鴎の国
小壜を握り締めて鴎の国へ向かうヤマドリを、故郷の戦士が発見しました。
「ヤマドリ―――!!今すぐにその薬を破棄して戻れ―――――!!」
魔法薬は、光に触れると、その効力を失ってしまうのです。
なので、明るいこの場所で壜を割ってしまえばもう一巻の終わりです。
ヤマドリは小壜を懐に抱えたまま、武器を持った兵士を素手で返り討ちにしました。
気を失った兵士達が、地上へと落下していきます。
「…悪いな。けれどこれは俺が決めた事なんだ、今更引き下がる気は無い」
ヤマドリは、二度と振り返りませんでした。
***
―――あった。
あの宮殿の、階段です。
姫様は、この宮殿に居らっしゃるのだ。
周りに誰もいないのを確認して、静かに上がります。
門の前に立ち、最後の覚悟を決めます。
(父さん、母さん、兄さん、姉さん、俺を愛してくれた女達―――郷の皆さんへ。
俺は今日この瞬間に郷との縁を絶ちます。こんな奴がセイレーン何かに生まれてきて本当に申し訳御座いません。今まで出会ってきた全ての者達に、感謝をこめて)
小壜の蓋を開けて、一息に飲み干します。
瞬間、想像を遥かに超える口腔内への暴力が彼を襲い、其のまま気が遠くなりました。
「『お前が姫を助けた事を言ってしまった』『姫が地上人の男を選び、お前を宮殿から追い出す事にした』
このどちらかが起こってしまったら、その時点でお前の心臓は張り裂けて肉体も魂も散ってしまう
―――その忠告のみを、彼の脳裏に残して。
***
「―――目覚めたか」
ヤマドリが眼を醒ましたのは、宮殿の一室にあるベッドでした。
「『門前で、若い男が倒れている』という通報を受けたのでな。お前、名は何と言うのだ?」
男の様な口調でしたが、声は若い女性の其れでした。
「俺は…」
ヤマドリは、ファーストネームだけ名乗りました。
姫様も、名を名乗ると
「この国の…王位継承権第一位の…人間とでも名乗るか」
「姫様!?…この国の!?」
ヤマドリは思わず撥ね起きて、声の方へ向き直りました。
夢にまで見た、彼の愛する女性が眼の前に存在していました。
但し…あの嵐の夜のドレスでは無く、もっと動きやすい服装をされていたのですけれど。
「まあ、そうなのだがな。王位継承者と言う事で父王の方針で普段はこのような姿であるから、他の国の王女とは服装の話が合わぬのだよ」
姫様がそう言って恥じらうのを、むしろ王子は好ましく感じました。
「所で…お前の素姓は?」
王子は答えに詰まりました。
まさか白い翼の国の一件以来敵対関係にあるヤマドリ族とは名乗れません。
「解らないんですよ…自分のファーストネームと年齢しか憶えてなくて」
「幾つだ?」
「17です」
「17か…私より5つ下って事か」
「!?」
自分より年上とは予想していましたが、せいぜい一つ二つぐらいだろうと思っていました。
***
それから、姫様との問答の中で軍事的才能を見い出された彼は、海軍の将軍をいきなり任されました。
素性不明の男に指図されると聞いた兵士達は最初不信感を抱きましたが、
直後の戦でその武勇と指揮能力を発揮したので直ぐに兵士達は彼を見習うようになりました。
***
ある時、この国の士官学校の教官が彼を呼びました。
「士官候補生のセイレーンが暴れているんだ!!同じセイレーンの君なら何とか出来るかもしれない!!」
暴れていたのは、ヤマドリではなくて、違うセイレーンの郷からやって来た、雷鳥族の少年でした。
雷鳥は、自分と同じセイレーンを見て口を開きました。
「俺は、本当はここから遠く離れたアルプスの中の雷鳥の郷から白い翼の国の士官学校にやって来たんだ。
だけど、白い翼の国は滅ぼされて、俺も捕らえられてしまった。
ここの候補生共は、白い翼の国の事を馬鹿にしてばっかりだ。それでついかっときて…」
ヤマドリは、諭すように話しました。
「俺も、頭に血が上ると暴れまくるタイプだから人のことは言えん。
だがな、お前が暴れると白い翼の国の評判は下がる一方だ。
鴎の国で、白い翼の国の誇りを忘れずに生きる道もあると思うんだがな」
雷鳥は、納得したような顔をして、後始末を始めました。
その後、士官学校で雷鳥が暴れることは有りませんでした。
***
二年後の春、ある新米士官が彼の元へ挨拶に来ました。
「この国で生まれ育ったものです。貴方には、色々教えていただきたい事がある」
その新米士官は、顔や体格はそれほどでもありませんでしたが
弓の腕はヤマドリより上で、作戦の立案や指揮能力は光るものがありました。
ヤマドリは自分にはない才能を持つ彼もまた弟の様に接し、親交を深めていきました。
雷鳥も、18歳になって、立派な鴎の国の士官としてデビューしました。
高山で育った彼はどんな戦でも疲れを見せることはありませんでした。