epilogue その英雄、星となりて
小説をより多くの方に「ブックマーク」していただけると、作者の執筆の励みになります。どうぞ末長くお付き合いくださいませ〜。
星天。
夜を仰いだ青年が、金色の髪をなびかせている。
死骸を仕分けしている周辺の兵士には目も暮れず、腰に剣を携えて、荒野を照らす星々を眺める青年の瞳は、それはもう青い空で澄んでいた。
その佇まいが、自分こそこの世界の中心だとあの星々に主張しているように思えて、私は傲慢を皮肉ろうと青年のそばまで歩み寄る。
「手伝いたまえよ。お前が散らかした跡だろう」
頬に付いた血を拭いながら、
「星に願ったところで、辺りが勝手に綺麗になるわけではないんだぞ」
すると、わずかに顎を引いた青年が、空色の瞳に私の顔を映して。
「『暦』の数え方にこだわるのって、自分がこの物語の主人公だって信じて疑わない、人間の顕示欲の象徴だからだと思うんだよね」
──お前ほど『主人公』に相応しい奴がいるか、とは言ってやらなかった。言えばすぐ調子に乗ることは、私には容易に読めていたからだ。
⁂
その青年は、王国で『英雄』と呼ばれている剣士だった。
戦場でひとたび剣を振ったなら、一日もあれば一人で一つの軍隊を蹂躙した。ただ一閃の剣撃で、遥か彼方の戦車を塵に変えた。青年が赴いた戦場で、敗北を味わう日など皆無に等しかった。
そして、剣才に恵まれた青年は──あの天の星々にすら愛されていた。
「神の顕示欲、の間違いだろう?」
崩れかけている瓦礫の山に腰を掛け、
「人間が、という話であればむしろ逆だ。大陸秩序の名の下に、自身を物語の中心から脇へと追いやりたいがための、同調圧力が笠を着た隠れ蓑ではないのかね?」
「反骨精神の権化が言っても説得力ないんだよなあ。あいつらに代弁してもらったほうが良いんじゃない?」
青年が視線で示した前方では、何人かの兵士が空を指さしては談笑している。
そのとき、ちょうど指をさしていた方角に、一筋の『流星』が煌めいた。
感嘆が上がる戦場で、どうやらその流星に本当に願いを込めた兵士もいたらしい。餓鬼っぽい真似はよせと馬鹿にされては、血の色とは違う赤色で頬を染めている。
私は少しだけ安堵した──その足元に声すら上げられなくなった仲間が転がっていても、彼らにはまだ笑顔を浮かべる情緒が残っているらしい。
「……それで?」
私は青年に問いただす。
「結局何が言いたいのかね」
「暦を変えよう!」
間髪入れずに叫ぶ主人公は、満面の笑顔を私に向けた。
突発的で情緒の乱れた言動こそ、この青年にとっては日常だった。今日にしても、王都を出る間際に青年は、暦の数え方にやたらとこだわった。
数多に存在する神秘の中で、この王国が『竜』を信仰しているのであれば、王国で暮らす皆が『竜暦』で年月を数えるのは至極当然のことであったというのに、どうやらこの青年は、初めから信仰しているのは竜などではなかったらしい。
「王宮で却下されたんじゃなかったのか」
「説得してきてよ。自分の親父だろ?」
「関心がないものに労力を割けるほど、私も暇ではないのだよ」
私はため息を吐く。
『星』を信仰する程度のことで、本当にあの流星が願い事を叶えてくれるというのなら、私は迷わずこう願おう──「この馬鹿の脳を修正してくれ」と。
戦車の砲台を向けられたとき、その弾が発射されるまでの『秒数』で近くの兵士に賭け事をけしかけるような、この脳天気を。そして、三秒と宣言した直後に剣を抜き、自ら一閃して戦車を砲台ごと破壊しては、「はい、俺の勝ち! ちゃんと三秒後だっただろう?」などと笑顔で勝ち誇るような、この大馬鹿を。
「格好いいと思うんだけどなあ……『星暦』」
「使いたかったら勝手に使え。竜で数えようが星で数えようが、お前の存在価値が変動することなどあり得ないのだからな」
思わず調子に乗りそうなことを口走ってしまった、と即座に後悔してみれば、
「うーん、しょうがないなあ。だったらさ」
青年はおどけた様子で、
「ウィルが興味ありそうな話をしてあげるよ」
こう言った。
「俺、明日死ぬよ」
⁂
──それは、予言だった。
剣の振り方は青年自身の才能によるものだったが、暦の数え方や、一閃するたびにその剣から放たれる『メトリア』は、実は青年自身の知識や能力によるものではなかった。
この青年によれば、それらはすべて、あの流星が教え、与えてくれるものらしい。
突発的な言動の中には、そんな流星が青年にもたらした、予言に近しい内容であることも少なくなかった。そして青年は、流星から聞いた予言とやらを、嬉々として周囲の人間に語るのである。
──あたかもその予言が、自身にとって必然であるかのように。
「……自殺の『予告』は予言とは呼ばないぞ」
「信じてくれるんだ!」
嬉しそうに目を輝かせる青年の、脳天気な頭をがしりと押さえつける。
