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さまようウイズ

 婚約騒動のオーラスは全母連・北代表様の弊社突撃訪問であった。スタッフ要請とチューニビョン散布報告へのクレームであった。

「以前から再三申しあげておりますが、私共が非営利団体である事実を今一度お考え頂きたく存じます。現場のボランティアスタッフは体の良い駒では御座いません。当日申請報告はくれぐれもお控えくださいませ」

「誠に、申し訳ございませんでした」

 ケンジさんと共に平身低頭のワタクシ。現場スタッフ様達は「なんもなんも」とご快諾くださっていたのだが。

「この度は御尽力賜り、誠に感謝しております。改めまして、東支部の皆様にも御礼申し上げたく存じます」

「いえ……私もこんな話はしたくないんですが。最近はやりがい搾取も酷くて、スタッフは裏で疲労しておりますの。特にスガワラさんには困ってしまう」

 思いがけぬ愚痴までいただく。先日の留学ゴシップの件であろうか。

「そういえばお宅様も大層な実力者様を派遣で投入なさっておいでとか」

 お鉢は弊社にも回る。実力者と言えばリンキーか。

「すっかり評判ですよ。あの方はスガワラさんにもお強いですし、宜しいですわねえ」

「「スガワラさんにお強い?」」

 ケンジさんとワタクシの声が揃い、代表様は黙った。

「それは困りました。ウチのモノが何か」

「あらお口が過ぎました。けれどプライベートらしいですから宜しいのでは。では私はこれで」

 一番欲しい情報は聞けず仕舞いである。

 お見送り後、ワタクシ達はしばし沈黙した。

「スガワラに強い?」「プライベートだから宜しい?」

 背筋が冷えるのは何の予感か。ワタクシ達は顔を見合わせ、どちらからともなく「今のは聞かなかったコトに」と頷き合った。その足でケンジさんは東支部にお詫び行脚に、ワタクシも粛々現場に戻った。


 気付けばリンキーは正社員時代と一切変わらぬデカイ態度である。

「江口の天然が爆裂中です。ブレーキは最大限で願います。ガッツリ止めといてくださいよ」

「おう。河合達の継続も最大でな」

 返ってリンキーにゲキを飛ばされ、どちらが上司か判らない。御指示の河合達にしても、当初のフェードアウトの危惧は何処へやら、現在は非常にスイートな気配なのだ。

「どうしよう、まだ心臓がバクバクするよ」

 夜の長電話。二人で大澤ネタに息も絶え絶え。

「でもどこまで本当なんだろ。現実的じゃないよ。オレ達騙されてんじゃね」

「河合君、大人みたい」

 岩野田は華やかな笑い声が止まらない。だが別室で仕事中の父親を考慮し、ベッドに潜り込んでコソコソ話す。くぐもる声は普段より甘く、十二分に河合を刺激する。

「はー布団の中って息苦しい」

「さっきからゴソゴソ音がするんだけど。一体何してんのさ」

「話し声が大きくなるといけないから、お布団に籠ったの」

「岩野田さんちのマンションって家の中も音が響くの?」

「家の中は響かないよ」

「じゃなんで」「色々あるの」「ナニがさ」

 勢い河合の声もくだけて甘くなる。自分達の発声の変化にそれぞれが同時に気付く。へえ。声にはこんな表情があるんだ。こんな表現もするんだ。端末を通す相乗効果。ワタクシのブレーキも効きが悪く、ずるり、ずるりと前に出る。


 不安を揺らす波もある。だが律して隠す。氷川中エースの矜持である。

 河合達が氷川商とカチ合うのは市民体育館での練習時、最近は週に一度ある。緑のネット越しに岩野田の姿を垣間見られるのは嬉しいけれど、ジャージ下のティシャツが白く光って、その側に江口が居ようものなら、気持ちの行方は真逆に変わる。黒い何かも沸き起こる。

(エロ先輩ってなんであんなに岩野田さんに絡むんだ?)(自分の事は自分でしろよ)(岩野田さんもほっとけよ)

 だけど決して崩さない。益々競技に集中する。誰も近寄らせない膜を張る。

(くそ、見くびんなよ)

 何を。氷川中を。それとも自分を?

