんて収納できないぞ。
「ノウド君から借りてきたんだ」
当たり前じゃないですか、と軽い感覚。
ハルは内心で、「あ、やっぱり信用できない大人だ」と唐突な悟りを開いた。
信用できない、というか、参考にならない、というか。昨日の泊めてもらい方といい、給湯のねだり方といい、なんかこのおじさん、いろいろと小慣れ過ぎじゃない? 常習犯?
対して、ウィルもまたハルの着込んできたパーカーを指差し、
「……また同じ服だな?」
「同じじゃないよ! デザインが違うんだってば」
そう不満げに言い返されたウィルが、パーカーの色合いをじいと分析している。そして、半笑いを浮かべたまま首を斜め四十五度に捻った。
……残念ながらこの中年男性には『水』とやらは読めても、僕のイカしたファッションセンスは読めなかったらしい。
ウィルはコーヒーを飲み終えると、両手を黒コートのポケットに突っ込みながらカウンター席を立ち上がる。
すると、台所から手を拭きながらハルに近寄ってきたのはニールセンだった。
ニールセンは台所の脇の壁に寄りかけてあった、一本の『剣』をハルに託す。
──いつだかに、彼から稽古をつけてもらった時に使った剣だ。
ハルの胴体ほど丈があり、日頃運ばされている段ボール箱よりかは若干マシな重量の、皮の鞘に収められた銀色の剣。
初めてそれを振りかぶった時、「だせえ! やべえ! 下っ手くそかよ! 一生賭けても王国軍に入れねえよお前! ははあはははははははっ!」などとド直球なコメントを添えて大爆笑してきた、あの友だちの顔が浮かんでくる。
……そろそろあいつ、斬っても良いかな? 縁を切るって言うか、その胴体ごと、このなんかすごいらしい『星のメトリア』でぶった斬るって言うか。
「持ってけ」
「……や、やってもできないって結論だったんじゃ……」
軽いと言いつつ、明らかにお荷物な鉄屑に顔をしかめていると、
「持っておけ。君のメトリアなら、魔獣程度にはそいつをぶん投げただけで十分かもしれん」
「剣を投げる!?」
──もっとも、君のメトリアなら、というのはウィルの方便だ。
メトリアが持つ『性質』の重要性は確かに高い。しかし、その性質はあくまで使い手が使いこなしてこそ、初めて意味を持つ代物だ。
⁂
ウィルの言葉に愕然としながらも、ハルはその小さな両手にずしりとのし掛かった、剣の重みを『体感』する。
対してウィルは、剣を憮然とした態度で握っている少年に、
(……あいつが剣を持っていて、『笑顔』でいない日は一度もなかったな)
──『実感』した。
この少年は間違いなく、星に選ばれた人間であると同時に。
間違いなく──かの青年剣士とは違う人間であることを。
「ハル。行こうか」
ウィルが歩き出す。
ニールセンの肉切り包丁と、今日もまた部屋の隅で酔い潰れているハモンドのいびきが、この酒場にとっての日常だった。
──皐月だって、そうだ。
ハルはリュックサックを背負い、剣を腰に携えて。
あんまり好きでなくっとも──一旦はこの、当たり前のサントラの日常に帰ってくることを心に誓って。
「行ってきます!」
外の世界へと進むブーツの足跡を、ハルはせわしなく追いかけた。
⁂
これで、ようやく。
ハルとウィルの──『星のメトリア』がもたらした、二人の新たな冒険の旅が始まったのである。
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