序の肆
工房より少し離れた位置にあるテラス。そこに、ヴィートスとミンネは二人だけで佇んでいた。ヴィートスからミンネに直接礼が言いたいとの希望により叶った謁見である。普通では特に役職も持たぬ一人の民が、女王と二人きりでの謁見などありえない話しではあるが、ミンネの人柄と、工房から見える範囲での謁見との約束により許可された。無論アルドが付き添うと言ったのだが、ミンネからの「民の声を直接聞きたい」との申出により、先程の一件もあり引き下がるを得なかった。
「ミンネ様、先程はありがとうございました。」
ヴィートスはいつもの感情のない声で礼を告げる。
「いえ、別に構いませんよ。私はただ感じた事を申しただけですから。アルドは少し頭で考え過ぎるのです。それはとても良い事なのですが、本質を見失ってしまいがちなのも事実です。」
可愛らしく膨れっ面で、そして、少しだけ悲しげにミンネは言う。
「アルド様の言う事も、少しは分かります。確かに剣という物は、武器であり、使う者の手によっては、人を殺める凶器にもなりうる。」
「……あなたはホントに純粋なのですね。」
「……どういう意味でしょうか?」
優しい目でヴィートスを見つめながらミンネは語りかける。言葉の意味が分からず思わずヴィートスは問い返す。
「相手への一方的な辞みの言葉ではなく、相手の主張も受け止めた上で自身の主張も貫く。畏敬の念に堪えません。」
「もったいないお言葉です。私には。」
「あなたのような方こそ、今のこの国に必要な存在なのかもしれませんね。――私、今日であなたの事がますます好きになりました。」
「え……?あ、ありがとうございます。恐縮です。」
ミンネの突然の告白にヴィートスは珍しくうろたえる素振りを見せる。その様子がヴィートスとしては何とも可笑しく、ミンネはクスクスと笑い出す。
「な、何か可笑しな事をしましたでしょうか?私は……」
「……フフ、ごめんなさい。そのように動揺するヴィートスは初めて見たものですから、つい可笑しくって。」
「は、はぁ。」
ひとしきり漏れ出た笑いを抑えた所で、ミンネはまた優しい眼差しをヴィートスに向ける。
「少し気になったのですが、ミンネ様は私の事を覚えておいでなので?」
「どういう意味?」
「いえ、ミンネ様とは一度もこうやって直接お話しした記憶が私にはなかったものですから……先程の口ぶりから、ミンネ様は普段の自分を知っているような感じでしたので。」
「あなたとは一度お会いした事がありますよ?」
そう、確かにヴィートスとミンネは過去に一度会ったことがある。しかしそれは今から数年前、王国の開国100周年を祝う記念祭が行われた折に直接会ったというだけの事である。無論、記念祭には王国の民数千名が参加しており、ミンネが民達の元へ挨拶回りに伺いその時に間近で謁見する機会はあった。とはいえ、その時間はほんの一瞬で、ましてやヴィートスとは直接話した訳でもなかった。
「……あの時の事を、覚えておいで、なのですか?」
「あなたの隣には……確か、パン屋のアクバールさんがいましたよね?」
「え、えぇ。あの祭典には数千もの民が参加していたかと思われましたが……もしや祭典に参加した人間全ての事を覚えておいでなので……?」
「はい、もちろん。この国の全ての民の皆さんの事を存じておりますし、あの日の事もよく覚えています。」
「………」
ヴィートスは言葉にならなかった。いくら一国の女王とはいえ、民の一人に至るまでそれら全てを把握しているなど、はっきり言えば覚える必要のない事だ。