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NORA  作者: 蜜橋
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3..小生意気な手品師のお話

 いつも一番に目を覚ますのはセラだった。セラは姉のサラが眠ったのを見計らって眠りにつき、姉が起きるよりも早く起床するのが日課である。姉からの言いつけとか、団長に言われて等の義務的なものではなくそうすることによって、姉が今日もここにいるという実感や安心感を得られるからそうしている。サラは、それをとても気味悪がって嫌がるけれど。

 一番に目を覚ますのはセラだが、サラの朝も早かった。明日目が覚めなければいいというサラの願いは空しく、若干不眠症のサラは日が変わってから大体2時間毎に目を覚ます。活動を始めるのは団長の命令で朝食の支度等々をしなければならない6時からで、6時ピッタリにサラはセラと目を合わせて起床する。毎朝最悪の気分である。


「おはようございます、お姉ちゃん」

「……遅寝したり早起きするのは勝手にすればいいけどよ…人の寝顔見るのやめてくんねーかな…」

「安心してください、私も今起きたのです。ずうっと見ていたわけではありませんから。」

「そーかよなら人の布団に勝手に入ってくるのをやめてクダサイ。毎度毎度おまえ体冷たくて寒いんだよ、俺に構ってないでちゃんと寝ろ」


 セラは、姉が自分を気遣ってくれたことへの嬉しさで思わず「わかりました」と嘘を吐いた。セラの了解の返事などとっくの昔に信じなくなったサラはどうせ今夜もまたと思いながら舌打ちし、寝間着から外着に着替えて財布を持って街へと出た。皆の腹を満たす朝食の材料を買いに。後ろから何やらセラも着いて来ていたが、どうせろくに会話しないので放っておいた。



 今頃ボクはふかふかの暖かなベッドで愉快な夢を見ていたろうに、家出なんて浅はかな真似をしてみるからこうして鎖につながれて、馬車の荷車なんかに乗っているのだ。本当に人を売る方も買う方も子供を選んで攫うのに必死なのだろうが、どうして昨日の晩―よりによってボクが遊び半分で家出をしてみてすぐ―人攫いなんかしようと思ったのだろう、この人たちは。

 もう一晩馬車に揺られ続けて、一睡もせずに働かされる馬も迷惑だろうに。しかし人攫いたちの言うことには、そろそろ目的地らしい。今は手も足も錠をおろされて身動きが取れないが、もしかしたら隙を見て逃げられたりしなくもない…だろうか?

 こんな遊んでいたら人攫いに遭って、父上にも母上にも心配をお掛けして、シャルヴィ家の人間として本当に恥ずかしいことだと思う。ああ神様、もうこのようなことはいたしません。反省して1週間はいい子にお稽古事や勉強を頑張りますから―お願いします、ボクにチャンスをください!


「おいクソガキ、降りろ。歩くぞ。」

「言っておくけどな、妙な真似してみろ。コイツでテメーの頭ぶち抜いてやるからな」


 肥って醜い大男二人がこんな華奢で弱そうな美少年を、そんな無骨で下品な銃で脅すなど、なんて嘆かわしい事だろう。絵に描いたような悪の象徴に怒りを通り越して呆れすら感じられる。そういえば、昨日もこうして思ったことを口に出したら、口を拘束されたっけ。全く、ボクの儚さが際立ってしまうではないか。

 馬車を降りるとそこは全く見も知らぬ街だった。平民は安く新鮮な素材を買い求めるために“朝市”とやらに早朝出かけるという話を聞いたことがあるが、実際目にしたのは初めてだ。大勢の人々が野菜や果物、魚介を吟味し、より安くという言葉が飛び交っている。映画のスクリーンでも見ているような気分だ。

 この人混みならもしかして、隙を見て逃げ出せるのではないだろうか。流石に頭の弱い大人でもこの人だかりの中発砲することはないだろうし、彼らは肥っているから狭いところでは動きが鈍い。馬車に下ろされたボクを拘束するのは両手のみだし、それもロープだ。うまくやれば、あるいは…。


