大事な姉妹
「ってわけで、しばらくはマツリの代わりに彼女が、ハッカの傍にいるから」
彼女は部屋で待ってるよ、と言い残し、エルディクスは去っていった。
遠ざかっていくその背中は、やっぱり日ごとに元気さというか、覇気がなくなっているように見える。そんな素振りは微塵も見せないけど、やっぱり一番つらいのはエルディクスだ。
早く、目を覚ましてあげてね、マツリ。
あのままだと、たぶんエルディクスは倒れるかもしれないから。
そんなことを思いつつ、あたしも侍女が待つという自室に向かって歩き出す。
でも、侍女ってどんな子なんだろう。
年が近いとは聞いているけど、詳細はまだ聞かされていない。
でもマツリが選んだって言うからには、その子はきっと悪い子じゃないはずだ。例えばあたしとリードみたく、出会った瞬間から険悪とかにはならないはず。……たぶん。
とりあえず最初は、おとなしくしよう。
おしとやかな淑女らしく、にっこりと笑顔でご挨拶だ。そうすれば、きっと相手だっていきなり怒ったりはしないと思う。思いたい。……よし、がんばる。できることはまだある。
とはいえ、やっぱり緊張はどうしてもぬぐえない。
こういうところの侍女って、貴族とかから選ぶっぽいし。もしかしたらっていう不安が消しても消しても浮かんでくる。こんなに臆病だったっけ、あたしは、こんなに無様だったっけ。
あたしは不思議そうにこっちを見るユリシスを気にせず、扉の前で深呼吸した。
背中に、入らないのか、という視線が突き刺さる。
……入るよ。
心の中で答えて、あたしは扉に手を伸ばそうとして。
「やーっと帰ってきた」
それより先に、扉を内側から開かれてしまう。
かつ、かつ、と響く足音。
部屋の中にいた声の主が歩く音。
明かりがなくて薄暗い部屋の中から、侍女の服を着た少女が現れる。手を伸ばしたままかたまったあたしなんてお構いなしに、その少女はにこにこと笑顔を浮かべてあたしの前に来る。
「もう少しで、遅い昼寝をするところだったじゃない」
そんなことを言いながら、唖然としたあたしの前に立ったのは、懐かしい、泣きそうになるほど懐かしい人で。いるはずがないのに、彼女は侍女の服をしっかりと着込んでいて。
元々綺麗だった髪がさらに綺麗で、かわいらしい髪留めをつけたりして。
「はぁい、ハッカ。お久しぶり、かな?」
なんて笑って、あたしを抱きしめてくれた。
ふわり、と懐かしい香りが身体の中へ入り込んでくる。
シア。
シアがいる。
二度と会えないって、思った彼女がいる。
どうして、なんで。
これは夢なのかもしれない。
あたしは無理をしすぎてぶっ倒れて、あるいは実は死んでいて。その先で見た夢で、あの世で、これは全部現実じゃなくて。そんな可能性を考える、だってシアがいるはずないのに。
だけどすがりついた身体は彼女の形で。
香りも、温もりも、あたしが知っている大事な『姉妹』のものだった。
「ちょ、ちょっとハッカ!」
思わず彼女に抱きついて、ぎゅうぎゅうと腕に力を込める。
最初はあたしの行動に驚いていたシアは、仕方ないわね、と苦笑した。同じように背中に腕を回して、昔、シスターがしてくれるみたいに優しく優しく、何度も何度も撫でてくれる。
頭も、撫でられた。
その瞬間に、あたしの中に穏やかで暖かいかたまりが浮かぶ。
それは『安堵』と呼ばれる物。
この城に着てから、そしてマツリがああなってから、張り詰めていた糸。
それがシアの存在のおかげで、少しだけ緩んだ気がした。泣きそうになっているのはしかたがないことだ。人間、安心したらないちゃうものだ。そういう作りの生き物だから。
「まぁ、とにかく中で話をしましょう」
少し引きずられるようになりながら、あたしは部屋に引っ張り込まれる。
それから遅れるようにユリシスが入り、扉は彼が閉めた。見た目はともかく、内面はおよそ侍女らしくない侍女となったシアは、あたしの手を握ったままちょこんとソファーに座る。
隣をぽんぽんと叩かれ、あたしはそこに腰掛けた。
「……ふふん、ずいぶん綺麗じゃない。ちょっと痩せたけど、元気そうで良かった」
ぺち、と両手で頬を挟まれる。
下から覗き込むように、シアがあたしをみてにやりと笑っていた。
