真相
――最初に聞かされたのは『父』のこと。
異国から来た、記憶のない青年の話。
身寄りなんてない彼は伯爵に拾われたまま友人になり、いつしか騎士のような存在として常にそばにいたという。当時はさほど名を知られたような家ではなかったこともあり、多少変わった反応をされることはあったものの、周囲からは特に反対めいたことも言われなかった。
そんな彼には妻がいた。
あたしによく似た容姿を持った、持っていた若い少女。白い髪の、育ちのいい感じのする娘だったと言う。それぞれ一癖ある変わり者同士、若い夫婦は仲睦まじく暮らしていた。
夫人にとって、二人は愛のない結婚をした夫の友人と、多少風変わりな見目をしている彼の妻というだけの存在だった。もとより貴族ではない男に夫人は興味もなく、その妻などいてもいなくてもどうでもいい存在でしかなく、視界に入れようとしたこともなったという。
しかし、それはある日突然崩れ、彼女の世界は狂い始めた。
「友人などではなかったのです。あれは妻を差し出し地位を手に入れただけの下劣で低俗な男だった。おぞましい、あぁなんておぞましい、あのような男がわたくしの近くにいるなんて」
ある日、彼女は見た。
夫と友人の妻が、仲良く寄り添っているのを。名ばかりとはいえ一応は子供を授かった『夫婦』である、妻である自分よりも親しげに、二人は人目を忍ぶように裏庭、森を歩いていた。
夫人は、そうして気づいたのだ。
記憶喪失という身元もわからぬ男が、今のような地位や権力を手に入れたのは、つまりそういうことなのだと。見目麗しい妻を、人身御供よろしく主に差し出して手に入れたと。
あまりのおぞましさに、夫人は吐き気を催し、実際に軽く吐いたという。
そんな男が、自分の傍にいることが気に入らなかったし。
男の妻が身ごもっているのは、もしかすると伯爵の子かもしれなかった。そう、その時男の妻を名乗る白い女は、その腹を大きくしていた。もしも、もしも。そう思うと恐ろしかった。
「そうなれば家は壊れる、わたくしはまた失う……そんなの、もうわたくしは許せない。あのような連中のために、このわたくしが二度も、二度も苦汁をなめるなどあってはならぬのです」
どれほどちっぽけな家柄でも、ここからもう一度這い上がらなければいけない。
踏み台だ、所詮伯爵家。こんなものは踏み台でしかなく、しかし踏み台にコケにされるのを彼女の矜持は許さない。自分は、ここからさらなる高みに戻らねばいけないのだから、と。
そのためには、愛人もその子も必要ない。
だから――消した。
その日、男は遠方にある伯爵の領地で、賊と一戦交えていた。その賊は、金でなんでもするような連中で、夫人が夫に黙って蓄えていた資金で、意図的に騒動を起こし動いていた。
報酬は前金に、騒動に乗じて行ってもいい略奪。
目的は乱戦の中、確実に男を殺すこと。そのためなら多少の領民が死んでも、夫人はどうでもいいと思った。彼らを含めてすべて踏み台なのだ、あの輝かしい場所に戻るための。
彼らは、夫人から承った依頼を見事果たしてみせた。友を、夫を失い、絶望と悲しみに沈む伯爵とその愛人を、彼女は物陰から狂喜と愉悦を感じながらそっと見ていたという。
――次は『母』の話。
レイアという名前の少女は、形ばかりだった夫が死んですぐに姿を消した。身重の身体だったというのに荷物を纏めて跡形も無く、まるで存在しなかったかのように忽然と。
半年ほど経って、伯爵は知人の商人夫妻を屋敷に招いたという。
それが、ロージエ夫妻。
あたしのお父さんとお母さん。
二人は伯爵に、ある田舎の村へ行くよう頼まれていた。
どうしても、そこにいる『とある少女』の様子を見てきてほしいと。夫人は、それはレイアに違いないと革新すると、また金を使って『例の連中』と繋ぎをとって仕事を任せた。
更なる大金を積み、必ずレイアを『始末』するよう依頼したのだ。そして彼らは青年の時と同じように、レイアという少女の時間を終わらせた。これで彼女の『敵』はいなくなった。
お父さん達は一足先に村を離れ、無事だったのだけれど。
「お前がいたのですよ」
予定より早くお前が生まれていたなんて、と。
引きちぎるような勢いで、夫人に髪を引っ張られる。
