空に伸びる光
さてと、城はどうでもいいとして、これからどこへ行こう。
あたし――もとい教会に自由に使えるようなお金なんてないから、そこら辺を適当にぶらぶら見て歩くだけの散歩なんだけど、どうせなら少しでも楽しいと思えるような散歩がいい。
あたしは、頭の中にこの町――王都の地図を広げる。
この王都は基本的にこう、丸い形をしていた。
真ん中には王城、その周囲にはお貴族様のお屋敷がある高級住宅街。まるで切り株みたいにそこと普通の人が暮らす場所を隔てるような壁があって、兵士が守っていて通れない。
あたしはお父さんの仕事でたった一度だけ入ったことがあるけど、壁の向こう側はもう見た目がぜんぜん違った。道なんて痛んだところなんてなくて、ごみも葉っぱも落ちていない。
あのへんの掃除をする、専門の人がいるんだそうだ。
本当に同じ町なのか、思わずお父さんに訊いてしまったくらいだ。
やっぱり、お貴族様は生きる世界が違う。
なら、彼らの上に立つ王族なんてもっと違う世界の人なんだろうって、あの時思った。
別にその優雅で恵まれた暮らしや町並みを、だけどあたしはこれといって羨ましいとは思わなかった。あまりにも綺麗すぎたせいで、何だか作り物みたいだったから。本当に人が住んでいるのかという不安すら、感じたほど。誰も通らない、ただ綺麗なだけの道は不気味だ。
そういう別世界を取り囲むのは一般市民が暮らす地域。大きな通りの周辺にはアパートという集合住宅や商店が並び、お金持ちの邸宅がお貴族さまが暮らす場所とを隔てる壁の傍にずらりとならんでいる。中心や大通りに近いほど土地が高い、一等地というものらしい。
そこから少し入った路地の通りには飲食店や雑貨店があって、もっと奥へ入り込んだ先に民家が並ぶ住宅街があり、その隅っこの一角にあたしが暮らす教会と孤児院はあった。
昔あたしが住んでいたところとは、お城をはさんだ反対側だろうか。
徒歩で行くには、少し遠い。
だから、あたしはここに、置き去りにされたんだろう。
事故のあと、声を失ったあたしは親戚をたらいまわしにすらされなかった。誰もが最初から引き取ることを拒否し、葬儀が終わるとそのままここに置き去りにしていったのだ。
葬儀を行ったのはあの教会で、もちろん普段通っていたわけじゃない。あの教会とあたしや家族には、半ば強引に棺を運び込んだあの瞬間まで縁も何もないはずだった。
手早く葬儀は片付けられ、あたしは家族の墓の前に残される。
いや、あれは葬儀だったのかな。
ただ三人を棺に入れて、土の下に埋めただけだった気がする。あたしはただそれをぼんやりと見ていて、親戚はまるでそこにあたしなんていなかったように去っていった。
面倒だったんだろう。
元々、あたしはお父さん達の子供だとは思われていなかった。他所の子として、ずっと扱われていた。むしろみんなが死んでからは、あたしのせいで死んだとすら言っていた気がする。
ただでさえ面倒なものが、このキズのせいで余計に面倒で。
だから、きっと。
あたしは親戚に『捨てられた』んだ。
親を亡くして、引き取られないまま『捨てられた』。
いっそ、あのまま行き倒れて死ねと思ったのかもしれない。事故の時にあたしの声を殺すことで命を救った先生や、今はあたしを引き取った神父様すら恨んでいるかもしれない。
いや、きっと恨んだと思う、恨んでいると思う。
だってあたしは、聞いてしまったんだ。
葬儀の前の夜に口論する、親戚達の怒鳴り声を。
話題は、あたし。
あたしを誰が引き取るか、じゃなかった。どうやってあたしを処分するか。お店はお父さんの弟が引き継ぐことに決まって、残るのは厄介者が服を着て歩いているような存在のあたし。
あの医者のせいで、あたしが生き残った。
そのまま逝かせてしまえばよかった。
そんな声も聞こえた気がする。
処分方法を考えながら、彼らは直接手を下せなかった。あたしを、置き去りにするという生ぬるい方法をとった。さっさと邪魔な死体を粗悪な棺に入れて、土の中に捨てて、埋めて。
その作業を見ながら、あたしは少しだけ、思っていた。
あたしも、一緒に埋めてくれればいいのにって。
弟を腕に抱いて、眠ってしまえば。
このまま、行き場も無く存在しているよりは、ずっといいんじゃないかなぁって。
まぁ、あの親戚達にはそんなのできるわけがない。仮にあたしが思ったままにその穴に飛び込んだところで、救うことも土をかけることもできないまま慌てて騒ぐだけで終わりだろう。
それじゃ、何の意味も無い。
ただ汚れるだけだから、あたしはただ立っているだけだった。
そうしてみんないなくなって、あたし一人が残されて。
お墓の前で、ぼんやり突っ立っていたところを、見つけてくれたのが神父様。その後しばらくしてあたしは、孤児として教会の孤児院に身を寄せることになった。
神父様と親戚の間で、何があったのかはわからない。
ただ、普段は温和なあの人が、隠しきれないほどの怒りを目に宿していたから。
またあたしのせいで面倒なことになったんだなって、思った。
だからこそ、余計なことにならないよう、あたしはできるだけ外に出ない。あたしが動くとみんなが困るような気がして、できるだけ迷惑を生まないようにひっそりと生きてきた。
これ以上、あの人に迷惑をかけるわけにはいかないから。
だから、あたしはこうして散歩に出る。
すぐに戻ると……悲しむかも、しれないな。
外に向かうあたしを見て、神父様は嬉しそうに目を細めて笑っていた。何もなくともすぐに内側へと引きこもろうとするあたしを、あの人はやっぱり心配なさっているんだ。