いつもの、あたしが知る『シア・メイル』の笑顔。
「みんなにも――シスターや神父様にも伝えたいけど、ムリなんでしょ?」
ハッカが元気にしてること、ちょっと痩せたけどぼちぼちやってること、と。シアはちらりとユリシスを見て言う。諦めを含む彼女の言葉に、少し申し訳無さそうにユリシスは頷く。
状況が状況だから、今は外部との連絡は取れないらしい。
仕方がないと思いながら、今は、というニュアンスの部分に期待を寄せる。
「マツリ様、早くお元気になるといいわね。あの人がいたから、私はここにいるのだし」
お礼を言いたいな、とシアはうつむきながら呟く。
彼女はマツリが選んできたらしい。
少しでも、あたしの心が安らぐように。
もちろんあたしのためだけに、孤児である彼女を侍女につけるのは難しい。シアを侍女にするのに必要な理由をつけるために、マツリが考えたのが直属の護衛というやつだった。
護衛だけなら騎士なり兵士なりでもできるけれど、そこに加えて身支度の手伝いなど侍女の仕事を兼任するのは難しい。だったら両方がそれなりにできるものを、新たに雇えばいい。
後見に貴族をつければ問題ないし、何よりシアはあたしの姉妹――のような存在。
身元は怪しいけれど、その立ち位置は常にあたしの味方。
という具合に説得して回って、彼女はここにいる。
そういえば、ユリシスが稽古をつけているって、言ってたっけ。
「これでもそれなりに戦えるのよ。名ばかり護衛じゃないんだから」
と笑うシアの腕は、確かに以前より少し筋肉がついていた。
元々華奢なので、体術を中心に身に着けたらしい。こう、相手の力を応用してぽーんと投げ飛ばしたり、腕や足をひねりあげて動けなくしたりと言った感じのものなんだそうだ。
武器を持つ相手にはユリシスが、魔術にはマツリが対抗するという布陣。
……まるで、一国の主を守るかのような構えだ。
あたし、ただの王妃様予定者って、だけなんだけどな。
そう思っていると、のんきねー、とシアが呆れた。
「事情はともかくとして、ハッカは一応『狙われた』のよ? ハッカを『神託の花嫁』と崇めている人は多いし、何かあったら、市民は王族――あの王子様に責任を問うはずよ」
その先はわかるわよね、と言われて、あたしは頷く。
あたしは、自分に何かあった『その後』を想像し身体を振るわせた。
シアの言うとおりなら、人々は間違いなくリードやその周囲の責任を追求するだろう。花嫁をちゃんと守らなかったのは、神への冒涜だとか、そんな感じにいう人も大勢いるだろう。
敵対関係にある貴族なんかは、物語みたいにそれを煽ったりするかもしれない。
現在、王族は総じてとても人気が高い。
ここ数代の国王が、みな名君で名をはせるような人ばかりだったからだ。ちょっとやそっとのことでは、その積み重なった強固な立場と信頼は揺るがすこともできないだろう。
でもそこに、『神託の花嫁』を守れなかった、という要素がくっつけば?
元々信仰というものに熱心な国民性、とんでもない騒ぎになるのは間違いない。どれほど固く積み上がった立場があっても、民がいなければそれは王ではないのだ。
奥から熱が奪われ、さーっと冷えていくのがわかる。
「だから、今はあなたを守らなきゃ、なの」
「できれば自分かシア殿、リードから離れないようにしていただきたい」
真剣さをはらむ二人の声に、あたしはコクコクとうなづいた。
こと、ここにいたって自分の立場が、痛いほどにわかる。
そして改めて思うのだ。
あたしはもう、ただのハッカには戻れないんだって。そう思うのは、やっぱりまだこの状況を受け入れきれていない『あたし』がどこかにいるんだろう。帰りたいんだろう、きっと。
できないのはわかっている、だからこそ思いは消えない。
「ま、暗くて堅い話は置いといて、さっさと食事にしましょ」
ちょっと待ってて、とシアは部屋の外へ出て行く。
たぶん食事を運んでくるのだろう。
あたしはソファーに座ったまま、その帰りを待つ。なぜだろう、シアを見た瞬間から急にお腹が空いて仕方がない。教会でも感じたことがない飢えに、あたしはぐったりとうつむく。
大丈夫ですか、と問いかけてくるユリシスには、とりあえず頷いておいた。