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五里霧中ライフ

 夢じゃないよね。岩野田は何度も自分に問うた。

『いま氷川商に行けば、俺ら会えると思う?』

 正門前。バス停。木陰に立つ河合の姿。メッセージが示すは年下彼氏のお迎えである。

(あはは、ここに居るの、結構ハズいな)

 河合の目元が緩んでいるのが判る。自分よりまだ少し背の低い、白い大きめパーカーを着た中学男子。

「うわ、怖。オレめっちゃ睨まれてる」

「違うよ、睨んでないよ」

 眩しいだけだよ。鼻の奥がちょっと痛くて、岩野田は笑うのが遅れた。 

 放課後。日陰の雪もやっと溶けてグッと広くなった歩道。少しずつ薄い翠が広がりつつある街路樹。雪靴ではない足の音。冷たさが緩みつつある風。さあ困った。二人とも頬が熱い熱い。

「やばい。やっぱ高校って気後れする。まだ別世界だ」

 場慣れしていそうなのに「まだ別」だって。歩きながら聞く彼の言葉は一言ひとことが新鮮で。

「でも判るかも。私も上級生がオトナに見えて少し怖いよ」

 語る彼女の制服のレトロなボウタイは漆黒のボブによく映えて。お姉さん風味に寂しくなって、変化が怖い気持ちになって。

「ええと、ちょっとどこか寄ろうか」「どこかって何処?」「何処って、どこか」「何処だろう」

 お互いが可笑しくて笑う。笑いながら必死で考える。放課後に過ごせる場所なんて、せいぜいが駅ビルのファーストフード、余裕があればお洒落カフェ。

 お財布の中身と相談して、結局ドーナツ屋さんに直行する事になる。

「みんな行く所って大体一緒だな」

 大澤と佐藤のお二人と、鉢合わせる事になる。


 思いがけずの合流。四人揃ったのは春休みの動物園以来。

 だが先着の隣同志に並んで座る彼等を見て河合は緊張した。彼等の机の下の恋人繋ぎ。今までなら客観的に対処するだけだったのに。

「その座り方はお互いの顔が見えなくね」「うっせ」

「片手しか使えなくて食べにくそう」「黙れ」

 茶化して自分を誤魔化した。ラブラブ友人達との鉢合わせは初恋チームには大難関。動物園に出掛けた時の圧倒的な傍観者、からの本日は同じ土俵の上。否、向こうから見たらこちらがマナ板の鯉。大澤の余裕のニヤニヤは河合には重責であろう。ああ楽しい。