 岩野田は練習中に決して目も合わせない河合に対し、その鬼気迫る集中力をむしろ見習いたいと思っている。自分も凛としたい。キチンと前を向きたい。夜の電話は相変わらず続いていて、だけど声だけのやりとりだけ。だけど……いつも優しくて。

(河合君カッコいいな)

(私も河合君みたいになりたいな)

 だが河合の本音は見えない。見えぬまま今日も江口のお守りをする。



 **


 岩野田のミドルネームがオカンで定着した放課後、お空はすっかり蝦夷梅雨と化した。

「岩野田さん、江口がお行儀悪いよ」

「岩野田さん、江口の課題提出がまだだよ」

「岩野田さん、江口がまた上級生に迫られてたよ」

 上記のうちマネ業務外はどれでしょう。

「全て業務外です」

 大家達が岩野田のストレスを察したのも当然の成り行きと言えよう。お守りを押し付けた罪悪感にも苛まれ、先輩マネ・吉野への直訴に至った。

「なんとか出来ないでしょうか。江口も周りも岩野田を酷使しすぎです」

「そうなんだけど、彼のコトは昔から知ってるけど」

 歯切れの悪い吉野は江口と同じ町内住まい、同じ小中学出身であるという。曰く、彼は四人姉弟の三番目。内訳は上に綺麗な姉二人、二歳下の弟なのだが、

「その弟がサッカーで超有望なんだ。小さい頃から御両親が付きっ切りで、お姉さん達が江口の親代わりだったの。でも今はお姉さん達も会社や大学で忙しいから、それで余計に岩野田に甘えていると思う」

 岩野田達をトーンダウンさせてしまうのであった。

「だ、だけど、」

 お、いつも穏やかな茨木が発言しますよ。

「江口は一年のエースです。お馬鹿過ぎる方が逆に可哀想では」

 おお正論ですよ。

「そうだよね。自立してほしいよね。とにかく岩野田の負担は減らさないと」

 吉野も心から同意し、皆で一致団結したのであった。


 しかし江口は岩野田に纏わりついて離れない。

「岩野田さーん」「岩野田さーん」

 岩野田の心境は飼育実習であろうか。見かけた大澤ですら「岩野田さん大変だな」とこぼす有様なのである。

 当然だが河合は面白くない。その表情をいち早く見抜くのも当の大澤なのがやるせない。

「マサキ、顔に出てんぞ」 慌てて眉間の皺を消す河合。

「気持ちはわかるけどな」 憮然とする河合。

「よう、お二人さん。今週も調子良さそうだな!」

 空気を一切読まずにネット越しに話しかける江口。露骨に苦虫を噛み潰す顔をする大澤と、どう返答すべきか固まる河合。

 だがその時、何かが動いた。

「江口、ヨソサマの邪魔をしないの」

 岩野田の叱責が飛んだのだ。クールな低音ボイスである。

「レンタルコートだから時間がないよ。早くウオームアップ始めて」

 更にトーンを変えぬままクルリと向きを変え、

「練習の邪魔してゴメンなさい」

 ネット越しに河合と大澤に謝ると、ゴネる江口をサッサと所定の位置まで連れ戻したのであった。

 男児の世話をすると声がいちオクターブ低くなる傾向があるが、岩野田も既に育児発声が板についている。『岩野田・オカン・みかこ』の通り名が浸透した瞬間でもある。大澤は吹き出し、河合の肩も盛大に揺れるのを、岩野田は背中で感じた。そして心の中で大いに泣いた。

(だって私は氷川中卒業生なんだもの。今は氷川商マネなんだもの)

