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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■5.仮面夫婦の崩壊
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終わりの始まり

 マツリの病室に続く廊下を、とぼとぼと歩いていく。

 頭の中にこびりついた、令嬢に向けられた柔らかい彼の笑み。彼女のところに行く様子ひとつ見せず、どこかへと去っていった背中。あたしがさっき、見てしまったエルディクスの姿。

 さっきの光景を、彼女に伝えていいものか。

 もし、彼女を守るための手段なら、不必要に彼女を動揺させてしまうかもしれない。

 せっかく目を覚ましたばかりなのだから、それはいけない。

 必要なことだと、マツリはきっと飲み込むんだろうけど。でも身体が弱っている時に、知っていい情報であるようには思えなかった。今は嘘をついてでも、隠した方がいい気がした。

 じゃあ、黙っているべきだ。

 何も言わずに、エルディクスは……そう、リードのせいで来れないとか、言えばいい。

 王子様のご命令による不在ともなれば、マツリも信じてくれるだろう。

 リードごめん。

 だけど状況も状況だし、彼ならきっと許してくれるに違いない。

 多少の小言なんかは、甘んじて受け止めよう。

 頭の中で作戦を組み立て、あたしは少し歩みを速めた。

 が、前から楽しげに歩いてくる『彼女』に気づき足を止める。周囲を見回すも、隠れられる場所はない。あたしはある意味で、今一番会いたくない存在と向き合うことになった。


「あーら、花嫁様じゃないのー」


 カツカツ、とヒールを鳴らして歩いてくるルーフィ。

 今日はいつになく気合の入った、空色のドレスを身に纏っている。

 露出はないけど、とにかくフリフリだ。白いフリルが、彼女のちょっとした動きにも敏感に反応して軽やかに揺れている。いかにもお貴族様のお嬢様って感じだけど、子供っぽい。

 そして、これでもかと宝石を身に纏っている。

 日の下に出られたら、キラキラしすぎて目に痛そうなほど。ドレスがどこか子供の着ているそれのような装飾とデザインになっている分、ギラギラした宝石は不釣り合いだった。

 そういうの、あんまり考えてないんだろうなと思う。

 そして近くに寄らずともわかるほど振りかけられた香水に、顔をしかめそうになって耐えるのが大変になった。まさか、シュっとするのではなくダバダバかけたのだろうか。

 そんなありえない考えを浮かべるほど、かなりきっつい香りだ。


 そういえば、彼女はあの輪の中に入らないのだろうか。

 エルディクスを囲んでいた彼女らは、既婚であると承知で彼に迫っていたルーフィに取っては文字通りのライバルだろう。マツリがあんなことになっているし、彼女からするとまたとない好機なのではないか。嬉しくはないけど、逆にここにいるその不自然さが気になった。

「ねぇねぇ花嫁様ぁ、さっきの見たかしらー?」

 さっきの、とは……やっぱり、エルディクスと令嬢集団なのかな。

 とっさに答えられないでいると、やはりそうだったのか、ルーフィがくすりと笑って。

「ったく、あの子達はバカじゃないのかしらぁ? エルディクス様は、このルーのモノって決まったんだから、今更べたべた擦り寄ったって全部ぜぇーんぶムダなのにぃ」

 そう、言い切った。

 とんでもない自信だなと思う。

 あれを見ていなければ、きっとバカなのはお前だって思えただろう。

 しかしエルディクスのあれをみたら、あたしはそう言い切れない。何も言わないあたしに特に感じることもないのだろう、ルーフィはぺらぺらと、うっとりした様子で続ける。


「マツリ様はねぇ、近々『責任』を取らされるのー。花嫁様を、危険に晒した責任をね」


 責任?

 想像もしなかった言葉に、あたしは自分の耳を疑った。確かに危なかったけれども、それはある意味であたしのせいとも言えた。あの時、マツリの提案に乗らなければよかったのだし。

 あたしは、自分が重要な存在であることを一応は認識していたのだ。

 不用意に外出を、それもお忍びでやらかして、ああなった責任はあたしにだってある。

 彼女一人が責められるべきではないはずだ。

 それに、もしかしたら内通した人がいるかもしれないんだ。彼女の責任の前に、そっちをどうにかするべきだろう。誰が何をしたって、内通されたら何の意味もないんだ。


「でもエルディクス様は優しいから、離婚ですべて終わらせてくれるのよ」


 ――離婚で、終わる?