「みかこちゃんこんにちは」「わーミヤコさん! 会えて嬉しいです!」

 岩野田も佐藤の圧倒的な女子力を垣間見る事が出来て、決して無駄では無いでしょう。ああ麗しい。

 さあオーダーです。懐事情もわきまえてコーラとメロンソーダなぞ。

「岩野田さんはソーダ好きなの?」「私の家、外でしかジュースは飲まないの」

 へえ。岩野田さんちって厳しいのかな。

「河合君はコーラ好きなの?」「普段は飲まないけど、最近花粉で喉がムズ痒いから」

 そうだ、河合君は喘息があるんだった。

「なんだ。こっち来ねえのか」「お邪魔はしねえよ」

 気遣いあって大澤達と微妙に離れた席を選ぶ二人。パーソナルスペースは大切です。


「よしっ、スケジュールぴったり、バリアも完璧。こんな風にいつも四人で集えばいいのよ!」

「河合達も何処からも邪魔されず、大澤達も二人の世界にならずコウノトリさんも来ない、と」

「先輩方あざーす!」

 片隅で親指を立てあうはスガワラ帰りのワタクシ達である。他社からは横道案件でも、弊社的にはまるで逆。大澤達にとって、河合と岩野田は最も重要かつ必要なのだ。

「さあ四人ともガンガン仲良くして頂戴!」

「その初々しさがまさに青春なんだからね!」

「先輩方マジであざーす!」

 大澤達も河合達も、ワタクシ達も勿論幸せ。三方丸く一本締めであった。


 諸問題も無くはないが、本日はこれで良しとしたいワタクシである。あれに見えるは放課後、性懲りもなく一年B組に現れた江口なのだが、

「大家さあん茨木さあん。岩野田さんってもう帰ったの?」

「速攻だったよ。デートじゃね?」「マジか」

「多分デートだと思うよ」「マジでか」

 動物的カンで三階廊下窓から昇降口を見下ろす江口。岩野田の後ろ姿を発見し、瞬間移動で正門前に鎮座する江口。更にその場で真実を知る羽目になった江口。

「おあ? アレって氷川中の河合じゃね? うおー岩野田さーんマジか!」

 一日にして失恋した江口。

「でもお似合いだな。河合はめっちゃいいヤツだぞ。岩野田さんにピッタリだ。うん、変な男じゃなくてよかった!」

 瞬時にキモチを切り替える江口。

「よっしゃ、応援しちゃろ!」

 人生初のモブキャラを決意する江口。

 以上、ワタクシが「本日はもうこれでいいんじゃないかな」と思った所以である。終日江口に憑いていたリンキーからの報告も「とにかく慌ただしいコだった」と、一行簡潔であった。



 **


 砂糖菓子のようなひと時であった。非日常を彩る炭酸飲料。見落したくない動作。何気ない話。合間に眺める友人達の動画。お互いの好きな曲を聞くイヤホン。あっという間の帰宅時間。

 同じ学区在住、下校中かと錯覚しそうな街並み。別れがたい角のコンビニ。それでもお互い「じゃあね」と手を振る。それぞれ歩む姿を誰にも見られぬ様、ワタクシも粛々ヒト払いする夕暮れ。

(河合君って、放課後はあんな風に動くんだ。あんな風に話すんだ)

 帰宅後は常春モードの岩野田である。付き合う前に眺めていた「バスケ部の河合君」との圧倒的な印象の差。思っていたより怖く無くて、思っていたよりずっと普通。安心したね。自分で敷居を高くしてはいけませんよ。

 一方の河合も果てしなくボンヤリ。待望のおデートに気付けばニコニコ。春爛漫。岩野田の高校生風味に(やっぱオレの方がコドモだ)などと、考えすぎる一人相撲。

 そういえば今日の岩野田さんは前より細くて色白だった。オノレの脳内印象も上書きせねばならぬ。河合は記憶を巻き戻す。


 河合が初めて岩野田に会ったのは、入学間もない美化委員会である。ひとめ岩野田を見た途端、河合に電撃が走ったという。

(めっちゃ綺麗な先輩がいる!)

 当時中三の岩野田は美化副委員長で花壇担当、委員会活動時は学校指定のジャージである。おかっぱ頭で色素が薄め、本人曰く「ボンヤリ地味顔」のルックスは、しかし河合の好みど真ん中であった。その女の子は常に黙々と委員会を牽引。要領の得ない下級生に手本を示し、嫌な作業を率先し、困っている委員もカバーする。河合が落ちたのも無理はない。

 そして本日に至る河合君である。さあ、当時と比較して、先程の岩野田の揺れる髪の先まで詳細に反芻しよう!

(はあ、今日も可愛かった……)

 そうだね。キミの好みど真ん中だね。どんな風に可愛かった?

(すっげ、女の子だった)

 うん、さっきまでキミの目の前に居たよ。だからどんなだった?

(マジめっちゃ可愛かった!)

 うん可愛かったね、河合君だから語彙力。

 だが仕方あるまい。休日の見当がつかない体育会系の宿命である。

(今日、勇気出して出向いてよかった)

 これからに繋がりますように。河合は乾燥機の熱さの残る洗濯物をモソモソ畳む。

 それを横目で観察する伯母の村松早苗。村松家のリビングはお台所と同空間。

(あら、またマサキが上の空だわ)

 その早苗叔母の観察眼に気付く大澤。

(怖っ。めっちゃ怖っ。おいっマサキっ)

 だが河合の恋の病は進行まっただ中。大澤の目配せも水の泡である。

(まあ、リュウジ君がマサキに何か合図してるわ)

