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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■10.ロージエ家の秘密
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巧妙にして醜悪な罠

 それにしても、とシアがつぶやく。

 クリスティーヌが侍女と共に部屋を出て、すでに結構な時間が流れた。

 出された紅茶はすでに飲み干し、二杯目をシアがわざわざ淹れたところだ。

 この様子じゃ、クリスティーヌの分はすっかり冷えているだろう。勝手にやっていいのかなと思ったけれど、さすがに喉の渇きには抗えないし、勝手に帰るわけにもいかない。

 遠くからは他の侍女などが行き交う、控えめでかすかな音。

 けれど、近寄ってくる音はない。

 全部が部屋の前を、通り過ぎていくばかり。


「何か、あったのかな?」


 シアがあたしの分の焼き菓子を、一つ摘みながら言う。

 隣にあった椅子に座り、完全にくつろぎ状態だ。

 まぁ、実際ここにはあたしと彼女しかいないわけだし、気を使うこともないか。

「伯爵様ってご病気だっていうから、もしかしたらね。そうそう実家から連絡が来るってのもないだろうし。……っていうか、それでもお客様ほったらかしはよくない感じだけど」

『たぶん、よくないね』

 とはいえあの様子なら、もしも伯爵――父親に何かあったら血相変えて実家に戻りそうだなとあたしは思う。それくらい彼女は、父親のことを大事に思っている様子だった。

 しかしまぁ、帰るなら帰るでヒトコトぐらいほしいところだ。

 それがマナーというものだ、と思う。

 これを飲み終わったら帰ろうか、いつまでもここにいる訳にはいかないし。一人くらいはお抱えの侍女が残っている、と思いたいし。見つけて、一言声をかければいいだろう。

 あまり遅れると、リードが心配するかもしれないし。

 自然と彼を思い浮かべ、何となく顔が熱くなる。

 にやり、とシアが笑うのは無視だ、無視。


「顔が赤いよー、ハッカ」


 何考えたのかな、寂しいのかな、と意味深な笑みと共に尋ねられて、あたしは慌てて大丈夫であることを伝えるべく何度も頷いた。どうせバレてるだろうけど、もうこうなれば意地。

 最近、シアのおちょくりが容赦無いと思う。特にリードが絡むと苛烈だ。

 自分だってユリシスとよく一緒にいるくせに、と思うけど、あまり突っ込むとしっぺ返しが怖いので黙っておく。シアはそこら辺、容赦がないというか徹底的というか……怖い。

 こういうのも『姉妹』としての、気楽さなんだろうとは思うんだけど。

 何だか……その、近すぎるからこそ恥ずかしい。

 彼女相手に俗にいうところの『恋話』をする日は遠い、かなり。

 紅茶を飲み、その香りと味で意識を整える。

 ついでにお菓子にも手を伸ばし、さくさくとした食感を楽しんだ。

 それにしても、ここは人が多い割には意外と静かな場所だ。お城の中と違って、人は多いけど人の出入りそのものは少ないからなんだろうか。彼女らの目当てはリードで、彼がいなければ出歩かないのだろうし、今も部屋で各々の時間を気ままに過ごしているのだろうと思う。


 部屋で侍女に美容的なモノを、手伝わせたりとかしているのかな。

 あたしが嫌だっていっても、容赦なく施されるようなヤツ。


 いい香りのする美容液を塗り込んだり、爪をつやっつやにしたり。髪にも専用の液体を丁寧に刷り込んでつやつやに。全身くまなく手入れされる、あの羞恥心と戦う必要のある時間。

 そうやって身奇麗にするのも、ある意味でお仕事なんだろうとは、思う。

 ほら、小汚い王族とかはちょっとね、とは思うし。

 こういう立場だと憧れなどよい感情を向けられるべきだから、それがちょっとしたことでも手を抜けないんだろう。どこからどこまで、寸分の狂いなく整えられていなきゃいけない。

 聞けば、リードもいろいろされているみたいだった。さすがにあたしほど念入りというわけではないけれど、まぁ、細々といろいろとされているらしい。

 あたしよりうんざり気味だったけど。


 うぅん、でも静かなのってこれはこれで居心地が悪い。身支度が苦手な一因に、誰も彼もが無言で作業をするだけ、というのもあるくらいに、静かすぎる状況はあまり好きではない。

 なんというか……ちょっと、何となく寂しい感じがする。

 誰もいないわけでもないはずなのに、自分だけになった気分というか。

 人の気配がしないって、こんなに寂しい気持ちのなるのか。

 隣にはシアがいるはずなのに、かけがえのない姉妹がいるというのに、どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう。教会は子供達がたくさんいてにぎやかで、むしろうるさいと怒鳴りたいくらいで、連れて来られたお城も活気に満ちていたせいなんだろうか。

 ここだけ、まるで火が消えたみたい。

 ふぅ、と息を吐き出して、少し残った紅茶をぐいっと飲み干す。

 その時、部屋の外から物音がした。

 何かを運び込んだような音。


「戻ってきたのかな?」


 シアが慌てて立ち上がって、そそくさとあたしの後ろに戻る。

 あたしも、少しだらけていた意識をたたき起こし、ささっと服や髪を整えた。

 かつ、かつ、と靴音が近づく。

 ゆっくりと扉が開かれて、足音の主が姿を見せる。

 けれど、そこにいたのはたぶんあたしもシアも予想すらしない人物だった。



   ■  □  ■



「こんにちは、花嫁様」


 と、優雅に挨拶をするのはこの部屋の主――の兄、ディオン・セヴレス。いるはずのない彼は恭しく一礼し、そして柔らかく笑みを浮かべた。やわらかすぎて、いっそ胡散臭い。


「ハッカ!」


 思わず立ち上がったあたしと彼の間に、腕を広げたシアが入り込む。

 表情は見えないけれど、その気配は緊張している。

 ここは男の人は入れないようになっている場所、女性でも騎士は入れない。それくらいぎっちりと管理されている場所だ。なのにどうして、彼は当然のようにここにいるんだろう。

 クリスティーヌはどうしたの、彼女が手引をしたの?

