できること
時間は昼前、雪のチラつく山道。路面はうっすらと白くなっています。
車体後部に控えめに『4WD』。と書かれたバッジを付けた、ちょっと古めのワゴン車が、つづら折りになった道を昇っていました。
――ピンポン。『この先、10km以上道なりです』
カーナビが運転する彼に告げますが。
「うん、知ってる」
カーナビの素っ気ない声に、彼は応えます。
運転免許を手にして以来、当時お父さんのものだったこのクルマで、天気も季節も関係無しにこの道を走ってきたのです。
駅や大手のスーパーはもちろん、学校の友人の家さえ。この道で山を一つ越えないと無いのが彼の実家でした。
当然彼の通った中学と高校もそうですが、通学はバス。
バイクも持ってはいましたが、さすがにこの季節。バイクで出かけるのは躊躇せざるを得ません。
彼が大学生になり、一人暮らしになった時。
お父さんが仕事用のクルマを新調して、このクルマは彼にくれました。
季節も時間も関係無しに帰ってくることができるようになったのでした。
なのでお盆とお正月は、逆に帰ってこないといけなくなったわけですが。
まもなく山頂。
『運転時間が二時間を越えました。そろそろ休憩しましょう』
カーナビが彼に注意を促します。
「高速でパーキング寄ってから止まってない、か。……とは言え、遠すぎだろ。なんでこんなに山奥なんだよ、ウチは」
村、と一括りにはなっていますが。村役場さえ、山の向こうにあるのでした。
「あぁ、あれか。お袋の言ってた道の駅。……展望台と仮設トイレしか無かったモンな。夏は基礎しかなかったけれど。峰田村としては上出来、大進歩だよ」
先日出来たばかりの道の駅、ではありますがこの季節はトイレ以外は閉鎖。売っているものも自動販売機の飲み物ばかり。
それでも温かいコーヒーが飲みたくなった彼は、ウインカーをあげて『駐車場』と書かれた矢印の方向へと向かいます。
駐車場の隅、いかにも地元の大工さんが匠の技で作りました。と言うベンチと柵。そして自動販売機。
うっすらと雪の積もる駐車場。彼は自販機に一番近い白線にクルマを入れ、スマホを自販機にあてます。
「ヤバい。積もりそうだなぁ、これ。……明日いきなり雪かきじゃねぇのか? せっかく半年ぶりに帰って来たっつーのに」
彼は缶コーヒーのプルタブを引き、本格的に降り始めた空を見上げます。
「県道なのに除雪一番最後だもんな。県からも見放されてるんだもんな」
あがってきた街を見下ろすような駐車場には、他にクルマの姿は見えません。
……が。
「……。なんでガキ?」
少し離れた場所に、同じく街を見下ろして少年が柵にもたれていました。
見た目は小学校低学年に見えます。
彼は周りを見渡しますが、つもり始めた雪に残る自動車の跡は一台分。足跡も彼が自分で付けたものだけ。
「どうやって、ここまで来たんだ……?」
バスは朝に二本、夕方に三本。それでおしまい。
学校の冬休み期間である年末年始は、朝晩一本ずつしかないはず。
下の街からは車でも50分、彼の住む集落まででもあと20分はかかるはず。
とにかく声をかけてみよう、と彼は久しぶりに雪を踏みしめながら少年へと近づきます。
「よぉ、何してんの?
