突然の迎え
がしゃがしゃ、ぱたぱた。
重なる足音、追いかける側と逃げる側。
あたしは、走り続けた。見慣れた町の中を、見知った人の視線の先を。教会が見える、少し古ぼけた屋根が見える。あぁ、あそこにいけばあたしは助かる、神父様が助けてくれる!
懐かしい建物の前、大好きな彼女がいた。
「え……ハッカ?」
どこかに出かけようとしていたらしいシアに、あたしはそのまま抱きつく。
ぎゅう、と背中に腕を回し、すがるように力を込める。
足はもうガクガクで、きっとこれ以上走ることなんてできないだろう。
歩くことすら、支えなしには難しいかもしれない。
「どうしたのハッカ、何が――」
あたしの背を撫でていたシアが、あたしを照らす光の方を見て絶句した。ひ、と息を呑むような音がして、小さくその身体が震えるようにはねた。当たり前だ、誰だって驚く。
お城から伸びる光に照らされる――なんて、驚く以外に何ができるんだろう。
「し、神父様! 神父様ぁ! ハッカが、ハッカがなんか変なんですっ」
「どうしたのです?」
かつかつかつ、と慌てた足音が響き、神父様とシスターが現れる。その頃にはあたしはシアに支えられて、やっと教会の中に入っていた。シアは扉を閉めて、あたしの傍にしゃがむ。
二人は、床に座り込んでいるあたしを見て表情を変えた。
例の光は、ステンドグラスの向こう側から、あたしを照らしている。
あたしを照らすこの光が何なのか、たぶん……一瞬で、理解したんだと思う。
「神父様、これは」
「なんということだ……」
二人は顔を見合わせて、不安と驚きを混じらせた表情をしていた。
神様に仕えている二人にとって、この神託はきっと喜ばしいことのはずだ。だけど何を願ったのか知らないけど、あたしが関わってしまっている。そのことに、不安があるのだろう。
何が願われたのかわからない、だからその表情は複雑な色と形をしていた。
その時、例の金属音が近づいてくる音がする。
今ならまだ裏口から逃げられるけど、もうあたしの足は動かない。
教会前で止まった音。
「失礼するよ」
その直後、若い男性の声が教会の中に響いた。
当然ながら、聞いたことが無い。
ゆっくりと開かれた扉の向こうに立っていたのは、騎士の衣服に身を包んだまだ若いお兄さんだった。あたしやシアより年上だけど、大人というほどでない感じのする。
「ここに、白い髪の女の子がいると思うのだけど」
言いながら彼はあたしに目を留め、笑った……ようだった。青い目を細めて、見つけたよとでも言うかのように。嫌な感じが全身に走り、あたしは無意識にシアにしがみついてしまう。
腰に剣を携えている彼は、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。
その前に立ちふさがったのは神父様だ。
「失礼ですが、あなたは」
「エルディクス・ライアード。王子に仕える騎士です」
騎士、と名乗った彼――エルディクスは、神父様の向こうにいるあたしを見る。
王族に仕える騎士、というのは、騎士の中でもごく少数だと聞いた。いかなる時も彼らは主である王族の誰かに付き添い、時には彼らと同等に近い権力と発言力を付与されるという。
彼も、そんなにあたしと年齢が離れていないようだけど、見た目通りじゃない。
エルディクスは、シアの影に隠れるあたしをみて笑っていた。
ぞくりとする、冷たくて怖い目だ。何を考えているのかわからない。
その気になったら簡単に、こんな教会も孤児院も潰せるだけの力がある。騎士としても、そして何より貴族としても。彼はきっとためらわないだろう、ここを叩き潰す行為を。
「ライアード……公爵家の方が、何故にこの子を」
「神託により彼女は選ばれました。次期国王たる王子リードの、花嫁として」
その言葉は、あたしの中に少しも残らなかった。
……だって、ありえない音だったから。
あたし、孤児だもの。没落した貴族とかじゃないもの。どこにでもありふれた平民の両親に育てられた、今は親族にも捨てられたただの孤児。後ろ盾も何もあったもんじゃない。
きっと神様は、間違えたんだ。
あの場所にいる、他の誰かと間違えちゃったんだ。
でなきゃ、おかしいじゃない。
あたしのどこに、そんな資格があるっていうの。
どこに、それだけの技能とか、あると思うの?