 わからないことだらけの中、唯一確信したのは――これがかなりの危機であること。


「ディオン様、どうしてここにいるんですか?」


 あたしの質問を、シアが代わりにぶつけてくれる。腕を広げた彼女の後ろで、あたしは石版を抱えてじっとしていることしかできない。逃げようにも、入り口はディオンの向こう側だ。

 背後の窓は、完全には開かないつくりになっている。叩き割ったところで、隙間はあたしやシアでもくぐり抜けられるものではないし、背を向けたら最後、捕まる未来が予想できる。

 確かにシアはある程度の武術を身に着けたけど、相手の動きを利用する類。向こうが動いてくれないとどうにもならず、向こうの手の内が見えない現状では迂闊に動けもしない。


「どうして、と問われると長くなるが……そうだな、迎えに来たというべきか」

「迎え?」

「僕の大事な『花嫁』を、迎えに」


 すっと細められた青い瞳が、あたしを見る。

 まさかと思うけれど、そんなわけないありえないって信じたいけど、彼はこんな危険を冒してまで冗談を言う人間ではないだろう。見つかれば処罰対象、最悪だと処刑もありうる。

 じゃあ、まさか。

 彼の目的は。

「ハッカはリード様の花嫁なんです。あなたのじゃない!」

「奪えば何も問題はない。それに」

 くす、とディオンは子供のように無邪気な笑みを浮かべ。


「彼女が僕のものになることは、ずっと昔から決まっている」


 彼は、一歩前に出た。

 前に出たというよりも、あたしに接近したというべきか。

 会話を交わしているのはシアなのに、彼はきっとシアなんて目にも入っていない。彼女を透かしてみた向こう側、シアの後ろにいるあたししか――その瞳にはない。

 シアが身構え、かつかつと歩み寄るディオンを待ち構える。

 す、っとあたしに伸ばされる彼の腕を掴んで、そのまま背中へとひねりあげた。さすが騎士に鍛えられているだけあって、その動きはすばやく、そして的確だった。


「ハッカ逃げてっ」


 シアが叫び、あたしはためらわずに部屋の外へと飛び出していく。

 入り口で待っている、ミスティリエ達のところに向かう。しかし部屋を飛び出しかけた先でぶつかったのは、さっきクリスティーヌを呼びに来たあの侍女だった。

 じとりとあたしを見下ろす彼女は、捕まえようとするように腕を伸ばす。

 一歩下がると、一歩前へ。

 押し戻されるようにして移動させられる。

 右か左を突破しようと思うが、身体がなかなか動いてくれない。


「いった……っ」


 その時、クリスティーヌの部屋の中から、シアの悲鳴が聞こえた。

 どたんばたん、と物が倒れたり何かが暴れる音がする。

 がしゃん、というのはカップか何かが床に落ち、砕けた音だろうか。

 しばらくして、物音は収まり、代わりにずるずると何かを引きずる音が近づく。いやだいやだいやだ、シアどうしたの。問いかけたい声に急かされ、あたしは部屋の方を覗きこんだ。

「さて、一緒に来てもらいましょう」

 そういいながら歩くのは、少し衣服が乱れたディオン。首の後ろを髪ごとつかまれ、力任せに引きずられるシアの表情が、痛々しいほどゆがんで苦しげだった。


「にげ、逃げてハッカっ。私はいいから、早く……っう!」

「逃げたら彼女を、どうにかしてしまうかもしれないけれど、いいのかい?」


 大声を発する彼女を強引に上へ引っ張り上げ、さらに苦痛でうめかせるディオン。綺麗な栗色をしたシアの髪は、暴れたりしたからなのだろう、見る影もなくばさばさに乱れている。

 あまりに無残で、痛々しくて、あたしは抵抗する意思を捨てた。

 ぎゅっと石版を抱え、ディオンを睨みつける。

 シアを離せと、伝わるように。

 あたしから逃げる意思が消えて、おとなしく従うことがわかったのだろう。ディオンは侍女に目で合図をするようにそちらを向いて、あたしは一度部屋の中へと戻された。

 続いて運ばれたのは、そこそこ大きい箱。

 大きさ的に『一人分』で、これにはあたしだけが入るのだろう。


「ハッカ、ハッカ……ごめん、ごめんね」


 ディオンにつかまったまま泣いているシアに、あたしは笑顔を向けた。彼女はきっと自分のせいで、と思っているんだ。あの時の正しい選択は、彼女を置いて何が何でも逃げることだったんだろう。それが一番正しいと言われることは、あたしにだってちゃんとわかってた。

 だけど、あたしは姉妹を見捨てることはできないから。

 そんなことは、しないから。

 たぶん何度だって同じ選択をするよ。

 きっと……リードは、怒るだろうけれどね。

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