「おじさん、だれ?」
「誰が見たってお兄さんだろ! そこは訂正しろ。……お前、お父さんとかお母さんは?」
「……ボクには、居ないよ」
彼は、――やべ! いきなり地雷踏んだ!? と思う一方。
この年頃の子の、こう言う話は。何処までホントだかなぁ……。
と思いつつ目の前の少年を見やります。
自身も昔。プチ家出をして、隣町の駐在さんに保護された時、
『僕にはお父さんもお母さんも、居ない!』
と言い張って駐在さんを困らせたことを思い出した彼です。
「まぁ居ないなら悪かったよ……。家は何処だ? 僕はこれから宮下まで帰るんだけど」
「……ボクも、宮下」
住所がある、と言った時点で家出少年確定です。
でも、どうやら歩いてここまで来たと見える少年ですが。
「宮下の何処だよ」
「……拝沢」
「めっちゃ近所じゃねぇか……」
そうなるとかなり朝早くから歩きづめだったはず。
――一〇キロ以上の山道、歩いて昇って来たのかよ! 彼は少年の行動力に舌を巻きます。
そして、近所にこんな子が居ただろうか? と考える彼ですが。
とにかく、まずは保護してしまった方が良い。と結論します。
駐在さんなんか呼んだら、周り中大騒ぎ間違い無しです。
「まだ一二時半だ。次のバスが来るの、夕方の四時半だろ。凍えて死ぬぞ。だいたいお前、バス賃。持ってねぇだろ?」
雪のそぼ降るなか、開いているのはトイレと、暖房の付いていない休憩室。
本当に死ぬかどうかはおいても、彼の心配は正しいと言えました。
「でも、ボク。……家とかは」
本格的に冷えてきたらしく、クルマのマフラーからは白い煙が静かにたなびいています。
「なら、今晩くらいウチに泊めてやるよ。死ぬよっかマシだろ? ……暖かいからクルマに乗んな、ほれ」
――とりあえず、お袋に聞いたら何処の子かわかるだろ。
彼のお母さんはここ数年、町内会の会計担当でもあります。
彼が町内の人間なら把握しているはず。と彼は思ったのでした。
「……」
「あ……、別に誘拐とかじゃないぞ。この辺。携帯は電波入るんだし、貸してやるから自分ちに電話しろよ。番号、わかんだろ?」
近頃はちょっと声をかけただけでも、状況によっては変態扱いされてしまいます。
小さな子、まして男の子相手に“案件”になっては困る。と思う彼でしたが。
「良い。お兄ちゃんはそういうことしなさそう」
――良い悪いを決めるのは、お前じゃないんだけどな。
そう思いながら彼は、諦めてスマートホンを尻のポケットに戻します。
「あ、そ。……まぁ乗れよ。ジュニアシート、無くても大丈夫そうだな」
彼は、少年を助手席に半ば無理やり押し込めると、シートベルトを調整してあげてドアを閉めます。
彼は助手席のドアが開く気配がないことを確かめてから、運転席に乗り込みます。
「お前んち、なんてぇの? ちなみにウチは佐藤な。珍しくもなんともないけど、拝沢には一軒しかないだろ……?」
「……田中」
うん。真希ちゃんちだな、田中商店。地域唯一の文房具屋さんにして、子供達の憩いの場。いわゆる駄菓子屋さん
間違いようもなくウチの隣だ。二つ上の真希ちゃんと、六つ上の太一くんの家だ。
現状。真希ちゃんは家事手伝い、ではあるけれど。大学行かなかったとは言え結婚したわけでもなく、こんなデカい子供はいない。半年前にあったが未だに彼氏さえいない、……って本人が言ってた。
太一くんも大学は行かなかったが、高校出てすぐ結婚。今は川崎に居るって聞いた。学校出て以来合ってないけど、子供が居るならこのくらい?
なんか事情があって実家に預けられていた?
