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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■6.あなたの隣で眠らせて
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本当の心

「ユリシス、どうしたの?」

 部屋に入って扉を閉めたユリシスに浮かぶ焦りの色に、マツリは戸惑う。常に冷静さの塊みたいな彼に、その表情は似合わなかった。逆に言えば、何か事件があったということだ。


「牢が破られたらしい。しばらく城から出られないと思う」


 重苦しい声でつぶやかれた声に、あたしとマツリは驚く。

 牢を破る、というのは生半可なことではない。詳しいことは知らないけど、それ相応の警備などが整えられているだろうし、そのための騎士と兵士、それからたぶんあるだろう鉄格子。

 中にいるのは捉えて置かなければいけない罪人。

 となれば、大騒ぎなんてものじゃない。

「おそらく外から誰かが手引きしたのだろうと思う。先程までの段階で、牢にいた罪人が全員逃げ出した。大多数は捕まえたが、逃したかったのだろう『本命』が見つからない」

 ユリシスはあたしを見て、またマツリに視線を戻した。


「マツリ、姫様を頼む」

「え……でも」

「城から出ていない以上、マツリはまだ宮廷魔術師だ。エルディクスはもちろんだが、他の貴族もこの状況でとやかく言ってくることはないだろう……それに、リードの口添えもある」


 頼んだぞ、と言い残し、彼は足早に部屋を出て行った。

 決してここをでないように、と言い残し。

 そっと窓から外をうかがうと、確かに兵士や騎士が慌しく走り回っている。そこら辺にいたはずの貴族令嬢も、今はどこかに隔離されたらしく見当たらない。まぁ、あんなのでも貴族のお嬢様だし、人質としての価値はそれ相応にあるからね。あと多分邪魔だったんだろうね。

 しかしこれは大変なことになった。

 ユリシスが前線、と言っていいんだろうけれど、そっちに駆り出されるというのは、よっぽどのことなんだろうと思う。確かにここから出ない方がいい、あまりにも危ない。


「ハッカは目立つから、外から見えないところにいてね」


 マツリは荷物から何かを引っ張り出すと、すぐにカーテンを閉めてしまう。

 手にしているのは、青い石がついた杖だった。いつも部屋の隅に立てかけてあった、結構長くて細身の杖。おそらく商売道具だから持っていくつもりだったそれを手に、マツリは動く。

 先ほど荷物から取り出したのは小石の入った、手に平に収まるほどの袋。

 マツリは中身を丁寧に、窓際にいくつか並べていった。

 聞き取れないほど小さな言葉を呟き、杖を掲げる。

 ちかっと杖の先端の石――魔石が光り、ぼんやりとだが並べた石が淡く光を放つ。何をしたのと目で問いかけると、結界を張った、という答えが返った。あの小石も、魔石らしい。


「とりあえず、窓を破られないようにしたから、問題は扉ね」


 ふぅ、と息を吐いたマツリは、ベッドに腰掛けた。

 こういう『出入りする場所』というのを、閉ざすことは難しいという。なぜならば、そこは閉ざされていない、という、魔術的に定められた『理』があるからだそうだ。だから物理的に閉ざさなければいけないのだけれど、それは物理的ゆえに壊されるという理がある。

 もちろん、強引に魔術で閉ざしてしまうことはできるとマツリは言った。

 けれどそれにはそれなりに準備が必要で、急ごしらえで叶うことではない、とも。

 手持ちの魔石、さっきの小石程度のものでは無理、とため息をこぼす。


「大丈夫、今度こそ――守るから」


 だからそこにいて、と指示されたのは部屋の隅。

 扉からはすぐには見えない場所、けれど扉にまっすぐ向かえる絶好の場所。

 マツリは扉の前を陣取って、誰が入り込んでも応戦できる体制だ。いざとなれば自分に注意を引きつけて、その隙にあたしを外へ逃がすことも考えているのかもしれない。

 あたしは別にいいと首を横に振ったけど、最終的には折れた。

 部屋の隅っこに椅子を持っていって、そこに座る。

 腕にはいつもの石版。最悪の場合、これで応戦するべきなのかもしれない。長年使い続けてきたから壊れたりしたら悲しいけど……でも、その時は仕方ない。その覚悟も決めておこう。

 次第に外は騒がしさを増していく。

 侍女の悲鳴のような声もして、そのたびにマツリはかすかに身体を振るわせた。

 杖を握りしめる手が、かすかに震えている様に見えるのは気のせいじゃない。彼女は元はただの一般市民だ。戦ったりとかは、きっと怖いんだ。あたしより、ずっとずっと怖いはずだ。

 なのに彼女の目は強い。

 まっすぐに扉を見て、杖を握りしめ、立っている。


 ――あたしを、未来の王妃を守るために戦おうとしている。


 今頃、エルディクスはリードを守っているんだろう。リードのことだから、こっちに着たがっているかもしれないな。それをエルディクスが止めている光景が、何となく思い浮かぶ。

 ねぇ――と、あたしは見えない彼に問う。

 事情なんてどうでもいいけど、彼女ほどの存在を本当に捨てていいのかな。何がどう転がっても神様が何かを間違っても、あのルーフィはこういう場所じゃ、あたし以上に役立たずだ。

