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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■5.仮面夫婦の崩壊
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最善にして最良の選択

 そこは、廊下の一角。

 少し広い、ソファーとかが置かれた休憩用の場所。

 まるで人目を忍ぶかのように、三つの人影があった。


「約束は守られるのでしょうね、男爵殿。彼女には手を出さないと」

「えぇ、もちろん。条件さえ守っていただければ」

「……わかった。娶りましょう、あなたの娘を」

「では、実際に結婚するのは王子殿下の後、ということで。よろしいですかな?」

「――あぁ」


 会話を交わす二人の男。

 片方は中年で、もう片方は若い。体型も中年の方は小太りでだらしなく、服だけがやたら豪華な感じだ。若い方はすらりとして、ごてごてしていないが品のいい感じの身なりだった。

 そして、若い男をキラキラした目で見上げている一人の少女。

 まぁ、はっきり言えばエルディクスと知らない中年男、そしてルーフィがいた。

 エルディクスは、あたしやリードに背を向ける位置だからわからないけど、男と少女はものすごく嬉しそうに笑っている。ぎらぎらした光と喜色を目に浮かべ、花が咲くようだ。

 ルーフィのそれは、無邪気でかわいらしい。

 でも男の方はというと、見るだけで背筋がぞわっとする気色悪いものだった。

 たまに、奴隷という名前の養女を求めて教会を尋ねる下種がいたけど、あぁ、そういえば彼らもあんな気味の悪い笑みだったなと、あたしはぼんやり思った。

 思わず睨むように見ていたから、だろうか。

 男があたしとリードに気づき、表情を一瞬堅くする。

 だがすぐに温和そうな笑みを浮かべて見せて、エルディクスに一礼した。


「ではエルディクス様、またいずれ」

「エルディクス様にはルーがいるんだから、浮気はダメなんだからね!」


 そして、彼に手を振るルーフィの手を引いて、足早にどこかへと去っていく。リードはさっとユリシスに視線を向けた。一瞬置き、ユリシスは小さくうなづいて二人を追いかけていく。

 それからリードは、こちらにゆっくり振り向く、己の側近の前に立つ。

 ちらりと見えた視線は鋭く、怒気のようなものをあたしは感じた。

 一方、エルディクスはこちらを見て薄く、笑みのようなものを浮かべている。

 作り笑いってリードが言っていたけど、これのことなんだろうか。


「やぁ、リード。何か用?」

「こんなところで、あの親娘と何の密談だ?」

「……密談って、ほどじゃないよ」


 エルディクスはそう言って笑うけど、とても信じられない言葉だ。こんな場所で話し合うなんて、しかも人が来たらやめるとか、とても公的なものとはあたしには思えない。

 あとこれは私情だけど、ルーフィが絡んでる時点でもうダメだ。

 どう見たって、あれは『ヒソヒソ話』だろう。

 明らかに、後ろ暗い内容をお話していたんです、と書かれた看板を背負っていた。

 それでもエルディクスはきっと、しらばっくれるんだろうと思う。でなければリードが現れた時点で何かしら言うだろうし、作り笑いをする必要だって無いだろうから。


「あの男爵令嬢を、どうする気だ」


 リードも同意見なのか、いつになく強い口調でエルディクスに迫る。

 声は低く、明らかに怒っているのがわかった。

「あの女と結婚するのか」

「……さぁ、ね。そういう話はあるけど」

「マツリはどうなる。お前があいつの『すべて』なんだぞ」

「じゃあ……リードが飼ってあげればいいよ」

「か、う?」

「男爵との話はもうついた。あとは最終調整するだけなんだよ。だからね、これは『終わったこと』なんだよ、リード。所詮はすべて政略さ。うまくことを運ぶための手段でしか無い」

 政略結婚。

 貴族社会では良くあること。

 あたしとリードのそれだって、ある種の政略と言っていい。


 まぁ、それはともかく。

 どうやらエルディクスはルーフィと政略結婚するらしい。マツリを捨てて、身も心もボロボロになったままの手放して。行き場のない世界に放り出してしまうつもり、らしい。

「マツリがあれこれ言われているのは知ってるでしょ? そこは彼がいろいろ、手を回してくれるらしくてね。マツリなら一人でも大丈夫だろうし、ボクも心置きなく手放せる」

「……お前、何言って」

「もうマツリは要らないってこと。リードが欲しいならあげるけど?」

「おま、え……っ」

「り、リード様、だめっ」

 思わず殴りかかったリードを、シアが飛び出して止めようとする。

 でもその前に、エルディクスを『それ』は襲った。


 白い棒。

 あたしの声を作るもの――チョーク。


 いきなりの横槍に、彼はすぐには動けなかった。あたしは、さらに一本、もう一本、次から次へとチョークを投げつける。もったいない、という言葉は脳裏で口をふさがれていた。

 そして最後の一本で、あたしは石版に大きく文字を、声をたたきつけた。

『どうして彼女を捨てるの』

 エルディクスと一緒にいる時、マツリは穏やかに微笑んでいられた。今みたいに、周囲を気遣うような痛々しい笑みじゃなかった。作り笑いなんてしなかった、少女らしく笑ってた。

