表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

堕海と輪廻

作者: 碕弥

穏やかな夜の波の音が聞こえた。俺と彼女はその音に聞き入る事も気にする事さえもなく、ただ西瓜の甘さだけを貪っていた。

西瓜の食感と、ぬめっていてざらついた感触。お互いが舌を絡ませ合い、共に西瓜を貪る。口の中に広がる爽やかな甘さ。

お互いの共通の好みであった西瓜。


俺には西瓜の赤も緑も、海の青も分からない。生まれた頃から、世界は白と黒で出来ていた。先祖代々色盲という家系に生まれた。兄弟で遠い親戚の跡取りを守る家。彩凜家は他の七つの家に奉仕するしかない。見えない色に興味はなく、強さだけを求めた。ただ訓練して、ただ生きていたあの日々。


彼女に出会ったのは、まだ小さい頃だった。

俺よりも小さく、俺より弱い彼女。愛想のない俺に優しく接してくれた。愛を知らなかった俺に愛をくれた主人。守るべき跡取り。黄華樟葉(おうか くずは)。主人と護衛という関係でいるべきだった。俺と彼女は恋仲になってしまい、子供もいる。

今は子供を置いて軟禁されている状態。本来彼女を守るべき存在だった俺の失態だ。彼女は許嫁と結婚する予定だったが、その許嫁と不仲だった為、俺に関係を求めた。無垢で穏やかだった彼女に迫られ、俺は困惑して説得など出来なかった。舌を絡め、体を重ね、娘が生まれてしまった。彼女は一生七家の中で孤立してしまうだろう。愚かな男女の間に生まれた、哀れな娘。間違いで生まれた、可哀想な娘。黄華白羽。樟葉によく似た端正な顔立ち。

きっとその冷たい目は俺に似ているのだろう。

まだ小さい娘を置いて、愚かな夫婦は遠く離れた地でまた肌を重ねた。舌を絡め合い、西瓜の甘さを二人で貪り、どこまでも堕ちる。海の上に建てられたこの家で、俺は幾度も人を殺した事も、何もかも忘れて暮らしていた。食べ物がなければ陸にある街で買い物をした。腹が減れば料理をして一緒に食べた。

普通の夫婦の様な生活を、束の間だが二人で共に送っていた。

だが、それはすぐに終わるだろう。彩凜家の人間が、俺と樟葉を殺しに来る。継承権は樟葉の弟に譲られたが、この二人の事実は隠蔽しなければならない。弟夫婦は子宝に恵まれなかったらしく、白羽は弟夫婦に嫌われ続けるが命の保証はされた。

後の問題は俺達夫婦だけ。

早ければ明日、遅ければあと一週間後に俺達は殺される。最初から抵抗する気もない。二人で共に死ぬことになるならそれでいい。


深影(みかげ)…」

「…ん」唇が離れ、二人の間に糸を引く唾液。どちらとなくお互いの唇を拭う。「ごめんなさい…白羽」樟葉は譫言の様に呟く。白羽への懺悔。

「…っ」咄嗟に樟葉を抱き締める。何かを確かめたかった訳じゃない。許して欲しい訳でもない。ただ自身の欲求をぶつけただけだった。「樟葉…」名前を呼び合い、強く抱き合うだけ。

しばらくしていると、樟葉の方から離れた。「…そう、一つ試したい事があるの」樟葉は穏やかな笑みのまま、窓を開け放つ。窓際に寄りかかって俺と目を合わせた。「色盲って、大きなショックを与えると治る可能性があるんだって。まぁ、これがショックになるかは分からないけど…やってみるね」

微笑んだまま、彼女はその事実淡々と言い放ってから窓枠に腰掛け、そのまま下の海に向かって身を投げ出した。海水が少し跳ねていた。


「樟葉っ!」

俺はすぐに家を飛び出し、彼女が落ちた辺りの白黒の海を見て…絶句した。海は白黒じゃなかった。青かった。身を投げたはずの彼女は家の壁に軽く掴まり、細い脚を浮かせて海を楽しんでいた。健康的な白い肌とさらさらの茶髪。同色の大きな瞳。少し頬を上気させ、楽しそうに笑った。「びっくりさせてごめんね」

目が合うと、あはは…と少しはにかんだ様な笑みを浮かべた。

俺は海に飛び込み、 彼女が壊れてしまいそうな力で強く抱き締める。「…ごめんね、深影。荒療治だったね」

樟葉は片手を俺の背中に添えている。

「いや…ありがとう、樟葉」俺は樟葉の顎を掴み、啄む様なキスをする。角度を変えて、何度も唇を押し付けた。濡れた髪を指に絡め、後頭部を軽く押さえる。お互いの息継ぎの音や、舌が絡み合う粘着質な水音、二人の全てがこの空気を作っていた。

