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三十と一夜の短篇

おれたちのキャベツ(三十と一夜の短篇第5回)

作者: 実茂 譲

文章中に差別的を思わせる表現がありますが、差別を意図したものではありません。

 もう三日間雨が続いていた。

 おれたちの中隊はジャップの陣地に背中から撃たれて、ひどい目にあった。うちの小隊からはオーギーとモーテンズが死んで、少尉が太腿をやられて病院送りになった。

 せめてバンザイ突撃でもしてくれれば、こっちも楽なんだが。ジャップたちはみんなもぐらみたいに土にもぐりこんで、こっちがやつらの銃眼を通り過ぎるのを待っている。そして、中隊全部が通り過ぎた途端、おれたちの背中目がけてめちゃくちゃに撃ちまくる。

 おれたちは敵の陣地を見過ごした斥候のマヌケぶりを責めた。だが、ジャップは、本当にうまく陣地をカモフラージュしているから、本格的に仕込んだ猟犬でもジャップの地下壕の位置は分からないだろう。

一度、ライリー・ステモンズが機関銃を撃ちまくるジャップの地下壕に手榴弾を放り込んだことがあった。爆発して悲鳴が上がった。ステモンズはもうなかのジャップは全員飛び散ってくたばったようなもんで、後は生き残った死にかけのジャップに弾をくれてやるだけだと、余裕をこいて立ち上がった。その途端、死んだはずのジャップたちが地下壕から撃ちまくって、ライリーの内臓を全部ふっ飛ばしちまった。後で調べてみると、ジャップたちはちょうど手榴弾が入るくらいの大きさの深い穴を掘っていた。紐を垂らして計ったら、五ヤードも掘ってやがった。だから、ライリーが放り込んだ手榴弾はこの穴に捨てられてジャップたちは無傷でいられたのだ。

 これはおれたちの想像を超えた出来事だった。一体どこの誰が手榴弾始末用の小さくて深い穴を掘ったりする? ジャップの異常さはバンザイやカミカゼじゃない。この穴こそ、やつらの本質だ。この出来事があってから、おれたちはますますジャップの機関銃地下壕に近寄るのを嫌がった。

 オキナワのジャップたちはとにかくこれまでのジャップと違った。とにかく大砲を大量に持っていたし、一つ目の前線をわざと破らせてノコノコ姿を見せたおれたちに十字砲火をかましてきたし、それにまったく姿が見えなかった。

 銃声がしてもどこから弾が飛んできたのか分からないのだ。これほど嫌なことはない。無様に伏せている自分が実は敵に丸見えで次の弾でやられるのではないかとビクビクものだ。

 もう、おれたちはうんざりしていた。トージョーを呪い、泥の塹壕を呪い、くそ重い背嚢を呪い、故郷のウィスコンシンじゃ犬だって食わねえくそまずいレーションを呪い、暗闇に噛みつかれたジャングルを呪い、七・六二ミリから四五センチまでのあらゆる口径の火砲を呪った。

 おれたちは今、どのへんにいるのか分からなかったし、森だの村だの墓だのもみんなおんなじに見えたから、どっちへ進めばいいのか分からなかった。中隊長はとにかく南へ行けと言ったが、南にはジャップが隠れているわけで、しかもおれたちに見つからないように隠れているわけで、そんな場所にわざわざ背中を撃たれに行くなんてマヌケのすることなわけで――。

 アーニー・パイルがどっかの島で撃たれて死んでから一ヶ月くらいが経った日、おれたちは三日間続いた雨のなか、土手にへばりついていた。土手の向こうには畑があって、畑の向こうは濃い藪になっていた。さらにその向こうはなだらかな起伏に富んだ田んぼが続いていると地図にはあった。

 おれたちはシュガールーフで苦戦しているやつらの負担を少しでも減らすために南進しろと言われていたが、ジャップがこの藪の向こうに隠れていることは間違いなかった。

 しかも、ジャップは軽機関銃を持っている。

 ずっと前、ペリリューでジャップの軽機関銃を分捕った。バナナ型弾倉を上につけるタイプで、何発撃ったら暴発するか、おれたちは賭けた。賭けには負けた。勝てたやつがいなかった。ジャップの機関銃はその場にある弾を全部、一度も排莢不良を起こすことなく打ち切った。たぶん千五百発くらいあっただろう。

 その軽機関銃が向こうの藪に隠れている。ジャップはおれたちに気づかれたことを知っているから、いつもの後ろから撃つのではなく、もっと積極的なやり方でやってきた。畑の手前の土手からちょっとでも姿を見せると、そこへ集中射撃をかけるのだ。おれたちは何度もジャップの機関銃陣地の位置を特定しようとしたけれど、何度見ても、位置が知れなかった。

 おれはその日、土手から少しだけ顔を出して、ジャップが隠れているとおぼしき、藪を見張った。おれはうんざりしていた。服には濡れた土がどっさりこびりついて、おれとそのへんの泥を区別するものはほとんどなかった。考え方まで泥みたいになっていた。そうだ、泥だ。だいだい、こんなの無駄なんだよ。いくら探したところで見えるわけがねえよ。ジャップの機関銃には発射時の火炎を消しちまうと特別な加工がしてある。音だけを頼りにするっつっても、この雨じゃ音の伝わり方がおかしくなって、見当違いのほうから発射音が響いてくるんだ。

 土手にはおれのほかに、伍長のパルスキーとウィリアムズ、ゴードン、ピアネッティがいて、おれと同じように土手に腹ばいになって、頭が吹き飛ばない程度のやり方で畑の向こうの藪を見張っていた。ときどきヘルメットだけを木の枝で持ち上げて、フェイントをかけてみるが、さっぱり引っかからない。

