戸惑いの心
「ディオン殿、このようなところで何を」
足音とともに聞こえたのはユリシスの声だった。
シアと何か言葉を交わした彼は、次にディオンを睨むように見つめる。
どうやら誰かが彼を呼びに言っていたらしい。走ってきたのだろう、彼の肩は上下に揺れるようになっている。その後ろから、シアはひょっこりと顔を出し、こくこくと頷いていた。
向けられていないあたしすら怖く思うほど鋭い眼光に、ディオンはへらりと嘲笑うような顔をするだけだ。まるでユリシスを小馬鹿にするようで、睨みも効果はないようだ。
「花嫁様をお見かけしたので、少し世間話をしていただけさ。それとも、伯爵の息子程度では少し話をすることすら許されないというのかな? だとしたら申し訳ないことをした」
「それは」
「さて、そろそろ帰らねば」
何事もなかったかのようにディオンは立ち上がり、すたすたと去っていく。
ちらり、と向けられた視線は、獲物を狙うような鋭い光があった。その矛先にいるのがあたしでなければ気づかれなかっただろうほど、それは一瞬の、ちかりとするようなものだ。
ディオンが扉を開き、その向こう側へと消えてから。
「ハッカ」
てこてこと走ってきたシアが、ぎゅうぎゅうとあたしを抱きしめる。
一応、彼女やナタリアはあたしに近づこうとするディオンを、邪魔をしてはいけないとかいう理由を並べて、近寄らせないようにしてくれたという。
けれどやはり爵位の関係から逆らい切れず、途中でシアが人を呼びにいったそうだ。
そして真っ先に見つけたのが、ユリシスだったという。
「大丈夫でしたか、姫様」
先ほどまでの鋭さを隠し問うユリシスに、あたしは小さくうなづいた。
話をしていただけではあるし、何かされたわけでもない。不本意ではあるが、本当に少し会話をしただけで、その内容だってぜんぜん進んでない。会話といえるかも怪しいものだ。
だけど、わずかだが告げられた内容は、少しも穏やかではなかった。
『本当の両親を知りたくはないのか、って言われた』
「……っ」
シアが表情を、悲しげにゆがめる。
一度、彼女の前で両親についての話をしたことがあった。
自分と両親の、容姿の違いについて、思わずグチを零したのだ。
比べるまでもなく全然違う色と形。確かに瞳の色は同じだったけれど、灰色の瞳なんてものはこの国ではありふれている。孤児院にだって何人もいたし、城の中でもよく見かける。
何も似ていなかった、自分は二人の実子ではないのだと幼いながらわかっていた。
それでも、二人と弟は、紛れもないあたしの家族。あたしはあの二人に、我が子として愛されていた。彼ら以外に家族なんて要らない、実の両親なんて少しも興味ない。
そう長年思い続け、最近になってリードを加えてもいいかなと思うようになったのに。
何の証拠もないディオンの言葉一つで、あたしの心は揺さぶられてしまった。
そうだ、本当はずっと興味があったんだ。本当は気になって仕方がない。もしも、今からでも自分の本当の両親に会えるなら――それがたとえ墓石でも、会いたいと思っていた。
お父さんとお母さんの手前、必死に『なかったこと』にしていただけ。
あの男は、あの短時間でそれを穿り返してくれやがったわけだ。
シアはあたしの中にある、この屈折してぐちゃぐちゃになった感情を知っている。震える腕であたしを抱きしめる彼女は、大丈夫だから、と繰り返しつぶやいた。
泣くような姿に、あたしまで泣きそうだ。
強くなりたいのにあたしは、また大事な姉妹を悲しくさせる。
「姫様」
静かに、ユリシスが声をかけてくる。
ぽんぽん、と軽く叩くように、あたしとシアの頭が撫でられた。
「あの男が姫様の両親について知っているわけがありません」
「なんで……なんで、言い切れるんですか?」
「姫様は、ロージエ夫妻の実子として届けが出ています。つまり養子縁組ではない。夫妻が存命でない以上、どこの誰から子供を預かり我が子としたのか探ることは困難と言えます」