私には青年の明日よりも、周囲にいた兵士たちの明日の方がずっと気がかりだった。慌てて辺りを見渡せば、彼らは私たちよりもやや離れたところで、互いの未来について語り明かしている。
幸いにも、英雄たる青年の不用意で物騒な発言は、彼らの耳には届いていなかったようだ。
「明日死ぬよ? 俺──」
「一回黙れ。せめて声は落とせ。いい加減冗談を言う時と場所くらいは選んでもらおう」
その金色の頭を下げたまま、
「……それで、根拠は」
「やっぱり信じてくれるんだ」
今度は青年は、途端に穏やかな微笑みを私に向ける。私に自重を強いられたからではなく、本当に安心したとでも言った様子で。
「……さっきの流星か?」
あの流星によるお告げは、青年にとっては予言どころか決定事項であるらしい。
青年はあの流星に選ばれたことで、その身に『星のメトリア』を宿していた。そして流星は、いつも唐突に青年の前に現れては、彼や彼が関わる人々の未来を一方的に押し付けては帰っていった。そのくせ予言の大半は、青年が自ら行動することによって果たされる内容ばかりだった。
──その行動が必ずしも、青年自身のためになるわけではないにも関わらず。
竜にせよ、星にせよ。
私たち人間が暮らす『大陸世界』は、乱立する神々にとっては単なる遊び場に過ぎないらしい。
神々は決して、私たちの願いなど叶えてはくれない。
神々は己の欲望や好奇心を満たすためならば、自ら築き上げた遊び場を維持するためならば、その世界で暮らす人間たちなど、いとも容易く使い捨てる。
──私たち人間が、奴らのメトリアなくして繁栄できない生き物だと知りながら、である。
⁂
しかし、青年は答えた。
「いや、さっきの流星は関係ないよ。ただの俺の勘」
少しの沈黙を経てから、
「そうかね。勘かね。それは、我々の生死を分ける可能性があると認識しての発言か?」
「ははは」
笑い事で済ませるんじゃない。
心臓を意図的に潰しにかかった悪餓鬼が、私の顔を下から覗き込んではにやけている。
そして、
「……俺は主人公にはなれなかったんだよ」
「は?」
間の抜けた声を上げては、内心でのみ青年の言葉を否定する。
お前が主人公ではない? それこそ冗談じゃない。最強の『剣』と最強の『メトリア』を引っ提げて、数多の戦場を駆け抜けて、幾度となく敵国の脅威を退けては、無邪気な笑顔で私の元へと帰ってくるお前が。
その功績を王宮に讃えられ、つい先日、『マイスター』という称号を国王から受け取っていたお前が。
「俺は主人公にはなれなかったけどさ。せいぜい暦を変えることで、『俺、この世界で生きてた!』って証をちょっとでも歴史に刻めたら御の字かなあって。ははは」
馬鹿を言うな、と私は睨む。暦の数え方なんてどうでもいい。変えようが、変わらまいが。そんなどうでもいいものじゃなく。
他に変えるべき歴史が、お前にはあるはずだと。
「まあ、そういうことだから。後のことはよろしくね、ウィル」
──何も変えられないはずがない。
王国に勝利を与え続けたお前が、幾度の敗北、絶望から救ってきたお前が、いったい今更、何を変えられないと言うのか。
私は、青年に救ってほしかった。
流星に導かれ、与えられたその力──『星のメトリア』で。
王国でも、世界でも、人類などと大それたものではなく。
そんな──誰にでも救えそうなものじゃなく。
「俺が死んだら、『星剣』も元あった場所に帰るはずだから。もし次に俺みたいな奴が現れたら、その時は色々教えてやって。ウィルなら楽勝だろう?」
星に満ちた空色の瞳は、この荒野で誰よりも眩しくて。
星が願いを叶えないと言うならば、人間の願いを叶えられるのは、おそらく同じ人間でしかないのだろう。
だからこそ、この青年には救ってほしかった。
誰よりも恵まれたその剣で、星に愛され与えられた、そのメトリアで。
──自分の、意志で。
「ウィル」
青年は、いつも通りのわがままを、語り部に過ぎなかった私に言い放った。
「俺の主人公を救ってくれ」
──いいや。
私の主人公はお前だよ。
私はお前に、私の主人公を──『星の英雄』を、救って欲しかったんだ。
⁂
星暦二〇六七年。
その夏、戦場に現れたのは『魔神』マーラだった。
長年にわたり続いてきた『大陸戦争』──人間の国家同士の争いは、大陸世界の創造主たる『星神』セーラと、セーラに敵対するマーラの、神同士の争いと変貌したことによって突然の終末を迎える。
ただし、降臨したマーラと対峙したのは、セーラ自身ではなかった。
流星を介してセーラの声を聞き続け、そのメトリアに与えられし使命を以って、戦場でただ一人、マーラに相対する一人の青年の姿があった。
剣を片手に、単身でマーラに立ち向かった青年剣士の勇姿は、のちに『マイスター伝説』として後世まで語り継がれていくこととなる。
王国の英雄だった青年は、ついにこの大陸世界の英雄として──永遠の『星』と、なったのである。