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初恋は金木犀の香り


 花園汐莉は美しい。

 町を歩けば十人中十人が振り返る可憐な容姿。ぱっちりとした目に、宝石のような煌めきを宿した黒の瞳。水も滴るばかりの艶のある黒髪は腰まで伸ばされ、もみあげの片側が真っ赤なリボンでデコレーションされている。ふくよかな胸に、ほっそりとした腰に、張りのあるお尻。白磁のように抜けるような白の肌は、それだけで一種の芸術品だ。

 周囲の人間も美しいと言うし、本人も自分が美しいことに自負を持っている。

「うん。今日も私は可愛い」

 ただ、そんな彼女に問題があるとすれば、自分よりも素晴らしいものに、尊いものに出会ったことがないことだろう。恋をしなさい、と母は言った。恋をすれば、世界が変わると。

 だから花園汐莉は恋を求めている。

 完全故に不完全な我が身を完成させてくれる初恋の相手を、一層自分を輝かせてくれるであろう至高の記憶を。

「さて、今日はどんな人に出会えるかな」

 私はすべてを愛している。この世に存在するすべてのものが愛おしい。常々思うが、一期一会という言葉は素晴らしい。

 さぁ、行こう。出会いの宝庫である学園へ。



「やぁハニー! 今日も綺麗だね!」

「ありがとうございます。でもハニーじゃありません」

 教室に入るや否や向けられた賛辞に、にっこりと笑みを返す。

「やっぱり君の美しさに、僕では釣り合わないかな」

「そんなことないです! 花園より唯月さんのほうがかっこいいですよ!」

「おいおい金木君。レディーとかっこよさを競ってどうするんだ。だが、賛辞は受け取っておこう」

「はい。ありがとうございます唯月さん!」

 クラスメイトの唯月修一は、ここ唯月学園創設者の血縁者であり、お坊ちゃんお嬢様が集うこの学園においても有数の家柄の持ち主である。そのため、周りの者達もいい身分であるに関わらず、一目置かれている。

 私としても、美しいものを見慣れているであろう彼から戴く賛辞は心地いいものである。だが朝から夕方まで、私を視界に入れるとすぐに寄ってきて話を始めるのは如何ともし難い。多くの出会いを求める私としては、個人に多くの時間が割かれるのはあまり良いことではない。

 とりあえず、取り巻きの人と話をしている隙に横を通らせてもらおう。

「おはようございます。毎日大変ですわね、汐莉は」

「おはよう、メイ。そっちも毎日大変だね、セットするの大変でしょう?」

「あら、私の髪のことですの? セットにかけているのはせいぜい三十分といったところですし、その間にメイクもしていますからそう大変なものではありませんわ」

 今にもオーッホッホッホと高笑いを始めそうな金髪ツインロールを観賞しながら席に着く。

 うん、今日もいい日になりそうだ。



「花園さん」

「金木君。どうかしましたか?」

 昼休み、中庭を歩いていると前からクラスメイトの金木君がやって来た。

「いや、ここで会ったのも何かの縁だ。よかったら一緒に昼でもどうだ?」

「申し訳ありませんが、先約があるのでお断りさせていただきます。私は構わないのですけど、おそらく連れが唯月さんと一緒では緊張してしまって、楽しく会談とはいかなそうなので」

