神託
きれいだな、とあたしは思う。
青空に走る白い線。
光かな。
どっちでもいいけれど、とにかく綺麗だった。
神託、という存在の意味はさすがに知っている。神父様がするお話に、何度も出てくる神様のお告げだ。神様がくださることもあれば、こちらからそれを乞うこともあるらしい。
その違いはわからない。
どれだけすごいことなのかも、わからない。
ただ周りの反応を見た感じでは、これはすごいことなのだろうと思う。
「神託だ……宮廷魔術師様が、神託を賜ったぞ!」
「何十年ぶりかのぅ……」
周囲から聞こえるのは、感動の声。それを神託と断言するのは、誰も彼もが神父様よりも年上だろうおじいさんやおばあさんばかりだ。空に走る光の先を見つめ、涙する人もいる。
あたしは――ただ、唖然としてそれを見ていた。
話に聞くばかりだったそれを、あたしは、今、実際に目にしているんだ。
宮廷魔術師が賜った、ということはこちらから神託を求めたという意味なんだろう。
数人の魔術師が儀式をとり行い、神託を乞う。
ああして光が溢れているなら、きっと成功したのだろう。
神様は、その神託は、どんなことにも答えをくださるという。
その願いに最適の答えを、しっかりと伝えてくれる。それは決して間違わない。
受け取る側のやり方で意味合いが狂ってしまうこともあるだろうけど、それが歴史に成った頃には、神様から賜った言葉が正しかったのだという証明がされるのだという。
とはいえ、他愛の無いことで神様の意見を聞くわけにもいかない。
だから――例えば、次の王を決める時とか。そういう重要な事柄に関してのみ、神託の儀式は行われているという。そう、あたしのような孤児でも、その程度なら一応は知っている。
それくらい神託とは重要な存在で、絶対的な『権力』を持つ言葉だった。
逆らうことは許されない。
それが王族でも、王様でも。
だってほかならぬ神様の言葉だから。
さすがに、神様を崇め慕う国民の怒りや不信を買うようなことをした王様は、今のところひとりとしていないらしい。もし神託をないがしろにしたら、大事な玉座から引き摺り下ろされるぐらいならいいだろうけど、多分最終的には首が物理的に飛んでしまうだろうし。
実際、他所の国にはあったのだそうだ。
何かの問題を抱えた末に神託を賜り、それが気に入らないからと拒否して――最終的には一族郎党皆殺しにされた王様が。神様は慈悲深いけれど、時として恐ろしい存在なんだ。
そうして、気づけばあたしの存在なんて、周囲から忘れ去られていた。
みんながみんな、神託が下った証である光の柱を見つめている。
でも、今、神託を求めるほどのことが、この国にあっただろうか。王様がいないという問題はあるけれど王子がいるし、その王子は一人だから彼が即位する未来は揺るがないはずだ。
あるいは、その伴侶とかなんだろうかと思うも、この国には貴族令嬢という生き物が掃いて捨てられるほど生息しているはず。神託を賜らないといけないような問題とも思えない。
確かに、貴族社会は若いどころか幼いうち、それどころか生まれる前から結婚相手が決まっていることも珍しくないという。しかし相手は王子だ。その王子が求めれば、たとえ婚約者がいても断ることはしないだろうと思うけど。もしかすると、断られたから神託なのかな。
あぁ、考えても神託を求めた理由がわからない。
国内が無理でも国外がある、いくらでも嫁の来手はあるはず。
どうしてなんだろう。
そこで、まさか、という考えたちらりと脳裏をよぎる。それは王子が、異性を愛せない人という可能性だ。もしそうなら、神託を求めるだけの理由になるようにあたしは思う。なにせ王族はもうその王子一人だし、彼には少しでも多く子供を作ってもらわないといけないはずだ。
だとすると、この国はどうなるんだろう。
強引に女性――王妃をあてがい、子供だけ作ってもらうのかな。なんて、夢も希望も無いひどい話だ。別に玉の輿だの、御伽噺だのに夢なんて見ないけど、それにしたってひどい。
なけなしの理想も木っ端微塵になりそうで、あたしは必死に思考を変える。
……あぁ、でもずいぶんまぶしいな。
うつむかないと、目も開けていられない。