 思春期事情を瞬時に読み解く早苗叔母。もう今日はこれでは良かったよネ、と思ってしまったワタクシを許してほしい。


 何しろワタクシは今宵もサービス残業なので許してほしい。莫大なジェネリック案件に呑まれるマイメールボックスを助けてほしい。

 昨今のネットによる初恋業界の多忙化は先に記した通りだが、現在は更に因縁案件も急増しているのだ。尚、こちらの原因も先に記した通りである。

「あら、じゃあ私が悪いっていうんですかあ」

「リンキーさんそうは言ってません」

「言ってるじゃないですかあ」

 よく判っていらっしゃる。とはクチが割けても言えぬストレス。

 原因の、じゃなかった、因縁の長であるリンキーは、噂通りの凄腕であった。手にしたコマイ仕事を瞬時に片づけ、。本来手を掛けるべき案件にはもれなく丁寧に因縁を縫った。例えば普通に『今世は初恋一カ月コース』カップルに『源平時代の過去世』が絡み『可愛いフリしてバッドエンド』に変更になったとか。逆に戦国時代の前世で騙し合い憎しみ合った関係を、今世は『可愛い初恋』で一気に浄化させろとか。

「あの。初恋案件は見守りが基本なのですが」

「でもそれじゃ因縁解消出来ないからね。源平の仕掛け、お願いねっ」

「因縁解消は『ちょっと振り向いてみただけ』程度を一世挟んだ方が後の反動も小さいと思うんですが」

「でも今世の課題になったからね。臨機応変でまとめてねっ」

 だが妖精さんの身体はひとつ。いざとなれば禁じ手の夢オチも辞さない覚悟でいなければ。


 更にリンキー事情は課枠を越えた。今宵同時に震えるは河合と大澤の端末である。

『氷川中だった岩野田みかこちゃん、めっさ可愛いな。河合の彼女なんだってな。オレは応援するぜー!』

「誰さ」「エロ先輩さ」

 江口シュウトからのメールであった。

「うわあメンドくせえ。俺は既読しねえぞ」

 名前を見た瞬間大澤が吐き捨て、返信は河合のお仕事となった。

『オレ、今年から氷川商バスケ部。またよろしくな!』

 続く短文で河合の顔が曇ったのはいうまでもない。

「ええと、『ありがとうございます。先輩も高校生活ガンバってください』……と」

「辞めとけ。絡むとロクなこと無いぞ。既読ムシでいいべさ」

「そうは言っても一応先輩だしこれからも関わるだろ。江口さん、氷川商バスケ部なんだぞ」

 そうだよ氷川商なんだろ。オノレに言い聞かせた瞬間、メールの内容が河合を攻める。

『岩野田みかこちゃん、めっさ可愛いな』

 花冷えのする夜半。胸の奥にドンと詰まる何かは何だ。

「取り敢えず当たり障りなく絡むぞ。リュウジは大人しくしてろよ」

「マサキこそ困惑駄々漏れじゃんよ」

「今一番ダメージを受けてるのはオレってわかってる?」

 ポチる河合のオーラの尖りが痛い大澤は、小さな声で「なんかゴメン」と言った。


 河合と大澤、それから江口が初めて顔を合わせたのは、氷川中特待選考会も兼ねた教育プログラム、全道ジュニア選抜合宿である。

 初召集を受けた当時小六の二人。元々逸材と噂の大澤、聡明で俊敏な河合は初日から光り輝き、タチの悪い面倒事にもサクサク対処。早々に格の違いを見せていた。

「オマエら面白れえな。こっちにこいよ」

 二人の所作にいち早く感心し明るく迎え入れたのが、当時中イチ、招集二度目の江口である。

「おっ。そっちのフィジカルもトップか。オレと長さ比べるべ」

 何を比べあったかはさて置き、ヤロウ共が和み団結するキッカケになった。

 合宿後、二人は前評判通り氷川中特待生に、江口は地域強化選手の結果を受けた。彼等の競技生活の分岐点でもある。

 関係が継続していれば江口も良い先輩で済んだのだが、彼は根っからのお調子者であった。昨年夏、氷川中バスケ部全国大会準優勝の祝賀会にお呼ばれした江口は、ナチュラルに佐藤ミヤコに接近したのである。江口のエロ君たる所以である。その後はお察しいただきたいが、なかなかの修羅場となった。河合の「大澤マスター」たる所以でもある。