 彼女たちです、と中庭のベンチに腰掛けた二人の少女を示す。

「失礼ではあるが、見覚えがないな。余所のクラスの方々かな? それとも上級生か」

「同じ一年生ですよ。隣のクラスの三好さんと南雲さんです」

「む。そうか、覚えておこう」

「えぇ、またいつかご一緒させてください」

「あぁ、こちらこそ無理を言ってすまないな。しかし、唯月さんが一緒だと言っていなかったはずだが、よくわかったな」

「金木君はいつも唯月さんとご一緒しているようなので、今日もそうなのだと思っただけです。勝手な想像でしたが、合っていたみたいですね」

「うむ。ではまたな」

 手を挙げて、彼は早歩きで去っていく。

 小さく手を振って別れを告げて、待っている二人の下へ歩いて行く。少し待たせてしまった。

「あ、お姉さま! ベンチを温めておきましたよ!」

「ハンカチを敷いておきました! どうぞお座りくださいませ!」

「ありがとうございます。早速ですがお昼にしましょう。お昼休みが終わってしまいます」

「はい!」

「お姉さまとお昼をご一緒できるこの日を、私たちずっと楽しみにしておりました!」

 同級生にこうして慕われるのは少し違和感があるが、とても嬉しい。彼女たちが私を愛してくれているように、私も彼女たちを愛さなければ。

「ところでお姉さまが先ほど話してらっしゃったのは、金木さんですね。仲がよろしいので?」

「いえ、特別仲が良いというわけではありませんね。彼と話すときは大抵唯月さんがご一緒ですし……そういう意味では、まともに話したのは先ほどが初めてかもしれません」

 唯月さんと一緒のときは、間接的に話すことはあっても、基本私と唯月さんの会話に口を挟むだけで彼が主体になることはない。

「お姉さまにいつもちょっかいを出しているあの忌々しい男ですか……お姉さまもきっぱりと振ってしまえばよろしいのでは?」

「振るも何も、告白されているわけではないので」

「残念です……」

 そういえば、とふと疑問に思ったことを口にする。

「三好さん、南雲さん。金木さんとお話されたことはありますか?」

「いえ……」

「特には」

 三好さんと南雲さんは、顔を見合わせて頷いている。

「彼がどうかしたんですか?」

「いえ。なんでもありません」



 そして放課後、再び中庭で彼と出会った。

「金木さん」

「あぁ、花園さんか。何か用かな?」

「いえ、特には。姿が見えたので声をかけただけです。お昼にもいらっしゃいましたけど、よくここには来るんですか?」

「あぁ。唯月さんは、この先にある自動販売機にあるミルクコーヒーが好きでね。よく買いに来る」

 見れば確かに、彼の手には500mLのペットボトルが握られている。気にも留めていなかったが、昼にも手にしていたようにも思える。

「何も金木さんがそこまでしなくてもいいと思いますが」

「好きでやっていることだ」

「それならいいんですけど」

「うむ。よければ花園さんも一緒に来ないか? これから唯月さんとお茶を飲むんだ」

「……お茶?」

 彼の手に握られているミルクコーヒーをじっと見る。

「言葉の綾だよ。どうかな?」

「金木さんに一つ聞きたいことがあります。それに答えてくれるのであればいいですよ」

「ふむ。まぁ、構わない。余程のことでなければ答えよう」


「金木さん。あなたにとって、初恋とはなんですか?」


 出会って話したことごとくの人に尋ねてきたこと。唯月さんに聞いた、メイに聞いた、三好さんに聞いた、南雲さんに聞いた。クラスメイトの人に聞いた。上級生に聞いた。先生に聞いた。けれど、そういえば彼には聞いていなかった。

 刹那の煌めき。哀しいもの。麻疹のようなもの。叶わないもの。甘いもの。錯覚。わからない。

 人それぞれ似通ってはいても、異なる解答をした。想い人の名前を告げた人もいた。そのどれもが胸に落ちず、しっくりこなかった。自分が求める解答をしてくれる人を探して、今日もこの問いを投げる。


「金木犀。僕にとっての初恋は、金木犀だ」


「…………金木犀、ですか」


「あぁ。もういいだろう? じゃあ行こう。温室で唯月さんが待ってる」

「はい」

 金木犀。金木犀。その言葉の意味を考える。わからない。

 行きすがら、金木さんに尋ねてみる。

「失礼ですが、金木犀とはどういう意味ですか?」

「金木犀そのものは知っているか?」

「はい。中庭にも咲いていますよね。いい香りです」

「なら話が早い。じゃあ金木犀の花言葉は?」

「いえ、知りません」

「金木犀の花言葉は、『謙虚、謙遜』。金木犀のあの艶やかな香りに比べて、花が小ぶりで控えめであることに由来するそうだ」

「へぇ、そうなんですか」

「僕の母はよく『金木犀のような人になりなさい』と言った。決して威張り散らさず謙虚に、けれど人の記憶に残るように鮮烈に。僕の名前は流星と言うのだが、金木流星、金木犀、よく似ているだろう?」

「はい。良いお名前だと思います」

「ありがとう。少し話がそれたが、僕はそのために金木犀に愛着を持っている。そして、金木犀にはもう一つ花言葉がある。……『初恋、陶酔』」

「初恋……」

「そう、初恋だ。これは文献に載っているわけではなく、ただの想像だが、初恋というものは鮮烈で、知らず酔ってしまうものだ。もしかしたら金木犀の艶やかな香りで、初恋を思い出した人が多くいたのかもしれない。だから、初恋なんて花言葉になったのではないかと」