あたしは名実ともにロージエ夫妻の娘、長女。いかなる書類にも、あたしはそう記載されるのだという。どこの誰の子だったか、知っているのは二人ずついるあたしの『両親』だけ。
けれど、そのうちの一組は、確実に死んでいる。
残り一組も、生きている可能性は薄い。
もし生きているなら、あたしは実の親のところに返されるはずだ。弟が、赤子が犠牲になったせいだろう、あの事故は結構有名だったという。同じ国にいれば必ず気づいてもらえる。
国外にいるなら仕方がないけど、それより死んでいると考える方が自然だろう。
一応、エルディクスが店を継いだ親類とかに話を、それとなく聞いたらしい。
けれど親類の誰も、あたしのことはわからないと答えたそうだ。いつの間にかお父さん達があたしを娘として育てていた、という感じで何も知らされることはなかったのだという。
「つまり書類に手がかりも不備もなく、親戚も知らず、ロージエ夫妻という当事者もいないこの状況で、ディオン・セヴレス――部外者が知っているわけがない、ということになります」
だから何も気にすることはありません、とユリシスは言った。
そうだ、言われてみれば彼は完全なる部外者だ。
あたしの実の両親が見つかろうと、彼にこれという見入りはないはず。だってあたしの実の両親がいようといまいと、神託は確かで、クリスティーヌはリードの眼中にいないのだ。
もちろん部外者だと、決め付けるのもよくない。
ほら、よくある話じゃないか、やんごとないご身分の方の隠し子。神託の花嫁となったからには口封じとか、殺したりとかはしないだろう。むしろあえて生かしておいて、お涙頂戴の再会劇でも仕立ててしまった方が、一から十の隅から隅まで都合がいいはず。
それなりの貴族だったならば全力で支援してきそうだ。もしそれが現実になったら、今のあたしには断りきれるんだろうか。そんなもの要らないと突っぱねられるかな。
貴族の援護があれば、あたしはリードの役に立てるかもしれない。くだらないこの茶番劇もさっさと終わらせることができるかもしれないし、トントン拍子に話が進むかもしれない。
そもそもは、神託以外に力がない、武器を持たないあたしのせいで、ここまでリードの結婚話がこじれているんだ。もし貴族の血を引いているなら、ここまでこじれなかった。
もちろん、あたしを捨てたのだろうだから、名乗りを上げてくる連中はろくなもんじゃないのはわかっている。あたしを利用して手に入れる権力を欲しているだけで、あたしを娘だとか孫だとか家族だとか一族だとか、そういうものに加えたいってわけじゃないんだろう。
利用されるなんてイヤだと。
あたしは道具じゃないと、思うのに。
それで彼の負担が楽になるなら、それでもいいかなんて思ってしまう。こんなの、言ったらシアにも怒られるし、リードもカンカンだろう。だけどあたしは、あたしはあまりにも。
「姫様、どうかお気になさらずに。あなたはロージエ夫妻の娘です」
『だけど、あたしは何もできていない。迷惑しかかけてない』
「リードはあなただから、人には委ねられない心を許している。何もできないということはないのです。あなたがいたからエルディクスとマツリはあるべき姿になれて、リードは誰かに心を預けることを知った。何もできないわけではない、あなたは確かにリードの花嫁だ」
ユリシスも一応『万が一』として考えているのだろう。これに関してはライアード家で調べています、と締めくくる。調べがつくまであたしは気にするな、ということなんだろう。
まぁ、あたしがうんうん唸って考えたところで、どうにもならないことだ。
気になるし、後ろ髪も引かれるけど。
「ディオンについては我々に任せ、姫様はどうかいつも通りで」
それが何にも勝るリードの癒しになるから、と。
告げるユリシスの言葉に、あたしは小さくうなづいた。