 パブリックな立場をお勉強中であった。


 成長ぶりに感涙するワタクシの目に飛び込んだのは、岩野田の後ろに憑いたエプロン姿の妖精さんである。あのユニフォームは全母連スタッフ様だ。一体なぜ。ワタクシは急ぎご挨拶に伺う。

「あの、お取り込み中失礼致します」

「あ、はじめまして。私、全母連・岩野田家担当のモノです。今週から本格的に娘さんも見守る事になりまして」

 岩野田のオカン度が上がった原因はこれだったのか。お互いに頭を下げつつ御挨拶である。

「母親の病状が落ち着きましたので、今後は岩野田家の充実を図る手筈となっております」

 それは大変結構な事である。あらためて御礼をお伝えし、協力を申し出るワタクシであった。


 その夜の河合と岩野田のスイートトークには胸騒ぎを帯びていた。

「あの江口先輩をいなせるなんて」

「全然褒め言葉じゃないよ」

「低い声、迫力あった」

「しつけは低音がいいって教わったの」「しつけ?」

 河合の笑い声を複雑な思いで聞く岩野田である。

「でもめっちゃマネージャーっぽかった」

「褒め言葉として聞いておくね」「褒めてるよ」

 ありがとうと言いそびれ、岩野田は笑って誤魔化した。

 河合は楽しい会話に徹する。心の奥底に潜む不満は胸に秘める。岩野田に落ち度がないのは重々承知だ。表に出しても剣呑なだけだ。不本意な真似はしたくない。

 いつだったか、江口から聞いた与太話も気になっている。折を見て彼女の口から聞いてみたい、氷川商のローカルルール。


 細やかな努力や思いやりの積み重ねで繋げる日々、そのペースを崩すのは容易である。

 早苗叔母が河合の部屋の扉をノックする。

「マサキ、お風呂がまだでしょう。早く入ってね」

 慌てて端末を押さえて「はい」と返事をしたのに、その日の早苗叔母は怖かった。

「リュウジ君もだけど、マサキも最近長電話が過ぎますよ」

 端末の向こう側の相手にギリギリ届くであろうトーンで、鋭く短く言い放つ。聞かされた岩野田の胆は心底冷える。



 **


 端末を通じた二人の間、それから自室の河合と早苗叔母との間。共に沈黙が生じたのは言うまでもない。

「ゴメン、今日はもう切るよ。おやすみ」

 河合の声はいつになく鋭く響いた。

「うん、あの、ごめんね」「いやこっちこそ。じゃね」

 小さい応答だけでプツリと切れた。

 岩野田は身体の芯が冷える。胸だけが早鐘を打つ。仕方ない。ずっと真面目に生活してきた大人しいムスメだ。他人に叱られた事など殆ど無い。

 通話を終えた河合の部屋の空気はもっと強く強張っていた。目の前には早苗叔母がいる。お互いにひと呼吸が必要であった。

「だらしない生活をしている点は反省します。でも叱るのは僕だけにしてほしい。友達は関係ないよ」

 河合が早苗叔母に楯突く事など、今までになかった。だけど今のは納得がいかない。叔母さんは確信犯だった。マナー違反じゃないのか。

「そうね。つい『うっかり』わきまえなかったわ。ごめんなさいね」

 早苗叔母も表面だけで冷たく謝罪を述べる。

「伯母さんもそれぞれの親御さん達から大事な息子さん達を預かっていて、責任が有るから」

 立場で河合を黙らせる。

「それに叔母さんはもう子育ても終わった只の地域の大人なの。貴方達の大事な友達のお行儀も悪かったらその子も一緒に叱りますよ」

「今の俺ら、行儀悪かった?」

「この場合は最近の貴方達の生活態度を指しています」

 有無を言わさなかった。

「貴方達は目指すものがあってここに来ているんでしょう。その長電話は必要なモノなの?」

 今の河合のココロの支えだけれど。

「休憩も大事だけど、何より身体を休めて、規則正しい生活をして頂戴。でないと貴方達のお母さんに顔向けできないわ」

 一切の容赦はなかった。

「伯母さんはね、貴方達を守る為なら誰かに嫌われる事なんてちっとも怖くないのよ」

