op.14 楓の依頼①
朝九時を回るよりも早く、ハルとウィル、そして楓の三人は家を出た。
「酒はもう抜けたか、楓お嬢」
「ウィルの旦那、当ったり前だろう? 今更なに言ってるんだい」
「そうかね。まあ無理はしないでもらおう、昼頃になって作戦本部で急に吐かれても、私ではなく少年隊の面々が困るからな」
「あっはははは!」
笑い事じゃないんだが……とウィルは呆れ返って肩をすくめる。
玄関を出ながらけらけらと笑い転げている楓、その背中に声をかけたのは皐月だった。
「あ、あの……胡蝶楓、さん」
皐月は胸の前で両手の指を絡め、しきりに関節をさすりながら桜色の瞳をゆらめかせる。
「その……わ、私……」
「心配ご無用さ」
不安げな表情を汲み取った楓が、振り返っては艶やかな唇を優しく歪めた。歩み寄ってきた皐月の前髪をぽんと軽く叩きながら、眉尻を下げて告げる。
「実はあたしも日頃の稽古がいやで、この身ひとつで家出してきたクチなんだ。お互い様ってやつさ。わざわざ他人様の事情に水を差すような真似はしない──だから」
皐月の髪を撫でた手を、楓自身の胸にあてがいながら。
「黙っておいてほしいだけなら、お前さんはなにもしなくて良い。なにも言わなくて良いよ。ただ、他人様の手を借りたいときがあれば、遠慮もいらない。いつでも頼ってきな」
胸元の裾に細い指を差し入れれば、抜き取られたのは手のひらサイズの紙切れだ。
名刺を手渡された皐月が、目を丸くして文面を見れば【KAEDE KOCHO】の横文字と、十桁くらいの数列が並んでいる。
横文字の上部には彼女のフルネームの他に、もう一文記されているのを、ハルも横目で見つけたのだ。
「数列、社長室の『通信器』の番号だから。今日みたいな出先でなければ、あたしにそのまま繋がるはずだよ」
「……社長室?」
「ああ」
それは胡蝶一族の、極東における皇室『菊宮』の従者という肩書きではない。
楓という女の、大陸世界における肩書きだった。
「あたし──これでも『社長』なんだ。新興ギルドの新米マスターだけどね?」
⁂
ギルド『死神局』。
それが、楓がシャラン王国領土内で経営しているという会社の名前だ。
「死神ってなに。死に神? よくわかんないけど物騒な名前ね、語彙からして真っ当な会社に聞こえないじゃない」
サントラ少年隊作戦本部。
辺境の田舎町に颯爽と現れた客人に、マッキーナは早くも悪態をついた。
楓はどうやらウィルや町の大人たちをたぶらかすために、サントラを訪れたわけではなかったらしい。
「もしかしてアレなの? パパが言ってた『水商売』ってやつなの? それとも、ママが絶対に手を出すなって言ってる『枕営業』ってやつ?」
「お前さんのパパママは相当に堅気なんだねえ。業界人に失礼だよ? 水もマクラも立派なお仕事だ。かくいうあたしの実家も芸妓の家元だ。ひと昔前までは遊郭だって経営てた」
楓はそう言いながらも、マッキーナの問いかけを否定する。
「でも死神局は違うよ? 仕事の内容は……まあ、いろいろさ。局員によってできる仕事が全然違うからね」
「あっそう。つまり、いろいろの内に水もマクラも含まれてると」
「そういう仕事は受けてないって! 荷物運びとか市場調査とか魔獣退治とか、いろんな仕事の代行サービスだよ。要は何でも屋、便利屋さんだと認識してもらえれば良い」
「ふーん……何でも屋、ねえ?」
不信感を拭いきれないマッキーナへ、助け舟を出したのはウィルだった。自身の紙コップと楓用のマグカップにコーヒー豆を注ぎながら、
「彼女の会社は『文化都市』に拠点を持っている。私も、彼女とは都市の酒場で知り合ったんだ」
「文化都市……なっ『七都市』!?」
ハルはウィルの証言で、途端に胸を躍らせる。
王国経済を担う『七都市』がひとつ──『文化都市』ダンテ。闘技大会に出向いた『工業都市』モデラからは電車一本で行けるところだ。
「『七都市』で自分の会社作るなんて、すごい! デ、スネ」
「ダンテは物価が安い」
興奮気味なハルを戒めたのはムンクだ。スティック状に固めた、小麦か何かで作られた謎の食べ物をかじっている。それがムンクの朝食なんだろうか。
「『精霊都市』に次いで、王都から一番離れている『七都市』だからな。ギルド業界は確か、市場としては『商業都市』がメインだったはず」
「おっと鋭いねえ、ぱっつん頭くん。その通りだよ」
痛いところを突かれたと言いたげに、楓は頬を小さくかいた。
「そもそも起業したのが、ここ半年くらい前のことでさ。ヴァーチェは下手うちゃ、王都より家賃がかさむ。生憎とあたしは家出スタートの大陸おのぼりだ、金回りはあまり思わしくなくってね」
「半年か。本当に新興ギルドなんだな」
納得するようにウィルは頷き、出来上がったコーヒーカップを楓へ手渡す。
「ともすれば災難だったな、楓お嬢。起業して早々、お嬢どころか王宮やエレメント協会も手を焼きそうな案件が回ってくるとは」
「仕事が増えること自体はありがたいけどねえ。いや〜、旦那と知り合えて良かった! 他人様の手ってのは、貸すときも借りるときも躊躇しないってのがあたしの信条だからさ」
「それは結構な心がけだよ」
二人の会話で、少年隊の面々はなんとなく悟った。
楓のサントラ来訪もウィルの最近の留守も、すべての理由は楓が放つ次の言葉に凝縮されていた。
「サントラ少年隊、だったっけか? 新興ギルドに新米チーム。新参同士、仲良くしてね? ──お前さんたちに『依頼』があるのさ」
ギルド『死神局』マスター・楓から持ち込まれた依頼。
それは、サントラ少年隊が最近出会った、ナマズ妖精たちとも大きく関わりのある話である。
少しでも本作を気に入ってくださった方は、小説を「ブックマーク・評価」などで応援していただけると執筆の励みになります。