 以降、江口と聞くと微妙になる二人。河合は胸の奥にある壁を取りたい。咳ばらい。

「マサキ、喘息ヤバそうなら教えろよ」

「うん。吸入しとく」

 北の大地のアレルギーの元凶・リンゴと白樺の花粉飛散は本格的になり、各農場でも農薬散布が始まっている。季節の変わり目も相まって、体調管理は手間である。

(余計な思考は捨てよう。気にするだけ無駄だ)

 河合は淡々と前を向く。



 **


 市内公園の蝦夷桜が咲き揃ったのは月末であった。土曜日の昼下がり、岩野田が向かうは保健室である。手には小さな保冷バッグ。中身はミネラルウオーターと、ほかほか棒茶入りタンブラー。

 本日は第一体育館でバスケ競技者対象の中高合同練習会である。茨木が弟の見学に付き添うのを幸いに、大家と岩野田も見学に潜り込んだのだ。

 だが体育館に河合の姿は無かった。

 昨日まで天気が崩れていた。もしかしたら。岩野田は友人達に断りを入れ、ひとりで体育館を出る。

 授業のはけた午後の静寂した廊下。階段から自分と違うスリッパの音が響いたと思ったら、二段跳びで下りてきたのはバスケ部ジャージの江口である。

「あ、岩野田さん」

 江口は察しが良かった。

「河合、いま保険室にいるよ」

 岩野田の顔が曇る。嫌な予感は当たるものである。


 ワタクシは憤りを感じる。現時点での河合の健康運は良好の筈だ。だのに氷川商に着くなり発作が起こるのが解せない。症状も軽く見学も可能なのに、顧問の指示が退席なのも不自然だ。

 体育館内は召集された強化選手をはじめ、地域の部活生や少年団、関係者各位の見学で満員盛況であった。毎年プロの指導者を招く練習会。裏主催はマンガン社だが、今年度はスガワラ本社も名を連ねる。

 間違いなく古狸の仕業である。

『もう岩野田にはイケてる河合を見せてやらないよ。河合も岩野田の前で恰好付ける暇などないよ。この意味がわかるよね。わきまえなさいよ』

 無言の威圧がワタクシを襲う。しかも他の皆様の手前、下手に動けぬ。だが道理が通らぬ。どうしてくれよう。

 岩野田に憑いて保健室に向かう途中、江口に憑くリンキーともすれ違う。

「コレはスガワラの古狸の仕業か」

「お気づきでしたか」

「分かり易くエゲツナイからな。創業者も草葉の陰でお嘆きだぞ」

 去り際に「きっちりお返しして差し上げろ」と呟くリンキーの表情はどう見ても派遣社員風情はなかった。「ういっす」と返答するワタクシも品など無かった。

 だってえ、北国で内地さんに勝手されると困るんですう。弊社には弊社の方針が有るんですう。


 河合は保険室のベッドに腰掛け、窓の外をボンヤリ眺めていた。体調管理はよかったのに、今日のツキの無さはなんだろう。新しい情報の習得。自己の上達度の確認。他チームの観察。それから、彼女に自分を見て貰いたかった欲。こぼした運は幾つだろう。

 保健室のドアがノックされ、岩野田が入室してきたのを見て、河合はますます自分を情けなく思った。



 **


 岩野田は岩野田で躊躇する羽目になる。保健室に突撃したはいいが、憮然と佇むマイラバーを前に足が止まるのも道理であろう。沈黙のスタートであった。

「喘息だった?」「うん。でももう大丈夫」

 ようやく発した言葉も即凍結。

「お水やお茶があるけど、飲んでみる? うちのお母さんも喘息気味なの」

「お母さん、今朝は大丈夫だった?」

「うん、今朝は普通だった」

「そっか。飲み物は今はいいよ。ありがとう」

 また会話終了。ああどうしよう。岩野田は途方にくれる。

 えっとえっと。思い出そうか。いつもお母さんが具合の悪い時、君はどうしているのかな?

