望まぬ再会
ここは、城の中にいくつかある、応接室のひとつ。
国賓を招くこともあるという部屋は、びっくりするほど豪華な内装だった。ちらりと聞いた話では国宝級の何かもあるらしく、庶民程度のハートしかないあたしは身動ぎもできない。
赤と金を基調にしているからか派手さを抑えつつも高貴な感じで、腕を広げても端に指先が届かないくらい大きな絵画、数人がかりで運んだっぽい大きな花瓶と準備は万端。
最初にあたしが通された部屋や、今過ごしているリードと共同の自室なんかも結構すごいと思ったけど、ここはそれらとは違う意味で別世界だ。舞踏会なんかに使う部屋も凄いらしい。
結局、城に来たのは十人ぴったりだった。
十数人と聞いていたけど、何人か辞退したらしい。
『届かない高嶺の花より、そこら辺にあるそれなりの花を選んだのさ』
だそうだ。いざ名乗りを上げたはいいものの勝ち目のない戦いを悟り、適当な相手を選んだという戦略的撤退を決めた家がいくつかあった、ということなのだと聞かされている。
辞退者はあれこれ言われる前に、そそくさとこの数日で結婚したそうだ。式自体は後回しにしている辺り、慌ててる様子を感じる。なぜそこまでわかるかというと、さっき見せてもらった辞退理由を書いた紙に、ご丁寧にもそう書いてあったからだ。
中には城に荷物を運び込んだ次の日に辞退、即日結婚、なんてケースもあったりしたのでよくわからない。エルディクスの調べでは特に裏工作なんかはないらしいけれど、どうだろう。
他の候補を見て勝ち無し、と見た可能性は高いというけど。
特にクリスティーヌあたりは、かつては王妃候補とも噂された令嬢だ。
伯爵、というそれほど高い身分ではないけど、やはり父親の七光りも強い。彼女の他にも公爵令嬢まで出てきている以上は、引き際の見定めというのも重要になるのだろう。
負けが濃厚の戦いに、あえて乗り出すのは得策ではないし。
全体的に見れば命にかかわるような害はないけど、令嬢本人への害は甚大だ。気づいたら結婚適齢期を越えてたというのが、目に見える最大の害かもしれない。一般市民なら三十代ぐらいでの初婚も決して珍しくはないけど、貴族ではせいぜいあっても再婚だろうし。
ならば、それなりのところに落ち着くのも、ある種の作戦なのだろう。
今候補としてこの城に残っている十人は、最低でも愛人辺りには座りたいのだろうか。
……庶民の感覚からすると、だいぶおかしく見えるなぁ。
あまり良くはないけど、まだ王妃狙いを隠さない方が理解ができる。やっぱり王族ってすごいものだから。愛人ってあんまりいい響きしない、教会の教え的にも不道徳なものだし。
まぁ、それはそれとして。
なんにせよ、あたしにとっては頭が痛くなるような話だった。
正直なところ、彼女らに会わないように部屋に引きこもりたい。例の一件もあって、あたしの中で貴族令嬢とは、とにかく恐ろしいものとして認識が固まっている。
大体、あの令嬢のせいなんだけど。
まぁ……でも、あれほど強烈なのはいないよって、エルディクスも言ってたし。
あたしもそれを信じて、今日の面会を迎えたわけなんだけど。
『ごめんなさい、あたしがバカでした』
「ハッカ……しっかりして、あと少しで終わるから」
真新しい石版を抱え、あたしはソファーの上に横たわっていた。抱えた石版は真新しいを通り越して、さっきやっと一声綴ったばかりの超新品。あぁ、この重みが懐かしく愛しい。
今朝、やっと完成したんだとエルディクスが持ってきてくれたのだ。
前のと同じように木枠にはめられた、でも前よりもずっときれいな黒い石版。あれは比較的断面がまっすぐなものを、知り合いの石屋から神父様がもらってきたもの。そういう用途に使われる石ではなかったので、若干色も薄くて、時々文字がよく見えなかったりしていた。
それでもわざわざ手に入れてくれたものだから、うれしくて大事にしてきた。
人を守るためとはいえ、砕いてしまって申し訳ない。もう少し状況が落ち着いたら、これまでの感謝などと一緒に謝罪も伝えに行きたいと思っている。いつになるかわからないけど。
一方、エルディクスが手に入れてくれた新しい石版は、前のと比べると黒に近い灰色で表面はきれいに加工されている。あたしが書きやすいようにと、いろいろやってくれたみたい。
一回り大きいし木枠も滑らかだから、持ちやすいし書きやすい。特に木枠には花とか蔓が掘られていて、パっと見た感じもすごく華やかだ。華美ではないのが逆にあたしには馴染む。
王妃になるあたしのため、考えてくれたのかなと思う。
で、どうしてこの新品の石版をさっきの泣き言以外に使わなかったかというと、ただ単に使えなかっただけだった。使う以前に、そう思うより前に、チョークに触れてすらいなかった。
一方的に話を投げられ、投げ続けられ。
彼女らは、まるで嵐のように去っていったから。
案の定というべきか、どれもこれもルーフィと同類で話をする前から疲れた。口を開けばやれ実家の自慢、やれ家族の自慢、やれ爵位の自慢。そして自分に関するありとあらゆる自慢。
心がとても疲弊した、もういやだ。
■ □ ■
「では、ごきげんよう、花嫁様?」
