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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■6.あなたの隣で眠らせて
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穢れを祓えと邪神は囁く

 絶句に満ちた部屋の中。

 からん、と剣が床に落ちる音が響く。


「――我らが、女神よ。穢れを、祓わなければ」


 男はゆっくりと、少し左右に揺れながらこちらに向かってきた。彼の暗い目はもう、マツリしか見ていない。あたしのことも見ていないうつろな視線に、肌がぶわっと震えた。

 彼の向こう側でルーフィが叫ぶ。

「さぁ、お前の女神に死の祝福を与えるのよ! その穢れを祓ってあげるの!」

 男の行動、あるいは妄想を、蹴るような勢いで後押しする『呪文』を。

「生贄を捧げて聖剣で貫くの――ほら、そこに邪神が選んだ小娘がいるわ!」

 言いながら、あたしを指差し彼の視線を向けさせた。マツリに向いていた目が、ぐるりと廻るような動きでこちらを捕らえる。ひぃ、とかすれた音が喉の奥から鳴った。

 うまく息が吸えないまま、あたしは身を硬くする。

 彼は腕を前に伸ばし、ふらついた足取りからは想像できない速度で間合いを詰めた。その手があたしの首を掴んで締め上げるのと、マツリが男に向かって杖を向けるのは同時。

 押し倒されるようにされ、全体重を乗せるように、男はあたしの首を絞める。

 息を吸うことも、吐くこともできない――。


「ハッカ!」


 聞き取れない言葉をつむぎ、彼女の杖の宝石が光るのが見える。

 だが、それを邪魔しに来たのはルーフィだった。

 彼女はマツリにしがみつくと、その身体を床に押し倒す。いくら少女相手といえど、マツリも細腕の女の子だ。勝つことも負けることもないまま、二人は遠くの床の上でもがいていた。

「放しなさいっ、なぜこんなことをするの!」

「だからぁ、脇役はおとなしくしてって、ルーは言った、じゃない。シナリオの通りに動かないと、ダメなんだから。ルーの命令は、絶対よ。あの子は死んで、あなたも死ぬ、のよっ」

「……っ」

 二人がそんなやりとりをしている間にも、あたしは容赦なく首を締め上げられていた。

 元々傷めている箇所が、重みと痛みで悲鳴を上げる。爪を立てて、ふるって、必死に抗おうとしていた腕が次第に床に落ち、目の前がうっすら暗くなって。もうだめ、むりって。


「――」


 きぃん、という耳鳴りがする。

 遠くから少女の悲鳴と、何かが何かにぶつかる鈍い音がした。直後、あたしと男の間に何かなねじ込まれるような感覚が生まれ、薄っぺらい板のようなそれがぷくぷくと膨らんでいく。

 ゆっくり視線を向けた先、杖を構えたマツリが。

「ハッカから、離れて!」

 叫ぶのと同時に、その何かは弾けるように消えた。音はなく、あたしはなんともない。けれど男は離れた場所まで吹っ飛んでいて、うぅ、と低い声で呻いているのが見えた。

 魔術で、男だけを弾き飛ばしたんだろう。

 その前にルーフィもどうやら魔術で排除したらしく、マツリは肩で息をしている。素人のあたしが思う以上に、魔術は疲れるものらしい。ましてやまだ本調子ではないから、当然だ。


「めがみ、めが、さま、めがみ、さま」


 あぁ、あぁ、と男は身体をひねるようにして立ち上がる。

 ぐにゃりとした不自然な動きに、今度こそ泣きそうになった。怖い、気持ち悪い。触れられていない喉が、締められるように苦しくなった。怖い、怖い、嫌だ、こっちにくるなっ。

 けれど男は止まらない。マツリとあたしが目的なのだから当然だろう。

 ふらついた足取りは、けれど着実にこちらに向かってくる。

「めが、めがみ、さまぁ……」

 ぐわっと腕を広げて、覆いかぶさるように目前に迫った。

 逃げ場が、と思ったのと、あたしの身体が横に転がったのは同時だ。

 マツリが部屋の隅――最初に隠れていろといわれた方へ突き飛ばしたと気づいて、慌てて起き上がったあたしがみたのは、傍らにあったベッドに押し倒され組み伏せられた彼女の姿。


「あぁ、女神様、今穢れを祓いますゆえ、どうか身体を開いてください」


 にたりと笑った男はそんなことを早口でまくし立て、男はマツリをベッドに押し付けてのしかかっていた。一方、いつの間にかルーフィは扉の傍に立ち、落ちた剣を手に笑っている。