そう、お父さん達はレイアに会って、あたしを託された。きっと彼女は自分が命を狙われていると、夫は殺されたと知っていたんだろう。でなければ身重で旅に出るわけがない。
だから伯爵の使いできた二人に、あたしを託した。
その後、夫人が雇った連中に殺されて、あたしは何も知らないまま大きくなって。
「どうしてお前はいつも、生き残るのでしょう。……呪われているのかしら」
汚らわしいモノを始末し終えたと、すべて消したと、夫人が安堵して十年ほど。
彼女は侍女から、ある変わった容姿を持つ少女の話を聞いた。ロージエという名の商人夫妻の長女なのだが、それはそれは見事な白銀色の髪を持つ娘がいるのだと。
一瞬で、彼女は散らばったすべての糸を繋げた。
証拠なんてどうでもいい、思い出せる全てをこわさないと。
だから今度は、適当な使用人にある『命令』をした。それは、とっても簡単な命令。子供でも言えばできたに違いない、それは鏡を使い、馬の目に光を向けるだけの実に簡単なもの。
そのタイミングや位置を考え、確実にロージエ家が巻き込まれるように。
光が目に入った馬は暴れ、あたし達を襲い、けれど――あたしは生き残った。
あたしだけが、生き残ってしまった。
夫人は、それでも一応は満足したらしい。家族を失い、親類に捨てられ、声すらも失ってしまったあたしは、あとはもうどん底のさらに下へともう落ちるだけと決まっているから。
どん底を這いずり回るしかないと、高みから見下し笑っていた。
けれどあたしは、神託のせいで一気に浮上した。
彼女を飛び越えて、この国である意味『一番上』に立ってしまった。
クリスティーヌをも蹴り落とし、かつては夫人も望んだだろう場所へと。それは彼女の努力をすべて奪い否定する、恐ろしい未来だった。クリスティーヌという道具を手間隙かけて、財力を惜しみなく注いで作り上げ磨いた。それがたかが神託一つで、全否定されたのだ。
これほどまでに努力してなお、自分はあの女に邪魔をされる。
夫人は怒りに震え、あたしの髪を強く引く。
ずるい、ずるい、と聞こえる声。
「……どうして、あの女だけ、幸せなの?」
髪を振り払い、絡みつくようにその指があたしの首を掴む。奥様、と止める声はするが、それに動きが伴うことはない。口では言うが、誰もあたしを助けてくれようとはしない。
緩急をつけるように、力が込められ、ゆっくりと呼吸を止められていく。
苦しいけれど、やっぱりあたしには抵抗らしい抵抗が、できない。
どうやっても勝てない、無理だ、意識、飛んで。
「もっとよ」
低く、夫人がつぶやく。
「もっと、もっと傷つきなさい。ボロボロになりなさい。絶望の味を、感じるの」
そしてそして、と。
彼女は、唇の端を吊り上げるように笑って。
「自分だけが幸せになれるなど、思えないようにしてあげましょう。わたくしがこんなにも不幸で悲しくて苦しくて切なくてひどい目に合うのに、なのにお前達が幸せになどなっていいはずがない……わたくしよりも不幸になりなさい、許さない、わたくしを差し置くなど、絶対」
どこか、悲しげな声音で、夫人は言った。
突き飛ばすように首を開放し、床を転がり咳き込むあたしの胸倉を掴む。そうして上を向かされたあたしの視界には、その腕を振り上げる彼女の姿が会った。
また殴られるのか、と思い目を閉じる。
すでに頬は真っ赤だろうし、熱も感じている。
触れられていないのにじんじんと響き、これ以上は無理だと訴えた。だけど首を絞められるよりはいいのかと思うから、息ができなかったせいであたしの頭はだいぶバカになっている。
「お前ばかり、お前達ばかり……っ」
夫人が吐き出す呪詛に、あたしは心の中で反論する。
絶望なら、もう知っている。
両親と弟の墓の前で、あたしのせいで傷ついたマツリの傍で。その苦くて、渋くて、なのにどこか甘ったるい風味のする味を、あたしだってちゃんと味わっている。
彼女の口ぶりじゃ、まるであたしが蝶よ花よと育てられたみたい。痛いことも悲しいことも知らないまま育てられた、どこかのお嬢様みたいだって言いたそうな感じだ。
違うのに。
今も昔もあたしは、激流の中で必死に前に歩いているだけ。
確かにいいものを食べているし、いいものを着せてもらっているけど、その分ちゃんと神様は忘れず帳尻あわせをしてくれている。いいことには悪いことが、ちゃんとついてきている。
あなたがいうほど、あたしは『幸福』じゃない。
