出生の謎
「あなたは知りたくないですか。自分という存在の、設計図を」
そう問われたのは、朝早くに城内にある図書室を尋ねた時だ。
城に慣れてきたらしくよく出歩くようになった令嬢と出会わないよう、こそこそと朝っぱらから出かけたのが運の尽きだったのか。どうしてこうなったのかと、あたしは彼を見上げた。
そこには令嬢より面倒な、青い瞳の彼がいる。
いつかの夜会で見かけた――ディオン・セヴレス。
なんでお前がここにいるんだと、とっさに言えない我が身でよかったような。
■ □ ■
貴族と神託の一騎打ち、とも言える状況になってそれなりに時間が経ち、最初はやはり出かけてきている先だし王城だし、と遠慮気味だった令嬢も解き放たれつつあった。
特にあたしに対する当たりは苛烈さを増し、リードとの会話にはそれに対する対策方法についての相談もよく上がる。そうやってかろうじてあったかもしれない好感度が、音を立てて下がっているとも知らず、彼女らは今日も熱心にあたしへのメンタル攻撃に励んでいた。
「あらあら、花嫁様ったら。しつこく尋ねられては、せっかくの寵愛も失いますわよ?」
「また殿下をお尋ねに? くすくす、よほど今のお立場にしがみつきたいのかしら」
などなど、すばらしいお言葉をいただく毎日。
正直、リードに泣いて頼まれても部屋から出たくないぐらいだ。
でもあたし以上に、リードもだいぶ参っている。あたしは遭遇してどうでもいいことを聞き流していれば終わるけど、彼は違う。彼女らをもてなして、話を聞かなきゃいけない。
どんなに腹の底で罵詈雑言を並べても、決してそれを顔に出さないように。
あの日、あたしにすがるようにして心のうちを吐き出し眠ったリード。
目が覚めたのは一時間か、二時間ぐらい経ってから。
あたしも途中で眠ってしまって、気づいたら彼の腕の中にすっぽり。宣言通りだきまくらにされていて、わりといつものことになりつつあるけど、やっぱり恥ずかしくて慣れない。
どうやら無意識のことらしく、目が覚めるとリードは申し訳無さそうにしている。あたしにはそれだけ彼が弱っている証拠のような気がして、これからも昼寝に付き添うつもりだ。
それ以外に、あたしが彼にできることは、なかった。
ない、と言い切っていいと思う。
神託なんて、あたしを城に縛り付ける以上のことはしてくれない。そこから先はあたしの努力次第なのだと、強く思う。だって神託があろうとなかろうと、彼女らはどうせ反対する。
あたしがせめて、それなりの貴族の生まれだったら。
彼の負担を、少しでも減らすことができたのに。
だからこそあたしは少しでも早く、王妃としてふさわしい存在になりたいと思った。彼女らが何の文句も口にできない、ぐうの音も出ないくらい、王妃にふさわしい花嫁にならなきゃ。
そうなったら、こんなバカバカしいことも終わる。
彼女らだって勝ち目のない戦いを、し続けたいとは思わないはずだ。
ある程度して、無理だと思えばきっと適当な相手を見繕って城を出て行くだろう。彼女たちだって行き遅れにはなりたくない。いつまでも勝ち目のない戦いに挑めるわけではないのだ。
そうなればリードの負担は、ぐっと軽くなる。
あたしにできることなんてそれぐらい……だから、もっともっとがんばらなきゃ。
家柄はどうやっても勝てないのだから、その分は頭の方で何とかする。
そのためにも、あたしは『勉強』を続けなければいけない。
ありとあらゆる知識を、叩き込んでやるんだ。彼女らに勝てる見込があるのは、今からでも磨くことができる頭の働き具合に違いない。ヒトと比べて特別いいとは思わないけど、自分を着飾ることしかしない令嬢に負けるほど出来は悪くはないと、そう信じている。
あたしはお飾りの、贅沢しかしないバカな王妃になんてならない。
どんな小さなことでもいい、誰かの何か役に立つ王妃になって見せる。
今日も、そんな決意を胸にして、朝から図書室で書物を読み漁っていたんだけど。
手元に影が落ち、邪魔だなと思い見上げた先には青い瞳があった。
「こんにちは、花嫁様」
彼の挨拶に、小さくうなづいて返事をする。
本を広げるじゃまになる石版は、足元に置いてあるからだ。とはいえジェスチャーだけで会話が成立する相手ではないし、あたしは石版を拾い上げるとさっと声を綴る。
震えそうになる手を、視線で必死に押さえつけた。
睨み付ければ、少しは手の震えも収まるかもしれないと思ったから。
『何か御用ですか?』
問いながら、とても用があるようには思えないとも考えた。
妹のクリスティーヌならともかく、彼があたしを訪ねる理由がわからない。彼の役に立つような権限など無いし、わざわざこんな朝早くから何をしに来たんだろう。
それにしても、相変わらずよくわからない顔つきだ。
目の前に立つディオンは、薄い笑みを何十にも貼り付けた不透明な表情をしている。エルディクスも表情から奥が見えないけど、彼とは種類が違って見えた。
ディオンの場合は、そこに妹同様の何ともいえない不気味さが漂っているのだ。
――悪い意味で、底が知れない。
覗き込んだらそのまま、底なしの穴に落ちていくようにも思える。
