警戒
ここはリードの執務室。外にユリシスの部下である騎士を立たせ、エルディクスとマツリによる人払いと防音の魔術を重ねがけし、密談をするにもってこいの状況である。
そう広いとは言いがたいその部屋の内訳としては、まず部屋の主であるリード本人が仕事で使っている椅子に座っている。顔つきはむすっとして不機嫌を隠さず、組んだ腕は威圧的だ。
それから彼に仕える騎士の二人、エルディクスとユリシス。それぞれカーテンを二重に掛けた窓際と扉のそばに立っている。マツリは執務室と仮眠用の部屋を隔てる扉の前。
「あー、私すっごく場違い……」
とぼやくのは、リードの婚約者であるハッカの侍女シア。マツリの横を陣取っている彼女であるが、陣取ったというよりもそこしか逃げこむ場所がなかったとも言う。王子、公爵家の騎士二人ともなれば、いくら親しい間柄にあるとはいえこの雰囲気で近寄る有機はなかった。
周りはいずれこの国を動かす中枢に立つものばかりで、自分はただの侍女である。庶民階級にはあまりにも縁遠い面々で、ぼやくのも仕方がないことだろう。
と、そこにコツコツとノックする音がする。
ユリシスが一旦外に出て、少しすると一人の騎士を連れて戻ってきた。
「例の区画は入り口ごと封鎖しておいた」
という報告を口にしつつ、最後に部屋に入ってきたのは体格のいい長身の男。いぶしたような暗い色合いの茶髪を短く切りそろえた、騎士の衣服を纏う男だ。
彼はリード直属の三人の騎士の一人、名をテオという。
どこか粗暴な風貌ゆえ侍女に避けられているが、ある意味彼はかなりの優良物件だ。
年齢は二十一で、未婚。
実家はなんとリードの母と同じで、つまり二人は従兄弟である。とはいえ、二人の共通点といえば共に母より受け継いだ、あのオレンジ色の瞳だ。母方の一族によく見られる瞳で、テオの妹で一時期リードの婚約者筆頭候補だった従姉妹も同じような色合いをしている。
成人してすぐに亡き王に仕え、そのまま王子で従兄弟に仕えたテオは。
「抵抗あらば即実家にたたき返すと脅しもしたから、あれで問題ないだろう」
おそらくな、と少し自信のない様子で、自分が任された仕事の成果を伝えた。
自信が無いのはおそらく、令嬢やその侍女が烈火の如く怒ったか何かしたのだろう。城に慣れてきた頃から、令嬢はリードとお近づきになろうと訪ねてくるようになった。
仕事だろうが何だろうが、まったくお構いなしに、だ。
とはいえ、ある程度日数を繰り返せば、相手があまり乗り気でないのはわかるのだろう。
彼女らはだんだんと、大胆に、そして執拗になっていった。
さりげなく他の令嬢の陰口を零す、というのはまぁよくあること。中にはあからさまな色仕掛けに出る、というはしたないを通り越してただただ下品にしか思えない令嬢もいた。
それにはさすがにリードもキレて、静かに。
『アバズレを王妃にするなど国の恥だからさっさとうせろアマ』
という本音を穏やかに、かつまろやかに整えて、令嬢の行いをそっと諭したが。
かくして、彼女らの猛攻を躱しつつようやく彼女らを後宮――と便宜上勝手に名づけている例の場所に押し込めたのだ。丸投げする形になったテオは、ひどく疲れた顔をしている。
「面倒ばっかりかけてごめん、テオ兄」
書類を片付けながら、リードは砕けた口調で従兄弟に詫びた。
年上の従兄は、一人っ子のリードにとっては実の兄に等しかった。
彼の妹はただひたすらリードの天敵だが。仮に彼女が完全に一人身であっても、絶対に彼女とだけは結婚しようとは思わない、思えないというくらいに、苦手意識がこびりついている。
そんな従妹もハッカが来る前に結婚し、どうやらめでたく子を授かっていた。
即位して自由を失う前に、一度会いに行くのも悪くない。
そのためにも、この『密談』で今後のことを決めなければならなかった。