「…深影」口を放せば、愛おしそうに名を呼んでくれる。

愛おしそうに…悲しそうに。

「樟葉…」お互いの身体は少しずつ冷えていき、樟葉は少し肩を震わせていた。もう少しで、日付が変わる。明日のいつ、俺達が殺されるか分からない。誰かに引き離されるかもしれない。目の前で樟葉が無惨に殺されるかもしれない。何故俺達は殺されなければいけないんだ。俺達は普通の人間だ。普通の夫婦になりたかっただけなんだ。伝統も家業も関係ない。俺達は、愛し合っているんだ…。不安か憤慨かよく分からない感情に苛まれる。少しずつ樟葉の身体から手を放していた。

すると彼女はすぐに気付き、俺を強く抱き締めてきた。俺の心境に気付いているかは分からない。ただの欲なのかもしれないが、とても心地いい。「大丈夫…私は、深影から離れたりしないから…だから…」彼女はその双眸から大粒の涙を流し、「そんな悲しい顔しないで…」と繰り返す。「…っ」言葉の代わりに、樟葉を強く抱き締める。二人で罪を償えないなら二人で堕ちて行く。どこまでも、暗い海の中に。俺は彩凜家の誰が来ても、倒せるだけの実力は持っている。だが、これ以上望まれない殺人を繰り返せば、いつか烏丸家に樟葉と俺は引き離される。

七家最強の烏丸家。

頭脳派と実力派の紀里斗と玄弥。彼等が来れば、到底勝ち目などない。

だから俺達は殺される前に…


海の上に建てられた家の柱。そこには一本の長ドスが目立たぬ様に掛けられていた。あぁ、何故こんな所に偶然あるんだ?この緊張した場には不相応な笑みが零れる。気持ちも少しずつ穏やかな状態に戻り、樟葉は状況が理解出来ずに俺と同じ方を向く。

そしてすぐに俺の方を向き、穏やかに笑った。

「…これで、二人一緒だね」

そのはにかんだ様な可愛い笑みが、俺には眩しすぎた。俺には分不相応だった。それなのに対等に扱ってくれた樟葉に惚れた。だからどこまでも一緒にいようと決めた。ずっと守り続けようと。

寒さと恐怖で震える両手に、長ドスを無理矢理握らせる。樟葉は俺にしがみつく手の力を強めて、軽く目を瞑っていた。二人貫けるかも、上手く死ねるかも俺達には分からない。樟葉の胸の位置までそれを持ってきて、深呼吸を繰り返す。緊張と恐怖で手の震えが収まらない。死にたくない。死にたくない。樟葉は死にたくないんじゃないか。生きたいんじゃないだろうか。

「…深影」

動揺している事に気付いたのか、樟葉が俺の目をまっすぐに見つめる。「大丈夫。私は二人で一緒に逝きたい。海の底に堕ちても、深影がいれば平気だよ」

彼女は俺の考えている事を読み取れるのか。そう錯覚する程、彼女の言葉が心に刺さった。「俺も、樟葉がいれば幸せだ」きっとこれが最後の台詞だ。

すまない、白羽。お前に重荷を押し付ける事になる。父さんと母さんは幸せに死ぬんだ。父親からも母親からも愛情をあげられなくて、何も出来なくてごめんな。

最後に一言残そう。俺も母さんも、お前を愛している。


震えも大分止まり、樟葉は再び目を閉じる。俺は樟葉の心臓を狙い、一気に貫いた。樟葉は俺の背中に無意識に爪を立て、小さく呻いた。俺は右半身の肋骨を貫いた。海の青に沈んでゆく赤が見えた。意識はじきに飛んでしまうだろう。

波に身を預けて、目を閉じる直前だった。

月の光の反射を受け、その白髪を靡かせながら口元に笑みを浮かべ、こちらに近付いてくる人影。白髪の中に黒を混ぜ、歪んだ笑み。来る事を最も恐れた人間、烏丸玄弥。紀里斗はいない様だが、玄弥だけでも俺達二人を殺せたのだろう。玄弥は目立った武器も持たず、笑ったままでゆっくりと近付いてくる。

