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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■9.甘言は囁く
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与えられた居場所

 その日も、あたしはリードの執務室にいた。

 いた、というよりも部屋を訪ねて待っていたと言うべきかもしれない。一緒に食事をしてそれぞれに報告をしあい、ちょっとお昼寝したらまたそれぞれのするべきことに戻っていく。

 ただ、今日はいつもより仕事が長引いたらしく、リードは食事をとってから残っている仕事をしている。何かの書類にサインをしたり、特別なものだというハンコを押したり。

 見たことのない人、マツリがいうには文官だという人が慌ただしく出入りするのを、ぼんやりと眺めるのは嫌いではなかった。けれど、あたしに気づいてかわいそうなくらいうろたえる人も少なくないので申し訳なくなる。そのうち慣れるよ、とエルディクスはいうけど……。


「殿下、書類を……ひっ」

「申し訳ありません殿下……あっ」


 みたいな反応がそれなりにあると、それはそれでこっちが傷つくわけで。あっ、は驚いた時の決まり文句みたいなものだからいいとして、ひっ、てなにさ、なんで怯えるのさ。

 人を見るなりそんなに驚かなくてもいいじゃん、ねぇ。

 しかし今日は移動もできない。なぜならあたしはまだ食事中なのだ。目の前には実に美味しそうな昼食がずらりと並んでいて、お腹の余裕はたっぷりと残されている。


 今日の昼食は、野菜中心のあっさりしたメニュー。

 サラダとパンとスープ。

 メインはふわっふわのオムレツ。

 恰幅のいいヒゲの料理長の得意料理で、彼特製のソースがかけられていた。なぜそんなことを知っているのかというと、あまりにもヒマを持て余した時にちょっと見に行ったからだ。

 その時にそれとなく味の好みなども尋ねられ、食事にはそれが反映されている。

 特にデザートが華やかになったし、お茶会で使う菓子の種類も増えた。リードはあまり食事の好みがないらしく、以来、あれこれとたまにアンケートを受ける立場になっている。

 それとなくリードの好みも伝えているからか、彼も食事を楽しんでくれているようだ。

 ……とはいえ今日は、あまり楽しくなかっただろうなとは思うけど。


 一口に入る大きさに切り出したオムレツを口に入れながら、あたしはちらりと横目でリードを見る。それから視線をテーブルに戻し、自分の食器と料理しか無いことを改めて確認した。

 これでもほんの少し前、数分もないくらい前には、リードの食事が手付かずの状態でずらりと一緒に並んでいた。いただきます、とお祈りをしたのはちょっと前だというのに。

 あたしがオムレツを半分食べ終わる頃には、もう完食していただろうか。吸い込むような早さの食事は、そもそも『食事』と言ってはいけない気がしないでもない。

 早く食べるのはあまり身体によくないというし、心配になる。

 普段はもっとゆったりと、あたしに合わせるように食べているのだけれど、今日はもうとにかく忙しくてたまらないらしい。令嬢へのご機嫌取りである散歩にすら出られないほど。


 エルディクス曰く、この慌しさは今のうちらしい。

 リードが即位する頃には、少しは落ち着いているはず……たぶん、とのこと。さすがにいつまでもこのペースじゃ身体を壊すから、いずれは量も減ってくるのだろうけれども、肝心の即位まで半年以上まだあるんだけどな、と心の中であたしはため息をこぼした。

 ここでもあたしは、やっぱり何もできないのだ。

 与えられた立場にしがみつくだけで、精一杯の不格好さ。

 そう思うとこんなに美味しい料理の味やのど越しが急に悪くなった気がして、思考を散らすためにも一気にペースを上げていく。途中、えづきそうになったけど、何とか耐えた。


「はい、ハッカ」


 マツリが紅茶を淹れてくれるので、ありがたくそれを飲む。詰まるような感じがするっと消えていくようで、ほぅ、とあたしは息を吐きだした。マツリが淹れてくれるお茶は美味しい。

 食後に彼女のお茶を楽しむのも……リードの、日課のひとつだったけど。

 一心不乱に書類を片付けていく姿に、紅茶を飲む余裕は少しも見つけられない。

 だからマツリも、最初からあたしと自分の分しか淹れていなかった。

 シアの手で食器を下げられ切れになったテーブルに並ぶ、二つだけのカップ。主が忙しいのだから当然部下のエルディクスも忙しく、二人共食後の休憩に入る隙もないようだった。

 いつもなら、四人にシアやユリシスを交えての、情報交換もしていたんだけど、それがないとなんとも静かで寂しい昼のひととき。ワガママは言わないし言えないけど、寂しいと思う。

 せめてシアでもいたらいろんな噂を拾ってきてくれてるから楽しいのにと思うけれど、彼女は食器を片付けるついでに他所で手伝いをしてくると言い残して出て行ってしまった。


『何もしないでいるのは申し訳ないし、もっと城のコトを覚えなきゃいけないし、人脈も作らなきゃですから。それに執務室なら騎士様いるし、リード様達もいるから、安心ですし』