 その顔に浮かんでいるのは、男と同じような笑みだ。

 喜びを確信しきった、歪んだ顔。

 あの男にマツリを、いろんな意味で今度こそめちゃくちゃにさせれば。

 そうすれば――エルディクスが自分のものになると、そう信じているのか。

「や、だ……っ、離してっ」

 びり、と服が破れる音がする。

 少しさらされた胸元に、彼はその白さを喜ぶように目を見開いた。

「女神様、なんて美しい……」

 狂喜した声に、あたしの、石のように固まっていた身体が跳ねる。いけない、あの男を止めないと、そうしないと。マツリにこれ以上、指一本でも触れさせちゃダメだ、止めなきゃ。


 あたしはとっさに、石版を手に取った。

 ルーフィは気づいて声を上げるも、重い剣を手から離す、という行動で出遅れる。そもそも距離としてもあたしが近い。あの位置じゃ、手ぶらでも間に合わない。

 石版は大事なものだ、大切にしてきたものだ。

 だからこそ、大事な人を守るために使うならきっと、きっと許される。

 こんな男は死んでしまえと――本気で死んでもいいと思いながら、あたしは両手でぐっと握って振り上げた石版を、マツリにすべてを向けて外への注意が皆無な男の頭部に叩きつけた。

 代償として石版は粉々に砕け散ったが、男の意識もまた砕け散っていく。


 マツリの上へゆっくり倒れていくが、そうはさせない。

 これ以上、彼女に触れさせてなるものかと、あたしは足で彼の身体を蹴り飛ばした。

 勢いよく床に転がった男は、死んだように動かない。よく見ればかすかに呼吸している動きはあるし、血も流れていないようだから、たぶん命に別状はないだろう。

 思わず舌打ちしそうになった辺り、あたしはだいぶ冷静さを失っていると思う。

「ハッカ……」

 マツリが、胸元を抑えて身体を起こす。

 かわいらしいけれど品のいいワンピースは、首のところから引き裂かれていた。

 とてもじゃないけど、もう着ることはムリだ。布地を再利用することはできるかもしれないけれど、こんなことがあってダメにした服なのだし、さっさと処分する方がいいかな。

 彼女の身体は無事なのだから、服ぐらいと笑っておこう。

 そう服ぐらい、石版ぐらい。

 マツリが無事なら問題なんてないんだ。


「……んで、なんでなんでなんで!」


 思わず互いの無事に笑みをこぼしあったあたし達に、わめき散らすルーフィ。

 重そうに剣を握り締めて、彼女はこっちに向かって歩いてくる。

 その姿は、さっきまで男を使役していた彼女と同じには見えない。いつも通り――というべきかどうかはともかく、そこにいるのはあたしが知るルーフィという男爵令嬢だ。

 それなりの長さがある剣を引きずるように、彼女は近寄ってくる。

 疲れ果てたマツリは杖に手を伸ばすが、とても戦ったりできるようには見えない。

 あたしは適当な椅子を持ち上げ、その足をルーフィに向けた。こんなものでも、何もないよりは武器になるはずだ。相手は剣もまともに持てない女の子なんだから、きっといける。


「なんでよ! なんで! ルーのジャマばっかりしてっ」


 じり、じり、とルーフィは迫る。

 彼女はまるで泣いているようだった。

 その手に剣がなく、こうなった経緯を知らなければ、その姿は突然の不幸に世界を乗ろういたいけな少女に見えるかもしれない。けれど内情を知れば、彼女の様子が異常なのがわかる。

 それくらい、泣きじゃくるような声を発する、その姿だけは。

 まるで駄々をこねる、子供のようだった。


「あの時だってそうよ! せっかくルーがパパに教えて、それを聞いたパパが『連中』に襲わせたのに! 花嫁と魔女が、お忍びで城を出たって! なのに勝手に助かって! ずるい!」


 ずるいずるいずるい、と連呼される言葉。

 あたしと、それからマツリは今度こそ言葉を失った。

 つまり――あの日の行動についての情報を外部に流したのは、あの日、あたし達が襲われるよう仕向けたのは、マツリが傷ついた原因は、目の前にいるルーフィということになる。

 貴族は貪欲だと笑っていたあたしでも、ここまでとは思わなかった。

 そもそも牢を破らせたくらいだ、もうとっくに普通ではなかったのかもしれない。

 あたしは、初めて目の前の非力そうに見える少女に、明確な恐怖を覚える。

 彼女は異常だ。

 異常で、そして狂っている。


「もういいもん、そこの男にルーは脅されたの! パパが人質っ。 そして男に殺されて二人は死んだの! そしてルーは、今度こそエルディクス様といっしょになるんだから!」


 歯を食いしばって、ルーフィは剣を上へと振り上げる。

 もうだめだ、とあたしが目を閉じた瞬間。


「何を、してるんだい?」


 静かな声が響き、全員の視線が向かった先に。

 ――エルディクスが、立っていた。

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