後始末
後始末、というのは面倒になるものだ。
どんな風に決めたところで、どこからか文句が飛んでくる。
すべての人の意見を、そのまま受け入れることなど。
「不可能だってわかっていても、やらなきゃな……」
呟き、リードは新たな書類に手を伸ばす。
最初の頃――神託の花嫁が城に来た頃、リードは名ばかりの王子という状態だった。本当に重要なところは父王に仕えた重鎮が話し合って決めて、リードはそれ以外を任される日々。
わかっている。
それは、国を動かすためにどうしても必要だったと。
成人もしていない王子を、軽んじる貴族は少なくないのだと。足場を固めなければ身動きひとつ取れない状況だった、それは歯痒いくらいに、きっと誰より理解しているはずだ。
わかっているが、同時に情けなくもあった。
他国には、そしてこの国の過去には、今の自分と変わらぬ年齢で即位し、立派に国を治めている王がいる。にもかかわらず、どうして自分だけがこんな状態なのかと考えてしまう。
そこまで、王としての力が足りていないとは思わない。
充分とも考えないけれど、それなりには備わっているとリードは自負する。
だが、現実はこんなものだ。
国を動かすためには仕方がないと思いつつ、やはり不満は募る。
その不満を糧に、仕事を進めて、また不満を溜めて。
しかし、今は若干気分がよかった。ここしばらく悩まされていた問題が、ようやく終わりを迎えたからだ。朝っぱらから呼び出されたのも、そう気にならないくらいの開放感がある。
……もっとも行われた内容は、あまり良いものではなかったが。
手元に広がる数枚組の書類の内容は、簡潔に言うとある男爵の処刑が滞りなく終了した旨を報告するものだ。それを受けて、朝早くからリードはこの一件に関する、おそらく最後となるだろう書類を書いている。これで、神託の花嫁誘拐騒動などの問題は終了となる予定だ。
幸い、今回は比較的穏便に終わりまでこぎつけたと思う。
男爵一族の関係者からはもっと慈悲を言われたのだが、あれ以上はできない。例えば、あれがマツリ一人の被害であったなら、男爵がもっと重要なポジションにいたら、その娘がああも暴走しなければ、命を奪いまではいかなかった可能性もあった、少なくとも考えた。
だが結果は男爵の処刑。これでも『温情』はかけられたといえる方で、一族もろとも何らかの罰を与えるべきだという話まであったくらいなのだ。
そこを、男爵一人だけで収めたのだから、これで良しとしてほしい。
正直、リードとしては令嬢こそを見せしめに、とさえ思う。くだらない考えからマツリを傷つけエルディクスを苦しめた彼女への、日々滾るような憎しみと怒りは、決して消えない。
もう少し、ほんの少しのズレで、彼は永遠に友人二人を失うところだった。
この立場では得がたい、大切な友人をだ。
もしあれが令嬢でなかったら、数発殴ってもいいとさえ思う。今から思うと殴ってしまえばよかった気がしている。どうせあの顔を大事にする必要は、もう存在しないのだから。
あの少女は、屍に成り果ててもこの国に戻ることは二度と無い。
それが、命を奪う代わりに架した罰だ。
異国の修道院へと出発するその日、かの令嬢――ルーフィは、まるで物もわからぬ子供のように泣き喚いていた。あれを子供と一緒にしたら、その子供に失礼になるかもしれないが。
その言動は幼く、人目も憚らずイヤだイヤだとわめき散らすばかりで、結局、手足を拘束した上にさるぐつわまで付け、まるで荷物か何かのように馬車に押し込まれ運ばれていった。
元々は王妃候補に名を連ねていた令嬢としては、あまりにも哀れな末路。
昨日届いた手紙によると、現地について数日たった今もまだ彼女は、ものを壊したり暴れたりわめいたり泣いたりと、大変『賑やか』な様子で周囲から失笑と失望を買っているという。
修道院では、基本的に自分のことは自分でしなければいけない。
実際に見たわけではないが、聞いたところによると修道院で与えられるのはベッドとテーブルと衣装ケースがあるだけの小さな部屋。最低限の日用雑貨と修道女の服、それだけらしい。
風呂などの類は、共同で使うスペースがあるのみとのことだ。
部屋というにはあまりに小さい空間の掃除も、自分でやらねばいけない。もちろん掃除する範囲は個人の部屋に留まらず、共同の浴場や屋内外も含まれている。
食事は当番制で、長々とした祈りの後に口に運ぶそれは、実に質素だとか。野菜類を中心としたもので、肉は基本的に何かしらの祝い事でもなければ口にすることもなくなるだろう。
とても、高みを目指した令嬢に、耐えられる環境だとは思えない。ましてや相手はあの少女なのだ、耐えるという可能性など考えるのも無意味なほどありえないことだ。
そんな環境で、ルーフィはただ部屋で泣いているだけだという。
帰りたい帰りたい、と、大声で。
それもまもなく終わることだ。これまでは彼女の立場は修道院に滞在している、つまりは客人というもので、そこに住み込んでいる修道女ではないから掃除などは免除されていた。
一応、彼女の処罰は未確定だったからだ。
彼女の処分が正式決定したことを伝える書類をあちらに送り、彼らがそれを受け取って確認して了承すれば――その瞬間からルーフィは、件の修道院に属する『修道女』となる。
おそらく数日もしないうちに、向こうも動くだろう。
同時に、男爵の処刑についての許可も出さなければいけない。