 一切の口答えを許さなかった。

 大澤は隣室でガクブル凍結中であった。何故なら大澤の方が常に長電話をしているから。

「アレはオレに聞かせる台詞だな。とばっちりで悪かった」

「容赦なくとことんねじ伏せられた」

「マサキは身内だから余計に心配なんだ。叔母さん、オマエが息子みたいに可愛いんだべさ」

 有難い話である。懐にいる内は安全であろう。巣立ちは厄介やもしれぬ。


 夜半、気付くと岩野田から短いメッセージが届いていた。

『ごめんね。河合君、忙しいのについ甘えて、長電話ばかりしてたね』

 河合は慌てて電話を掛ける。今度は布団に潜って小さな声で。

「こっちこそ、さっきはゴメン」

「あの、こんな時間に電話、大丈夫なの?」

「うん少しなら。えっと」「うん?」

 でも何を言えばいいのかわからなくなった。聞きたい事もあったのに。

「いや……やっぱいいや。さっきはゴメンな。おやすみ」

 声が聴きたかっただけかもしれない。

 岩野田も河合の様子が判り、僅かに気持ちがほころんだ。ワタクシは胸をなでおろす。


「江口の弟、凄いんだね」

 翌日の朝である。大家が持参した朝刊地方版は岩野田達を大いに驚かした。写真入りの大きな紹介記事である。

「このジュニア選手記事。江口ハヤトってコがそうらしいんだけど」

「スゴい。ナショナルトレセンに入ってるよ!」

 噂通りの有望株である。身近で例えると大澤レベルが兄弟にいるという状況だ。

「吉野先輩の言う通りだったね」

「同性の兄弟だとプレッシャーも有るだろうね」

 江口の大変さにシンミリするのであった。

「でもだからといって、私達が江口を甘やかしたらもっと良くないと思うの」

 同時にマネ業務のスタンスを確認し合うのであった。

 ただ、甘やかすのと優しさは別物であるが、往々にして混合しがちでもある。その後のマネ達が江口に緩くなるのも女子のサガであろうか。

「岩野田さーん絆創膏ちょうだいー」「はい」

「岩野田さーんドリンク補充しよー」「はいはい」

「岩野田さーんタオル忘れたー」「はいはいはい」

 後ろの全母連の追い風もあり、岩野田も無駄に育児モードに入ってしまっている。仏心かもしれないが。


 帰社後のワタクシを待つ案件がソレなのは本日のサダメであろうか。

「最近スガワラの仕事が雑だった訳がわかったよ」

 マンガン社からのタレコミである。例の古狸は長年蹴球ジュニア枠にも並行して関わっているらしく、特に今年度はかなりご執心だとか。

「江口弟が今期イチ押しなんですって。メジャー競技は見栄えがいいですものねえ」

「それでコチラの作業が雑になったんだね。留学ゴシップといい、やけに愛が無いと思った」

 真田さんとケンジさんは呆れ、ワタクシは早々にブチ切れる。

「だったらさっさと担当を降りて下さって構わないのに」

「実際の仕事は部下で手柄は自分って腹なのよ。名前だけ連ねて、責任は部下に取らせてるわ」

「流石、出世する方は違うねえ」

 どう愚痴ってもムカつくのであった。

「それでカワイさん。実はもっと嫌がるかもしれないんだけど」

 ケンジさんが申し訳なさそうに口火を切った。

「さっき、そのスガワラから初恋申請が来たんだ。例の江口弟関連。先方はカワイさんを御指名なんだけど、ただその内容が」

 どうにも承服しかねる話であった。



 **


 長いモノにグルグル巻きの立場ではあるが、精一杯の抵抗をするのみである。怒る暇があるのなら、出来る限りの準備をする所存である。

「リンキーさんちょっといいですか」

「ぎゃああ拉致られるう少女誘拐い」

「しませんよ阿呆ですか」

 オバちゃんコドモ、じゃなかった、妖怪妖精をさっさと捕まえ会議室に放り込み、厳重に施錠する。

「鍵、を、か、け、る、な、よ」

