憧れ
夕方までいちゃつく夫婦を鑑賞しつつ仕事と勉強を終え、あたしとリードは一緒に夕食を取ることになった。朝と昼はあっさりで、夕はそこそこ豪華に、というのがここのパターンだ。
朝や昼も肉類は出るけど、量は少なめ。スープの具だとかいう程度。
それが夕食になると、肉は一気にメイン食材になる。
今日の献立は、肉をとろとろになるまでスープで煮込んだものと、パンとサラダ。
それからデザートの、フルーツの山。
肉は見るからに柔らかそうで、実際フォークでつつくとほろほろと崩れた。どれくらい煮込んだらこうなるんだろう、肉そのものもかなりいいものに違いない。
スープはトマト仕立てらしく、酸味と甘味がちょうどいい。どうやっても消しきれない肉の油っこさは、ハーブなどの更新料がいい感じに中和し、旨味に変えていた。
パンは、教会とさほど変わらない。丸くて、こんがりと炙って香ばしいものだ。サラダもシンプルなもので、今日は塩コショウを中心にしたスパイシーなドレッシングらしい。
それらをワゴンで運んできたシアは、てきぱきと並べていく。
最初は少し不慣れで時間もかかっていたけど、最近はあっという間に準備が終わる。
「じゃあ、しばらくしたら戻ってくるね」
自分も食事を取るために、シアは部屋を出て行った。すぐ向こうの部屋で、護衛に付いている人達と一緒に食べているらしい。そこそこ話も弾んで、賑やかな食事なんだそうだ。
ちょっと、それが羨ましいなと思う。
まぁ、あたしは喋れないんだけど、人が話しているのを見るのは嫌いじゃない。教会での生活で数少ない楽しみが食事だったというのもあって、結構和気あいあいと賑やかだったし。
豪華でお腹いっぱいになれる食事と、あの暖かい談笑のひととき。
どっちがいいのかは……わからないけれど。だけど、戻れないことを悲観するのではなく、納得できるようにはなってきた。それに、何もここでそれができないわけではないんだから。
例えば、目の前には一応近い将来家族になる彼がいるわけだし。
問題はどう話を切り出すか、ってことで、声があっても難しかっただろう。
「……ありがとう、な」
煮込んでくたくたに柔らかいとはいえ、そのままでは食べにくい肉を、一口に入る程度の大きさに切り分けていたら、いきなりリードから感謝の言葉が飛び出してきた。
身に覚えがないあたしは、ぽかんと彼を見ることしかできない。
あたしが何のことか理解していないのが、表情でわかったのだろう。
「あぁ、いや……言いそびれてたけど、エルとマツリのことだ」
彼はそう説明してくれた。
「この一年、ずっとああなればいいなって、思ってたからさ」
目を細めて笑う彼が見ているのは、さっきまでこの部屋にいた二人の姿だ。誰が見ても幸せそうな若い夫婦の姿は、ああなりたいという憧れと、すこしばかりの妬みを抱かせるだろう。
でも、あたしは特に何もしてない。
ただマツリの話を聞いたりしたぐらいだ。それさえ、あたしが『そうなればいいな』と一人で考えて思って、その思いのままに勝手にあれこれやっただけのこと。
そもそもが、あたしのせいのようなものだったし。
あたしがホイホイと提案に乗らなければ、と言われたらその通りだと今も思う。自分がそれ相応に重要な存在であるということを、あの頃のあたしもちゃんと認識していたんだから。
だから、お礼を言われるようなことじゃないと思う。
彼女のためにあれこれ考えたりしたのは、たぶんある意味で『罪滅ぼし』のようなものだったのだろうし、そうでなくともあれくらいのことはお礼を言われるほどじゃない。
最終的に、思いを通わせあったのはエルディクスとマツリの二人。
あたしが与えた影響なんて、微々たるものだ。
ただ、一年留まっていたせいで進めなかったマツリの背中を、軽く押しただけ。
リードは勘違いしてるんだ。自分が何かしなければと思いながらもこれといって何もできないまま一年経ち、最近突然現れたあたしがほんの一ヶ月ちょっとですべてを変えたから。
なんか、あたしがすごいことをしてくれたんだって、思っているんだ。
それ、間違いだから。
あたしは何もしてないから。
ただ、思うままに引っ掻き回しただけ。
