彼女のシナリオ
彼が見たのは、どんな光景だったのか。
どういう『シナリオ』が見える、光景だったのか。
剣を振り上げたまま振り返り、ただでさえ怪しかったバランスを完全に崩して、ぺたりと床にしりもちをついたルーフィ。服を引き裂かれ、椅子を構えたあたしに守られるマツリ。
彼には、これがどう見えるんだろう。
これでも彼は、自分が『取引』した相手が、信頼に値すると思えるだろうか。彼はそこまで愚かだっただろうか。そんなわけがないと思いながら、あたしは、静かに彼を見つめた。
「あ、ああ、あの、あのね、エルディクス様」
慌てて立ち上がったルーフィは、とことこと彼に駆け寄った。
そしてエルディクスに抱きついて、震える声で言う。
「ルーね、そこの殿方に、脅されたの。パパを殺すぞって、だからルーは、こんなことを。ホントはこんなことヤだったの、ルー、悪い子じゃない。だけどあの男を裏で操ってたのはマツリ様だったから、ルー、逆らえなかった。怖かった、すごくすごく、怖かったよぅ……」
「……そう」
自分にすがって泣くルーフィを、エルディクスは。
ぞくりとするほど、冷たい目で見つめた。
「ユリシス――これをさっさと連れて行ってくれないかな。君の仕事だろ?」
振り返り、エルディクスは部屋の入り口にいる従兄弟を見る。それとほぼ同時にルーフィの手首を掴んだかと思うと、まるで荷物でも投げるようにそちらへと彼女を突き飛ばした。
よろめきながらユリシスにぶつかったルーフィを、彼と、他の兵士が取り囲む。
あっという間に拘束された令嬢は、引きつった笑みを浮かべた。
「ちが、違うの! パパが、ママがっ、そこの魔女に、脅されたからっ」
だからこれは間違いなんだから、とルーフィはわめく。
外聞も投げ捨てて、エルディクスに対して必死の弁解をする。それは子供でもさすがにわかるような嘘。それに冷めた目と、呆れた顔を向けられていることも気づいていない様子だ。
たぶんエルディクスやユリシス達は、証拠の類をすでに抑えているんだろう。
しかしルーフィはまだ『取引』を信じている。
彼は自分のモノなのだと。
だから、少しも気づいていないんだ。その『取引』を成立させるための、最低条件をほかならぬ自分自身で壊したことを。すべてが終わった今もなお、何も気づいていないんだろう。
ルーフィとの結婚で、彼が望んだのはマツリの平穏。
それを脅かそうとした彼女を、エルディクスは決して許さない。
あたしが知る彼は、そういう人だ。
「少し、静かにしてくれないかな」
「エルディクス様――」
彼の返答に、ルーフィの表情がぱぁっと明るくなる。
それはまるで、春の訪れを喜ぶ花のように、零れ落ちそうなほどの笑顔だった。
直後、無残に切り刻まれて凍りつかされるとも、知らないで。
「戯言は牢獄の奥で披露すればいい、耳障りだ」
どちらかというと高い声であるエルディクスの、信じられないほど低い声。
わめいていたルーフィを、淡々とした彼の低い声は一瞬で黙らせた。
ため息をこぼし、あたし達に背を向けた彼は。
「君は、この国家を脅かす重罪人だ。罰を受けてもらう」
「で、でも、だけどルーは、パパが」
「男爵は……ま、普通に考えれば処刑だよ、奥方もね。男爵といっても所詮はヒトだ。法という枠組みの中で生きているただの国民でしかない。逸脱すれば処断されるのは当然だろう?」
そして彼は、一家でがやらかした、今回の件の内容を語りだす。
男爵という立場に不満を持ったルーフィの父は、上に行くための策を考えた。しかし平和なご時世では、なかなかそんなチャンスは転がっていない。戦争でもあれば武勲を立てて、ということもできただろうけれど、そもそも彼には娘しかいないからどっちにしろ無理だった。
そうなると残る手段は、その娘をより上の存在に嫁がせること。
この国の爵位は、下から順番に男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵となっている。
さらに王族で、王位につかなかった場合に名乗る大公もある、らしい。
リードが一人っ子なのもあって、当分名乗る人はいないだろうとされている立場だ。外国では若くして王位を退いた場合、退位した後に名乗ったりすることもある、と本で読んだ。
ともかく、ルーフィの父親は、爵位という意味ではまだまだ下。
少し気を抜けば、あっという間に追い抜かれる位置にある。
だからこそ、あの手この手で『上』を目指した。例えば王子と齢が近かったルーフィを、それらの縁を使って王妃候補に名を連ねさせ、その前は有力貴族の花嫁候補に紛れ込ませ。
そんな中、ルーフィが目をつけたのはエルディクス。
ライアード公爵の息子である彼だった。
王妃候補だった頃は保険でしかなかった彼は、あたしの登場で本命になった。そしてジャマなマツリの排除のため、一族が持つありとあらゆる力を使ってあの誘拐事件を引き起こした。
ルーフィを通じて情報を手に入れたことも、それを流したことももみ消して。
あとはマツリ一人に罪を着せ、貴族が執り行う話し合いでその罪を糾弾。これは、彼女を大事にしているエルディクスにとって、一番のダメージになったと思う。
あたしを危険にさらしたことは、確かにとんでもない問題だった。信じる信じないはともかくとして、神託は神託だ。国民の多くが信じているし、大事に思っているものだから。
いくら王族の信頼があっても、罰するべきという声は上がってくる。
どうするべきか悩む彼に、男爵はそっと近寄って囁いたのだ。
自分の親類には、有力な貴族と結びついた者が多い。
もし、マツリと別れてルーフィと結婚してくださるのなら、話をつけましょう。この世界での社会的な地位を失うことそのものを、彼女への『罰』ということにしましょう――と。
そんな無茶な提案を、エルディクスは飲んだ。
「貴族の中には、マツリが犯人だという輩もいたからね。余計な腹を探られると、彼女のこれからにも差し障ると思った。特に彼女を『見つけた』経緯だけは、知られてはいけないから」
エルディクスが、悔しげに言う。
見つけた経緯、というのは、たぶん異世界からマツリを連れ去った云々だろう。確かにそんなことがもしも明るみになったら、マツリは人並みの生活すら奪われてしまうかもしれない。
この世界で生まれ育ったあたしでさえ、この見目でいろいろ言われてきた。
異世界ともなれば、何をされるか……考えたくはない。
そんな事情もあって、エルディクスはこの馬鹿げた提案を受けたのだ。このことで、あたしやリードにどう思われても仕方ないと納得して、それがマツリのためになるならと飲んで。
そこまでして彼らはエルディクスを、時期公爵を見事手に入れかけたのに。
彼を見初めたルーフィ本人が、何もかも終わらせたのは滑稽だった。
「うそ、うそだよ? やだ、そんなの、ねぇ、うそ」
真っ青になるルーフィは、へなへなと床に崩れ落ちる。
自分達がやってきたことがすべて、証拠ごとエルディクスに知られていると言われてやっと気づいたらしい。自分がやらかしたことすべてが、今更取り返しがつかないような大罪であるとも、きっと気づいたはずだ。さすがに、その程度の判断力などはあると思いたい。
とはいえ普通に考えたら、こうなるよりも前に気づいて当然のことだ。
罪人を解き放った上に、城の中で殺人事件を企てて。一応、神託で選ばれた花嫁という立場のあたしに剣を向けて殺そうとして。発覚しかければ嘘をついて、マツリを陥れようとして。
追放すらぬるい、という声があるかもしれない。
エルディクスの言うとおり、処刑されるのだろうと思う。少なくとも彼女の父親は、権力を持っている故に――見せしめのようなものも兼ねて。若い少女であるルーフィはある程度の温情で処刑だけは免れるかもしれないけれど、きっと表舞台からは完全に消されるだろう。
修道院とか、そういうところに一生、閉じ込められる。
それは死ぬのと何も変わらない罰になるだろう。
「やだ、やだああああっ!」
そう叫んで暴れだした彼女にとっては、きっと耐え難い苦痛だろうと、思った。