「大丈夫です。ただのおやつタイムです。お楽になさってくださいまし」

 コンビニレジ横で売られる栗饅頭と社内自販機の紙コップ緑茶をお出しする。

「愛が感じられない」

「ちゃんと丸盆で懐紙も敷いてあるじゃないですか。ワタクシの奢りですからご遠慮なく。さて」

 正面にどっかり座る。

「閻魔帳閲覧も制限のかかる昨今です。今回はリンキーさんに直接お伺いするのが道理かと思いまして」

「何だ改まって」「とにかく一服どうぞ」

 誰に対しても容赦しない心意気であった。


 古狸の代理妖精の押しの強さは古狸にクリソツであった。

「カワイさんには感服致します。お互い初恋同士、しかも中学生と高校生という世代ハンデの中で三ヶ月も交際持続とは」

 脳内でアラームが鳴り響くワタクシであった。

「恐れ入ります。進行過程は大変良好です。今後も継続が最も有効と確信しております」

 呑まれぬ様に踏ん張るのであった。

「是非継続でお願いしたく存じます」

 同席の真田さんも援護射撃であった。

「思春期の揺らぎは大変繊細です。氷川中のエース格の内面充実という点をいま一度考慮していただけませんか」

「しかし今のままでも氷川中なら十分全国制覇出来ますよ」

 間髪入れず一刀両断であった。

「十代体育事情も日々刻々と変化する中、弊社では現時点での蹴球の必要性を重視、再考に至った次第です。趣旨替えと批判されるのも承知でお願いに上がりました。勿論、氷川中プロジェクトをおざなりにしている訳では決してありません」

「事情は変化すると仰るのであれば、氷川中だって盤石ではないのでは」

「私共はカワイさんの先日からの河合に対する『ブレーキング』技術にいたく感動しておりました。本日出向きましたのは」

 議論が噛み合ってない上に、褒め言葉は上滑る。

「カワイさんには是非とも蹴球枠にもご参加頂きたく」

 コチラの意向に考慮ナシ。

「河合と岩野田は今月末で終了をお願い致したいのです」


 今月末で終了。先にケンジさんから聞いていたとはいえ、直接聞くのは衝撃のある要請である。

「と言いますと、六月いっぱい、でしょうか」

「そうです」「何故」

「河合に全国大会に向けて集中してもらう為です」

 それが本音であろう。

「岩野田は今時珍しい心直ぐなるお嬢さんですね。この後は是非とも江口ハヤトとの可愛い恋を育まれてはいかがでしょう。江口弟は兄に似て大層見目麗しいのに性格は真逆、大変オクテです。パートナーには充分顧慮したいと願っておりました。私共は河合との関わりを通し、岩野田なら間違いないと確信し、御社に御提案させて頂いた次第です。河合も戦績良く、江口弟と岩野田も可愛い恋愛関係を通じ充実した日々を満喫。三方が益々素晴らしい青春になると思われます」

 会合は静まり返る。スガワラは言い放つだけ言い放つと、目線をゆっくりと下にする。

「しかし」

 真田さんの声が響く。

「氷川中プロジェクトの中心である大澤への影響はどうお考えでしょう。現在は河合達が大澤に大きな学びをもたらしておりますが」

「改めまして、趣旨替えと批判されるのを承知で、お願いしたく存じます」

 真田さんのオーラがピキッと凍った。

「あ、あの」

 末席のワタクシも発言する。以前から舐められっぱなしだが踏ん張れワタクシ。

「弊社の元社員が、今春から派遣業務で再雇用になっておりまして」

 行け行けワタクシ。

「勤続年数の長い社員でしたので、巷では悋気の長の名で通っておりました」

 お、スガワラ社員の顔つきが変わった、リンキーの影響パネエ。

「彼女は現在、営業三課で江口兄の片恋案件を担当しております。相手方が当の岩野田です。二人は将来夫婦になる因縁との事で、慎重に行きたい旨申しております。今回ご提案いただいた進行を彼女にも打診しました所、その流れは『江口家』にとっては芳しくないのではと、」

