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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■5.仮面夫婦の崩壊
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不和

「おまたせー」


 しばらくすると、シアがワゴンを押しながら戻ってきた。

 がらがら、と音を立てるそれの上には、数人分であろう食事が並んでいる。給仕は彼女の人でするらしく、いつもなら数人は控えている侍女がいない。まぁ、その方が気が楽だけど。

 テーブルに並べるのを手伝おうと立ち上がった時、あたしは気づいた。

 ワゴンの端に、ぶどう酒らしき液体が入った入れ物がある。

 けれどあたしは飲まないし、シアだって飲まない。ユリシスは飲めるかもしれないけれど彼は仕事中だし……その真面目な性格などを考えるとあたし達以上に、ない。


「それ、リード様の」


 もうじき来るって、とシアがいう。

 食事を取りに行ったところ侍従長がいたらしく、そこで話を聞いたそうだ。侍従長といえば何度かあったことがある、確か初老の男性だ。リードが苦手に思ってそうなお固い感じの。

 親子二代で使えているらしく、いろいろと見聞きした生き字引だとか。

 なるほど、とあたしはテーブルに並ぶ料理を見る。

 こうして配膳してみると、たしかに料理は二人分あるようだ。

 この部屋で食事を取るのはあたしと彼ぐらいだし、じゃあすぐに戻ってくるのだろう。

 食事を一緒にするのは久しぶりだ。ケンカしている間は離れていたし、マツリの一件のゴタゴタが落ち着かないとかで会わない日々がずっと続いていた。こっちで食事をするということはケンカのことはとりあえず水に流れて、例の騒動のあれこれも落ち着いたってことかな。

 ……久しぶり、だな。


「やだぁ、嬉しいの?」


 思わず表情を緩めていると、ニヤニヤしたシアにからかわれる。

 べ、別に嬉しいってわけじゃない。

 ただ、マツリのことがあって以降は、以前以上になかなか会えなかったから。

 ちょっと心配なだけで、体調とかそういうのが。それに余裕が無いということは、面倒事があったってことでもあるんだから、あたしも一応当事者だから心配になってただけだから。

 それだけ、なんだから。


「はいはい」

 シアはニヤニヤを隠しもせず、食事をテーブルへ並べていく。

 今日は野菜を使ったスープと肉を焼いたもの。付け合せは上げたお芋で、デザートは特にないっぽい。ただ、こっちの食事に合わせて持ってきたりするから、まだここにないだけかも。

 ひとまずあたしはソファーに座り直す。

 てきぱき、と準備を整えるシア、なんだかかっこいい。

 ひと通り食器と食事を並べ終わった頃、リードが一人で部屋に入ってきた。

 同時に、シアはユリシスと一緒に、部屋から出て行ってしまう。

 二人は別室で、それぞれ夕食をとるのだろう。あたしはちょっと寂しいと思いつつ、自分の椅子に座る。羽織っていた上着などを脱いで、リードがテーブルを挟んだ向こうに座った。

 久しぶりにちゃんと顔を合わせた彼は、やっぱり疲れているみたいだ。

 痩せた、とはいかないながらも、顔色はよくない。


「マツリの容態だが、安定してきたから頃合いを見て屋敷に移すそうだ」


 そうなの、と問うように首を傾げる。

 あぁ、とリードは答えて。

「ひと通り問題要素は取り除けたからな、いつまでも城に押し込んでもいられない。エルの屋敷は庭ば広いし自然が多いから、目が覚めた後の静養にもちょうどいいだろ」

 そうなったら休暇を押し付けてやる、とリードは言う。

 その顔には少しの笑みがあった。

 夫婦水入らずに、ということなのだろうし、多分他の誰よりも働きっぱなしの彼を心配してのことだろう。エルディクスは本当に、暇さえあれば少しの時間でも彼女を訪ねていたから。


 余裕さえあれば、彼はいつもマツリの傍にいた。

 何も言わずに、ただ彼女の手を握って。

 時々、そっと頭を撫でたりして。

 先生の話だと、時々何か話しかけたりもしているらしい。


 そんなふれあいをしているせいなんだろうか。血の気が失せてマツリの顔色も、素人のあたしでもわかるぐらい、だんだんと良くなってきた。少なくとも最初の頃よりずっといい。

 本当に彼女は、眠っているだけだ。

 だから、安心していた。

 彼が傍にいることで、彼女は元気になれるんだって。

 やっぱりあの二人の間には、特別なものがあるんだって。

 さらに二週間経って、明日にでも屋敷の方へ移そうって話になって、タイミングよくマツリが目覚めた日に――そんな時に限って彼女の傍にいなかったエルディクスを。


 令嬢達の中心で、見かけるまでは。



   ■  □  ■



 朝、マツリが目を覚ましたと聞いたあたしは、着替えもそこそこに走り出した。

 朝食だって食べてない。食べてなんていられない。

 早く彼女に、会いたかったから。

 きっと、もうエルディクスは彼女の傍にいるのだろう。当たり前だ、だって彼は彼女の大事な旦那様なんだから。あんなに一緒にいたんだ。当然一番乗りして、いちゃいちゃしてる。