「なんで家を出て来たんだ? こんな寒いのに。家出するにしたって時期が悪いよ。東北の子供なんだから、自分探しの旅は夏にするべきだ。マジで死ぬぞ?」
――俺もそうだったしな。彼は口には出さずにそう思います。
「お姉ちゃん、お店どうでも良さそうだし……」
「お店……?」
事実上、田中商店は田中のばあちゃんが一人で切り盛りしてきたお店。そのおばあちゃんが去年亡くなり、その後は真希ちゃんと真希ちゃんのお母さんでやってる。
お店が儲かっていない、とは良く聞くところである。
「そうか。お前、田中商店。好きか?」
「うん。おばあちゃんがすごく大事にしてた。近所に子供達の楽しみがないって」
「俺も毎日行ってた。ばあちゃん居ない時は真希ちゃんがお店番するの恥ずかしがってて、それも面白かった」
「でもドンドン子供が減っちゃって、中学校卒業するとみんな東京とかに……」
「まぁ、なぁ……」
子供以前に人が少ないのです。宮下地区は山奥とは言っても、彼のお父さんが子供だった頃は五、〇〇〇人以上居たのだそうですが。
今や、工場も村立中学校もなくなって限界集落一歩手前。
諸事情あったとは言え、実家に残った真希ちゃんが珍しい部類。
高校から下宿暮らしの子供達さえ珍しくありません。
当然彼らは学校を卒業しても帰って来ません。
「お兄ちゃんも東京でしょ?」
「え? あ、うん。……良く、わかったな」
果たして移動にクルマが無いとあからさまに不便、と言う地域を東京、と言って良いのか? 等とつい思ってしまった彼ですが。
二三区以外だって東京だ、此所に比べたら大都会だ! 歩いて5分でコンビニがあるんだぞ! と開き直ります。
「東京、何しに行ったの?」
「……難しいこと言うのな、お前。――うーん。自分に出来ることを探しに?」
「お姉ちゃんは東京に行かないけど。出来ること、わかってるの?」
「さっきお前は、真希ちゃんがお店をヤル気ないって言ったけどさ。お店を手伝う気マンマンで大学行かなかったんだぞ。俺より頭良いのに」
おばあさんに店を任せつつ、ネットショップなどへの展開も考えていた矢先のおばああさんの死。
お盆に合った真希ちゃんは、それを乗り越えてさらにやる気を見せていました。
全ては子供のために駄菓子屋を残すため。
――わたしは子供達が学校の帰りに寄れるお店を続けたいんだ。お店は畳まないし、コンビニになんか絶対しないよ。
彼は、真希ちゃんがそう言って――にっと笑っていたのを思い出します。
「なぁお前。……ばあちゃん、好きだったか?」
少年は助手席で、黙ってこくんと頷きます。
「なら、真希ちゃんも好きになってやってくれよ。お店を無くさないためにすごく頑張ってるんだぞ」
「でもなんか、ずっとパソコンとかスマホばっかり……」
「お店を残すためにはなんでもやる、って言ってた。だからネットでもなんかやってる。情報で赤点スレスレだったくせに」
――ピンポン。『次の交差点を 左 です。まもなく、目的地です』
村内唯一の信号をカーナビが運転する彼に告げ、自宅はまもなく。
そのたった一ヶ所の信号が赤になり、ワゴン車は誰も居ない交差点に止まります。
「どうする? 別にウチの子にならなくても良いんだし。いったんウチ、来るか?」
色々面倒くさそうだから、あとで真希ちゃんとこにはお袋に連れてってもらおう。
そう思った彼ですが。
でも。少年は彼の顔を見返すと、ハッキリ首を横に振ります。
「大丈夫、帰る」
「そうか。お前はこの“旅”で何か見つけたんだな」
わざと大袈裟に言って、すごいことを成し遂げた感を出そうとした彼でしたが。
「お兄ちゃんも早く見つけて、帰っておいでよ」
「うぅ、ちくしょう、……小学生に諭されちゃった」
「……?」
「あぁ良いんだ。お兄ちゃんは出来が悪いからな、気にしないでくれ」
「きちんと真面目に探してね」
彼の実家の一軒手前、いかにもな店構えの前にハザードランプを付けたワゴン車が止まります。
「ベルト、外せるか?」
「大丈夫。……お兄ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
ドアが閉まり、少年は。
【年末年始休12/29~1/3 1/4♡初売り♡】
と手書きで書かれた引き戸にぶつかる様にして消えました。
「――はは……、お前に家出されちゃ真希ちゃんが泣いちゃうよ、きっとね」
実家の茶の間。彼はお母さんと二人、こたつにあたりながらみかんを剥いていました。
「明日、お父さん仕事だから除雪手伝ってね。アンタは車庫の出口ね」
「雪かきにしに帰って来たのかよ。……まぁ、良いよ。――ところでさ。田中商店、儲かってんの?」
「おばあさんが亡くなってからなんかねぇ、大変そうだけど。真希ちゃんが駄菓子屋に拘ってるから、かえって大変みたいだよ」
「そのうち上向いてくるんじゃね?」
彼は剥いたみかんを口に放り込みます。
「真希ちゃんからなんか聞いてるの?」
「いいや、なんにも。でも真希ちゃん、頑張ってるからさ。ご褒美、あっても良いじゃん?」
――だって、座敷童の“家出”を未然に防いだんだぜ?
彼はそれは口に出さないで、次のみかんを剥き始めるでした。