「っ、と…オイねーちゃん、どこ見て歩いてやがる!」


 急に大男たちが立ち止まったかと思えば、ボクより少し背の高い特殊な髪形をしている女の人と肩がぶつかったらしい。肩くらいぶつかったって気にしなきゃいいのに、心の小ささがうかがい知れる。それにしてもこんな情けない男の肩にぶつかってしまうなんて、女の人も災難だ。


「あ、悪ィ、よそ見してた。…って、あ!?俺のトマト!!」


 あれまあ、女の人の買い物袋に入っていたトマトが、ぶつかった拍子につぶれてしまったようで、大男のダサいシャツが真っ赤になっていますね。ボクとしては大男の服が汚れるのは愉快だけれど、もしかしてこの女の人、撃たれちゃったりなんかして。それにしてもこの人言葉づかいが荒くて、折角の綺麗な顔が台無しだと思う。


「やれやれ…ねーちゃん、どうやら俺達に可愛がってもらいたいようだな?」

「はあ?謝ったし、第一テメーらが自分の面積過信して気をつけないからぶつかったんだろが!そんなやっすい古着が汚れた程度で何キレて…」

「ちょっとこっち来い、可愛がってやっから」

「ッ!やめろてめ、服掴むんじゃねーよ!何、何が可愛がるだデブしまいにゃテメーの粗チン引っこ抜いて二度とお天道様拝めなくしてやろうかゴミクソ、ぁあ!?」

「かわいくねえ女だな、コイツを直接アソコに突っ込まれたくなければおとなしくしやがれ!」


 あーあーあーあー。このまま黙って放っておいたら間違いなくこれから18歳未満の男女の目に映してはならない展開が始まりそうだ。というか、どうしてこの人達こんなに短気で粗暴なんだろう。ぶつかったらすみませんごめんなさいで済むはずなのにやれ面積がどーの、どこ見てただの、しまいには可愛がりだの、下品ったらありゃしない。

 この人が女じゃなかったらこの隙に堂々と逃げ出そうかと思ったけれど、生憎、女の人が酷い目にあう代わりに自分が助かるなんて展開は正義じゃない。それはボクのプライドに反する行為だ。だから、この女の人も逃げられるように、大男たちの気をそらしてあげよう。念のためちょっと離れたところから。


「オジさん達~、目的忘れて女の人姦淫するなんてどれだけ卑劣なんですかー?!そんなことばっかやってると、いつかバチが当たりますよーっだ、あっかんべー!!」

「あッ!?おいこらガキ!!何逃げ出してやがんだ!!」

「ちっ…女!覚えてろよ!!」


 こんな風な出会いでなければトマトの一個くらい買ってあげられたのにな、なんて考えている暇はなく、ボクはできるだけジグザグに細い道を行き、踏切を渡ってまた細い道に入った。うしろから叫ぶ声も重たい足音も聞こえなくなったので、とりあえずは撒けたとは思う。しかしここからが問題で、撒けたはいいけれどどのようにして家に帰ればいいのだろうか。それに、今ここはどこなのだろう。実を言うと適当に逃げてきたのだが、ボクは極度の方向音痴だ。この細い道を抜けたら元の市場だった、なんてオチでも全然びっくりしないし、やっぱり元の市場だった。

 大男たちはボクが随分先に逃げたと思ったのだろう、もう市場の近くにはいないようだった。先程の女の人はトマトを買いなおしていた。膝が笑っているように見えたけれど、そんなに怖かったなら煽らなければよかったのに。

 ぐぅ、と腹が鳴る。そういえば昨日の晩から何も口にしていない。寝る前のホットミルクも、朝ごはんも朝の紅茶も、何も。そりゃあお腹が空くものだ。でも今ボクは一文無しだ。身に着けていた金の指輪や家紋の入った短剣等は売れば多少の金になったかもしれないが、生憎大男たちに奪われて馬車の中に置き去りにされている。さて、どうしたものか。