 息継ぎするワタクシ。

「憂いておりました。家系列の確認をお願いしたく存じます。尚、スガワラの皆々様にくれぐれも宜しくとも申しておりました」

「何を宜しくと?」

「詳細は聞いておりませんが、彼女も同席させた方が宜しいでしょうか」

「あ、いや、もう時間も押しておりますので。では一旦社に持ち帰りまして、また連絡致します。カワイさんには今一度ご検討頂けたらと思います」

 グッタリするワタクシに「時間稼ぎは成功したわ」と労ってくださる真田さんであった。



 **


 江口弟が岩野田達の前に登場したのはその日の帰宅途中である。

 スガワラの魂胆であろう、白々しく氷川商近隣で兄弟待ち合わせであった。これから親戚の家に行く為だという。見目麗しい兄弟に、見かけた生徒達は色めき立つ。

 マネ達も感慨深く見守った。

(江口弟だ)(江口より真面目だ)(江口より落ち着いてる)

 江口弟はマネ達を見かけると、暫しジッと見つめ「こんにちは。いつも兄がお世話になってます」と丁寧に挨拶をした。

(立派な弟だなあ)(江口より出来そう)(江口、兄として大変かも)

 マネ達は別の視点にも気付く。評判の彼と並ぶ江口はいつもと変わりなく見える。反面、今までの彼等の道程も浮かぶ。

(兄弟仲良しで良かった。よくわかんないけど、二人共よくやってるんだね)

 岩野田も不思議な気分になる。吉野から江口家の話を聞いたからかも。

「岩野田さん。借りたタオル、ちゃんと洗って返すから!」

「そんな事言って、洗うのは姉ちゃんだろ」

 屈託のない兄弟のやり取りを皆で笑って囲む夕方。寒暖差はあるけれど、あっという間に伸びた日の入り。

 岩野田はふと、河合の事も思う。頑張っている姿しか知らないけど、河合君も大澤君の側で色々思う事があるのかもしれない。浅はかに騒いでいた中学時代の時分は、ひどく無遠慮だったんだな。

 あの夜から長電話は難しく、意思疎通は端末の短文応酬に戻っている。でもお互い物足りない。直接話がしたいと願う。本当はもっと会えたい。ひとたび願いが叶うと、欲は広がるものである。

(河合君、今何してるかな)