目を細めて見下すようにあたしを見て、くるぅりとドレスを翻し、さっそうと部屋を出て行くのは子爵令嬢。名前は――忘れてしまった、あとで復習しないといけない。
候補者の中では彼女が一番爵位が下なのだが、過去には王族縁者を娶るなど結構歴史は長いそうだ。……って言われた、言われまくった。マツリが言うには嘘じゃないらしい。
彼女の家は代々、上の爵位には興味がなかったという。それがなくても食べていける商才などがあったのだそうだ、しかし彼女の兄はマツリ曰く相当な野心家で、せっかく王子と同年代の妹がいるのだから、と周囲に負けじと差し向けてきた――ということなのだろう。
家柄について、自身の持つスキルについて。
延々と自慢話を聞かされるなんて、これってどんな拷問なんだろう。肉体的苦痛の方がましなんじゃないか、とさえ思う。興味もない、すごいとも思わないことに関する自慢は退屈だ。
……うん、あなたが何人の男に口説かれたとか、どうでもいいんで。
しかしそんなこと、口にも文字にもできやしないから、あたしはただ耐えた。
そして最後に己の美貌に関する自慢を、がっつりと語りに語って。あたしを頭の上から足の先まで、心底見下して、ついでに勝ち誇った表情を浮かべて去ってくれたのだ。
「っていうか、すごい人でしたね、今の人」
「……うん」
『酒場のお姉さんみたい』
さすがに貴族令嬢にそれはないんじゃ、と思うけど、それ以外に言葉が見つからない。
リードは公的な場所ではしっかり『王子様』してるのは知っているけど、それでもアレを見たら王子様してられるかあたしは怪しいと思う。それくらいすごかった、やばかった。
隠したいのかこぼれさせたいのか、という感じに露出した胸元。
さすが見せ付けるだけあって、その大きさはかなりだった。
胸に関しては、彼女にあたしを見下す権利というか、資格はあったと思う。だからってあんなにさらけ出していいかというと、そこら辺はまた違う問題だろうけど。
重ねた布が花弁のように広がるドレスには、足の付け根あたりまで入ったスリット。
底から覗く足には、黒いレースの……あれなんていうんだっけ、ガーターベルト?
まぁ、そんな感じの、十四歳とか嘘でしょっていう姿の令嬢だった。自慢らしい金髪は大輪の薔薇を模した髪飾りで結い上げ、もちろんメイクはばっちり。
本人はそれを似合うと思っているのだろうし、実際に似合っていた。
目鼻立ちがはっきりした、派手なつくりをしているから。
ただ、まぁ……似合っているなら何でもいいのかってことはないだろう。そう思いたい。酒場なんかで飲んだくれてへべれけになってるおじさんなら、喜びそうだなって思った。
「あと二人だから、がんばって!」
シアに励まされながら、あたしは石版の文字を消す。
そう、たった二人だ。
一人はもうわかっている。
未だ来ない、伯爵令嬢クリスティーヌ・セヴレス。
もう一人は知らないけれど、さっきの侯爵令嬢ほどの逸材はもう出てこないと思う。
「じゃあ、次の人を呼ぶわね」
「ハッカ限界気味なんで、もう二人まとめて呼んじゃいます?」
「そう、ね……その方が、一人の独壇場にならずにすむかも」
最初からそうしておけばよかったかも、と苦笑とため息をこぼし、マツリが応接室から出て行く。隣にある別の応接室にいる、残り二人を呼びに行くからだ。
その間にあたしは、シアと二人でさっと身支度を整え、石版をひざに乗せて待機。
深く呼吸を繰り返して、心を鎮める。
びしっとした態度で出迎えて、もう相手のペースに飲まれないように。大丈夫、もう一人がどういうタイプかは知らないけれど、さっきのよりはマシだ。あんなの二人もいてたまるか。
しばらくして、扉が小さくノックされる。
「セヴレス伯爵家より、クリスティーヌ・セヴレス嬢」
「……ごきげんよう」
平坦な、感情がない声で挨拶しながら、しずしずと部屋に入るクリスティーヌ。彼女は以前見かけた時と同じように、あまり華やかではない地味なドレスを着ている。
口元は相変わらず、広げた扇で隠してあった。
見た目こそ地味系だが、大人びた令嬢といった感じに見える。一言にするなら、リードの好みに合わせてきた、というところだろうか。彼はあまり華美な装いを好まないようだから。
クリスティーヌは、ゆったりとした動きであたしの向かい側に座る。
少しあたしから見て左、彼女からすると右に寄った場所だ。
「それから、フェリシアナ侯爵家より、ロザリー・フェリシアナ嬢」
「え?」
マツリの声に、反応したのはシア。
部屋の隅で、置物のように待機しているのが仕事の彼女だった。彼女は侍女なのでこういう場所で声を発してよいわけもなく、あたしが何を言われても黙って耐えるのが仕事だ。
その彼女に声を出させた名前。
それは、思い出したくないのに忘れられない、彼女の名前だった。
いや、でも名前だけだ。
苗字が違うし、名前だってそう珍しいものじゃない。そりゃあ、記憶が正しければ確かにそれなりの貴族に引き取られていったけれど、だからってこんなところで再会とか、まさか。
「あーら、ハッカさん。お久しぶりですこと」
しかし開いた扉の向こうから聞こえた声に、あたしとシアの、おそらく同時に抱いた希望は砕かれる。そこにいたのはあたし達がよく知る、ロザリーという名前の少女。
かつて、同じ場所にいた――孤児だった。