周囲の音が、やけに意識に入る。
「お、おい……」
「これって、なぁ、これってまさか」
「なんて神々しいの……」
確かに神託の柱は神々しい。
子供も孫もできる気がしないけど、もしできたら語り聞かせたいくらい。でも今はまぶしすぎるから、少し木陰へ。腕をかざして薄く目を開き、あたしは――異変に気づいた。
まぶしくて閉じていた目を開くと、周囲の誰もがあたしを見ている。
理由が一瞬わからなかった。おばあさんなんてあたしに向かって指を組み、お祈りをし始めている。ちょっとまって、あたしはそんなありがたい存在になった覚えなんてない。
数歩後ろへ下がった。
眩しさはついてきた――ついて、きていた。
さすがにあたしも、その異変に気づく。城のどこかから空へ伸びる光、そこからもう一筋の光が街に向かって伸びてきていた。そしてそれは、まっすぐにあたしを照らしている。
動けば動いただけ、光はあたしについてきた。
これって、どういうことなんだろう。
どうしてあたしが、光に照らされているんだろう。
これは、神託の光……のはず。だっていろんな人がそんなことを言っていたし、あたしだってきっとあれはそうだろうって思って。だとしたら、どうしてこんなことになっているのか。
どうしよう。
とりあえず逃げた方がいいのかな。
どうすればいいかわからない。何がどうなっているのか、ぜんぜんわからない。こんなに人からじろじろ見られるのも、嫌いだし怖い。さっきまで蔑んでいた目が、えぐりだして取り替えたみたいになっているのが気持ち悪い。帰りたい、帰りたい帰りたい帰りたい!
じり、とあたしは少しだけ動く。
かばんを腕に抱えて、すぐに走り出せるように。
誰も追いかけてこないようだから、そのうちに逃げ出そうと。
「き、騎士団だ!」
そこに、若そうなお兄さんの、悲鳴にも近い驚愕の声がする。がしゃがしゃ、と金属がこすれる音を鳴らしながら、その畏怖と威圧と威厳を放つ集団はあたしの方へと近づいてきた。
銀色の甲冑を纏う集団と、その先頭に立っている数人の軽装の男性。
甲冑姿の集団――兵士はそんなに珍しくない。
町の中を数人で巡回しているのは、あたしもよく見かけている。
彼らの多くが庶民で、教会の近所のお兄さんなんかも所属していた。時々教会に巡回に来てはいろいろ神父様と話をして、小さい子らとも遊んでいってくれるいい人だ。
命の危険こそあるけれど、それなりにお給料も良いらしい。
そう、彼らだけなら何も怖くは無い。
集団は怖いけど、そんなには。
問題は、彼らの先頭に立っている人々が、軽装だということだ。
それぞれ何かの紋章を刺繍した外套を羽織り、腰に剣を携える彼らは――騎士だった。
基本、貴族だけで構成される、兵士を従える特権階級。普段は城の中で王族などを守ることが多い彼らが、なぜか、こちらに向かってくる。兵士を従えて、まっすぐに。
近づいてくるそれを目にした瞬間、あたしの喉が、ひぅ、と鳴った。
音も怖いし、彼らも怖い。
何より光が恐ろしい。
あたしの頭の中は、真っ白に染まる。
なんでついてくるの!
どうしてあたしなの!
誰にともなく心の中で叫んで、あたしは走り出した。あたしが一番安心できる、神父様やシスターや、シアがいる教会を目指して。背中に突き刺さるような視線から、逃げるように。
なのに、あの光はずっとあたしを照らす。
物陰に隠れたら、鏡も何もないところで折れ曲がってあたしを照らす。
どうして、どうして!
どこまで走っても、光があたしを見つけ出す。もう地下にでももぐらないと、きっとあたしは逃げられない。いや地下でも、きっとどこからか入り込んでくるんじゃないかと思う。
それでも、それでも教会なら。
神父様なら、きっとこの変な状態から助けだしてくれる。
後ろからは金属音。彼らは逃げ出したあたしに、すでに気づいている。そしてきっと捕まえるために、逃げるあたしを追いかけてくる。理由なんて知らない、何もわからない。
だんだん見慣れた景色がやってきて、あたしは痛む足を必死に動かした。
あたし、どうしてこんな目にあってるんだろう。
そんなに悪いことを、したのかな。
光に照らされながら、あたしはひたすら走り続けた。