「江口兄弟の登場シーンが雑だ」

 リンキーは呆れている。

「この体育会系学生の忙しい時期に親戚に出向く用事だと。進行もわざとらしい」

「そうなんです。古狸の初恋関連、万事こんな感じなんです」

「弊社、舐められてんな」

「そうなんです。専門のワタクシ達に全部任せてほしいです」

「蛇の道はヘビなのにな」

「せめて餅は餅屋って言ってください」「ヘビといえば」

 リンキーはパーカーのポケットから式神を出した。式神は彼女に握られウネウネと抵抗中である。

「社長宛てのコイツ、さっき拉致ったんだけどさあ」

「拉致らないでください!」

「あー大丈夫大丈夫、こいつアタシの言うコト聞くから。な?」

 式神は無理やりウンと言わされる。なんて可哀相。

「上からの思し召しだ。何年後かに日本でサッカーワールドカップしたいんだってさ」

「ワールドカップですか!」

「そう、それで裏の強化を始めるんだと」

 だからジュニア選手の後押しを始める寸法か。

「つまり通常業務は益々雑になると」

「正解。下々の妖精さん、皺寄せガンバってね」

 ドライな物言いであった。

「デカい行事が来るとウチ等も忙しいんだよなあ」

 リンキークラスの因縁妖精さん達は国際間の各浄化に勤しまねばならぬのだ。

「姐さん稼ぎ時ですね」

「果たしてちゃんと稼げるのかね。それにしても今回の栗饅頭は高かった。追加の袖の下よこせください」

 お名前拝借の謝礼にパシらされるワタクシである。コンビニの片隅で肉まんを頬張るふた妖精に、神秘の気配は一切無い。

「そんな訳だから時間稼ぎも付け焼刃だ。河合達も保障は無いぞ」

 ワタクシは小さく頷き、無言でカップコーヒーを飲む。

「それと、河合の件は気に入らないかもしれないけど」

 リンキーは袋の揚げたてチキンにも手を伸ばす。

「江口弟のオファーが来たって事は、カワイさんの業務は評価されてんじゃん」

「古狸経由の言葉なんてマトモに聞けないですよ。どんな罠があるか」

「ま、そうだけどな」

 モグモグしながら各々の業務に戻るのであった。


 最近のワタクシは会えない時間でアイを育てる作戦に変更中である。

(河合君、何してるかな)(岩野田さん、今何してるかな)

 お互い大いに悶絶すれば宜しい。河合に至ってはエンジン全開な中二の真っ盛り。

(この悩む時間が無駄なんだよ)さっさと実働すれば宜しい。

「あらマサキ、どこ行くの?」

「ルーズリーフ無くなったから買ってきます。伯母さん何か買い物ありますか?」

「じゃあ牛乳を三本、お願いしようかしら」

 サクサクお出掛けすれば宜しい。携帯電文、速攻送信。

『これから買い物に行くけど、今ってまだ下校途中?』

 岩野田にもトットと受信させて、コンビニ前でハチ会えば宜しい。

「おばんです」「白々しいね」逢瀬が成立すれば宜しい。

「送るよ」「うん」お手手を繋いで帰ると尚ヨシ。指先のみの初々しさよ。

「今日ね、江口の弟を見かけたよ」

「あのサッカーで有名なコ? どんな感じのコだった?」

「江口に似てたけど、真面目そうだったよ」

 江口は立派な弟がいて大変かもしれないって思ったよ。河合君もそんな気分の時がある?

 岩野田は聞いてみたくなった。けれど彼は「考えた事もない」と、きっと笑ってかわすだろう。河合は、オトコノコはいつでもそうだ。自分の弱い所なんか、絶対に見せたくない。


 ワールドカップの噂は既に広まり、我等の愚痴も止まらなくなっている。

「勘弁してほしいよ。バスケはまた片手間扱いだ。やっと陽の目を見られそうだったのに」

「私達が憤ってるんじゃないわ。マンガン社こそ長年尽力してたのよ。どうしてくれんのよ」

 ヤラレっぱなしは悔しいので、踏み止まる手筈も進めたくなっている。

「河合達も現時点では非常に良好だよね」

「はい、終わらせるのは惜しいです」

 真田さんも大きく頷く。

「以前は河合と岩野田とのエネルギー差が見えたけど、今は大丈夫ね。岩野田に江口弟の仮オファーが来たのが証拠よ。お母さんみも増してるし」

 学校の勉強も部活も家事も、健気に頑張っているのだ。

「江口弟もとても良い少年だと聞き及んでおりますが、ワタクシは未だ河合との可能性を捨てたくありません」

「だよね」

 ケンジさんは江口兄弟の報告書を眺めつつ、

「誰もが新しい因縁は作りたくないんだよ」

 ワタクシに薄青の申請書を出して下さった。

「カワイさん、スガワラの返事待ちも辛いでしょう。江口の家系列調査で閻魔帳閲覧の申請出してみたら。特別措置で通るかもよ」


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