「金木さんも、金木犀の香りで、誰かを思い出すのですか?」

「いや、恥ずかしながら初恋もまだでね。だからこそ、初恋で思い出すのは人ではなく花なんだ。いつか初恋の人ができたら、秋、金木犀が花開く度にその人のことを思うのかもな」

「…………」

「すまない。少し語ってしまったな」

「いえ、素敵なお話でした。私も金木犀の香りで思い出す人はいませんが、そんな人ができればと思います」

「唯月さんはどうなんだ?」

「あの人は素敵な方だとは思いますが、お付き合いしたいとは思いません。一緒に食事くらいなら構いませんが」

「そうか。残念だ」



 今日のお昼、そのうち食事を、と約束していたこともあって一緒に昼食を取る予定を組み始める。

 自慢ではないが、私のお昼休みは予約でいっぱいだ。お昼を一緒に取る約束をしている人は、同級生上級生共に多岐に渡る。そうして話をしていると、温室に着いた。扉を開くと、暖かな風が流れてくる。秋にもなると少しばかり肌寒く、温かいこの場所は居心地がいい。

「おぉ、ハニー! 奇遇だね!」

 温室に入り、少し進むと唯月さんが見えた。唯月さんと目が合うと、彼はテーブル席から立ち、真っ直ぐこちらに歩いてくる。

「いえ、こちらの金木さんにお茶に誘われまして。よろしければご一緒してもいいですか?」

「おぉ、金木君。でかした!」

「いえいえ! 唯月さん、こちらいつものミルクコーヒーです!」

「馬鹿。その前に花園さんに出すお茶を用意しろ」

「はい、申し訳ございません唯月さん! 今すぐ用意します!」

「いえ、お構いなく。というか、そのティーポットの中身はお茶ではないのですか?」

「あぁ、お察しの通り中身は紅茶だけどね。給仕の者に頼んで金木が戻ってくるまで少し時間が経っている。冷めて美味しくないと思うよ」

「構いません」

「いやしかしだね……」

「それなら、そちらのミルクコーヒーを少し分けてもらってもいいですか? 唯月さんのお気に入りということで、少し興味が湧きました」

「あぁ……それは別に構わないが、安物だよ? 私は作り物めいたわかりやすい甘さが気に入って飲んではいるが」

「はい。そういったものはあまり飲まなかったので。よろしければ、と」

「あぁ、もちろんだよ」

「それなら私は、甘い飲み物に合うものを用意してきます。唯月さん、花園さん、しばしご歓談してお待ちください」

「グッドだ」

「はい!」

 止める間もなく走り去って行く彼の姿を見て、目を瞬かせる。

「ハニーが来ると聞いていればもう少し洒落たものを用意できたんだが、すまないね。僕は甘党だから甘い物しか用意していなかったんだ」

「いえ、気にしていません」

「それでは何かな。何か言いたげに見える。……あぁ、もしかして金木君の頼みを無理して聞いてくれたのかな」

「そんなことはありません。ただ……」

「ただ?」

「彼が、あなたといるときとそうでないときで、少し様子が違うようなので戸惑っていました」

「あぁ、口調か」

「はい」

「彼は僕のことを尊敬してくれているようでね。もし勘に触ったのなら謝ろう」

「一つ聞いてもいいですか?」

「なんでも答えよう」

「あなたにとって、初恋とはなんですか?」

「君だよ。僕にとって初恋とは、花園汐莉その人だ」

「そうですか」

「おや、つれない反応だ」

「いえ、前にも聞いたので」

「そうだね。僕の気持ちは、君を一目見たときから変わらないよ、ハニー」

「ありがとうございます。とても嬉しいです」

 出会ったその日に聞いて、言われた台詞と同じ言葉。

 可愛い私のことを好きになってしまうのは仕方のないことだけど、私は彼に恋をしていないから、その想いには応えられない。私は金木犀の香りで、唯月さんを思い出すことがないから。

「もう一つだけ聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「金木犀の香りで、思い出すものはありますか?」

「……また不思議な問いだな。しいていうなら、もうすぐ紅葉だな、というぐらいだが」

「ありがとうございます。参考になりました」

 この後、戻ってきた金木さんに唯月さんが金木犀の香りで思い出すものは何かと問いかけたときには、慌ててしまった。



  ×××



 中庭に出ると、甘い香りがした。

 金木犀だ。

 金木犀は、初恋の香り。

 そう語っていた彼のことを思い出し、香りの発生源へと歩みを進める。

 淡い橙色をした小ぶりな花は、中庭の端にある一本の木のものだ。間近で見ると存外高いところに花が咲いており、手が届かない。近くで愛でようと思ったのに、触れられないだなんて、と少しむっとする。けれど、手が届かないなんてこれも初恋っぽいな、と苦笑する。誰かが言っていた、初恋は叶わないものだと。代わりに、木の幹に手を触れる。幹だけを見ると、他の木々と違いが一切わからない。これが謙虚か。何か違う気がするな。