議題は、ただ一つ。
「――なんでディオン・セヴレスが、ハッカに近づくんだ」
それだけだった。
数日前、図書室で本を読んでいた彼女に近づいた、ディオン・セヴレス。最近やたら城内で見かけるとリード自身も思っていたが、妹に会いに来ているものとばかり思っていた。
まさか狙いがハッカだとは、あの日までそんな素振りはなかったというのに。
しかも話しかけたその理由が――彼女の出生にまつわること、とは。
彼女がロージエ夫妻、育ててくれたという両親を慕いながらも、どう見ても彼らの実子ではないだろうことを気にしているのはリードも知っている。そこに罪悪感があることは、シアから説明されている。想像すれば理解できる、夫妻がよき親であるほどに苦しかったのだろう。
一応、ハッカ・ロージエについては調べられるだけ調べてある。エルディクスは犯罪者でないならいいよと口にはしたが、本当にそれだといろいろ面倒なので、万が一のためだ。
もっとも教会育ちの彼女に後ろ暗いものがないのは、明らかではあったが。
調べた結果判明したのは、ハッカ・ロージエは夫妻の『養女』ではないということ。彼女はロージエ夫妻の実子として届けが出されていて、それ以前の経歴はどう調べてもなかった。
夫妻は商人であったため、友人知人はとても多い。しかし夫妻がどこでハッカを見つけたのか知る者はいなかった。話を聞けるだけ聞いたが、みなが共通して答えるのは。
「いつの間にか、夫妻の娘として傍にいた――か」
そして、調査は見事ふりだしへと戻る。
彼女は、いったい誰の子供なのか。
どうしてロージエ夫妻は、明らかに我が子ではない彼女を、実子としたのか。そうまでする理由が必ず何かあったに違いないのだが、そこに至るための手がかりが何一つ見つからない。
あれだけ特別な見目をしているのだ、似た親類が入れば申し出の一つもあるだろうに、それもないから完全にお手上げだった。だがこれが逆に幸いしたとも言える。
だからこそリードらは、ディオンへの警戒を強めることができたのだから。
「何でアイツ、いきなり城に来るようになったんだ?」
「俺が聞いたところだと、あくまでも次の伯爵となるための準備……だそうだが」
どうだかな、とテオが低くつぶやく。
年齢が同じテオは、幼い頃からディオンとよく顔をあわせていたそうだ。彼曰く、世間が言うほどディオンという男は、能力が無いわけでもなければ悪人でもないという。
剣術や魔術といったものの才能こそ、その道に進めるほどは無かった。だが幼い頃より伯爵に勉学を仕込まれ、才能を目覚めさせてもいたと。文官としての活躍が望まれていたという。
しかし、どうにも精神的にだいぶ幼いところがある、というのは周囲の評価だとか。
それに成人してからの、素行の悪さも足を引っ張った。
日々歓楽街の類に出向いては、女性を連れて屋敷に戻る生活。
昼間はほとんど眠り、夕方になってようやく起きだしてくるという話だ。
証拠らしい証拠の無い、ただの噂ではある。
だが実際に彼を見かけるのは、夕方から夜であることがほとんどだった。この間の、早朝に屋敷の外にいるところなど、数年ぶりの目撃情報と言えるだろう。
そんな生活だったというのにここ最近、急に昼間に姿を見せるようになった。
しかも、城の中で、だ。
図書室に通って書物を読み漁り、伯爵の知人に声をかけて何事かを話す。
彼らは口をそろえ、同じ顔の別人のようだ、と言ったそうだ。
「彼なりに、この国の未来を案じてくださっているそうだよ」
エルディクスは苦笑を零す。
どうやら、話しかけた相手にはそんなことを告げて回っているらしい。
まさにその『未来』を担う彼からすると、不愉快なのだろう。リードはひどく不機嫌な顔をして、けっ、と吐き捨てた。そんな見え透いた建前、騙されてなるものかと。