だから神様が、間違えたの。神様だってきっと間違えるよ、だって神託を間違って解釈されたら怒るぐらいなんだ。あたしが、孤児のあたしが、花嫁に選ばれるわけがないじゃない。
だけど、エルディクスの目は、笑っているけど笑っていなかった。
息ができないほど、彼の目は真剣しかなかった。
その目は、あたしが『神が選んだ花嫁』だと言っていて。
その目を見ているだけで、身体の震えが、止まらなくなっていった。
「そういうわけだから、彼女を連れて行きますよ」
と、エルディクスは神父様を押しのけるように歩き、あたしの腕をつかむ。力任せに立ち上がらせると、そのまま強引に引きずるように歩き出した。もつれるあたしの足など顧みず。
咄嗟に逃げようとすると、腕にこもる力が強くなる。
あまりに痛くて、あたしは顔をしかめる。
「は――ハッカを返してっ」
そんなあたしの反対側の手を、シアは必死につかんで引っ張った。
あたしを彼から、取り返そうとするように。でも、騎士として日々しっかりと身体を鍛えているだろう彼に、人並みかそれにも足りない力のそれは、あまりにも些細すぎる抵抗だった。
「邪魔すると、ケガをするよお嬢さん」
「きゃあっ」
シアと掴み合っていた手は、強引に振りほどかれた。彼があたしをぐっと抱き寄せて、それにつられて引き寄せられたシアを、開いた方の手で力任せに突き飛ばしたからだ。
床に倒れるシアは、ぶつけた箇所を押さえて呻く。
それでも、まだ立ち上がろうとしている。
彼女を抱き起こすこともできず、あたしはエルディクスに引きずられていった。
あたしの代わりにに、シアを抱き起こしたのは神父様。
シスターは、騒ぎを聞きつけた他の子を、近寄らせないように抑えていた。みんなエルディクスのことを戸惑いと、それからかすかな怒りを持った目で見ている。途中から駆けつけた彼らには、あたしが身なりのいい人に無理やり連れて行かれているようにみえるのだろう。
それは正しいこと。実に正しい解釈だ。
でもあの子達はどうしてそうなったのかを、きっと知らされない。
「ハッカ! ハッカぁ!」
神父様に抱きかかえられたシアは、必死に手を伸ばしていた。
あたしの名前を呼んで、きっと泣いていた。
あたしはそっちに手を伸ばすことも、できず。
もがくあたしをエルディクスは荷物のように抱えて、シアの姿が視界から消えた。
そのまま、いつの間にか用意されていた馬車に放り込まれる。
周囲には兵士が並び、ここを飛び出し走りだしたところで無意味だとあたしに教えた。
「出して」
「はい」
あたしの隣に乗り込んだエルディクスは、扉を閉じる前に命令する。
馬車はすぐさま走り出し、あたしは逃げ場を失った。あたしだってバカじゃない、この状態で外に飛び出したら、余計にシアを悲しませる結果になるとわかっている。
「さてと、ハッカ……ちゃん、かな」
やけに慣れ慣れしく話しかけてくるけど、あたしは無視した。この人は、シアにとてもひどいことをした。だから嫌いだ。あたしの『姉妹』を傷つける相手は、あたしの『敵』だ。
窓の外の景色を見ながら、あたしはただ涙を流す。
あたしを哀れむ人が多いあの場所は、決して好きではなかった。
でも……嫌いでも、なかったんだ。