 ひょっとすると、もういねえのかもしれねえ、と誰かが言うが、そんなわけはないし、たとえ、誰もいないとしても、ジャップの大砲は間違いなく藪に照準を合わせている。間抜けなおれたちが藪まで前進すると榴弾が飛んできて、おれたちを土ごと攪拌する。

 いい土だ。ウィスコンシンのあちこちにある真四角に区切られた郡のなかでも特にド田舎の郡で生まれて育ったおれには分かる。他の連中はみんなフィラデルフィアとかボルティモアとかの都会出身だが、おれは田舎のスウェーデン野郎だから、土の良し悪しが分かる。目の前の畑の土は最高の土だ。黒くて、柔らかくて、口に含むとざらっとするが、ほのかに甘い。

 その畑ではキャベツが育てられている。ちょうど収穫の時期だ。畑の持ち主は今ごろ逃げたか、戦っているのか、ひょっとするとおっ死んだかも知れないが、実に見事な大きなキャベツがごろごろしていた。一番外側の葉は黄ばんでいるが、一枚向けば最高にうまいキャベツがある。この土はいい土だ。たぶんオキナワで一番いい土だ。こういう土で育てたキャベツは甘い。ザワークラフトにするにはもったいないキャベツだ。

 すると、おれは目の前のキャベツを食べたくてしょうがなくなった。この数週間、おれたちは生野菜を食べていなかった。いつもいつも乾燥した野菜を怪しげなろ過装置にかけて透明にした泥水に浸して食っていた。

「なあ」おれは同じように腹ばいになっているパルスキーに言った。「腹が減った」

「レーションでも食ってろよ」

「おれはキャベツが食いてえんだよ」

「目の前にあらあな」

「そうだな」

「おい、取りにいくなよ。撃たれちまう」ゴードンが言った。

「生の野菜を最後に食ったのはいつだ?」おれはやっこさんにたずねた。

「さあな。確か、まだ恐竜が生きてたころのような気がする」

「目の前にキャベツがある」おれは全員に聞こえるように言った。「あれはドレッシングもいらねえし、塩もいらねえ。それほどうまいキャベツだ」

「おちつけよ、エドウィンソン。どうせ、もうじきオキナワの戦いは終わる」

「だから?」

「そのころには腹がはちきれるほどのキャベツが食えるぜ」

「このクソみたいな戦いはいつになったら終わるんだよ」

「五日。かかっても八日。二週間もたてば、大隊陣地にアイスクリーム工場ができるぜ」

 みながピアネッティの言うことを笑った。そりゃそうだ。たかが、キャベツ一つに命を賭けるなんて馬鹿げてる。あと一週間かそこらでいくらでも新鮮な野菜を食べることができる。

 でも、おれは今、食べたいんだ。

「だいたい――」おれは言った。「おれたちが五日後まで生きていられるって保証はあるのかよ?」

 みなの笑いが止まった。おれの伝えたいことは伝わったと思う。

 おれは装備を外して、銃を置いて、ヘルメットも置いた。まるで羽根が生えたみたいに軽くなった。

 他の連中は銘々弾倉を確認して、きちんと弾が装填されていることを確認した。

「援護しろ」おれは土手から飛び出した。

 その瞬間、顔のそばを腹の底がヒヤリとするほどの近さで弾がかすった。跡がミミズ腫れになるくらい近かった。味方が全員で藪をめちゃくちゃに撃ちまくっているが、おれは目の前のキャベツへ飛びついた。ビュウン、ビュウンとおれのそばで弾が呻っているにも関わらず、おれが心配したのはキャベツに弾が当たって台無しになることだった。おれは藪に背を向ける形でキャベツをフットボールみたいに抱えて走った。足元の土がバチバチ弾けた。おれは花形プレイヤーもびっくりのプレイで敵の弾を避けながら、もといた土手にキャベツが崩れないくらいの強さでタッチダウンした。

 銃を撃っていた連中が撃つのをやめて、さっと土手に引っ込んだ。そして、もぞもぞ動き、横にごろごろ転がりながら、おれのそばへ寄ってきた。

 おれはキャベツを見た。やや渇き気味の黄色い葉をめくると、エメラルド色のみずみずしい葉が現われた。その葉ときたら、たまらないほどぴちぴちしていて、雨水の弾き方がまた最っ高にいかしていて、ラナ・ターナーの百倍セクシーだった。

 おれはそれを千切って、一口噛んだ。思ったとおり、キャベツは甘くて、みずみずしくて、何よりもヤバい橋を渡るだけの価値があった。

 仲間たちもキャベツを食った。みんなで一枚ずつ、なくなるまで夢中で食った。

 これはおれたちのキャベツだ。

 この全てが呪われた世界で唯一素晴らしいもの――それがこのキャベツだ。そして、それを食べることが許されたのはおれたちだけ。

 おれたちだけなのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして! 厭戦的なのですが、ノリの良い文章が心地良い作品です。 これが日本兵目線だったら、ひたすら欝々とした展開になるのでしょうね、笑。 目の前のキャベツに命を賭けるのが、いかにも人間…
[一言] 品も頭も悪いわけではない(むしろセンスは良い)、しかし根本的にわかってない事があるというのが、それ窃盗ですよ――てツッコミを飲み込ませてしまうところがものすごく卑怯だと(褒めてます)。 彼、…
[良い点] 九十九式軽機関が名器なところ
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