「そこの子供。これを受け取りなさい」

「!?」


 突如背後から女の人に声をかけられたと思えば、無理やり懐にハンカチに包まれたバケットを突っ込まれた。慌てて振り向くとそこにはさっきの女の人…にちょっと似ている背がすごく高い、目も髪も白黒の別の女の人が立っていた。よくよく目を凝らして見るとさっきの女の人より目つきが優美でずっと線が細く美人だったが、纏っている空気の様なものが先程の女性より幾分も恐怖を感じさせた。


「見たところお前は、胃が空いてらっしゃるのでしょう。不本意ですが、私が助けるよりも先にお前がお姉ちゃんを助けてしまったので、その謝礼です。」

「は?お姉ちゃん?助ける?謝礼?」

「…理解に及びませんか…やはり鶏は脳がないのですね」


 な、なんで鶏?しかもなんか急にお前呼びだし、すっごい真顔だしやっぱりこの女の人すっごい怖い。お腹が空いていたからバケットはとてもありがたいけれど、早く話を終わらせないと今にも刺されそうな雰囲気だ。何故でバケットを押し付けて来たのに一方的に怒っているのか、ボクには理解できないが。…というか懐にバケットを突っ込まれても、両手がロープで縛られていて取れないんですけど!?


「何か言いたげですが…どうぞ、仰ってください。」

「あの…できたら、このロープを外してもらえませんか?」


 女の人は返事もせずに何処からか銀色のナイフを手に持ち、ボクの目前でそれを振り上げた。チッという摩擦音と共にボクの前髪の数ミリと、ボクの両手を縛りつけていたロープが地に落ちる。この間少しでも身動きをしていたら前髪どころか鼻まで落とされていたのではないかと思い、ボクは心底ぞっとした。そしてやはりこの女の人は凄く美人だけれど、その何十倍も恐ろしいと実感した。

 前言を撤回する。さっきの女の人とは似ても似つかない。さっきの女の人は言葉づかいこそ乱暴だったが、あれだけ暴言を吐いておいて後から膝が笑う可愛らしい人だった。この女の人は言葉遣いはとても丁寧で声も優しいけれど、絶対この人、ボクのこと人として見てない!


「アリガトウゴザイマシタ…ソレデハ、ボクハコレデ」

「おいセラ、何してんだよ、そろそろ帰るぞ」

「ごめんなさい、お姉ちゃん。お姉ちゃんを助けたこの空腹の雛に、施しを与えていたのです」

「空腹のヒヨコぉ?…あれ、テメーはさっきのあのクソデブ野郎の…」


 セラというらしい怖い女の人の背後からひょっこり顔を出したのは、先程大男に絡まれていた言葉遣いの粗雑な女の人だった。この女の人が現れると先程まで怖い雰囲気を纏っていたセラさんは一変してやわらかいような空気を纏い、表情も笑顔に塗り替えられた。身長的にも顔立ち的にもセラさんは随分大人びていてそうは見えないが、セラさんは女の人の妹らしい。通りで似ているわけだ…性格は間反対の様だけれど。


「…だよな。さっきは助かった。けっこう遠くに逃げたと思ってたけど、隠れてたのか?」

「うーん、まあ。逃げたと言えば逃げたんですけど、気が付いたら元の場所に戻ってきていて。何よりお姉さんが無事でよかった」

「ありがとよ。つーかお前、なんであんな豚野郎に捕まってたんだ?人攫いにでも遭ったのか」

「ええ、そうなんです。でもここ、どこの街かさっぱりわかんないし、普段こんなに動くことってないから、疲れちゃった…。」


 家に帰りたいと嘆くボクをお姉さんは心配そうに見つめていた。こちらに悪意や邪念がなければ、お姉さんも言葉遣いは幾分か優しかった。一方セラさんはお姉さんと仲良く話すボクのことが気に入らないのか、お姉さんを見る瞳は優しく、ボクを見る瞳は北の洞窟に眠る鉱石のように冷たかった。お姉さんとはもっと話していたかったしお友達になりたかったけど、これ以上一緒に居たらセラさんの目に殺されそうな気がしたので、ボクは別れる方向になるよう話を逸らした。