 楽しそうに嬉しそうに、ルーフィが語る言葉が理解できない。それはつまりマツリとエルディクスと別れることで、離婚することで、今回の一件は終わるということなのか。

 エルディクスとの婚姻で、マツリは今の立場にいる。

 それが失われた彼女は、まず城で働くことは困難になるだろう。

 彼の屋敷からも出なければならず、住む場所を探さなければいけない。当然仕事は続けられないだろうから、働く場所も探さないと。つまり、文字通りすべてを失ってしまうわけだ。

 それが――彼女への、罰、ということなのだろうか。


 でもそれは、ある意味で死刑宣告だ。

 彼女に死ねと、告げるに等しい。こちらの国に来てからずっと、貴族の世界にいただろう彼女が今更、元々は庶民階級だったとはいえ異国のそこで暮らしていけるとは限らない。

 仕事だって見つからなければ終わり。

 それをエルディクスが受け入れるとは、あたしには思えない。

 ……なんだ、結局この令嬢のバカバカしい妄想だった。

 ふるふる、と首を横に振ると、むぅ、とルーフィが唇を尖らせる。あぁ、この人を見てると孤児院の女の子達を思い出す。そう、ワガママ放題な三つ四つのちっちゃい子だ。

 彼女はあたしより年上なんだろうか、本当に。


「花嫁様が信じなくても、そうなるんだもん。リード様が何言っても無駄なんだもん。だってルーのパパがそうするって言ったんだから、ルーとエルディクス様は結婚できるんだもん!」


 じたじた、と地面を踏み鳴らす。

 ルーフィの父親は、どうやらそれなりの重役らしい。

 彼女の様子から、父親――ついでに母親もそうだろうけど、いかにも庶民が思い描くようなたぐいの『バカ親』なのはわかった。あぁ、素晴らしきお貴族様ってやつだ。

 娘が望むなら、それがいかに犯罪に等しい行為でも、きっとやってのけるだろう。

 ならば、合法的に一つの夫婦を終わらせるなど、たやすいはず。

「お一人になったエルディクス様は、ルーと結婚するの。ルーが奥さんになるの」

 胸に手を当て、ルーフィは祈るように目を閉じる。

 ほぅ、と熱い息をはきながら。

「ルーは、たくさん子供を産むの。エルディクス様のお子を、たぁっくさん」

 まるですでに授かったかのように、彼女は下腹部をそっと撫でた。

 それは、ある意味で母性にあふれる行為。

 仮に身篭っていなくとも、暖かさを感じるだろう行為のはず。

 けれど彼女から感じたのは寒気。背を震わすほどの、気持ち悪さと怖気だ。


 もしも、彼女の思惑通りにすべてが進んだとする。世間はきっと、二人の離別を『子に恵まれなかったから』と思うに違いない。実際、二人には未だに子供が一人もいないわけだから。

 それを理由にしたら、誰もがそれを信じるだろう。

 マツリは子を身篭れなかったから、だから夫に見限られたと。

 ルーフィはその後釜に、自分が納まろうという魂胆に違いないのだ。いや、後釜という発想もないんだろう。自分こそが正しい彼の伴侶だと、あれはそう信じきっている目だ。


 でも、そんな簡単にいくのだろうか。

 離婚まではいけたとして、その後、ルーフィと結婚できるかまではわからない。エルディクスが良いと思わなければ、結婚などできないのだから。彼にだって選ぶ権利はあるはずだ。

「……そんなうまくいかないって、顔なさるのねぇ」

 あたしが思わず浮かべは疑念に気づき、彼女は強く睨んでくる。

 問題ないんですぅ、と腰に手を当て、ルーフィは言った。


「パパがルーのために、議会とかに働きかけてくださるんだから!」


 今度こそエルディクス様はルーのモノ、と、うっとりとした様子で語るルーフィ。

 彼女の中で、それはすでに決定された未来らしい。

 一方的に自分本位の未来を語り倒してあたし相手に勝ち誇った彼女は、何も言わないあたしに飽きたのかぷいっと背を向けた。ごきげんよう、とかいう挨拶もなく去っていく。

 彼女が歩いて行くのは、エルディクスが消えていった方向と同じだ。

 これから令嬢達を追いかけて、そこでも己の勝利を宣言でもするのかもしれない。

 もうバカかと思うくらいに子供っぽいけれど、実際子供っぽいにも程がある性格と性質をしているのだろう彼女ならやりそうだ。そんなもの見る気はないあたしは、再び走りだす。

 向かったのは程近い場所にある、マツリがいる部屋だ。


「……ハッカ」


 飛び込んだ部屋の中。

 ベッドの上で身を起こしていた彼女は、泣いていた。

 涙を流して、微笑んでいた。

 その視線が一度、窓の向こうに向く。あたしは目の前が真っ暗になりそうだった。

 綺麗に整えられた庭の中、よりにもよってルーフィにべたべたとくっつかれているエルディクスの姿がはっきりと見えている。まるで見せつけるように、彼らはそこにいる。

 今からでも、そうだ殴りにいかなきゃ。

 引きずってでも連れてこよう、そう思って向かおうと背を向けたあたしに。


「……仕方、ないことなの」


 小さな、彼女のつぶやきが突き刺さる。

 マツリは何も言わずに、ただ静かに微笑んでいた。もう涙は流れていない。確かに頬を伝っていたはずの雫はさっとぬぐわれて、すでにどこにも存在しなかった。

 でもそこににじむのは、涙よりも陰惨な色。

 やっと追いついたシアとユリシスが息を呑むほど、その微笑は綺麗で、優しく。

 すべてを諦めきった、絶望の色をしていた。

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