 彼女は、間違いなく幸せだった。

 エルディクスと、夫となった彼と一緒にいられて、彼女は幸せだったはずだ。

 確かに始まりは良くなかったのかもしれない。異世界から誘拐してきた彼にとっては、彼女はそこまでするほど魅力的な道具だったのかもしれない。それだけだったのかもしれない。


 でも、マツリは、マツリは。

 確かに彼に――恋を、していたんだ。


 それをエルディクスが、気づいていないなんてありえない。

 知っていて、その恋心すら利用したなら、あたしは彼を許さないだろう。でも、そう交流があったわけではないけど、彼がそういうことをする人ではないと、あたしは信じたかった。


「――そんなの、わかってるよ」


 頬についた白い粉をぬぐいながら、エルディクスが低い声で言う。

「ねぇ、ボクがどれくらい一緒にいたと思う? わかるよ、相手の気持ちぐらいさ。彼女の気持ちぐらい、きっと本人よりも、だって、ボクはリードみたいな『子供』じゃないからね」

 おい、と不満げにリードが一歩前に出ようとするが、あたしが服を引っ張って止める。

 今はエルディクスに喋らせてあげたい。

 後でいくらでも、グチには付き合うから。

 あたしの意図がわかったのか、彼は黙って引き下がってくれた。エルディクスはあたし達の様子に気づかない。気づかないまま、言葉を静かに連ねて、気持ちをそこに載せていく。


「……わかったんだよ、わかってしまうんだよ。彼女の反応が、表情が、声が、ゆっくりとだったけれど変わっていって。ふとした瞬間に、それを見て、感じて、ボクは思ってしまうんだ」


 にじんでいた嫌悪が消えて、戸惑いの色が生まれ。それさえも消えて、切なさと悲しみをまとう『それ』に気づいて。手を伸ばしそうになり、けれど勘違いだったらと引っ込めて。

 そうしているうちに時間は流れた。

 気づけば、一年。

 最初はただの都合のいい道具、駒だったのに、気づけば大事になっていて。

 その死に恐れ、失えないと感じるほど。

『エルディクスは、リードや国を守りたい?』

「当たり前だろ……それが、ボクの目的で、目標だからね」

『そんなの、ムリだよ』

 睨むように、あたしは彼を見る。


『好きな女の子一人、守れないヤツが国なんて守れるわけがない』


 国は、たくさんの人が集まったもの。彼女はそこに含まれる、ちっぽけな『一人』かもしれない。いざとなったら切り捨てなきゃいけない、その程度の価値しかない存在かもしれない。

 でもね、自分のことを想ってくれる、慕ってくれるその『一人』を。

 守れない、救えないようで、どうやって国を守れるのか。

 マツリ一人守れない、助けられない分際で、偉そうに国だとか政略だとか。

 あたしには、とんでもない『驕り』に聞こえた。


「そんなことはわかってるよ!」


 足元に転がるチョークを踏み砕き、エルディクスは声を荒げた。

 ……うまい具合に、彼に火をつけられたらしい。彼みたいに取り澄ましたような子は、そうすることで取り繕っているような人は、こうやって怒らせるのが一番手っ取り早い。

 小説からの受け売りだったんだけど、うまくいって良かったと思う。

 売り言葉に買い言葉。

 こうなれば、彼は本音を言うしかない。


「だけどボクには何もしてあげられないじゃないか。いっそ彼女がさ、あの令嬢みたいに立場だとか財産が好きなら、それはそれでよかったよ。わかりやすくて、差し出せて。だけどマツリは何も望まない、望んでくれないから、余計に自分が間違ったことをしたって思って」

「エル……」

「だけど気づいたんだよね。彼女が望んでいるのは『帰還』だって。きっと彼女はそんなこと言わないだろうけど、帰りたいんだろうって。帰れない代わりに何でもしたいと、そう思ったけれど、ボクの傍にいる限り彼女は平穏にいられない。だったら、手放すしかないじゃない」


 エルディクスは言い、どこか泣くように苦笑する。

 マツリは平穏な世界から、まったく違う世界に浚われてきた。

 立たされた舞台は政略と謀略に晒された彼の妻、そして未来の王妃の護衛役。

 今回はよかった。命を落とさずに済んだ。

 でも次は?

 次も同じように助かるのか、それとも――。

「だから、お前、マツリのことを」

「そうだよ? ボクから離れて、城からも離れれば、彼女は普通の、人並みの幸福と平穏を手にする人生を送れる……これ以上の、最善も最良もない。ボクにはもう、それしか返せない」

 肩を揺らし、エルディクスは顔をあげた。

 笑っているけれど、まるで笑っていない笑みの仮面が、そこにある。


「ボクには彼女を幸せにしてあげられないから」


 これしかない、と言い残し。

 一瞬、マツリがいる部屋の方角を見るように目を細め。

 エルディクスは、あたし達に背を向けてどこかへと去っていった。

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