「あ、ごめんなさい引き留めて。お買い物はもう済んだんですよね?また、あのオジさん達に見つかったら危ないし、そろそろ帰った方がいいのでは?」

「でもお前、行くとこねぇんだろ?こんなとこに突っ立ってたって、また人売りに攫われるだけだと思うぜ」

「お姉ちゃん、彼がそうしたいならそうさせるべきではないのでしょうか。掟を破れば、団長さんからまたお仕置きを受けますよ」

「ガキくらい一時的に連れて来たっていーだろ。ノラがそんなにうるせぇなら俺のテントに匿えばいいんだし…可哀想だろ、こいつには帰りたいと思える家があるんだ。」


 ああ…心配してくれるのも憐れんでくれるのもうれしいけど、お姉さんがボクに優しい言葉をかけるたびにセラさんの表情が曇っていくのがわかる。しかしセラさんはお姉さんに近寄るボクにはとても冷たくても、お姉さんの言うことには逆らえないみたいだ。多分だけど、セラさんはお姉さんのことが大好きだから誰も近寄らせたくないんだろうな。

 そういえばセラさんの口から“団長さん”という言葉が聞こえてきたけど、この人達は何かの団に所属しているのだろうか。帰る家がないってことは、旅団…サーカス団とか?もしかして、何かの戦闘集団だったりなんかして。お姉さんは戦力外っぽいけど。


「見ず知らずのボクの為にそんな、ありがとう。でも、いいんですか?少なくとも、ボクを連れて行ったら怒られちゃうのでしょ?」


 ボクの為に、なんて自惚れたような言葉を用いたからか、セラさんから思い切り睨まれた。やめてください。


「お姉ちゃんが怒られるようなことがあれば、私がお前を追い出します。怒られてまで住まわせるほど、お前に恩はないはずですから」

「ご、ごもっともデス…ゴメンナサイ…」

「とりあえず来てみればいいんじゃねえの。もしかしたらノラがお前の家知ってるかもしれねえし。…あ、俺はサラで、こいつがセラだ。お前は?」

「ユリシーズ・ユリウス・シャルヴィです。ウルと呼んでください。」


 三人で歩く帰り道はとても複雑で、踏切を超えて街を抜け、住宅街の細い道をくねくねと歩き、その先にある森をまた長く歩いた場所にサラ達の住処があった。ボクみたいな方向音痴なら歩いている内にうっかり迷いこみそうだけれど、迷い込んだら最後二度と帰れなさそうで、ボクはセラさんの機嫌がうっかり損なわれないことを切に願った。

 森の中だからか、足元を白い兎が横切った。突然のふわりとした感触に心臓をつかまれるような感覚に陥ったが、それが兎だとわかったら安心した。そのウサギは誰かに買われているのか、何かを頭に着けていた。横切ったのは一瞬だったのでよく分からなかったが、あれは…眼帯?


「これでまた、全員が揃った」


 何か低い声が聞こえたけれど、恐らく木の隙間を通る風の音だろう。もう太陽は先程より高く昇っていた。ボクはサラのテントで、団長に許可を取る間とりあえず休むことになった。普段あまり歩くことのないボクの足はむくんでいて、布団の上に座るとどっと疲れが押し寄せてきた。流石に空腹に耐えられなくなりセラさんからもらったバケットを食べたあと、ボクは睡魔に耐え切れず、睡魔に誘われるようにサラの布団で眠りについた。枕からは、花の香りがした。

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