けれど、それでも一つ気づいたことがあった。兄に比べれば彼女の方がずっとマシ。妹のクリスティーヌの方が、それだけではないと知っているせいだろうけど、ずっとマシだった。
いつかマツリが、彼女のしぐさや言動が付け焼刃のようだと言ったことがある。
無理をして演技しているような感じがする、と。
もしかすると、それは正しかったのかもしれない。彼女が、その身にまとわりつく噂や印象にふさわしい振る舞いを見せる時。なぜかいつも口元を、広げた扇で隠していた。
まるで、それを合図にして意識を切り替えるかのように。
何かを隠す、ように。
「用――というほどでは。珍しい方をお見かけしましたのでね」
少しお話をしたくて、とディオンが笑った。
ちらりと視線を周囲に向けると、シアとナタリアが心配そうにこちらを見ている。
シアは庶民でただの侍女だし、ナタリアは騎士だけど男爵令嬢だし、いくら要注意人物に名乗りを上げているとはいえ、伯爵の息子相手には逆らえなかったみたいだ。
幸いにもここは、人がそれなりにいる図書室。
あたしの近くにも、熱心に本を読んでいる人がいる。
これだけ人の目があって、離れているとはいえ騎士がすぐそこにいるんだ。彼に何か悪意や害意があったとしても、さすがに直接手は出せないはず。そんなことしたら破滅だもの。
あたしが聞いた話だと、ディオンという男はあまりよくない人柄だったはずだ。身分ある家柄に生まれて、王子の教育係も務めた立派な父がいるにもかかわらず、彼に仕事はない。
年下であるエルディクス、ユリシスが若き王子の傍にいるのに。
その父王に仕えた男の子である彼は、まるで忘れられたかのように捨て置かれている。そのことについては彼の家族――というか母親が、かなりお怒りだという話も聞いた。
夜会などで怒り狂う姿を、大勢の人が目撃していたんだそうだ。
まぁ、そんなところでわめいたって、特別秀でた才能があるわけでもない限り人事はそうころっと変わるわけもなく。彼は控えめではあるけど、放蕩気味の日々を送っているという。
しかし夫人は黙ってない。
自慢の息子に役職を与えるべく、娘を城に送り込んだのだそうだ。
そんな、あまりよいとは言えない噂の渦中にいる男は。
「あなたは知りたくないですか」
あたしの向かい側の椅子に座り、頬杖をつき。
「自分という存在を作り上げた、その『設計図』というものを」
と、含みのある笑みを浮かべながら、唐突にあたしに言ったのだ。
その言葉を、あたしは一瞬頭の中で落としかける。
だって、自分という存在の設計図、という言葉の意味がわからなかったから。
設計図というのは、家とか風車とか水車とか、そういうのをちゃんと作るための、料理でいうレシピなのはわかっている。設計士という、そういうものを作る専門職の人もいるらしい。
でも、それがあたし――人間に、どうやったら繋がるんだろう。
「なに、簡単なことですよ」
わけがわからない、というのが伝わったのだろう。
ディオンは笑みを浮かべ、わずかに青い瞳を細めたように見えた。
「人間にも設計図、というものはあるんですよ」
それは、と彼は続け。
「――両親、です」
あたしの心にある水面に、大きな石を投げ込んできた。
思わず息を飲み込んだあたしに、彼はきっと気づいている。
両親、という言葉が、どれだけこの心に波を起こすのかも――あえて溜めるように言葉を切ってみせたところからして、おそらく知っているのだろう。ロザリーのところの侍女があれだけ言いふらしていたんだ、調べてみるくらいはしていてもおかしくない。
つまり、あたしがあの両親と血の繋がりがないということを。
自分でも、まったく似たところがないと感じる。
血の繋がりを感じない。
彼の言う設計図という言葉の意味が、なんとなく理解できた。
ディオンはあたしに、こう問うているんだ。
実の両親を、知りたくはないのかと。
一瞬、その魅惑的な言葉に心が揺れた。本当はずっと尋ねたくて、尋ねてみたくて、でも訊けないまま終わってしまったこと。ねぇお父さんお母さん、あたしは誰の子供なのって。
親類が知っているとは思わないし、お父さん達が死んだ以上、知ることもないと。
そう諦めていた、こと。
心のどこかから、叫び声が聞こえる。
――知りたい。
でも同時にこういう声もする。
――彼は怪しい。
そう、実に怪しい。
どうして彼が、そんな話題であたしに声をかけるのか、真意がつかめなかった。もしあたしの実の両親というものがいたなら、きっとリード達はあたしに教えてくれる。だって調べていないわけがない。見つけ出した彼らが何らかの要因で死んでいても、きっと教えてくれる。
リード達は、嘘をつかない。
何も言ってこないということは、彼らも掴んでいないのだ。
けれどディオンの口ぶりは、どこか『知っている』というメッセージをにおわせる。知りたくないのかと尋ねるその笑みは、自分なら知っているというかのようだ。
胡散臭い、というのが素直な感想だった。
やっぱり何を考えているのか、読み取れない男だ。
「僕はあなたに――」
にたりと笑う彼が何かを、あたしにしか聞こえない声で囁きかけた時。
図書室の扉が乱暴に開かれ、重い足音がした。