自慢のお父様
「今日のお召し物は、またずいぶんとかわいらしいですわね」
いつものように口元を隠し、クリスティーヌが笑う。隠す、というよりも手をかざすような感じだ。さすがにものを飲み食いするからだろう、扇などは使わないらしい。
とはいえ口元が隠れているのは同じだし、自然と視線はよそに向く。
改めて彼女の美少女といっていい顔を眺めていると、本当にクリスティーヌは表情が読み取りにくい人だなとあたしは思った。まぁ、たぶんそれが目的での仕草なんだろうけれど。
一つの形からほとんど動かない眉、同じく動かない目。
隠された口元に、ぴくりとも変わらない表情。
こんな、どちらかというと機嫌はよくなさそうな顔つきで、彼女はわりと頻繁にあたしを茶会に呼び出している人だった。これという話はなく、お茶を飲んでお菓子食べて終わるけど。
正直、あたしはそれほど話術が得意じゃない。
面白い話とかは無理だし、実際今もさほど会話は弾んでいない。これはあたしの喉と筆談にかかわらないところだ。どうにも、人と談笑するというのが苦手というか、ネタがない。
なのにほぼ毎日、彼女はあたしにお茶会の知らせをくれるのだ。
さすがにあたしも不思議になってきている。自分でも面白みのない会話しかできないと思っているのだ、話術を磨いてきただろう彼女からすると、退屈の極みだと思うのに。
エルディクスなんて、不思議に思うを通り越して警戒態勢だ。相手が相手だからそれは仕方がないけれど、逆にその警戒を抱くのが正しいとすれば、なおさら意味がわからない。
そもそも彼女の目当てはあたしじゃなくて、リードのはずだ。
だったら、彼を誘えばいいだけなのに。
あたしから攻略するのは、だいぶ難しいと思う。あの日、あたしの運命を変えたあの神託がある以上、あたしはあたしの一存でリードとの縁を絶つことはできない。
あたしからそれをいうことは、最悪国を壊しかねないから。そして多くの人がそれを許すことはないんだろう。たとえば王様の遺言でそうなったというならともかく、あたしがリードの花嫁になることは神様からの言葉なのだ。命令、と言ってもいいのではないかと思う。
この国の人は信仰心が強い、神様に逆らうなんて許さないだろう。
でも、一つだけそれらの事情と彼女の思惑が、うまく重なる部分がある。
それが傀儡の、名ばかり王妃。公式にはあたしを王妃ということにして、でも神託があるからと清い関係でい続ける。だから別に女性をあてがい、彼女に子を産んでもらうという流れ。
王妃として名を残すことはできないけれど、それを越える存在として名は残るはず。じゃまになる神託や神様を、逆手に取って利用するような感じだ。エルディクスが一番警戒しているのはそれらしく、だからこそこのお茶会通いにも渋い顔をしているわけだ。
彼が警戒するくらいだから、結構勝ち目のある策なんだろう。
そこを踏まえ、クリスティーヌにできることは一つ。
――リードから崩していく。
それが、一番手っ取り早いと思うんだけど、どうしてこうなったんだろう。
などということを、紅茶を飲みつつぼんやり思っていたら。
「ところで、殿下はお元気ですの?」
思った通りというか、さっそくというか、ようやくというか。
彼女の立場にふさわしい話題が、やっとその隠された唇から零れ落ちてきた。
覚悟はしていたが不意打ちに近く、あたしは少し悩む。
それから石版に、『元気そう』とだけ綴った。実際、見ている範囲では実に元気そうだから嘘じゃない。ロザリーなど、一部の令嬢にかなり疲れているようだけれど、健康は大丈夫。
最近は事情を知る騎士や侍女が、それとなく接近を回避させてくれているし。
だから、彼女らが城に来てすぐの頃よりは、リードの負担は軽い。気を使われて申し訳ないという顔はしているけど、反発する余裕もないらしく庇護を受け入れているようだった。