 とか言い残して、彼女は知り合いの侍女と厨房へと向かっていった。

 何でも今日は、材料の仕込みの手が足りないらしい。教会でよく厨房にいたシアなら、まさに適材適所だろう。今頃はじゃがいもの皮でもむいているのか、あるいはたまねぎなのか。

 特例と特権の合わせ技的な雇用ということで、他の侍女からはよくも悪くも浮き気味だったらしいけれど、地道に手伝いなどに混ざったことで最近はいい感じに馴染んでいるという。

 そこに混ざれない自分の現状が、ちょっとだけ寂しく思える。

 あたしのために護衛を兼ねた侍女なんて面倒なものに、なってくれたのにね。

 シアの努力とやる気に報いるため、あたしはあたしがするべきことをしていかないと。


 食後のお茶を味わうヒマすら奪うほどの、書類の山と戦うリード。手付かずの書類が積み上がった山の高さからして、マツリが淹れてくれた紅茶がなくなる頃には片付きそうだ。

 その間、あたしもあたしの仕事を、勉強をしよう。

 覚えることはまだまだ多い。

 リードの隣に立つにふさわしい王妃に、ならなきゃいけないんだ。

 それがこの国のためだし、何より――あたしと、彼のためになると思うから。

 あたしの努力とは無関係に与えられた、今の居場所。一時期は罵詈雑言をはき捨てた神様だけど、あたしをここに縛り付ける内容とも言えるあの神託が、神様の意思だというのなら。

 あたしは、ここで生きていくべきなんだと思う。

 とはいえ神託の力の上に座り込んで、それにべったり甘える気は微塵もない。そりゃあどうやったって生粋のお姫様やお嬢様には勝てないけど、生半可な努力では適わないけど。

 だからって背を向けるなんてことは、したくないんだ。


 今はとにかく勉強。

 足りない経験は知識で補い、少しでも前に進んでやるんだ。リードだって、あんな書類の山と毎日戦っているのに、あたしだけ遊んでなんていられないんだから。

 神託の花嫁という称号に、つりあう『王妃』にならなくちゃ。

 目下、頭が痛いのは例の王妃候補で愛人候補な皆々様なんだけど、マツリやエルディクスがそれとなく何とかしているからなのか、今のところ直接的な何かはないままだ。

 向こうも避けているのか、一日に一人とすれ違えばいい方。

 侍女とすらすれ違わなかったりするのが、ほとんど。

 その中に、あの悪意ある噂を流していた侍女を、見かけることはなかった。はっきり姿や顔を見たわけじゃないけれど、たぶんもう城にはいないんだろうなと思う。


 いなくなった理由は……あまり、深く考えたくはない。

 直接訊かねば出ない答えだし、今は噂を流す人がいなくなったことを喜ぼう。

 今からでも、例えばリードやエルディクスに報告でもすれば、何かしらの手段で見つけ出した後にそれ相応の対処をするのだろうとは思う。でもそれはしたくない。

 あたしが耐えれば、なんてことを言うつもりはないけど、今はまだ大丈夫。あまりにも下世話過ぎたからなんだろう、噂はそれほど広まることはなかったようだし。むしろ口にすることで周囲から冷ややかな目を向けられるらしく、これは神託のおかげだろうと思う。

 ああいうのは、反応するのが負けなんだ。

 それに騒ぎを大きくしたら、リードに迷惑がかかるかもしれない。

 今、彼は自分のことだけで精一杯だろうから、あたしまで背負わせられないよね。

 だったら、黙っていた方がいいと思う。シアは、そんなの甘い甘すぎる、一度あれば二度目もあるんだよって、ぷりぷりと怒ったけど、見つけたところでどうしようもないのも事実だ。

 直接手を出してくるなら、どうにでもなるんだけれど……噂では、難しい。

 言い逃れをされたら、そこで終わってしまうわけだし。

 しかし対処は考えなきゃいけないかな、などと考えていた時だ。


「あああああ、おわったああああ」


 いきなり叫んだリードが、何もなくなった机にばたんと突っ伏した。

 傍らにいるエルディクスが、書類を手に苦笑している。ずずんと積み上がっていた書類はすっかりと姿を消していて、慌ただしく数人の文官が書類を運んで部屋を出て行く。

「お疲れリード。午後は予定は特に入っていないから、少しゆっくりすればいいよ」

「言われなくてもそのつもりだっつーの」

「だろうね。じゃあ、後は任せたよハッカ」

 書類の半分をマツリに渡して、エルディクスは彼女と共に部屋を出て行く。

 突っ伏したままひらひらと手を振り、扉が閉まると同時にリードは大きく息を吐き出した。

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