「花園さん」

「金木さん」

「奇遇だな」

「そうですね。また、奇遇ですね」

「うむ。金木犀を見に来たのか?」

「はい。甘い香りに吸い寄せられてしまいました」

「そうか」

「金木さんはどうしてこちらに? またミルクコーヒーですか?」

「いいや。花園さんと一緒だよ。金木犀を見に来た」

「そうなんですか」

「あぁ。もうじき散ってしまうだろうからな。最後の見納めという奴だ」

「えっ」

「金木犀は気が付くと散っているものだ。一斉に花を散らすから、他のところで見ようと思っても、まぁないしな」

「寂しいですね」

「だが来年また、一斉に花をつける。皆一緒に散って、一緒に咲くんだ。寂しくないよ、きっとな」

「……そうだといいな」

「ん」



  ×××



 翌日、雨が降った。

 本当に言った通り、一つ残らず散ってしまった。

 来年、本当に一斉に咲くのだろうか。

 今まで金木犀など気にしたことがなかったから、よく覚えていない。彼は、毎年金木犀の動きを目にして、嗅いで、楽しんでいたのだろうか。



  ×××



「流星さん」

「ん?」

「前から思ってたことがあるんだけど、聞いていい?」

「構わない」

「謙虚、謙遜って、もしかしてあのパシリ染みた行為のことを言っているの? 何か間違ってない?」

「いや、まぁ、始まりがそれなのは否定しないが…………」

「しないが?」

「……今では、唯月さんが喜んでくれるのが嬉しいだけだ。あの人は尊敬できる人だからな、俺は、あの人の手足になる以外で、役に立てることがあるとは思えない」

「そう」



  ×××


「ねぇ、流星さん」

「ん?」

「……なんでもない」

「そうか」



  ×××



「ねぇ、流星さん。秋になったよ」

「まだなってない」

「暦ではもう秋だけど」

「金木犀が咲いたら秋だと認めてやる」

「そ」



  ×××



「金木犀咲いたね」

「あぁ」

「秋だね」

「あぁ」

「誰か、この香りで思い出す人いる?」

「……あぁ」

「……え? いるの?」

「汐莉のことを、思い出す。……金木犀がどうとか、最近うるさかったからな。金木犀のことを思うと、自動的にお前のことを思い出すようになってしまった」

「――――」

「おい、変な勘違いするなよ。別にそういう意味じゃない」

「…………」

「おい、笑うな」


 うん、笑わない。

 違うの。

 嬉しくて。

 顔を見られたくなくて。

 顔を伏せて、膝に顔をうずめて、口元を手で覆う。こうすれば、私の顔は見えないよね? 耳が熱い。きっと、頬まで赤くなってるから。

 嬉しい。

 私もね。

 金木犀の香りで、あなたのことを思い出す。

 勘違いするなって言うけど、ならどうしてそう言ったあなたの顔は赤く染まっていたの? わかるよ。これってきっとそういう意味。

 私の頬の赤みも、きっとそういう意味。

 この胸の高鳴りも、きっとそういう意味。

 嬉しいな、どきどきする。

 お母さん。

 私、恋を知ったよ。

 いつからか、世界が輝いて見えた。鏡の向こうの私よりも、綺麗なもので溢れてた。それをくれたのはあなたで、だからあなたはこの世の何よりも尊く大切で。


「ねぇ」

「なんだよ」

「あのね」


 心の準備を整える。

 髪を整える。

 頬を揉み解して、口角を上げる。


「大好き」


 顔を上げて、とびっきりの笑顔で口にする。


「私、金木犀が大好き」

「……おい」

「あれ、何か変な勘違いでもした?」

「うるせぇ馬鹿。してない」

「本当に?」

「何度も言わせるな、馬鹿」

「ふふふ」


 金木犀の香りは、初恋。

 初恋の香りは、金木犀。

 私の初恋は、あなた。

 金木犀の香りを嗅ぐ度に、あなたのことを思い出す。

 きっと毎日、毎年、これからずっと。


 ねぇ、きっと、あなたもそうだよね?


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[良い点] 安定のろくぞーくおりてぃ、良いニヤニヤできる話だった
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