ロザリーなど、と言ったけど、今じゃ彼女ぐらいじゃないだろうか、ああも熱心に彼を追い掛け回しているのは。たまに数人の令嬢が彼の回りにいるのを見るけど、初期の頃から考えると半分くらいに減っている。ロザリーだけがそばにいる日も、だんだん増えてきていた。
他は、周囲に候補がいればそれなりにリードを追いかけるけど、基本は騎士狙い。
要するに、適当なところで手を打つつもりらしい。まぁ、行き遅れるのが一番つらいだろうから、王子をダシにお見合いしてる感じになってきたんだろう、良いことだと思いたい。
……クリスティーヌは、どうなんだろうか。
ロザリーほど積極的ではないけど、他のように別に走っているわけでもない。
それでいてあたしをお茶会に招いては、彼の動向を尋ねる。でもそれだけ。他の令嬢みたいに根掘り葉掘り聞いてくるわけでも、にっこり笑顔で牽制してくるわけでもない。
ある意味で、やっぱりその動向の見えなささは不気味だった。
「そういえば花嫁様、最近は図書館によくいらっしゃるそうですけれど――」
ゆったりとした上品な仕草で、クリスティーヌはカップに手を伸ばす。
それを口の高さまで持ち上げて。
「お兄様にはお会いしまして?」
そう、言った。
テーブルの下の見えない位置で、あたしはぎゅうっと服を握りしめる。
どういえば、いいのだろう。彼女はどこまで知っている?
あたしのことを、あたしの母だと思われる人を。彼女は、クリスティーヌは知っているのだろうか。例えばディオンから聞かされているという可能性は、あるのだろうか。
聞いているからこその、この問いかけなのか。
感情が読めない相手に対向するには、あたしは弱かった。
『一応、時々。図書館とかで』
嘘はついていない。騎士に囲まれてがっちり守られているから話はしないが、三回に一度ぐらいの頻度で彼の姿を見かける。ちらり、とその姿を確認するぐらいだ。
向こうは熱心に、そう、実に熱心に書物を読みあさっている。
聞いたところによるとそれは、政治的な教えなどが記された専門書らしい。歴史書などを積み上げている日もあった。真意はともかく、彼は伯爵の後を継ぐつもりはあるようですね、と関心した様子で言ったのはユリシス。彼が認めるくらいに、ディオンの勉強は本気だ。
仮に会うことが禁じられていなかったとしても、それを知ったらたぶんあたしは話しかけようとは思わなかっただろう。何を見ているかわからなかったが、真剣さはずっと感じていた。
そのこと――ディオンが熱心に勉強をしているようだったということを、それとなくクリスティーヌに伝えると、彼女は得意気に、どこか子供っぽい顔になり、笑った。
「えぇ、当然です。お兄様は素晴らしい人なのですわ。だって、お父様が――セヴレス伯爵がその手で教育をした方ですもの。いずれは城で働き、国のために良いことをするのです」
――だってお父様の息子なのですから。
その繰り返すような賛美の一言が、何もかもの合図になった。
彼女にとって、兄のディオンは自慢する対象らしい。わたしのおにいさまはこんなにこーんなにすごいんですのよ、と見せびらかし、そのすべてを賛美したくなるような対象らしい。
けれど、それ以上に父が自慢、のようだった。
素晴らしい兄を育てた、父はもっともっと素晴らしい。
確かに伝え聞く話だけを見ても、父――つまりセヴレス伯爵は素晴らしい人だ。一国の、唯一の王子の教育係を任されたこともそうだし、何だかんだでディオンという人は優秀だろう。
それならまぁ、わからないでもなかった。
城で文官なりの仕事を兄に、という理由が予想できるから、兄を自慢してその優秀さをあたしからリードに伝えてほしい的な思惑が見えるだけ、まだ受け止めることもできた。