幸せになりなさい、と神父様とシスターは言う。
成人して孤児院を巣立っていく子の、まだ小さい手をしっかりと握って。いつかあたしがここを出て行く時も、同じようにするのだろう。幸せになりなさい、と手を握って、目を見て。
……あたしは、それに答えられる一生を過ごせるだろうか。
神父様、シスター、あたしは幸せでしたって。
同じように目を見て言える未来を得られるのだろうか。
そうだったらいいなって、思って。
でも無理だよねって、諦めて。
まるで、この町の道みたいな出口の無い、ぐるぐると回るばかりの思考。
振り払うように、靴を鳴らすようにして前に進む。
この町の道は基本的に円の道と、それらをつなぐ縦の道で構成されている。いくつか大きい道が通っていて、それの通称が大通り。馬車が通るような広い通りには個別に名前が付いているので、地元の人には『なんとかの通り』とか『なんとか通り』なんて感じに呼ばれる。
その合間を走るのは、あたし達の生命線――水や荷物を運ぶ水路。
近くの大きな川から引き込んで、海につなげているという。
生活に必要だったという意味もあるけれど、こうすることで川の水位を下げて氾濫しにくくしている……というけど、効果があるのかさすがに知らない。
だけど、多少の大雨ではびくともしないようだ。
近くの川が氾濫したなんて話を、あたしは一度も聞いていないし。
ちなみに水路を満たす水は、近くの川から引き込んでいるだけじゃない。
王城につながる水路からあふれる水は、お城の地下から汲み上げているものらしい。大昔にこの場所に都を移す時、その時の王様がそういう風に作らせたって聞いたことがある。
神父様がいうには当時は戦争が続いていて、この国も荒廃していた。もしも水を奪われたら人々は生活できない、だから城がその大地な水を守るためにそうしたのだと。
確かに水がないと大変だ。水源と王様、その二つを別々に守るより、確かに一緒にして守った方が確かに効率はいい。それにそういう歴史のおかげなのか水に関しては変な連中が牛耳っていないから、この国ではあたしみたいな孤児でも、毎日身体を洗えて清潔でいられる。
普段、あまり王族とかを崇めたりしないあたしでも、そこだけは感謝した。
名前も知らない程度の、感謝だけど。
水路の上にかけられた橋から、あたしは水面をじっと見つめる。盛り上がるようなアーチをもったこの橋の下を、たくさんの荷物を載せた小舟が行ったり来たりしていた。
その合間、凪いだ水面に映りこむ、やけに元気も覇気も無い白髪の子供。ぼんやりと見つめ合っていると、その灰色の目が嗤うような気がして、あたしは逃げるように橋を後にする。
わずかに曲線を描く道を、ひたすら走った。
このまま走っても、出口なんて無いと知りながら。
■ □ ■
走って、走り疲れて歩いて。
しばらく進むと、あたしは知らない場所に出る。
小さな公園のような場所だ。植物が植えられて木陰を作り、その下に少し古びた椅子が並んでいる。憩いの場というヤツなのかもしれない。老若男女、いろんな人がそこにいた。
買い物帰りのお母さんらしき人、仕事の休憩できたっぽい感じの人。
枝を剣に見立てて振り回す男の子と、それを注意する女の子。
どこにも見知った顔は、なかった。
ずいぶん、教会から離れてしまったらしい。
じろじろとした、どこかぶしつけな視線でそれを思い知る。この辺りじゃ、あたしのことはあんまり知られていないんだろう。あらゆる意味で見られない存在に、視線を向けてくる。
――親と弟に先立たれた、白い髪のかわいそうな女の子。
教会の周辺じゃそういう扱いで、ずいぶんと窮屈な感じがずっとしていた。それもまた外出を嫌がる理由だったのだけれど、今向けられている視線も、これはこれで気分が悪いものだ。
まだ、哀れまれる方が、マシかもしれない。
そりゃそうだ。
バケモノか何かを見るような目で見られるよりは、ずっとずーっとマシだ。
見るからに孤児といったみすぼらしい格好のあたしは、この幸福さに満ちた場所では滑稽なほど明らかに浮いていた。向けられる視線の中に、隠す気も無い侮蔑の色を感じ取る。
ここは、あたしの居場所じゃない。
あたしの世界じゃない。
帰ろう、と心の中でつぶやいたその時だった。
つぶやいて、人々に背を向けた瞬間だった。
一瞬、周囲がまぶしい光で満たされて、あたしは目を閉じる。
開けていられなくて、手で目元を覆い隠した。
周囲から、何だったんだ、というざわめきが聞こえる。ゆっくりとまぶたを開けると、他の人も同じような体勢で周囲を見回したり、傍らの知り合いと話をしていた。
不安そうな雰囲気に、小さい子供は泣きそうにしている。
あんな光――と思っていいのかもわからないもの、あたしは経験がない。まるで太陽を見上げた時みたいだと、そう思ってふと向けた空。そこには白い線が、あった。
ここからずっと離れたところからあふれたそれは、高い空へとまっすぐに伸びている。
根本は城。
町の中央にそびえる、やんごとなき方々が住まうところ。
その敷地だと思われる場所が、あの白い線の根元になっているらしい。
あれは、何だろう。何か特別な意味があるものなんだろうか。……いや、場所が場所なのだから、きっと何か重要な意味があるに違いない。庶民や孤児にはわからない意味が、きっと。
周囲にいた人々が手を止め足を止め、白い線が走る空を見上げている。
誰かが祈るように指を組み、震える声でこう言った。
――神託だ、と。