11.魔石亭
宿というのはいろんな種類の人間が集まる場でもある。
ロビーでは客同士がちらりと観察しあい、自分と同類とわかれば安心するかまたは警戒する。
そしてきょう〝魔石亭〟を訪れた黒衣の魔術師は、そこにいただれともちがっていて、なにげなく彼に目をやった者は凍りついたように動きをとめた。
そこらの美女がはだしで逃げだすぐらいの美貌でありながら、その魔術師から感じられるのは色でも華でもなく〝威圧〟だ。
しかも彼は魔力を抑える魔力封じの護符を身につけていた。王都で働く彼のことを知らなくても、抑える必要があるほどの強大な魔力の持ち主ということがひと目でわかる。
「ようこそアルバーン様、採掘事務所から連絡を受けてお待ちしておりました」
エクグラシアの筆頭公爵家の家名がいきなりでてきて、小さな宿のロビーには声にならない衝撃が走った。
魔術師であり『アルバーン』の姓を持つ者……それは王都三師団のひとつ魔術師団で、師団長をつとめるレオポルド・アルバーンという男しかいない。
先の錬金術師団長グレン・ディアレスと、竜王に認められし〝王族の赤〟のひとりであった公爵令嬢レイメリア・アルバーンとのあいだに産まれたひとり息子だ。
炎の魔術を得意とするが氷属性も使えるし、風の属性でドラゴンを乗りこなすこともできる。
魔石鉱床で働く鉱夫たちは、魔力はなくとも魔素の気配に敏感だ。
王都の魔術師団長というだけでなく、その美貌も相まって異彩をはなつ彼のようすをチラチラと横目でうかがった。
「猫もいるのだが」
「使い魔でございますね、もちろんごいっしょでかまいません。お食事はどうされますか」
黒猫ではないことに疑問を抱いたとしても、それを口にはせず支配人はルームキーを彼に渡す。
最上階の客室はフロア全部を占めている、この宿でも上客しか泊めない部屋だ。
銀髪の魔術師はちらりと腕に抱く白猫をみおろした。白猫がゴロゴロとのどを鳴らすと、彼は軽くため息をついて支配人に告げた。
「一階の食堂で食事もだすようだな、席を予約しよう。猫のぶんは私の食事をわけるので同席させてほしい」
すこし驚いた顔で支配人はうなずいた。まさか彼が食堂で食事をするとは思わなかったのだ。
「かしこまりました。貸し切りになさいますか?」
支配人の問いかけに彼は首を横にふった。
「その必要はない……ナナが、猫がにぎやかなほうを好む」
魔石亭はルルスの街でも上等な宿ではあるが、貴族が泊まるほどの格はない。
食堂では泊り客に食事を提供するほか、歌姫ナディアの歌を目当てにくる客のために酒も提供する騒がしい場所だ。
(きょうの客がみなお上品であればいいが)
そう祈ると支配人は念のため、ナディアに下品な歌を歌わせないよう食堂へエンツを飛ばした。
その晩、魔石鉱床で働く鉱夫ロイはちょいとした小金がはいったため、魔石亭へとやってきた。
とくに娯楽のないルルスでは、ナディアの歌を聴きながら一杯ひっかけるのがロイにとって最高のぜいたくだ。
いつものように気分よく魔石亭の食堂に足を踏みいれたところで、ロイは首をかしげた。
「なんだか店がやけに片づいているな。それにあの席はなんだ?」
ロイがいつもすわるあたりの椅子がとっぱらわれて、そこに真っ白なテーブルクロスをかけて、花まで活けてあるテーブルが置かれている。
あの場所がいちばん、ナディアの歌がきれいに聴こえるのだ。
「ロイ、お前はこっちだ。そこは予約席だ」
支配人の案内にロイは眉をあげる。案内された席も気にいらないが、魔石亭で〝予約席〟なんて聞いたこともない。
「なんだぁ、ナディアの歌にそこまで惚れこんだヤツでもあらわれたか?」
「とにかくきょうは特別なお客様がおみえなんだ、いい子にしていてくれ」