今回はうまくまとまったけど、きっと同じことは続かない。きっと、はた迷惑な性質なんだろうと思う。学がないのもあっていろいろモノ知らずで大失敗もやらかしそうで。
今回は偶然、うまくいっただけなんだ。
うぬぼれてはいけない、過信もよくない。
「……あたしは何もしてませーん、って顔してるけどな、お前」
と、リードが呆れた様子で口を開く。
なぜか、その手があたしの方へと伸ばされてきた。
「お前の存在が、絡まってたものを解いたのは事実なんだよ。素直に喜んどけ」
――なでなでなで、と頭を撫でられた。
瞬間、かっ、と目の前が明るくなったり赤くなったり暗くなったりする。
もう彼の手は離れたのに、まだ撫でられた感覚が残っていた。
頭を撫でられる、というだけなら、シアとかにもよくされているのに。
決して、珍しい体験では、ないはずなのに。
何でこんなに、落ち着かないっていうか。何なんだろう、これは。
やだ、なんかヤだな。
苦しくなってきた感じがあるし、唇が不安定に震えてる。この感覚は、嬉しい、と思った時のものに似ていた。でも、記憶の中にある頭を撫でられて嬉しいと思ったシーンは、例えばお母さんに褒められた時のもので。いい子ねハッカ、と囁く声がよみがえって暖かくなる。
今とは、何かが違う。
それもまた、あたしを混乱の中に叩き落す。
だって、そんなの――まるで、彼が特別だっていうかのよう。
確かに『特別』ではある。
王子様で、半強制的とはいえあたしの旦那様になる人。
そりゃ、あたしだってそれなりに意識はする。
一時期ケンカしたけど、まぁ、それはそれとして。
でもたったそれだけのことで、なんでこんなになってるのか理解できない。頭、撫でられただけだもん、褒められただけだもん……それだけ、たったそれだけの単純なことなのに。
しかしそう思えば思うほど、なぜか頬が熱くなっていく感覚に襲われる。
彼が、あたしに感謝なんて珍しいことをするから、頭を撫でたりするから。
何だか、変な感じになってしまった。あたしの心の声を、さっきは簡単に読み取ってみせたくせに。それが何かの奇跡か偶然だったかのように、食事を再開したリードは。
「お前が――」
言いにくそうに、視線をそらしながら。
「神託に選ばれた花嫁で、よかったよ」
そんなことを、少し微笑みながら言われて。あたしは、完全に赤面してしまった、と自分の状況を思う。顔が全体的に熱くて熱くて、リードを一部でも視界に入れてられなくなって。
言い終わった彼が、いつも通りに食事を続けるから。
反応している自分が、余計に恥ずかしくて。
でも、胸の中に浮かぶのは喜びだ。
どういう理由かわからないけど、あたしは彼の言葉に喜んでいる。
それもまた恥ずかしい。
顔、あげられない。
石版が無いのがとても悲しかった。あれがもしあったら、それを使って顔をもっと綺麗に隠すことができたのに。ごまかしの言葉を吐き出して、自分に冷静さを与えられたのに。
「早く食べないと、冷めるぞ」
あたしがこんなに落ち着きをなくして、顔だって絶対真っ赤になっているのに、真正面に座っているんだからそれに気づいていないはずが無い彼は、やっぱりいつも通りだった。
人をこんなに動揺させたくせに、何でいつも通りなんだろう。
細められた目は、あぁ、完全にあたしを子供扱いしているものだった。
褒められた子供が、恥ずかしがっているだけ。
彼にはそう見えたんだと思う、
じゃあ、そういうことにしよう、あたしも。慣れない人から慣れないことをされて、それがなんだか恥ずかしいだけ。しかしそう思うほど、なぜか腹が立ってくるのは不思議だった。
何が気に入らないのか、自分でもわからない。
もういいよ、さっさと食べてお風呂に入って、さっさと寝てしまおう。
寝ればきっと、忘れてしまえるはずだ。こんな感覚も薄れて、消えていって、明日のあたしはいつものあたし。彼とあれこれ口論したりする、いつも通りの『ハッカ』が戻る。
でも、頭の中に残った感覚と、彼の言葉はきっとなかなか消えないと思う。
嬉しいと思った気持ちと、そう思わせた音。
――いつか、あたしと彼も、あんな風になれるのかな。
エルディクスとマツリみたいに、寄り添い歩くような……そんな関係に、なれるのかな。