最初は一応、兄自慢ではあったと思う。いかにあのディオンが優れているかを、彼女は繰り返しあたしに語った。しつこいくらいに何度も何度も、念入りに。
だからこそ、あたしは気づいてしまう。彼女が口にする兄への賛美の言葉達、その最後には決まって『だってお父様のお子ですもの』という類の言葉がついている、ということに。
素晴らしい自分の兄は、父の子だから素晴らしい。
父の教育が、兄をそこまですばらしい人材に育て上げた。
それは、兄の自慢という体をした、しかし完全にただの父自慢だった。
『お父さんが、好きなの?』
思わず彼女の言葉を止め、そんな言葉を綴るほど。兄を自慢するようで、実質は父親自慢をしているのは、たぶんそういうことなんだろう。いつか思い浮かべ、ありえないと闇に葬った下世話な考えが形を変えて再出現する。ええっと、マツリは確かそういう人のことを、そう。
ファザコン、って言ってた。
要するに父親が好きすぎる子供のことをいうらしく、母親だとマザコンで兄や弟ならブラコンとなり、姉妹であればシスコン。ちなみに同性間でも起こること、なのだそうだ。
繰り返すコンという言葉に何か意味があるんだろうけど、興味がなかったので詳しくは聞いていない。よい意味で使われることは少ない、とマツリは説明してくれた。
「な……なっ」
あたしの言葉を数回読み返したらしく、間をおいてクリスティーヌは真っ赤になる。わなわなと震えながら、その顔の赤は色味を強くしていった。まるで花が色づくような感じだった。
あぁ、そんな表情もできるんだ、とあたしは顔を赤くする彼女を眺める。
そこにいるのは、どこにでもいる普通の女の子で。
「ち、違います! 私は別に、別にお父様のことなんて、なんとも……っ」
恥ずかしがる姿に、思わずにやにやしそうになってしまった。
顔を真っ赤にしているところも、必死に否定しようとしているところも、照れ隠しをする孤児院にいた男の子達のようだ。例えば大人の手伝いをして、ありがとうって言われた時とか。
かわいい、というのはきっとこのイキモノのことを言うんだろうと思う。
しかしだからといって、にやにやするわけにはいかない。
必死に表情が動かないようするけど、それでもヒクヒクと動いてしまうのか。
「な、何よ、なぜ笑うの!」
と怒られた。
睨まれているというのにそれすらかわいく見えて、ゆるゆると表情が緩んでいくのが自分でもわかる。本当にこの人はあたしより年上なんだろうか、すごくかわいらしい人だ。
今だけは、同い年――とまでは行かないながらも、実年齢より下がったのは間違いない。
これが本来のクリスティーヌ、なのかもしれないなと思う。いつかマツリが以前言ったように普段は演じている感じで、本当はどこにでもいるような普通の女の子、とか。
「クリスティーヌ様」
そこに、やけに冷たい声がする。
シアと一緒に部屋を出ていたクリスティーヌの侍女だ。その背後には見覚えがある、中年の女性が立っている。一瞬しか見えない姿に、何となく嫌な予感がした。
「ご実家から使いの方が……」
「……そう」
ふっと、ろうそくの火を吹き消すように、クリスティーヌの雰囲気が変わる。
彼女はゆっくり立ち上がると、そのままあたしに一礼した。
「少し席をはずさせていただきます。お待ちいただければ幸いですわ、花嫁様」
こくん、とうなづくと、クリスティーヌはくるりと背を向ける。
どうやら離れたところで密談でもやるのか、部屋を出て行ってからも響く靴音は、ゆっくりと遠ざかり消えていった。入れ替わるようにシアが入ってきて、不思議そうな顔をしている。
「いきなり来たんだよねー、お客さん」
『そうなんだ』
「何かあったのかも、伯爵様、ご病気だっていうし」
心配だね、とシアがいい、あたしは頷く。
クリスティーヌは、お茶が冷めてしまっても戻らなかった。