「そ、ういえばツボ押しって興味あるかな。結構効くよ。手のひらの真ん中」

「どこ?」

「手をギュッと握った時の中指と薬指が重なる所、あ、そうじゃなくて」

 岩野田は保冷バッグをベッドの脇の机に置くと、河合の目の前に立ち、フォークダンスの如く両手を繋ぐ。

「ここをこうして。ゆっくり押すね、ギューって」

(………!)

 互いのお手手の永久磁石。謎のサブいぼが河合を襲う。河合君、呼吸を忘れるの巻。

「私、時々お母さんの手を指圧するの。気持ちいいって感じる強さで押すのが大事なの。力加減どう?」

 彼女のお手々は白く温かいではありませんか。河合君、心拍数が暴れるの巻。

「もうちょっと強くても大丈夫かな。痛かったら教えてね」

 しかし絶賛絶句中である。河合君。河合くーん。

「あ。耳が赤いね。痛いかな、少し緩めようか」

「いや痛くな、いよ、気持ちい、いよ」

 うん、気持ちイイよね。

「良かった。段々身体があったまってくると思うよ。楽になるといいね」

 いえいえ、ばくばく恍惚ですよ。どうにもヤバくて落ち着きたくて、気付かれない様に小さく息を整える河合君ですよ。

「あ、あったかくなってきた」「そう、良かった」

「もう大丈夫だと思う。ありがとう」「うん」

 お礼を言いつつも、手を離された時には違う意味でドギマギしたのも付け足しておきたい。正直ホッとした様な、残念な様な、緊張が取れたような。

 岩野田もフーと息を吐いて、手で顔をぱたぱた。

「ツボ押しで疲れた?」

「そうじゃなくて、あの。なんか照れちゃった。夢中で押してたけど段々ハズくなって。河合君の手、すごく柔かいね」

 言ったそばからまた岩野田が照れるので、改めて河合も赤面するのであった。

 あはははは。スガワラさあん。御社の御蔭で有意義なお時間頂戴致しましたあ。心より感謝申し上げますう。あははははあ。

「お、オレさ、手もだけど、筋肉自体が柔らかいんだって」

「筋肉が柔らかい?」

 今度は岩野田にはさっぱりわからないお話が始まりました。

「ええと、例えばね」

 河合君、ヨイショと腕まくりをしてギュッと拳を握ってみせた。

「見てて。例えばこれが力を入れた状態ね。触ってみてよ」

 まだ細いけど、うっすらと筋肉のついた綺麗な腕です。手首も驚く程細い。でも明らかに女の子とは違う形。

(うわあ)

 これも直視すると改めてハズくなる岩野田。河合君のふれあい動物園の巻。恐る恐る。

「あ、う、うん、力が入ってるから固いね」

「そうだろ。で、これが力を抜いた状態」

 また触れてみます。恐る恐る。

「わあ、フワフワのヤワヤワだ」

「そうなんだよ。俺んち、父親も爺ちゃんも柔らかいんだ」

 へえ、そうなんだ。岩野田が関心していると、保健室のドアが乱暴に開きましたとさ。

「ひょーう。オマエら密室でやっらしいなあ」

 顧問に頼まれて様子を見に来た大澤君でしたとさ。


「なんだ邪魔すんなや」「なんだ元気そうだな」

 大澤君、遠慮せず河合の隣にどっかり座ります。

「うっわ、このベッドってギシギシじゃん。えっちくさ」

 自分基準で語らないでください。二人が困っていますよ。

「もう大丈夫そうだな。よかった」

「練習会どうよ。今からでも見学しようかな」

「顧問が今日は休めだと。叔母さんにも迎えを頼むって言うんだけどさ」

「大げさだな。自分で帰れるべ」「だよな」

 大澤はさっさとベッドから降りると、退室の為にドアに向かった。

「今日は現地解散だからオレと帰るって事にしとこうか。岩野田さん、マサキを送ってやって」

 大澤は岩野田に「頼むね」と言うと、河合の腕をチラと見てニヤリ笑う。

「マサキ柔らかいしょ。昔、合宿で先輩に揉まれそうになって迷惑したな」

「余計な事言うなや!」

「お大事にね。関節も筋肉もフワフワのマサキきゅうん」

 ちなみに昔の合宿とは小六時代の特待生選抜で、先輩とは当然江口である。エロ君たる所以があちこちに蔓延。


 その江口は体育館で圧倒的な刺激を受けている。首都圏からお出ましの指導者の話は非常に有意義で、久しぶりに見た大澤の技術も、江口の闘争心に大いに火をつける。

(大澤の上達からすると、河合もかなり、だよな)

