千客万来、満員御礼
一方その頃。
城下のある地区に、その少女と騎士はいた。
少女の名はマツリ・カミシロ。
ライアード公爵家の新妻で、知る人ぞ知る才覚を持つ魔術師である。緊張した面持ちの彼女の隣にいるのは彼女の夫――ではなく、その従兄弟である騎士ユリシス・ライアードだ。
マツリは人にあふれたその店を、心底うんざりした目で見ていた。うんざりを通り越して侮蔑すら宿っているかもしれない。ともかく、そこによい感情がないのは見ればすぐわかる。
基本的には表情をさほど帰ることがないユリシスも、どこか呆れた様子で彼女と同じ場所を見ていた。二人から少し離れたところでは、誰かが大声で客引きをしているから。
「……最悪ね」
低い声で、マツリは吐き捨てる。
魔力を乗せれば何かしら、攻撃的な現象が起こってもおかしくない声だった。だがそれも無理もないだろう。二人が見ているその店の名はロージエ商会。今や民の誰もが知る神託に選ばれた王子リードの花嫁ハッカ・ロージエの、かつては両親が切り盛りしていた店なのだから。
でかでかと掲げられた看板には、神託や花嫁といった言葉が過剰なほど乱舞する。
――その花嫁を、呪われた娘だと詰り、教会に捨てていった分際で。
「マツリ、もう少し穏やかな表情をした方がいい」
「そんなの、無理に決まってるじゃない」
そう無理だ、そんな器用な腹芸はできないししたくもない。今すぐにでも商いを、全権力を持ってして叩き潰したいくらいだ。リードにもう少し勢い任せな所があればよかったのにと思うくらいに、彼女にとってその店ならびにハッカの親類である店主一家は嫌悪の対象だった。
ハッカはこの国にとって大事な希望だ。
自分と同じくらいに不慣れなのに、自分よりも困難な局面で必死に立っている。踏ん張って逃げようともせず、自分にできることを一つ一つこなしながら、日々を精一杯生きている。
そんな彼女が食い物にされている光景が、これだ。
彼女をダシにするようにして、このロージエ商会はここ数ヶ月で一気に商売の手を広げているという。かつて、身寄りを失った彼女を見殺しにする勢いで見捨てた連中のくせに。
罪悪感などないのだろう。
あればそもそも、ハッカは教会で育つこともなかったのだから。
マツリは意を決し、一歩前に進む。
国の紋章が描かれた外套がゆれ、それを見た周囲がさっと道を譲った。
この、国の紋章が刺繍された特別な外套は、国――というよりも王族に立場を認められたということの証であり、一定以上の位にある騎士と魔術師が何かしらの功績の報酬として賜る。
王族に謁見しうる存在であること、その覚えが良いこと。
そういうものを伝える、わかりやすい印である。
マツリが知る限り、百人を超える城仕えの魔術師でも、自分を含めて両手に収まる人数しかこれを賜ったものはいない。魔術師に比べれば多いとはいえ、騎士でもごく少数だ。
国民にはその『仕組み』が、それなりに伝わっている。そもそも国の紋章を身に付けるという時点で恐れ多いことで、それが公的に許されているというのはそういう立場である証明だ。
だからこそ、彼らはその『力』を恐れ、敬って道を譲るのである。
「いらっしゃいませー、ロージエ商会はこちらですよー、とと……」
譲らないのは、マツリと年も変わらなさそうな娘一人。店先で人々に露骨な笑顔と愛嬌を雨のように振りまき、身振り手振りで積極的に客引きをしていたやたら派手な格好の少女だ。
彼女は後ろ向きにマツリの方へ来て、彼女に気づいてあわててよけ、ふらついた。
どうにか踏みとどまった彼女は、店先に突っ立ったままのマツリを睨みつける。彼女からすると自分の動こうとしていた先にマツリがいた、という感じなのだろう。
その表情からは一瞬で笑顔が消え、苛立ちがとってかわった。
「ちょっと、邪魔じゃないの!」
商売の邪魔よ、と指をさす少女。
一応、ロージエ商会関係者――つまりハッカの身内『だった者』については、彼女が城に連れて来られた頃から調べてある。服装と言動からして、この店の主夫婦の長女マリアだろう。
ふわっとしたクセっ毛を肩につく程度まで伸ばし、上がり気味の目じりは勝気そうだ。マツリがあまり好きなタイプではない。こちらに来てすぐの頃を、思い出させる少女だ。