 あたしを突き飛ばしてでも、真っ先に逃げ出すようなタイプ。

 何があったのか、語らないところは知らないけど。

 やっぱり、あなたにはマツリが『お似合い』だって、あたしは思うよ。


「ねぇ、ハッカ。質問に答えても……いい、かな」


 しばらくして、マツリがぽつりと口を開く。

 沈黙に、耐えられなくなったのかもしれない。

 それはあたしも同じだから、小さくうなづいた。質問とは、エルディクスをどう思っているのか、というヤツだろうか。ユリシスの報告で聞けずじまいの答えを、言ってくれるのか。

 ありがとう、と呟いたマツリは、久しぶりに笑顔を浮かべる。

 恥ずかしそうに頬を染めた、優しい笑顔。


「わたしね、役に立ちたかったの。エルの役に。そのためなら道具扱いでもよかった」


 元の世界にいた頃、マツリはずっと思っていたそうだ。

 自分には何もできないと。特別なことは何一つとして、望まれてはいないのだと。周囲が望むままに勉強して、学校に通って、いいところに就職し、それなりの相手と結婚して。

 あとは子供を何人か産んで育てるだけの、そんな道しかないのだろうと思っていたという。

 それ以外を探そうにも、周囲はそんなものを認めてはくれなかったし、特別な道を探すだけの力もなかったから、最初から全部、ありふれた道以外の全部を諦めていたのだと。

 そう決めているのに、望まれているのに、なぜか周囲はマツリの意思を絶えず聞いてきた。

 どんな道に行きたいのと、今歩く道以外を壊しておきながら尋ねてくる。

 ――夢を口にすれば、お前にできるわけがないと切り捨てるくせに。

 それがわずらわしいと思い始めた頃だった、彼女がこちら側に誘拐されたのは。


「きっと、他でもない『わたし』を求めてくれたのは、彼だけだった」


 ――だから何でもしようって思ったの。

 マツリは言って、微笑んだ。

 エルディクスは確かに、マツリを求めた。

 そこに眠る、魔術師としての生まれ持った才能を求めた。

 それが――マツリには、とても嬉しくて。

 マツリは、彼や、彼が守ろうと思う存在のすべてに、自分を捧げようと思った。

 あぁ、そうか。あたしは納得する。

 彼女は本当にそれだけでよかったんだ。エルディクスに求められる、マツリという存在が必要とされていることが重要で。その先にあるものが、何であっても構わなくて。

 だからこそ、必要とされないなら仕方がない、と離れようとしている。

 ねぇ、マツリ。

 そうまでしたい感情の名前を、それを抱いたことがないあたしでも知ってるよ。


 それは、恋だよ。

 愛情だよ。


 マツリはエルディクスが、好きで好きでたまらないんだよ。ただ求められただけじゃ、ここまでのしない。好きだからこそその求めに応えたかったんだろうし、何でもしたかったんだ。

 だから悲しいし、苦しいんだよ。

 一緒にいたいのに、いたいだけなのに、それが叶わないから。

 自分のせいで、全部壊れたと思っているから。

 あたしは石版を椅子に残し、そっと彼女の隣に腰掛け、その手を握る。

「ハッカ……?」

 あたしは、声を持たない。石版は遠いし、取りに戻る時間も惜しい。だからあたしは彼女に近寄ってその手を握って、じいっと目を見て、ゆっくりと唇を動かし言葉を綴る。


 ――エルディクスが、好きなんでしょ?


 マツリにあたしの唇の動きを、読めるとは思わない。

 でも、きっと思いは伝わるはずだ。

 彼女は賢い人だから。

 うん、とか細い声が聞こえる。

 目を細め、潤ませ、マツリが笑う。

「わたし……好き、なの」

 マツリはあたしの手を握り返し、呟く。

 零れだしたものは、止めようとして止まるものじゃない。ましてや、今まで意識して口にしないように、思わないようにしていたなら、一度許された行為は本人でも止められない。

 それは、零れたというよりも溢れたというべき勢いで。

 次から次へと、マツリの本音が生み出されていく。


「……好き、なの。エルが、好き」


 ぱたり、と零れ落ちたのは言葉と涙。

 歯を食いしばって耐えようとしているけど、何の効果にもなっていない。あたしは、ポケットに入れてあるハンカチを差し出した。受け取ったマツリは、それで目元や頬を撫でる。

「バカでしょ、わたし……こんな、こうならなきゃ、認められない」

 でも、と彼女は続けて。

「わかってた、の……認めたら、もう、抑えられない、無理だからって、だから」

 認めなければ悲しくないと、見ようとしなければ存在しないことと思えると、彼女はずっと耐えていたのだろうか。後で、充分すぎるほどのしっぺ返しがあると、わかっていて。

 気持ちはわかる、何となくだけどわかる。

 泣きじゃくるマツリの背中を、優しく何度か撫でていると。


「退場した『脇役』の分際で、ほんっとーにナマイキすぎね、あなた」


 勢いよく扉が開かれ、少女の声が響く。

 そこにいたのは、いつも通り着飾ったルーフィ。

 そして――二度と会いたくないあの男だった。

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