 珍しく真面目にダンマリを決めこんでいると、後ろから先輩連中にドツかれコケさせられる羽目に。

「いってえ」

「何カッコつけてんだ芋。ちょっとコイ」

「芋ってなんスか」

「エロ男爵だから今日からオマエは芋だ」

「わはは。オレ進化っスか」

「よかったな。ガチの芋には芋って呼べねえからな」

 ゴツゴツと可愛いがられつつ、バスケ部先輩ズに拉致られる江口。

「という訳でオマエ、あちらで見学中の我が校一年女子様をマネージャーに誘ってこい」

「あ、大家さんと茨木さんだ」

「顔見知りか。なら好都合だ。見学会に居るって事はバスケに興味あるコ達だろ。話してこい」

「でも彼女等、確かクラフト部に入るって」

「そこを何とかするのがオマエの仕事。うちだって今年の一年で補充しないと今後が辛いんだよ」

「あれ? 二年マネがお二人いるんじゃ」

「ひとりご家庭の都合で退部するんだ。いいか、必ず入部させろよ。芋は今年の男子シードワンなんだから」

「でもお。大家さん達入るかなあ」

「うっせ。男子には可愛いコ、女子にはイケメンが勧誘の基礎なんだよ。オマエ流通ビジネス科だろ。ちゃんと引っ張ってこい!」

 新入生に課せられる営業ノルマである。



 **


 営業部三課の重要案件は軒並みうごめく暗雲に苛まれていた。

「うわあ。因縁で真っ黒!」

 空気を読まぬ明るい声は、かの派遣社員である。

 それ以外の社員達は生ける屍と化し、ワタクシも青色吐息である。一昨日は下関、昨日は関ヶ原に急な出張。見守りとフォローが主体だった初恋業務は押し並べて因縁関連のイベント投下に業務変更。旅費精算は待てと言われ、営業手当も足が出る今日この頃、懐は壊滅状態なのだ。果たしてワタクシは給料日まで耐え難きを耐えられるであろうか。