公的に彼女はハッカの従姉妹であるが、やはりさほど似ていない。
そうだ、と言われても見比べて首を傾げることだろう。
「ねぇ、話聞いてるの? そこにいられるとね、お仕事の邪魔なのよ、じゃ・ま! 買わないならさっさとよそのお店に行きなさいよ。邪魔するなら衛兵さん呼ぶわよ、この不審者っ」
彼女はマツリを、邪魔なものを見るかのような目でじろりと睨んだ。
どうやら、彼女が羽織る外套の、紋章の意味がわかっていないらしい。他国どころか異世界出身で庶民だったマツリがいえたセリフではないが、それでよく商家の娘が務まるものだ。
周囲の憐れむような、むしろ憎むかのような視線に気づかないのだろうか。
「こ……これは、騎士様に宮廷魔術師様っ」
外套の意味に気づいたのは、若い青年だった。年齢はテオと同じくらい、おそらく二十代前半だろう。彼は慌てて駆け寄ると、ばたばたと暴れるマリアの口を手でふさいで黙らせる。
これでは話が進まない、マツリはため息をつくように一つ息を吐き出し。
「わたしはマツリ・カミシロ。リード王子の花嫁である、ハッカ様に仕える魔女です」
いつもよりあえて低い、威圧的な声で名乗る。
脅すような気持ちで、普段は必要ないとすら思える自身の権力を振りかざす。
――エルが見たら、怒りそう。
彼はマツリにこういうことはしなくていい、そういうのは自分の仕事でマツリの仕事じゃないんだよ、と常々言っている。マツリ自身、やはりこういうのは向いてない、と震える。
国家的な権力とは、やはり庶民の手には余るもの。
異世界出身だろうとそれはわかった。
思い、されど彼らに情や思いやりなど不必要だと割り切る。少しぐらい肝を冷やし、恐れおののき震え上がればいい。同じくらい、あの小さな少女が一人で震えていたことを思い知れ。
かわいそうなくらい青ざめて震えるマリアを一瞥し、マツリは思う。
「店主殿はどちらですか」
「えっと……その、父に何か? ぜ、税金はちゃんと、納めているはず、ですよ?」
ありもしない嫌疑を口にし、青年は見るからにうろたえている。
花嫁商売、などとエルディクスが呼んで笑った彼らの商い、そのやり方は決して褒められたものではないということを、この青年――レリスという名の彼はわかっているようだ。
いよいよ罰せられるのかと、かわいそうなほど青ざめている。
このまま倒れられたら話が進まない、マツリは少しだけ超えを和らげた。
「税金は我々の管轄ではありません。用事は、ハッカ様の、実のご両親についてです」
「……えっと、それは」
「他の『ご親戚』の方々は、残念ながら『何も知らない』ようで。ですが伯父であるゲイル氏ならばご存知なのではないかと。なので、少しお話をお聞かせ願いたいのですが」
ゲイル、というのはそこにいる兄妹の父で、ハッカの伯父だ。
こんなあくどいを通り越し、もはや下衆の域に入る商売を始めた男。
だがレリス曰く、彼はどうやら儲け時を前に妻と共に旅行に出ているらしく、帰るのは何週間か先になるそうだ。今から手紙などを送っても、数日で帰ってこれる距離ではないという。
「でも父に会ってもムダですよ。もし『実の両親』を知っていれば……売りますから」
レリスは二人にしか聞こえない声で、ぼそぼそと言った。
売る、というのは何かしらの集団、あるいは個人に売却するという意味だ。
神託に選ばれた花嫁の、出生の秘密。
それを知りたい人は多いだろう。単なる興味である場合もあるだろうし、悪意あって求めるものもいるはずだ。手元にあればそれを父は売ったと、息子はどこか申し訳無さそうに言う。
ゲイルという男は、金さえくれれば何でもするに違いない。相手がどういう存在であってもお構いなし、ちゃりんちゃりん、といい音を奏でる黄金色のそれが手に入ればそれでいい。
結果、ハッカに何かがあっても気にしないだろうし、さらにはそれすら利用してさらなる富を欲する。それはもう、この商売のやり方を見ていれば嫌でも理解させられた。
一礼して、レリスは妹と一緒に大勢の客の相手に戻る。
彼らはやはり、何も知らないのだろう。
ムダ骨だったな、とユリシスが口を開いて、マツリがため息をこぼしかけた時。
「魔女様……」