それで初めて、今回の騒動が終わる。
「失礼します」
そこへ、聞きなれた少女の声がした。はじかれたように、エルディクスが扉を開く。そこには彼の愛妻が、二つのカップが乗せられたトレイを手に立っていた。
いつもは表情を隠すようにしているフードを、今日の彼女――マツリはかぶっていない。
「そろそろ休憩の時間かなって……お邪魔だった?」
「いや、だいたい今日の仕事は終わったとこだ。悪いな」
「いいの。これからハッカと温室を覗く予定だから、もう行くね」
「温室か……うらやましいなぁ」
「お前は仕事しろ」
お目付け役だエスコートだ護衛だ、などと言い張って、おそらく彼女とハッカ、侍女のシアという女子三人についていきかねない側近に、ぐっさりと容赦なく釘をさしておく。
案の定、ものすごく不満そうな表情を、彼はリードに向けてきた。
だが、その表情に負けるほど、リードは腑抜けではない。
若干引きつらせながら、にっこりと笑みを浮かべ、彼に選択肢を与える。
「三日ぐらい、城に泊まっていくか? 仕事が終わるまで、家の門をくぐれると思うな」
「……楽しんでおいで、マツリ」
「う、うん」
悲壮に満ちた声で妻に言うその姿は、実に哀れだった。しかし、だからといって判断を覆してやれるほど、リードは自分を優しいとは思わない。意地でも逃がさない、絶対に。
自分が仕事をまじめにこなしているのだから、一人くらい巻き添えがいてもいいはずだ。
じゃあね、とマツリは複雑そうな表情で執務室を出て行く。
その背を見送ったエルディクスは、振り返るなり低く、冷たい声で。
「恨むよ、リード」
「勝手に恨め。いいから仕事しろ」
容赦なくばっさりと切り捨て、リードは新たな書類に手を伸ばした。
朝っぱらから仕事がある程度に忙しく、まだまだ片付けなければいけないことは多い。休憩するにしてももう少し、あとちょっとだけ仕事を終わらせてからにしないとキリも悪かった。
だが、そのリードをエルディクスは止める。
「おっとリードちょっと待って」
「何だよ」
「せっかく持ってきてくれたんだし、少し休憩を入れないかい?」
冷めたらもったいないし、と彼は笑う。意地でも今この瞬間に休みたいのか、お茶を差し入れてくれたのが目に入れても痛くないくらいに溺愛している愛妻だったからなのか。
彼女が置いていったトレイを手に、エルディクスが言う。
せっかくの差し入れだし、確かに冷めたら美味しくないだろう。
すっかりやる気が削げてしまって、リードも書類を元に戻して立ち上がった。部屋の隅にあるソファーに移るためだ。渡されたカップを手に座り、リードは想像と違う中身に少し驚く。
そこにはうっすらと色がついたように見えなくも無い、謎の湯が入っていた。
香りも少し独特というか――嗅いだことがないような感じだ。
「なんだこれ。紅茶じゃ、ないよな?」
「ハーブティだね。ご婦人の間で結構人気」
「ふぅん……」
そういうものがあるのは知っていたが、実際に飲むのは初めてだった。
香りは爽やかで、味はかなり薄い。だがあっさりとしていて、これはこれで飲みやすいように思えた。半分ほど飲み、リードはふと浮かんだ疑問を、そのまま口にする。
それはさっき見た、マツリの変化についてだ。
「そういえば、マツリはずいぶん変わったよな」
「ん?」
「前は……時々、俺への態度を迷ってる感じだったんだが」
リードの言葉に、そうだね、とエルディクスは同意を示す。
「年は近いけど、その立場は別物だしね。ボクの行動もあって、迷ってた感じかな?」
彼女の世界には、こちらほど厳格に決められた身分制度はないらしい。国によってはあるかもしれないけど、とは言っていたが、マツリの故郷では遠い過去の話なのだそうだ。
だから同年代なのに身分がはるかに上のリードに、どう相対すればいいのか彼女の中でいいラインが見えてなかったのだろう。敬語の類もあまり使い慣れていない様子でもあった。
友人のように親しそうにすればいいのか。
それとも、家臣としての立場に忠実であればいいのか。彼女なりに悩んで迷って、いろいろ考えたその結果、あの親しいようでどこか違うような、何とも微妙なことになったようだ。
しかし今のマツリは、どちらかというとエルディクスやユリシスに近い場所にいる。呼び捨てにするし、ぎこちない敬語も抜けた。人前以外では普通の口調で話もする。
彼女なりに、この世界での立ち位置を決めてくれたのは、いいことだとリードは思う。
年齢に似合う笑顔は、見ていてほっこりさせられる。
「マツリはボクのだから、リード相手でもあげないからね、盗らないでね」
「人の嫁は盗らねーよ! つか、いつ俺の心を読んだ!」
「はいはい、ハッカがいるもんねぇ、リードは」
「ち・が・う!」
ばん、と机を叩いてリードは立ち上がる。
確かにハッカは、一応はリードのために選ばれた花嫁だ。よくある政略結婚の変わり種のパターンだが、実質は他者の思惑からの縁だから同じ。この関係の始まりに、二人の意思は微塵も含まれていない。こちらはともかく、ハッカなどほとんど誘拐同然に連れて来られている。
嫌われてはいない、と思いたいが、本当のところはわからない。
「訊けばいいのに」
くすくすと笑うエルディクスに、そんなことできるわけが無い、と心の中ではき捨てた。
それができれば、苦労などないのだから。