 ……だとすると、少しゆっくりしていってもいいのかも。

 でも、どうせマツリはしばらく働けないし、リードはエルディクスも休ませると言った。

 あたしが以前のように会えるまでには、もう少し時間がかかるかもしれない。だったら今日の逢瀬の少しの時間を、ちょっとくらいジャマしてもいいだろう。

 どうせこれから二人は、ずっと一緒なのだから。


「ハッカぁ、ちょ、ま……っ」


 少し後から走ってくるのはシア。

 その隣か、あたしと彼女の間をユリシスが走っている、と思う。それらしい足音がしているから判断しているだけだ。その程度を確認するため振り返る余裕すら、あたしにはなかった。

 途中、二人の足音が聞こえなくなったけれど気にしない。

 ――早く。

 早く早く早く。

 マツリに会いたくて。

 笑う彼女を見たくて、抱きしめたくて。

 他にもいろいろしたくて、言いたいんだけど、あたしは言葉にできないから。だから感謝を込めて、いろんな感情を詰め込んで、ぎゅっと苦しいくらい強く抱きしめたいと思っていた。

 やっぱり、かかとが高い靴はいけない。

 こういう時は、ぺったんこなサンダルでなきゃ。

 廊下を走りぬけ、侍女とぶつかりそうになりながら前に進んで。ごめんなさぁい、とシアの泣きそうな声にちょっと走るのが緩み、けれどやっぱり走り続けて、前へ、ひたすら前に。

 さぁ、あと少しで目的地というところで。


「ねぇねぇ、エルディクス様ぁ、今度、我が家で夜会がありますの、是非お越しくださいな」

「いいえいいえ、次はわたくしの番ですわよ、エルディクス様」


 あまり聞きたくない、嫌な感じの声を聞いてしまった。

 甘ったるい、あたしより少し年上の女性の声。最近は部屋に閉じこもったり引きこもったりしてた関係で聞いていなかった声に気づいた瞬間に、あたしは思わず足を止めてしまう。

 声はすぐ近くの、外からしているようだった。

 それにしても本当に、嫌になるぐらい聞きなれてしまった。

 この声の主を、あたしは知らないけど。

 でも、こういう声を発する存在を『貴族令嬢』というのは知っている。そして声の種類がたくさんあるということは、その中心にいるのは優良物件。リードかと思って覗きこむ。

 そうしたことを、あたしは後悔した。

 見なければよかったのに、と数秒前の自分を。

 朝食も取らずに走りだしたことすらも。

 まっさきに、誰より先にマツリの傍にいなければいけないエルディクスは。


「生憎、ボクは一人しかいなくてね。……そうだな、どこからにしよう」


 数人の令嬢に囲まれて、くすくすと笑っていた。

 どういうことなのかわからなかった。マツリがあんな状態だっていうのに無遠慮に群がってくる令嬢を、追い返す目的で適当に相手をして追い返そうとしているんだと思った。

 でも彼は話を早く片付けるわけでもなく。

 追い返すわけでもなく。

 のんびりと庭に立ち、かわるがわる、令嬢と話をしている。時折彼女らの容姿を、装飾を褒めて甘い言葉を囁くようにして。焦りなんてものはなくて、彼はずっと囲まれ続けている。

 どうして、とあたしは唖然としてそれを見ていた。

 だって、彼に話が伝わっていないはずがない。部外者のあたしに話が入ったのだ、マツリが目を覚ましたということを夫である彼が、知らない、なんてことがあるはずないのに。

 真っ先に彼女の傍に参じ、その手を握るべき彼の行動が理解できない。


 しばらくすると、彼らはどこかへと去っていく。

 くすくす、と笑い声が遠ざかる。


 エルディクスは最後、あたしがいる方を見たような気がした。足を止めるのかな、あたしに気づいたのかな、そう思ったけれど、令嬢に囲まれた彼はそのままどこかに去っていった。

 その方向にマツリはいないのに、どこにいくの。

 残されたあたしは、頭の中で必死に仮説を組み立てていく。

 何か事情があったんだ。まだマツリが、目を覚ましたことを知らないんだ。

 いろいろと都合のいい『もしも』を浮かべ、あまりの白々しさに自分で破り捨てる。


 ……きっとマツリのためだ。

 彼女を守るため、ご機嫌取りをしているだけだ。ほら、前にマツリがそんなことを言っていたじゃないか、リードがあたしのために実行していたじゃないか。それと同じだ。

 きっとエルディクスも、弱ったマツリを守るためにやっているんだ。

 でなきゃ彼が、あの日マツリがああなって一番ショックを受けていた、誰よりもマツリの側にいたエルディクスが。目覚めた彼女をほったらかしにするなんて、そんなのありえない。

 言い聞かせ、あたしはそっとその場を立ち去った。


 けれど足元はぐらついていて。

 ただただ、嫌な予感だけが背中を撫でていた。

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