店の横にある細い路地から、よろりと一人の老婆が出てきた。
身に着けているエプロンから、彼女がロージエ商会の従業員だと気づく。二人を手招く動きに気づいたユリシスは、人混みに紛れるようにそちらへと向かった。遅れて気づいたマツリは軽く姿消しの魔術を自分と彼にかけて、見つからないように老婆の待つ路地へと向かう。
彼女は名を名乗らなかったが、古くからこの店で働いていると告げた。
「何かわたしに、用があるのですか?」
「はい。旦那様と奥様……ハッカお嬢様のご両親から、預かったものがございます」
老婆の言葉に、マツリはもちろん、ユリシスも息を呑んだ。
■ □ ■
ロージエ商会となる前の、つまりハッカの父と母が商いをしていたその店は、こじんまりとした街の雑貨屋的なものだったという。夫婦の他に、この老婆と夫、あと近所の若い世代が何人か手伝いに来るだけの、穏やかで静かな店。今のような状態になったのは夫妻の死後だ。
夫妻は時々、遠くまで二人して行商などに出かけることがあったそうだ。
留守を預かるのは老婆と、すでに他界したというその夫。
二人はハッカの祖父の代から店で働いていて、信頼関係があったのだ。
ゆえに、夫妻は彼女に何か重要なものを預けたのだろう。
「旦那様と奥様はお嬢様を連れ帰った日、わたくしめにこう言われました……」
ある日、いつものように行商に出て行った夫妻。予定より早い数日後に戻った二人はひどく疲れた様子で、さらになぜか似ても似つかぬ赤子をつれていたのだという。
その赤子の名はハッカといい、驚く老婆の前で二人は実子として育てると言い出した。
当時は存命だった老婆の夫も、そして老婆も、夫妻の言葉に驚愕する。確かに二人は結婚して長いが、残念なことに子供に恵まれた夫婦ではなかった。孤児院から引き取る、という話もたまに出ていたが、夫婦二人っきりも悪く無いと言ってそのままでいたのだ。
だが、いきなり養女を、しかも実子とするなんて。
けれどハッカの父は、二人にそっと打ち明けたのだ。
万一の時は、そう真剣な顔で言いながら。
「ハッカお嬢様はどうやら、さる貴族のお家に生まれた、望まれざるお子のようです」
「望まれ、ざる?」
「……隠し子、ということですか」
「おそらくは……。旦那様達は詳しいことはわたくし達には何もおっしゃってはくれませんでしたが、もし自分達に何かあったらこれとお嬢様を城へ届けろ、と申しておりましたので」
老婆が店の中から見えないように、よろめくフリをして立ち位置を変える。
見ると、こちらの様子を若い従業員やマリアが、不快そうに睨みつけていた。何か余計無いことを言っているのではないか、という疑いを感じる目だ。
心配する目を向けると、老婆は無言で微笑む。
そして、彼女が自らの身体で隠すようにしながら、マツリに手渡したのは。
「鏡……」
それは、美しい文様が描かれた、銀の手鏡だった。
ひと通りの説明を受けた後にこれを見せられ、老婆と夫は主夫妻の言葉を――貴族の隠し子だというのを信じたという。そして主夫妻や夫亡き後、彼女は一人で秘密を守っていたのだ。
マツリには、こういうものを目利きする力はない。
だが、それなりに目は肥えてきているので、これが貴族か、あるいはそれに匹敵する富豪でなければ手にできない代物なのはわかる。ハッカの部屋にあっても違和感のないものだ。
綺麗だと思いしげしげ眺めていると、横からにゅっと手が伸び、鏡を握った。
「これは」
ユリシスが驚きに目を見開き、鏡の裏にある模様を見る。
いや、まさか、と彼は小さくつぶやくが、その声には確信のようなものがあった。
「ご夫人、これを預かってもよろしいか」
「えぇ。誰かに見つかれば奪われると、必死に隠してまいりました……どうか、お嬢様に」
「了解した。さぁ、仕事にお戻りください」
やさしくユリシスが言うと、老婆は深く頭を下げ、そそくさと店の方へ戻る。その影に隠すように、すっと鏡を懐にしまいこんだユリシスは、マツリに視線を向けた。
小さくうなづいたマツリは再び姿消しの魔術を使い、二人はそそくさと店を離れた。
確かにそこにいたはずの二人が、忽然と姿を消しているが。
「……?」
戻ってくる老婆に気を取られていた兄妹が、それに気づくことはなかった。