まるでふだんイイ子にしてない……とでもいいたげな支配人の態度がしゃくにさわった。
ちょっとナディアに声をかけたことがあるぐらいで、ロイはそれほど迷惑な客じゃない。
魔石の買いつけにくる業者とちがうのは、ただ体をつかって働く鉱夫だってだけだ。
それでも金さえ払えば、いつもお気にいりの席に案内してもらえたのに。
「その特別な客ってのは……」
ロイはいいかけて、ロビーを歩いてくる男を目にしたとたん、自然と自分の口を閉じた。まるで空気の色が変わるようだった。
黒い服に滝のように流れる銀の髪、黄昏色の瞳は魔導ランプの明かりをうけて輝きをはなつ。
顔立ちがととのっているだけではない、波のようにひろがる魔力の波動はどんな極上の魔石よりも力強い。
胸につけた魔石のブローチには遊色がゆらめき、耳飾りも腰につけたベルトも魔石の護符でできている。
ここルルスなら小さな家ぐらい余裕で買える装備を身につけて、男は無表情に白猫を抱いている。支配人がすっとんでいった。
「アルバーン様、こちらにお席をご用意いたしました」
「ありがとう」
淡々と礼をいい席についた男が抱く白猫と、ロイの目があった。
強い黄緑の輝きに導かれるように、ロイは男に気安く話しかけた。男はどうみても自分と同じぐらいか年下にみえた。
「なぁ、あんたの魔石ちょいとみせてくれよ」
「ロイ!」
支配人がサーっと青ざめた。銀髪の男がロイに黄昏色の瞳をむけ、白猫が「ミャア」と鳴く。
「その遊色……魔石鉱床でとれる魔石とはちがうな。いくらするんだ?」
あわててロイをとめようとした支配人を手で制して、男は低くよく通る声でロイに答える。
「……値段はわからんな。これは自分で狩ったものだ」
その答えにヒュウとロイは口笛を吹く。
「あんた〝魔力持ち〟かぁ、それも死ねば魔石になるクラスだ。王都でも数えるほどしか存在しないヤツらだ」
「ロイ、失礼だぞ。このかたは王都の……」
いいかけた支配人をさえぎって、銀髪の男がロイに名乗った。
「私は王都で魔術師団長をしているレオポルド・アルバーンだ。きみはルルスで働く人間か?」
ふつうは貴族がわざわざ自分から名乗ったりはしない。そこをあえて名乗ったからには、相手はかならずそれに対して返事をしなければならない。
ロイは肝が冷える思いをしながら、それでも精一杯虚勢を張った。
「おうよ、ルルスの魔石鉱床で働いてるロイ・ロジャーってもんだ」
「ロイ・ロジャー……鉱夫か。支配人、彼にも席を用意してくれ」
信じられない……といった顔で支配人が用意した席に、ロイはどっかりと座るとレオポルドに礼をいった。
「ありがとな、ここは俺のお気にいりの席なんだ。ナディアの歌がいちばん響く」
「ナディア?」
けげんそうな顔をしたレオポルドに、ロイのほうが首をひねった。
「なんだぁ、歌姫ナディアを知らないのか?てっきりライバル出現かと思ったのによ。よっ、ネコちゃん美人だな」
ロイとしてはお愛想のつもりだったが、レオポルドの眉間にぐっとシワがより冷気がただよった。
「ナナは私の使い魔だ。きみの話を聞きたいといっている」
「使い魔が俺の話を聞きたいって?」
ロイは目をまたたいた。白猫は濃い黄緑色をした目が美しいが、どうみてもふつうの猫だ。
それに目の前にいる青年はまだ若く、そんなヤツがおとぎ話にでてくる使い魔の主だとはピンとこない。
「ミャア」
レオポルドの腕からするりと抜けだした白猫が、ロイの膝に飛び乗る。
「ははっ。お前、ずいぶん人懐っこいな」
ロイがあごの下に指をいれてくすぐってやると、白猫がゴロゴロとのどを鳴らして気持ちよさそうに目を細めた。
レオポルドは無表情だったが、あからさまに食堂の気温がぐんとさがった。
ロイの名前は『ロイ・ロジャース』から。