きっと、声が出ればそんなことを、あたしは言葉にしていたと思う。
もっとも、言ったところでその振りあがった手は、容赦なく動いただろうけれど。
息を吸いこみ、覚悟を決める。
どうせ抵抗できないなら、諦めて嵐が去るのを待つしかない。殺されはしないはずだ、そのはずだから。そう思った瞬間――かつかつと、誰かが急ぎ足で近寄る音がした。
「母上、彼女を離していただきたい」
そこに現れたのは、ディオン。
いつもは余裕にあふれた顔をしてる彼は焦りの表情を浮かべ、強い声で母を呼んだ。その瞬間に、夫人の表情や雰囲気が一変。振り上げていた腕をしずしずと下げて、居住まいを正す。
崩れるように笑みがこぼれ、彼女は一瞬にして『母親』へと戻った。
「あぁ、ディオン。どうしてこれを屋敷に入れたのです!」
「簡単ですよ、母上。彼女にはまだ、生きているべき価値があるのですから」
「価値? こんな、わたくしの邪魔をする小娘に?」
「ねぇ、母上……もしも彼女が『青い瞳の子』を生めば、面白いとは思いませんか?」
青い瞳。
そう言われ、あたしが真っ先に思い出すのは、すぐそこにいる母子だ。二人共、とてもきれいな青い瞳をしている。まさか、まさか、と背筋を駆け上がるのは、嫌悪と恐怖だった。
嫌な予感しかしない母子の会話に、あたしは震える。
あたしが知らない過去の話より、現実の話の方がよっぽど恐ろしく聞こえた。
「花嫁は一ヶ月ほど、ここに滞在します。その間、かわいがってさしあげるのですよ」
かわいがる、の意味を少し考え、把握したあたしは血の気が引く音を聞く。その顔に浮かんでいる表情、笑みの形をしているそれを見て、あたしはこの男が本気なんだろうとわかった。
ひっぱたかれそうなあたしを救うとか、そういう意味合いで言っているわけじゃない。
その裏側にある、欲望を満たす。そのために、そのためだけに、彼は危険をおかしてまであたしを屋敷へつれてきたんだ。文字通り、手に入れるつもりなんだろう、この人は。
もしそうなったら、あたしの立場は完全に吹き飛ぶに違いない。
王妃となる身でありながら、伴侶以外の子を身ごもったりすれば大問題だ。神託一つではとてもじゃないけどカバーできない綻びは、何もかもを狂わせて台無しにしてしまうだろう。
間違いなく、あたしは王妃なんかになれるわけもない。
その場合、王妃になるのはやる気のあるロザリーか、それともクリスティーヌか。なんにせよ夫人の願いを叶える、最大にして最強の一歩となるのは間違いない。
クリスティーヌが王妃になれば、その兄であるディオンもそれなりの立場を得られる。
あたし一人を、めちゃめちゃにするだけ。
それだけで、彼らはいろんな願いが、纏めて叶うわけだ。
……なるほど、とあたしの中にいる冷静な部分が、笑うようにつぶやく。危険な策に出るだけの実入りは望めるのだ。最初の障害一つを乗り越えることができれば、後は簡単なお仕事。
「あらあら、それならば好きになさい」
そういって幸せそうに、楽しそうに笑う夫人。その笑みは、いっそ吐き気がするほど無邪気だった。子供のような、というのが一番しっくりくる、その年齢では浮かばないような笑み。
すでにあたしに興味が無くなったのか、どこからか現れた侍女共に去っていく。
「えぇ……もちろん」
上機嫌で遠ざかる母にディオンは小さくつぶやくと、倒れていたあたしを強引に抱きかかえ歩き出した。彼が向かうのはきっと、さっきから何度か話に出ている『奥の森』。使用人の一人からあたしの石版を受け取ると、ディオンは共もつけず屋敷の裏手から外へ出て行く。
どこへいくの、と心の中でつぶやいた。
もちろん、石版も無く、姉妹でもない彼に、それは届かないけれど。
あたしはどこに、連れて行かれるの。あたしはどうなるの。もうダメなの。どうしようもないっていうの。二度とあの場所に帰れないし、最悪の終わり方に向かうことしかないの。
そう思ったら――急に視界が、じわりとゆがんでいく。
顔を知らない、名前も少ししか知らない、あたしの実の両親。もう、二人ともこの世にはいないんだって……あたしはわかっていたけれど、そうだろうなって覚悟をしてたけど。
二人も、そして三人も、みんなみんな夫人の命令で殺されたなんて。
あたしのせいだったなんて、知りたくなかったよ。