 本日の内勤ランチは連投四回目の即席焼きそばであった。給湯室で湯がいていたら、ステンレスの洗い場が熱湯で叩かれバコンと鳴った。

「カワイさん、最近いつもソレじゃない。私のサラダでよかったら御一緒に」

 真田さんが差し出すランチボックスには季節の温野菜が笑っている。

「心の栄養も必要だよ。ほら」

 ケンジさんは高級スーパーのプリンを調達してくださる。先輩方のお心遣いに涙が溢れそう。

「そんなに悔やまないのよ」

「そうだよ。経験は全て学びだよ」

 励ましのお言葉にもっと落ち込みそう。代わりに安価なランチの過酸化脂質がオノレのふがいなさに追い打ちをかける。お肌がくすみつつあった。


 あの日体調が回復した河合は、顧問の手前、大澤と共に帰途についた。が、校門前のバス停で岩野田と合流した後に大澤が退場、カップル帰宅成立はお察しであろう。

 道中は大澤の小学時代の親友かつ佐藤ミヤコの弟、リクの話題で盛り上がる。

「リク君も綺麗なコだね。ミヤコさんとそっくりだね」

「姉弟揃って美形だろ。中学の文化祭、出し物で女装したらミスに選ばれたってさ」

「ミス……わかりみがスゴイ」

「中身はめっちゃ漢で気が強いよ」

 共通の友人も増えて楽しいばかり。いつものコンビニでも別れ難くて立ち話。

 だがその直後に悲劇が襲った。去りゆく岩野田の後ろ姿を惜しみながら見つめ帰途に着こうとした途端、河合の肩を叩く人影が。

 逢魔が時。そこには悠然と微笑む早苗伯母の姿が。コンビニ駐車場の隅には村松家の愛車が。

(嘘だろ。気づかなかった!)河合君、硬直。

「アナタを病院に連れて行きたくて、ここで待機してたの」河合君、硬直ふたたび。

「予約してあるから診察して貰いましょうね」河合君、硬直みたび。

「さあ早く乗って」

 河合君、後部座席に拉致られるの巻。運転席からバックミラー越しに覗かれる早苗叔母の鋭い視線に、君は耐えられるか。

「今日はリュウジ君とは一緒じゃなかったのね」

「リクも参加してたから……駅まで送るって」

「そう。それでマサキは氷川商の先輩に送ってもらってたのね」

 尋問タイム来た来た。

「清楚で可愛らしいヒトね。バスケ部関係かしら、伯母さん覚えがなくて」

「ちゅ、中学の委員会でお世話になった先輩」

 嘘ではない。部活がハードな河合は、当時岩野田に何度も花壇当番を代わって貰っていた。

「ふうん」

 河合は崖っぷちを悟る。早苗叔母の「ふうん」は怖い。

(マサキは昨年は確か前期が美化委員、後期は福祉委員だったわね)

 村松早苗の脳内は瞬時に「昨年度氷川中卒業生保護者会会員名簿」を検索する。

(オッケ。○○さんに聞けば当時の委員会のコトは全部解るわ!)

 既婚女性、もとい鬼女能力の発動である。


「ワタクシの不注意でした。保健室での人払い中に出張予定が入るなんて。スケジュール調整を怠りました」

「不注意だけかなあ」

 ケンジさんの物言いは穏やかだが鋭かった。

「……スガワラに一杯食わされた部分もあると思います」

 ワタクシが浅はかであった。全て仕組まれていたのだ。仲良しタイムでこちらを油断させた隙に、現時点で最も重要かつ危険人物に彼等の関係をバラす。

「早苗叔母だけは慎重と気をつけていたのに。それにしても」

  ワタクシは突っ伏した。

「罠にハメるってこうやるんですねースゴイわあースガワラ根性悪ーい」

「カワイさん、それは感心する所じゃないから」

 そうだ。感心している暇もない。スガワラの罠はそれだけではなかったからだ。


 江口のドナドナ振りも半端なかったのである。大家と茨木をあっという間に陥落、バスケ部マネージャーに就任させたのだ。尚、背後にスガワラ古狸がニヤニヤ立っていたのは既に確認済みである。ひとり困惑する岩野田。

「二人共もう入部しちゃったんだ」

「だって……余りにも江口が可哀相だったんだもの」

 茨木は申し訳なさそうに目をそらし、

「江口の後ろを先輩達が囲んで威嚇してるから、気の毒で」

 大家も普段とは随分違う歯切れの悪い物言いをした。

「で、でもマネージャー、今は二年の先輩がひとりだけなんだって。マジで困ってるんだって。一年生は何人でも歓迎らしいよ」

「もし良かったら三人でやろうよ。岩野田もバスケに関われば河合君に会える機会が増えるんじゃない?」

「本当だ、二年後に河合君が氷川商に来てくれたら最高だよね!」

 十二分に岩野田を揺さぶったのであった。


(早苗叔母もだけど、岩野田と江口の接触って一番の障害じゃんよ。あの古狸めえ!)

 ワタクシの苛々も止まらない。大体家のお手伝いが忙しい岩野田の放課後に余裕は有るのか。反面、大家達との今後の絡みにも気を配らねば。単科高校アルアルだが、氷川商は三年間クラス替えが無い。友情熱量の再計算が必要だ。

「カワイさん、ゴメンねえ、カワイさあん、カワイさあん」

 先程からリンキーが後ろでうざいのだが、ワタクシには返事をする気力も無かった。リンキーこそ真の的ではないのか。スガワラからの刺客とか。

 疲れているとロクな事を考えない。だが身内に足を引っ張られるのが三課の実情である。誰か助けてください。



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