遥かなる海
この連邦に最後に残された山深い秘境には、今でもセイレーンと呼ばれる翼持つ者達の郷があります。
都に一番近いセイレーンの郷は、ヤマドリの翼を持つセイレーン達の住まう場所です。
ヤマドリ族の男たちは、皆美しくそして勇壮であられました。
その為、一際強いセイレーンは18歳の誕生日を迎えると
連邦中のあちこちの国に一軍の将として仕えるために巣立つのです。
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その年の早春は、その郷で『史上二番目に強いセイレーン』が、諸国を廻る旅立ちの日でした。
野性的な美貌を持つ彼は、気性が少しどころでなく荒い男でありましたが、
それ故に闘志に満ち、また武勇に優れていたので、人間たちの国の間でも名声は既に轟いていました。
彼を、便宜上『ヤマドリ』と呼びましょう。
人一倍好奇心の強い彼は、人間たちの世界に旅立てる今日この日を心待ちにしていたのです。
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「お前はどこの国でも英雄になれるだけの武勇がある。決断を焦るでないぞ」
郷の長老は彼に忠告していました。
「但し、都に近い海沿いの、『鴎の国』だけには近寄るでないぞ。奴らは、我らの仇敵。
もしかしたらお前より強いかもしれない男の選んだ『白い翼の国』を、残虐に滅ぼしたのだからなぁ」
最初はその忠告に従って内陸を飛んでいたヤマドリも、
やがては『海』という湖よりも遥かに大きな塩水の塊を見てみたいという好奇心には勝てずに
浜辺の方へ引き寄せられるように飛んでいきました。
ヤマドリの遊泳の直ぐ側を大きな船が通り過ぎていきます。
窓を覗き込むと、あらゆる地上の都市国家の姫様達が一堂に会していました。
その中で、一際ヤマドリの興味を引き付けた姫様がいました。
海より碧い髪と海より澄んだ碧い瞳を持つ、『鴎の国』の姫様でした。
と、その時です。
あんなに蒼かった空は一転して真夜中の様に黒くなり、強い風が吹いて、雨が降りつけました。
船を壊され、海に投げ出された地上人ほど脆い物は御座いません。
丁度目の前に泳ぎ疲れて意識を手放してしまった例の姫様が流れて来たので
ヤマドリは彼女を抱え込んで必死に陸まで泳ぎました。
砂浜の、波打ち際ギリギリで姫様を横たえ、未だ目覚めぬその頬に接吻をしました。
と、その時です。
「姫様!」
陸の方から少年の声がしたので、ヤマドリは慌てて沖の方へ逃げて行きました。
少年はこの国の騎士見習いでした。姫様の水を吐かせると、
「誰か、医者を呼んで下さい!」
幸い、姫様は一名を取り留めました。