「あぁ、もう少し早く来れば良かったか」

少し残念そうに声を上げた。俺は残った力を振り絞って、長ドスを引き抜いてから玄弥に投げ付けた。それを玄弥はいとも簡単に避け、今度は急に狂ったような笑い声を上げる。

「…はは、ははははっ!そうか、まだ力が残っているのか!これは役に立ちそうだな!白羽は使えないにしても、これは大きな収穫だよ!」

夜の海岸で叫び出す。少しずつ、聞こえる声が小さくなっていく。「使わせてもらうよ。お前らの…」

最後の単語は聞き取れず、俺は力尽きた。


俺は大の大人を二人担ぎ、研究室のベッドに乗せる。

解剖の邪魔になるので、二人を引き剥がす。腐敗する前に必要な処理を済ませ、作成に必要な器官を二人の体から取り出す。今回のベースが白羽だったら、きっと面白い結果を見る事が出来たんだろうか。血液は抜き取り、パックに入れる。内臓はすぐに冷蔵庫行き。樟葉の心臓の代わりに深影の心臓、深影の内臓の代わりに黄華樟葉の内臓を使う。今回、ベースに使ったのは虎巻家の人間。多少烏丸家と交流はあるものの、一人子供がいなくなって疑いを掛けられる程密接ではない。それに、弟が出来たせいで可愛がって貰えなかった子らしい。そして連れてきた極めつけは、その子は母親が不倫の末に産んだ子だという事。臆病で小さくて、何も出来ない哀れな子。虐待の様な跡があるが、これは自傷のせいで出来た物らしい。ここにきても自傷は繰り返している。寝ている彼の腕に麻酔を打つ。彼にとって長い長い地獄の始まりだった。



僕は暗い実験室で、汚れた書類を見付けた。


俺は大の大人二人を██担ぎ、歩き出した。

そう、これは████ ███の作成に使用する████である。彩凜██と██樟葉は共に良好な環境で育ち、身体能力と頭脳は逸脱している。この二人を使用すれば、███のクローンも作成可能になるかもしれない。



結果 ████ ███ は失敗作となった。

現在、失敗作は███に監禁している。

脱走した場合は自分が処分する。

現在、失敗作は一名。

他と比べると頭脳や身体能力は逸脱しているため、油断は禁物。常に██している。


僕は怖くなり、すぐに逃げ出した。見付かれば殺される。元の家に戻っても、烏丸家にすぐ情報が言ってしまう。怖い。怖いよ。助けて。全力で走り、前が見えなかった。突然視界が暗くなって、当たった物は柔らかい何か。僕を作った人と同じくらい大きくて、そして同じくらい綺麗だった。

「…ん、ごめんな」

僕の頭を軽く撫で、少し屈む彼。さらさらの黒髪に澄んだ碧眼。

僕はどこかで彼を見た気がした。だけど何年も外に出た事なんてない。「だ、れ?」

考えた末に発したのは、小さな声。彼は表情一つ変えない。

「虎巻司。高校一年生だ」

とらまき?聞き覚えがある。それは僕の名字だ。何で君が虎巻の人間なの?僕は君を知らない。長男の僕が、何で年上の…

あぁ、そうか。彼は僕より年下だ。僕が成長していないんだ。

彼は、僕の弟なんだ。「お前の名前は?」彼の声は不思議だ。何故か僕を安心させる。「…とら…き」途切れ途切れになってしまう。体が震える。「とらまき、かすり」

初めて、人に名前を教えた。彼は一瞬驚いて口を開けたが、すぐに僕の頭を撫でてから腕を引いた。歩いて行った先は、僕が住んでいた家。「ただいま」家の中に響き渡る声で、彼は言い放った。「おかえりなさーいっ」小さな子供が走ってくる。双子の様だ。僕は傷跡を隠し、司の後ろに隠れる。「だぁれ?」「お兄ちゃんのお友達?」僕をじっと見てくる双子。「後で遊んでやるから、二人とも一旦部屋に戻ってろ」「はーい」

双子は階段を軽い足取りで登っていく。司はまた僕の腕を引き、居間に向かっていく。「司?どうしたの…」聞き覚えのある声。母さんの声。僕を捨てた母さん。母さんは僕を見た途端絶句した。「…親がいないらしい。孤児だよ」「何で連れてきたの?」

母さんは冷静を装う。「俺の弟だから」母さんは目を見開き、狼狽える。「虎巻綛。俺の弟だ」僕は弟じゃない。君の兄だ。母さんの過ちのせいで生まれて、愚かな研究者のせいで死んだ。僕なんかに構わないで。司。「…わかった」母さんは大きく溜息を吐き、着替え始める。「母さんは市役所に行って来るから、司がご飯作ってくれる?」「わかった。綛、手伝ってくれ」僕が当たり前の様に溶け込んでいる。溶け込んでいる様に見える。

「…もしもし、烏丸さん?」電話をする母さんの声が聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